オープニング
スーッと深呼吸をすれば、冷たい森の空気が肺を満たす。心臓が波打っている。柄にもなく緊張してる自分を笑いたくなった。
まあ、だからといって笑い声をあげるワケにもいかない。今、大きな音をたてればこの1時間の苦労が、泡へ消える。
眼前、風上で水を飲んでいる三本の角を持つ鹿。大物だ。少なくとも、βバージョンの攻略サイトにあった森のモンスター情報にはなかった。レアものかもしれない。
改めて自分の得物を確認する。初期装備の弓に、木の矢が18本。これも初期装備の短槍が一つ。うん、不安しかないな。当たっても倒せるのか、これ? 初めての狩りで狙うには、大物すぎる気がしてきた。最悪、死に戻りか……。
いや、勇気を出せ、オレ! 矢の中の1本だけは1000Gもした魔法の矢である。切り札としてNPCの店から買ったものだが、流石に木の矢とは段違いの性能である。
でもやっぱもったいない。
結局、木の矢の方をつがえ、弓を引き絞る。ギリギリと音がする。
ヒョウと音がして、矢は鹿の首筋へと吸い込まれて行った。
時は遡ること1週間前。始まりは塾の帰りだった。
月曜の夜である。やっと講義が終わって、ヘトヘトだ。
「おーう、さっちゃん、コンビニ寄ってこーぜ。腹へっちった」
「勘九郎、お前こづかい大丈夫かよ。バイトもしてないのに買い食いしまくって。なんだっけ? 今週末もまたゲームとか買うんだろ?」
里崎 勘九郎。塾でも学校でも同じクラスの幼馴染だ。家も三軒隣の近さ。この街に引っ越して来てから、かれこれ12年の付き合いになる。
「だいじょぶ、だいじょぶ。うち、親戚多いから。正月のお年玉がまだ残ってる。こづかいも合わせりゃ充分もつ」
「……俺ら高校生だから、そろそろ貰えなくなるんじゃね?」
「そんときゃバイトする。それよかはよ行こうぜ」
地元の高校に進学してから、かれこれ3ヶ月。そろそろ新しい環境にも慣れて来た頃だ。通り慣れた道を通って、コンビニへ向かう。この時間帯でも、クーラーの効いた塾から出れば少し汗ばむ。もう夏だよなー。蝉が、うるさく鳴くのもすぐだろう。
「あ、そういやさっきの話。来週の"エルドラド・オンライン"だよ、さっちゃん! まじでやんねーの!?」
「声がでけー。VRだろ、あれ。俺が好きなのはパズルゲームだし」
VRという技術が民間に出回ってから、かれこれ4・5年。ゲームに転用されてからは2年くらいか。とはいえ出てきたVRゲームに嵌まったことはない。なんとはなしに、キャラクターが動いているのを見るのが好きなのだ。
「えー、いいじゃんかよー。βテストの評判すっげーいいんだぜ! 初のVRMMO。予約だけで50万本ってたし、クラスでも2/3はその話題で持ちきりだ。なー、やろーぜ」
「やめんか、暑苦しい」
ベタベタまとわりついて来た勘九郎を引き離す。くっそ、相変わらず無駄に力つえーなこいつ。運動部でもないのに筋トレマニアのこいつは、最近、急に伸びた身長も合間って始末に負えない。
「て、いうか、今からだと予約も間に合わないだろ。ムリムリ、諦めろっての」
「フハハ、こういうこともあろうかと、親父の名義も借りて二人分用意してある」
「ムダな行動力発揮しやがって……。ていうか、俺がやらなかったらどうすんだ。金をドブに捨てる気か!?」
「その場合は転売だな。多分2倍くらいになる」
「うわあ、えげつねぇ」
転売死すべし。とはいえ、うーん、どーするべ。クラスでもこれの話題で持ちきりというのは事実である。受験生の先輩方でも、やるという人は多い。
話題作り程度でやってみるか? 実際問題、部活に入ってないから夏休みは結構暇だし。バイトの時間以外ならどうにでもなるだろう。
「ゲームの中でも縛ろうとは思ってねーからさ。やろうぜ。リアルの方でもゲームの話振りたいんだよ」
「あー、もう分かったよ。この前やったバイトの金、まだ残ってるから金額教えろ」
「ま、マジで!? よっしゃ! 雲雀も喜ぶぜ」
ん? 雲雀?
