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祖母の八月十五日の思い出

作者: J.

―――あの日は本当に暑かったねぇ。


或田舎町に住んでいた私は、東京より遊びに来た祖母と共に電車で30分程の場所にある街の映画館に遊びに行った。小学生の頃、私は祖母が大好きで様々な場所に一緒に行った事を覚えている。今回の話も、その幸せな日々の中であった一つの出来事だ。


私は祖母の話を聞くことが好きだった。例えば祖母が女学校に在籍していた時に、本の著者を知らない事で同級生に恥をかかされた事があったそうだ。以降買った小説の最後にある広告の著者を覚え本を読み、絶対に馬鹿にされないようにしていたらしい。当時の私はそれをとてもカッコいいと感じていた。

そのような江戸っ子な祖母も、戦時中の事は基本的に話さなかった。


今思えば、残暑の残るあの空気が、祖母に戦時中の出来事を話させたのかもしれない。ともかく、数少ない戦時中の話をここに書こうと思った。既に祖母は亡くなり、それを忘れたくないのだ。


映画館でポケモンか何かの映画を見た後、帰りの電車の中で私はいつものように祖母の子供時代の話を聴いていたところであった。常磐線から見える、残暑の日差しの下にある青々とした山々を観ながら、祖母は私にゆっくりと話し始めた。そこに特に感情はなく、ただ事実を述べたといった形であったと覚えている。


 祖母は東京生まれの東京育ち、生粋の江戸っ子であった。比較的裕福な家庭だったそうで、都内でも中心地に住んでいたらしい。祖母の父は映画関係の仕事で働いており、アメリカ通であった。

彼は頭が切れる男であったが、ドケチで金関係は厳しい人だった。これは彼の幼少期が大変貧しかった事が影響しているらしい。

 ともかく、実直な働きぶりから周囲には評価されており、また映画仕事の関係かアメリカ人の友人もいたのだという。どうやらそのアメリカ人は、それなりに良い職に就いていたらしく、戦争の始まる前には、曾祖父に「この戦争はきっと日本が負けるだろう。戦争が終わったら俺を頼れ。職を紹介するから!」と言われたそうだ。実際、戦後は彼と再開した際に「随分探したんだぞ!」言われ、直ぐに映画会社のいい部署に回してくれた為、戦後も比較的苦労しなかったとも言っていた。


 戦中の話として、こんなこともあった。ミッドウェーの戦果に対して「この情報は嘘だ。」と言っていたそうだ。戦中の映画はニュース映画が多い。その為か軍人にも友人がいたそうで、家に海軍将校が来て、「この戦争は負けますね……」と愚痴を漏らした事もあったそうだ。


本土空襲が始まる頃、東京に住んでいた祖母は、群馬か栃木の親戚の家へ疎開に行った。そこはかなりの田舎で、小学生の祖母は、毎日片道約4kmの山道や坂道を越えて通学していた。

学校が終わり、冬などは暗くなると何も見えない。電灯も無いような所だったので、時々先生が送ってくれたと言っていた。家に帰ると、先ず水汲み、掃除、薪集め等をやり、寝る、と行った生活をする。

 祖母はそこの生活についてこんな事を言っていた。

「辛いとは思わなかった。ただ、嫌だった事はセーターにシラミが沸くことだね。痒くて堪らないんだ。そういう時はね、煮だったお湯の中に沸いた服を放り込むと、死んだシラミが浮いてくる。あれも中々気持ち悪かったね」

他にも東京から来た祖母たちを快く思わない人々がいたり色々苦労があったそうだ。


戦争が終わる一週間前ほど、父がいきなり東京より帰るや否や、「もうそろそろ戦争が終わるぞ!」と少し興奮した口調で言った。「日本が勝ったの?」と親戚の一人が言うと「馬鹿野郎、日本が負けたんだ」と怒ったらしい。


「負けようが勝とうがあのウーウー煩い空襲警報が止むならどっちでもいいや」

親戚の姉が言った言葉が祖母は忘れられなかった。


一週間後 午前6時頃にラジオで「今日の正午に重大な発表があります。」とあった。祖母はその時は何だろうと思って、不思議がっていた。


正午、玉音放送。

祖母は次のように述べていた。

「天皇陛下の声は良く聞こえなかった。けど不思議と負けたんだ、って事が分かった。

その後直ぐに、内容が放送されたんだけど、皆頭を下げていた。

私は呆けていたけど、負けた勝ったはどうでもよかった。

ただ、これで日本はどうなるんだろう、私たちはどうなるんだろう。とは思ったよ。

ハッキリと覚えているのは、あの日は空に雲一つ無くて本当に暑かったって事だね。」

結果としては、それほど生活には大差無かったそうだ。


 太平洋戦争。日米の激しい戦いの中、非道な作戦の実行や日本本土が焦土と化した末に、やっと終戦へと向かった激動の時代。その中を生きた祖母は、いったい何を見て何を感じたのか。私には少ししか分からなかった。話を聞いた後、私は窓から空を見上げていた。

季節は秋だったが、丁度雲一つ無い晴天だった。


―――あの日は本当に暑かったねぇ。


祖母が言ったこの言葉が、暫くの間、どうしても頭から離れなかった。

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