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Phase 013:「有給休暇?」

有給休暇とは、会社から「休んでも給料あげるよ」と言われるありがたいものですが、たまに不条理です。

休みたくなくても休まされたり、休んでもいいはずなのに休めない空気にされたり、ものでもないのに無理矢理買い取られたり……。


休める時に休むことは大事ですね……。

 なんか、ブラック企業にでも就職してしまった気分だ……。


 心の中で独り言ちる。

 PM部のドアを前にして、ふと我に返ってしまった。


 廊下の窓を見れば、かんかん照りの昼の陽射し。

 眩しすぎて、外の様子が白く見える。

 そこから響く、サッカー部の声だし。

 野球部の金属バットの打撃音。

 そして、暑さを誘う蝉の声。


――ミーンミンミンミーン……


 まあ、蝉の声なんて聞けるのは、この広大な土地に多くの自然を残す、この学校の中だからだろう。

 街の中で蝉の声なんて、ほぼ聞いたことがない。

 そういう意味では、蝉の声が聞けるなんでレアな体験なのだ。

 だからこれは、喜ばなくてはなら……なら……な……ら…………。


――ミーンミンミンミーン……


 ならんわ!

 やっぱり暑苦しい!

 蝉、黙れ!


――ミーンミ……


 ……素直だな、蝉……。

 短い生涯に文句をつけて、正直すまんかった。

 ツッコミするにも相手がいないから、つい蝉に突っこんでしまった。


 そう。

 今日の部活は、誰もいない。

 俺だけだ。

 なにしろ、今は夏休み。

 七夜会の残務処理で1日だけみんな来ていたが、それも残りは塩沢書記殿に押しつけ……お願いすることができた。

 晴れてみんな、夏休みを満喫中のはずである。


 桂香さんは、セブ島にダイビングだと言っていた。


 華代姉は、ハワイだったか。


 柑梨は、確か軽井沢で避暑。


 古炉奈はどこだか知らないが、やはり涼しいところだと言っていた。


 スケさんは……興味ないから知らない。


 とにかく、それぞれ素敵なバカンスを楽しんでいるはずだ。

 それに対して、こちらは「もわもわ」した空気が気持ち悪い廊下にいる。

 そう。俺は部活に来ていた。

 なぜなら、まだタスクが残っていたからだ。


 いや。別に夏休み明けにやっても、実は問題ない仕事である。

 しかし、どうにも気持ち悪い。

 俺は熱血漢ではないが、やる時ことはとことんやる主義なのだ。

 だから、バカンスなど洒落こまず、学生らしく(?)学校に来たのである。

 まあ、幸いなことに、なぜかPM部にはクーラーが設置してある。

 ただで涼めると思えば、悪くはない……と思うことにした。

 別に自宅でも涼めるけどね……。


 学校側にも、今日の午後から来ることは伝えてあったので、職員室で宿直の先生から「暇なのか?」という嫌味と共に、鍵を受けとってきていた。

 俺はそのカギで、「ドアよ。お前も暑い中ご苦労」と心の中で語りかけてから、ドアをカチリッと開けた。


 ……あれ?


 すると、なぜか中から、ふわっと冷たい空気が流れてきた。

 す、涼しい……。

 涼しくて気持ちいいけど、なぜ?


「…………」


 俺は部屋の奥に目を向けて、石化したように身体が固まった。


 目の前に人がいる。


 いや? 本当に……人か?


 カーテンがほぼ閉めきられて、薄暗い部室の中。

 それは、隙間からもれた光だけに、浮きあげられている。

 真っ白なガーゼみたいな生地で作られた、和服の下着……あれ、なんて言ったけ?

 ……ああ。肌襦袢はだじゅばん

 そうそう。それだ。

 その白い和服の女性が、部屋の奥で冷気を放ちながら立っている。


「…………」


 しかも、こちらをジッと見つめて。


「……し、失礼しました」


 俺はゆっくりと部室に踏み入れていた足を戻して、ドアを閉じた。

 そして、2、3歩後ずさってから、思わず廊下に尻もちをついてしまう。


 あれは……いわゆる、あれ(・・)か?

 まあ、確かに、夏はあれ(・・)の季節かも知れない。

 しかし、窓を再確認するまでもなく、今は真っ昼間だ。

 最近のあれ(・・)は、時間に関係ないのか?