「まて、なんでそこで雲雀ちゃんの名前が出る」
雲雀ちゃんは、勘九郎の二つ下の妹だ。勘九郎に似て、女子にしては割とでかい。
「あいつもやるんだよ。てか前言ったろ。あいつβテスターだって。ことあるごとに自慢してきて、なんど悔しい思いをしたか」
あの子も結構性格きっついしなー。
そうこうしているとコンビニについた。そこに張られているのは、これまた"エルドラド・オンライン"の宣伝ポスターである。
ま、やるからには、そこそこ力を入れますか。
こうして、前原 榊は"エルドラド・オンライン"へと誘われたのである。
攻略サイトと個人ブログをグルリと見て回る。あー、評判いいのはマジみたいだな。スクリーンショットもあるが、見た感じ現実並みのリアルさだ。
成長はスキル制か。初期取得が6つで、一度に付けられるのは、最大10個まで。それ以上は、取得条件さえ満たせていれば、ゲーム内での1日に1回付け替えられる……と。ん? 最初に取得条件満たせたときは普通に交換できるのか。
うわ、こういうの悩むタイプだよ、俺。ぶっつけで決めるのは怖いな。1週間以内で考えとこう。
なんだかんだ、調べてるうちに興味が湧いてきた。うわー、さっきまで全然興味無かったのに、来週が待ち遠しくて仕方ない。
で、余りにも長い1週間は、終業式と共にやっと終わりを迎え、夏休みがやってきた。
「さっちゃん、ほら! ゲーム屋行こうぜ。さっさとしないと乗り遅れちまう!」
「いや、初日だし、乗り遅れるってことはないだろう」
とはいえ、足は走り出してる。
「"エルドラド・オンライン"は3倍の加速時間だぜ!? 朝からやってる連中は、もう狩場で狩りまくってるはず! 占領される前に急がねーと」
「バッカ、お前、それ先言えよ! 何チンタラ走ってんだ! 全力で走らんかい!!」
最初は渋るのに、一番ノリノリになる人だーれだ? はい、正解は俺でした。
二十分後。まだ混みまくってた店内から戦利品を片手に脱出し、なんとか帰ってきた。
「んじゃ、またゲームの中で」
「おーう、雲雀を出し抜いてやらあ」
制服のまま、着替えもせずにゲーム機を頭部にセットする。
「スイッチonっと」
次の瞬間、榊は闇の中にいた。
『よくぞ来た、開拓者。汝の出自をここに示せ』
お、きたきた。設定画面だ。目の前に巨大な石板型のウィンドウが現れる。
ちょっぴり偉そうなインフォに従って、事前に決めていた内容を刻んでいく。
出自、種族だな。これは人間でOK。
『汝の姿をここに写せ』
あんま、現実と違っても感覚が掴めない。体格はスキャンされた内容でOK。肌を白人っぽくして、髪色を亜麻色に。後は目の色も変えとくか。灰色っと。うん、上出来。自分の面影を残しつつも、別人だ。リアルの知り合いもアレッと思うけど、直ぐに忘れる。そんな姿だ。
『汝の才をここに示せ』
ステータスか。眼前には幾つかの数字が表記されている。
STR(筋力) 5
VIT(頑強) 5
DEX(器用) 5
AGL(俊敏) 5
INT(知識) 5
MID(精神) 5
LUK(幸運) 5
追加で10まで振れます……か。STRに2、DEXに3振って、AGLに2と。後3ポイント。魔法は使わないからINTは要らないんだよなー。だけど、知識判定もあるって話だし、1くらい振るか? いいや、1ずつ振っちまえ。
STR(筋力) 5→7
VIT(頑強) 5
DEX(器用) 5→8
AGL(俊敏) 5→7
INT(知識) 5→6
MID(精神) 5→6
LUK(幸運) 5→6
『汝の職能を示せ』
来たか。一番重要なスキルの振り分けだ。まあ、迷いまくったけど既に決めてある。
【弓】lv.1【槍】lv1【細工】lv1【調理】lv.1【遠望】lv.1【隠密】lv.1
よっしゃ、これでいいだろ。
メインで使う【弓】に、接近された時の【槍】。矢の補充と弓の作成で【細工】に【弓】の補助のための【遠望】。んでもって、いざという時のために【隠密】っと。
【調理】は野営の時など、街に帰られない時用だ。
……よく見たら生産者に片足突っ込んでるな。後、どう見ても狩人だ。うん、クエストで【騎乗】も取れるみたいだし、馬を購入して騎馬民族プレイもありかもしれない。あー、いいな、こういうの。ワクワクが止まらねえ。
『誠にこれで相違ないか?』
YES!
『汝の辿り着いた港を示せ』
港? あ、そういや船に乗って新大陸にたどり着いた開拓者なんだっけ、プレイヤーって。て、うわっ? 7個も港が表示された。マズっ、結構、港と港が離れてる。これ勘九郎と合流できないんじゃないか?
……ま、いいか。ソロプレイするつもりだし。えーと真ん中にしよう。ニョルズの港っと。
『では、最後に汝の名をここに。それにて契約は真となろう』
あ、ヤバイ。それも考えてなかった。榊って英語でもサカキって読むんだよな。流石に名ばれはマズイ。うーん、サキカ、カサキ……入れ替えてもしっくりこない。キサカ……おっ、なんか苗字っぽい。これでいっか。
ってうわっ!?石板が光った!
『開拓者キサカよ! 汝の過去は記された! これよりは新天地で未来を刻むが良い。良き運命を我は願う!』
ステータス欄
ネーム:キサカ
種族:人間
ステータス
STR 7 VIT5 DEX8 AGL7
INT6 MID6 LUK6
スキル
【弓】lv.1【槍】lv.1【細工】lv.1
【調理】lv.1【遠望】lv.1【隠密】lv.1