 いや。あれ(・・)が本当にいるはずもない。

 少し混乱しているようだ。


 ああ。

 そう言えば、この部室にはあれ(・・)が出るという噂があったな。

 あれ、マジだったわけか……。

 いや。そんなはずはない。

 だから、あれ(・・)が現実にいるわけが……。


 でも、確かに噂通り、女子生徒のあれ(・・)だったな……。

 そもそも、いつの時代のあれ(・・)だ?

 少なくとも、今時の生徒で、スケスケの肌襦袢で学校に来る奴はいないはず。

 しかも、前をはだけてさせて。


 そう。はだけていた。


 肌襦袢の前が、合わさっていなかった。

 つまり、胸の渓谷とか、下の方に何か見てはいけないあれ(・・)とか、こう見えているような見えていないような。

 あれ?

 あれはあれ(・・)だったのかも知れないけど、あれ(・・)が見えたなら、なんかちょっと得した?


 あれあれ?

 お、落ち着け、あれ……じゃなく、俺。

 今は、あれ(・・)が見えたことを気にしている場合じゃないよな。

 これはすぐに逃げな――


――バタンッ……


 ドアが突然開いて、冷気と共に人が飛びだして来た。

 一瞬、悲鳴をあげそうになる。


「キミ、もしかしてロウくんかや?」

「――へっ?」


 ひきつった顔のまま、俺はあれ(・・)だと思っていた女性の姿を見た。

 今は、肌襦袢の上から、ユカタをかるく羽織るようにして、身体を隠している。

 だから、もちろんあれ(・・)は見えない。


「いやはや。すまなかったのや。まさか、休みの日に誰かが来るとは、思わなかったのや」

「あ……いえ……」


 そこまで聞いて、やっと相手が人間だと理解する。

 冷気は何のことはない、クーラーに決まっている。

 やはり、いないのだ、あれ(・・)なんて!


 俺は、尻もちをついていることを取り繕うように慌てて立ちあがる。

 そして、かるく頭をさげた。


「すいません。着替え中に……」

「謝ることはないのや。鍵が閉まっていると油断して着替えていた、(つゆ)が悪いのや。で、ロウくんでまちがいないかや?」

「ええ……」

「おお。それは嬉しや。会ってみたかったのや。とりあえず、中にはいりや」

「あ、はい……」


 俺は招かれるままに、部室に入っていた。

 その時、何か気になることがあったのだが、それよりも彼女の正体の方が気になった。

 この妙な口調の彼女は、もしかして……。


「あのぉ。もしかして、PM部3年の……」

「そうや。わらわこそが、部唯一の3年生【鳥渡とりわたり 露之間つゆのま】なのや」


 ふふんとばかり、腰に手を当てて胸を張る。

 が、そのせいで、また前がはだけそうになり慌てて手を戻す。


「いやはや……」


 気まずそうに笑いながら、細面を少し赤くさせた。

 さっきは薄暗かったのと、なんとなくあれ(・・)のイメージで、彼女の肌は青白く見えていた。

 しかし、そんなことはなかった。

 照明をつけた部屋で見ると、小麦色まではいかないが、健康的な肌色の女性だ。

 キツネを思わすような、少しつりあがり気味の双眼。

 と言っても、線のように細いわけではない。

 クリッとした星眼をしている。

 もちろん、この星眼は病気の方ではなく、漫画的表現でいう方だ。

 黒眼が妙に輝いて見えるのだ。

 表情のすごく明るい女性だった。


「いやはや。恥ずかしい限りや。夕方にある祭りのために、ユカタを着付けてたのや」

「なぜここで?」

「自宅のエアコンが壊れたんや。やたら、暑くてイヤやったんや……」

「でも、暑い中、ここまでくる方が大変では?」

「ああ……。でも、ここまでは近いのや。……ところで、さっき、わらわのすべて見たのかや?」


 突然、ドキッとすることを訊ねられ、俺はアウアウとしてしまう。

 これでは、まるで柑梨だ。

 話の流れが唐突過ぎて油断した。


「いやはや。やはり見られてしもうたかや。大したもの見せられないで悪かったのや。華代ちゃんぐらい見ごたえがあれば、よかったんかや?」

「そ、そんなことは! 実に見ごたえがある、神秘的で素晴らしい……あ、いやいや……」


 な、何言ってんだ、俺は!?

 やはり、初めて見たあれ(・・)に混乱してしまっている。


「いやはや。ロウくんはエロいのかや?」

「す、すいません……」


 謝るしかない。

 しかし、彼女があれ(・・)ではないということは、とうとうやってしまったということだ。

 ハーレム物でありがちな、着替えシーンにぶち当たるイベント。

 まさか俺にはないと思っていたのだが、小説は事実より奇なりだ。

 ……ん? 逆か?


「とりあえず、ユカタをちゃんと着たいので、ちょっと後ろを向いていてもらってもいいかや?」

「は、はい」


 と、俺は素直に背を向けて、接客用のソファに背を向けて腰かけた。


 ……って。

 そもそも、それなら外で待っていた方がよかったんじゃないのか?

 俺的には、こちらの方が涼しいので助かるのだが、彼女的にはどうなんだろうか。

 初めて会った男と二人っきりで着替えるなど……。

 この前、カバーされていた古い歌で「男はオオカミなのよ、気をつけなさい」と言っていたぞ。

 誰も来ないであろう部室に男女が二人きり。

 俺がオオカミだったら、今頃は成人指定になっているところだぞ。

 後ろで聞こえる衣擦れが、どれだけ魅惑的かわかっているのか、この人は……。


「ロウくんは、九笛からのレポートにあった通りの子なのや……」


 そんな葛藤中の俺に、呑気そうな声がかけられる。

 俺は耳から離れない衣擦れを忘れるように聞きかえした。


「レポートって?」

「九笛がいろいろとレポートで教えてくれるんや。そこにロウくんのことも書いてあったんや」

「聞くのがなんとなく怖いのですが……どんな?」

「そうやね。まじめでいい子――」


 おお。

 桂香さんったら、そんな風に俺を……。


「――で、マニアックな変態」

「うおおぉぉいい! 誰がマニアックな変態だ!」


 と、つい3年生の先輩に思いっきりツッコミを入れてしまう。

 しかも、立ちあがってふりむいて……。


 あ……。


 スケスケ……。


 ハ、ハダ……ハダ……ハダ…………ジュッ、バー――ン!!!!


 俺は慌てて背中を向けて、ソファに座り直した。


 ヤバイ。

 なんか見えた。

 今度は近くだからよく見えた。

 先っぽとか……。


「ロウくん……」

「は、はい……」

「見たかや?」

「…………」

「ロウくんは、変態さんなのや」

「はい。仰るとおりです……すいません」


 言い返す言葉もございません。

 背後からクスクスと笑う声が聞こえる。

 怒られるよりいいが、なんとも非常に恥ずかしい気分だ。


「変態ついでに言いますが、和服でも下着はつけましょう、先輩!」

「そうかや?」

「そうです!」


 また、クスクスと笑い声。

 そして、そのクスクスが終わったかと思うと、彼女がボソッと呟く。


「そうなのかや。君なのやね……」


 俺は思わず、「はい?」と反射的に聞きかえした。

 この流れなら、まちがいなく俺のことを言っているはずだ。

 でも、なにがだ?


「わらわの友達の占い師の子が言っていたのや。導き手になる男の子が現れると」

「占い師? 導き手?」

「そうや。運命の導き手や。2つの黙示録の内、【黒の黙示録】に立ち向かうための導き手……それが君や」

「……は、はあ……」


 むむむ。

 なんかヤバイ感じだ。

 なんて言ったっけか?

 メンヘラ?

 厨二病?

 前に、なんかそういう言葉を華代姉から前に教えてもらった。

 それなのか?

 そう言えば、「わらわ」とか言っているしな……。

 PM部は、なんと人材が豊富なんだ……。


「ええっと。俺はたぶん、その導き手とは違うのではないかと……」

「いいんや。君や。会えばわかると言われていたが、わらわは君に会ってピンッときたんや」

 

 来ちゃいましたか……そうですか。

 やばそうですね……。

 占い師より、カウンセラーの友達はいないんですかね……。


「まだわからんのや、君には」


 いや。たぶん、ずっとわかりませんよ。


「聖典が繋がるまで……」

「え? 聖典?」


 ああ。

 そこで、こちらもピンッと来た。

 あの謎のオンラインゲーム【聖典物語】の設定か、何かの話を言っているのか。

 なるほど。

 彼女も、あのゲームのプレイヤーなのか。

 じゃあ、あのゲームのことを聞いたら、何かわかるも知れないな。


「先輩も、聖典物語をやっているんですか?」

「……あれはやってないのや。みんなは、部活の一部として、PMの勉強にもなりそうだからと、遊んでいるらしいやね?」

「ええ。なんで先輩は、やってないんですか?」

「わらわは、PM部の活動は一切参加してせえへんのや」

「ちょっ! 一切参加してないって……先輩は、なんで入部したんですか?」

「もう、ふりむいてもよいのや」


 俺は立ち上がり、彼女の言葉に従った。

 すると、そこには白地に青い雪の結晶が描かれた、涼しげな浴衣姿があった。

 腰には、紫の幾何学模様で飾られた帯を締めている。

 飛び抜けたスタイルではないが、むしろ浴衣の似合うスタイルかも知れない。

 どこか神秘的にも見えて、少しの間、目を奪われてしまう。

 肩口ぐらいでそろえられた黒髪も美しく、非常に和風の雰囲気がある女性だ。


「そんなに見つめてくれると、恥ずかしいけど嬉しいのや……」

「あ、すいません……」

「このユカタ、そんなにきれいかや?」

「いいえ」

 俺が反射的に否定すると、細い眼をさすがに見開いた。

 だから、間を開けずに続ける。

「浴衣は、先輩の良さを引き立てているだけですよ」

「…………」


 ほのかに紅潮する先輩には、どこか慎ましい美しさがある。


「いやはや……。ロウくんは、ジゴロかや?」

「最近、ちょっと、そうかもしれない……と思いはじめました」

「よほど、大人の相手ばかりしていたのかや? よくも照れずにいえるものや」

「あはは……。でも、本心ですよ。先輩、和服が似合いますよね」

「……わらわまで、ハーレムに加えるつもりかや?」

「そんなつもりはありませんよ」


 2人で笑う。

 ちょっと危ない人だと思ったけど、普通に話している分には問題ないな。

 というか、他のPM部の人たちよりも、どこか落ちついた雰囲気がある。


「わらわは、九笛と昔から、ちょっとした知り合いなのや。部員の人数が足らないというので、入部してくれと頼まれたのや」

「ああ、なるほどです」

「あと、部室の確保のためなのや」

「え?」


 俺がかるく首を傾げると、彼女は楽しそうに破顔した。

 そして、楚々と近寄ってくると、俺の腕にしがみつくようにして、そのままソファに自分ごと腰を降ろさせる。

 呆然とする俺をよそに、腕を抱きかかえるようにしたまま俺に寄りかかる。


「……せ、先輩?」


 彼女の顎があがり、少しつり上がった感じの上目づかいが、俺を貫いた。


「ロウくん。最初にわらわを見た時、幽霊だと思ったかや?」

「……はうっ!!」


 俺は思わず息を呑む。


 幽霊?

 あはは。

 あれ(・・)を口に出してまで、ハッキリと幽霊など言って。

 あははははは。

 ばからしい。幽霊なんているわけがないじゃないか。

 あはははははははは。

 幽霊なんて……くだらない噂だ。

 も、もし万が一にも、本当にいたら、ここには来られなくなってしまうではないか!


「ん? いやはや……。もしかしてロウくんは、幽霊が苦手かや?」

「そっ、そんなわけありませんよ! というか、幽霊なんて非科学的な存在がいるわけありませんし」

「なぜか、そういうことを言う人ほど、幽霊を怖がるんや。不思議やね?」

「うぐっ……」


 自分でも冷や汗がでているのがわかる。

 ヤバイ。

 俺は信じていない。

 信じていないから平気なのだ。

 なのだけど、心のどこかでいたらやだなぁ……とも思っている。


「先輩……」

「なにかや?」

「みんなには、黙っててください……」

「ふたりだけの秘密……かや?」


 またもや、クスクスと笑われてしまう。

 この先輩には、笑われる運命なのかも知れない。


「安心しいや。この部室の幽霊の正体は、わらわのことや」

「……え?」


 しがみついていた腕を放し、彼女はすっと立ちあがった。

 そして、静々と歩みだす。


「わらわは、たまに独りになりたい時があって、ここにあった物置に、こそっと遊びに来ていたのや」

「ああ。その様子を誰かに見られていたんですね」

「そのようや」


 と言ってから、すっと踵を返す。


「でも、わらわが本当は幽霊なら、おなじことかや?」

「……え?」


 俺は思わず、彼女の足下を見てしまう。

 もちろん、足はあった。

 だが、上履きは履いていなかった。

 かわりに、足袋を履いていた。

 その違和感に、少しムズムスとしてた違和感を感じる。


「くすすす……。いやはや。そんな心配そうな顔をするとは思わなんだのや。安心するのや。たとえ、わらわが幽霊でも、其方そなたを呪ったりはせんのや」

「たとえ……って」

「それにロウくんは、将来の我が主。大事にするに決まっているのや」

「え? ある……じ?」

「ロウくんは、この部に入った時、運命が決まったんや」


 先輩のその言葉に、俺は内心でドキッとする。

 確かにこの部に入ることになった時、俺の運命が決まったような気がしていた。

 大袈裟な話だが、この世界の命運までもが決まったような気がしていた。


 ……って、なんか俺、この先輩に洗脳され始めている?

 なんか話しているだけで、彼女特有の世界観に引きずり込まれる気がする。

 独特の雰囲気を持つ、妙に神秘的な女性だった。


「いやはや、話しすぎたかや。そろそろ露も行かないとなのや」

「ああ。お祭りですね。まだ早いのでは?」

「なに。ちょっと野暮用があるのや。今日は会えて良かったのや」

「こちらこそ」


 俺は席を立って彼女を見送ろうとした。

 しかし、彼女は出て行こうとせず、少し気まずそうに下を向いた。


「どうかしたんですか?」

「悪いけどロウくん。しばらくそこらをうろついてきてくれるかや」

「え?」

「ロウくんに言われたように、下着を着けたいのや。……あ。でも、ロウくんは、それを見ていたのかや?」

「い、いいえ。とんでもないです!」


 俺はすぐさま部室を出た。

 そして、先輩に言われたように、どこかに……飲み物でも買いに行くかと思ったところで思いとどまる。

 ドアから少し離れて、廊下で待つことにした。

 ほぼないとは思うが、もし先輩が着替え中に誰かがはいってきたりしたら大変だ。

 部室は中から鍵は閉められない。

 だから、ここで見張っていてあげるのが紳士の役目だろう。



   ◆



――5分過ぎた。


 しかし、先輩は出てこない。

 下着を着けるだけにしては長すぎないだろうか。



   ◆



――10分過ぎた。


 廊下の蒸れた空気で、背中がしっとりとしてしまっている。

 いいかげんおかしい。


 思いきってドアをノックしてみた。


――コンコンッ


 乾いた木の音が響く。

 しかし、反応はない。


 ……あれ?


 唐突に、妙なことに気がついた。

 この俺の心の友であるドアさんは、引き戸ではなく奥に向かって開くタイプである。

 しかし、ここは元は物置だと聞いてる。


 普通、物置には(・・・・)引き戸をつける(・・・・・・・)んじゃないか?


 いや。もちろん、そうとは限らない。

 諸事情で引き戸ではなくなる場合もあるだろう。


 でも、少なくとも奥に開く(・・・・)タイプは、物置スペースを減らすことになるので向いていないはずだ。

 では、どうして、この形のドアがついているのか。

 部室になるときに交換したとは考えにくい。

 かなり年代を感じる木戸だし、わざわざ開き戸に変える理由など見当たらない。

 つまり、最初から物置に不利なドアだったことになる。


 もしかしたら……。


 これはあくまで仮定だが、もともとここは物置ではなく、何かの部屋だったのではないだろうか。

 普通の部屋がなんらかの事情(・・・・・・・)で物置として使われるようになった。

 それからしばらくして、今度は部室として使われるようになった。


「…………」


 俺は正体不明の寒気に襲われて身震いした。

 同時に、関係ない思考を頭の隅に追いやる。

 だが、「悪い予感」みたいなものだけが頭に残る。


 何かに駆り立てられるように、何度か「先輩」と呼びかけてみる。

 しかし、やはり反応はない。

 もしかしたら、涼しくて居眠りしてしまったのだろうか。

 用事があるといっていたのに、それではきっと困るだろう。


「先輩、はいりますよ!」


 大きな声で宣言してから、そっとドアを開けてみた。

 ひんやりとした空気が俺を包む。

 ああ、気持ちいい……というより、なぜか少しぞっとした。


「先輩?」


 彼女の姿が見えない。

 もしかして着替え途中でドアを開けられ、あわてて隠れたのか?

 それにしては、事前の呼びかけに返事がないのはおかしい。

 ならば、やはり寝ているのか、もしくはどこかに倒れていたりするのか?


 だが、ソファの影やテーブルの下などを覗いてみても、どこにも彼女の姿はない。

 さらに言えば、着替えた服なども目につくところには置いてなかった。

 露と消えていた。


「…………」


 俺はひとつひとつ、窓の鍵を確認した。

 きちんと内側から施錠されている。

 窓が割れているとこも、外れたりしているところもない。

 さらに壁をたたいて回る。

 だが、どんでん返しがあったりするはずもなく、違和感の一つも感じない。


「…………」


 今時、電子ロックが一般的な世の中だ。

 しかし、この部室棟は古い校舎を利用しており、物理的な鍵しかない。

 つまり、なんらかのトリックでもない限り、物理鍵を外から閉めることはできない。

 だが、手間をかけて先輩がそれをやる理由があるだろうか?

 俺を驚かすため?

 いや。彼女は急いでいた。

 素直にドアから出て行けばいいだけだった。

 しかし、ドアの前にはずっと俺がいた。


「……か、帰ろう……」


 俺はクーラーを止めた。

 そして電気を消して部室を出る。

 最後に、ドアを閉めて――


「――はっ!?」


 ――と、息をのんだ。

 冷たい鉄のカギを持つ手が、ブルブルと震えだす。


 そうなんだ。

 そもそも、噂からしておかしい。

 彼女が物置で遊んでいただけで、それが幽霊だと噂が広まるわけがないのだ。

 そのように思われる現象が発生しているからこそ、その噂が生まれたはずだ。


 いるはずなのにいない。


 いないはずなのにいる。


「…………」


 俺は部室のドアの鍵を見つめた。

 この鍵が意味すること。

 その事実にたどりついた時、俺は心底ぞっとした。

 最初に感じた違和感。

 なぜ今まで、それに気がつかなかったのだろう。


 俺は、そこで思考を打ちきった。

 これ以上考えると、恐怖で動けなくなる。

 だから無心になり、超特急で帰った。


 そして、自分の部屋で寝こんでしまった。



   ◆



「まったく、ロウくんったら。私たちがバカンスを途中で切りあげてまで、部活動日に集まってあげているのに、具合が悪くて休むなんてねぇ」

「まったくですわ。このわたくしが、わざわざ夏休みの最中、部室に遊びにきてさしあげたというのに」

「って、古炉奈は別に部員じゃないじゃん」

「うぐっ……」

「で、でも、華代さん。あたしは、みんなで集まれて楽しいですぅ。それに、初めて先輩にも会えましたし」

「そうね。本当に驚いたわ。露先輩がいらしてくれるなんて」

「いやはや。そんなに喜んでもらえるのかや」

「いったい、どういう風の吹き回しですか?」

「なーに。これ以上、主様に怖がられないように、幽霊部員という肩書きを捨てようかと思ったのや」

「主様? 誰です?」

「まあ、気にしないでいいのや。しかし、ロウくんが来ないとは寂しいのや」

「そうですね。でも、ロウくんは働き過ぎの感じもあるので、ちょうど良い休暇かもしれません」

「休暇かや? いやはや、さしずめ『幽霊休暇』……と言ったところかや」

「幽霊? それを言うなら、有給休暇ではなですか?」

「有休なんてないじゃない。私たち、無給でしょう」

「…………」

「露先輩。なにか隠していませんか?」

「いやはや……。それは……」

「それは?」

「それは……内緒なのや」

一応、リアルと季節を会わせて展開していることを活かし、夏っぽい話を。


ロウくんが気がついた「この鍵が意味すること」は、たぶんみなさんすぐに気がついたことと思います。

もし、わからなかった方は、Phase001を読みなおしていただくとわかるかも知れません。

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