青い石
その場の勢いで書いた作品なので、誤字が多いと思います。
「さようならって言ったんだ。母さんは、さようならって言った。」
真っ白い椅子に腰かけ、目の前に同じ様に真っ白い椅子に腰掛ける、見知らぬ大人に言う少年。
周りの壁も、何処を見渡しても白く、椅子と椅子の間に置かれた机まで白い。椅子と机以外には何も置かれていない、真っ白な部屋。
「それで、君はどうしたんだい?」
見知らぬ大人が尋ねると、少年は躊躇う事無く即答する。
「殺した。」
顔色一つ変えずに言う少年の姿に、深い溜息が零れた。
「そうだね。君は包丁で、母親を刺殺したね。何故・・・そんな行動をしたのかな?」
少年は見知らぬ大人の姿を、じっと見つめた。そして質問の回答はせず、逆に質問をする。
「おじさん、誰?白衣着てないから、お医者さんじゃないよね?何してる人?」
少年の質問に、スーツの内ポケットから黒い手帳を出すと、それを少年の目の前に翳した。
「警察だよ。刑事のヒューストだ。事情聴取しているんだ。トビー、君は母親を刺殺したんだよ。私は君が・・・何故お母さんを殺してしまったのか、教えて欲しいんだ。母親が家から出て行くのが嫌だったのかい?離れ離れに暮らすのが、嫌だったのかな?寂しかったとか?」
警察と言う言葉を聞くと、トビーと呼ばれた少年は、口を閉ざしてしまう。
また深い溜息が零れると、ヒューストは質問を変えた。
「なら・・・ここがどこだか分かるかい?」
トビーは無言で頷くと、ヒューストは更に聞く。
「じゃぁ・・・何故病院に居るのかは、分かるかい?」
「分かるよ。危険人物ってヤツだからでしょ?ここは、頭のオカシイ人の病院なんだよね。」
眉一つ動かさずに、淡々と答えるトビーの態度は、子供らしさも無く、冷たい氷の様に感じた。
「あぁ、そうだね。私は君を、ここから出してあげる為に、こうして話しを聞いているんだよ。その為には、君が何故母親を殺してしまったのか、知る必要があるんだ。ずっとこんなオカシイ人達が居る所に、君も居たいのかい?トビー。」
ヒューストは、額に微かに冷や汗を掻きながら、尋ねる。
トビーが余りに落ち着き過ぎているせいか、だからこそ、不安を感じてしまう。いつ喰らい付いてくるのか、襲ってくるのか分かった物では無い。
「あぁ・・・だったら僕は、きっとここから出られないと思うよ。」
当然の様に言って来るトビーは、何も恐れておらず、母親を殺した事に対しての、罪悪感や後悔すら感じ取れなかった。
「何故そう思うんだい?それは、君が殺してしまった理由に関係しているのかな?」
「そうだね。きっとそうだと思う。」
トビーの回答に、少なからずちゃんと理解はしているのだと確信すると、一つ肩の力が抜けた。自覚が有るのであれば、精神障害の線は取り除け、裁判所で通常の刑期へと持ち込む事が出来る。その為の尋問だ。
「それなら、教えてくれないかい?何故母親を殺したんだい?」
再びトビーに尋ねると、彼は少し視線を下にずらした。
「トビー、答えてくれないと、君は永遠にここに閉じ込められてしまうかもしれないんだよ?」
ヒューストに煽られ、トビーは軽く溜息を吐くと、仕方なさそうに話す。
「さようならって言ったからだよ。だから殺したんだ。」
「それは・・・さっきも聞いたよ。だから、何故さようならと言ったから、殺したのかが知りたいんだ。」
トビーは少し面倒臭そうな顔をすると、じっとヒューストの顔を見つめた。
「教えてあげてもいいけど・・・。きっとおじさんは信じないよ。」
するとヒューストは、不器用ながらも笑って見せる。
「そんな事はないよ。ちゃんと信じるよ。君が本当の事を話してくれると約束するなら、ちゃんと信じると約束するよ。」
不器用なヒューストの笑顔を見たトビーは、仕方なさそうに、ズボンのポケットの中にこっそり忍ばせていた、小さな青く光輝く石を、テーブルの上へと置いた。
ヒューストは不思議そうに、小さな石を見つめる。
「これは・・・綺麗な石だね。」
何の捻りも無い感想に、トビーは溜息を漏らす。
「魔法の石だよ。妖精から貰ったんだ。」
「魔法の?妖精から・・・貰ったとは・・・。」
突然の話しに、戸惑ってしまうヒュースト。そんな彼を余所に、トビーは嬉しそうに話し始めた。
「家の近くの河原に、妖精が住んでいるんだ。よく遊びに行って、妖精から沢山色んな事を教えて貰ったんだよ。さようならの意味も。この石は、友達の印にってくれたんだ。」
「そうか・・・。妖精に・・・か。それが、君が母親を殺してしまった事と、どんな関係がなるのかな?」
「分からない?妖精が、教えてくれたんだよ。『さようなら』って言う時は、死んじゃう時なんだって。母さんは、さようならって言った。だから殺したんだ。さようならって言ったなら、死ななくちゃ。」
思いもよらぬトビーの回答に、ヒューストは思わず頭を抱えてしまう。
突然妖精の話が出て来てしまい、その上妖精から貰った知識で母親を殺したと言う理由に、真実かどうか以前に、最初にトビーが言った様に、ここからは出られない様な発言ばかりだ。
「だから言ったでしょ?僕はきっと、ここから出られないと思うって。こんな話し、誰も信じやしないんだから。」
得意気な口調のトビーに対し、ヒューストはどうしたものかと、その場で悩みこんでしまう。
「いや・・・ちょっと待ってくれ。妖精がそう言っていたから、殺したのか?君は・・・その・・・母親を愛してはいなかったのか?」
「勿論愛していたよ。母さんの事は大好きだったから、父さんと離婚して別々に暮らすのは、嫌だったよ。でも母さんは、さようならって言っちゃったから、死ななくちゃ駄目だったんだ。仕方ないよ。」
当たり前の様に言って来るトビーに、ヒューストは頭が痛くなって来てしまう。
「なら君は、『さようなら』と言えば、誰かれ構わず殺すのかい?例えば・・・クラスの友達が、学校の帰りに『さようなら』と言えば、その子も殺すのかい?」
「違うよ。さようならの意味は、三つ有るんだよ。その内の一つの『さようなら』を言う時は、死んじゃう時なんだよ。母さんは、死んじゃう時のさようならを言ったんだ。」
「三つ・・・?」
トビーが話せば話す程、ヒューストの頭痛は酷くなる。
「三つ・・・とは・・・。一つずつ、教えてくれないかな?成るべく詳しく。」
トビーはまた溜息を漏らすと、仕方なさそうに、指を一本一本立てながら、説明をした。
「いい?一つ目は、再会の約束をする『さようなら』。二つ目は、旅立ちをする時のお別れの『さようなら』で、最後が、永遠のお別れをする時の『さようなら』。母さんは、最後のさようならを言ったんだ。まだ生きてるのに。生きてるのに最後のさようならを言うのは、変でしょ?だから殺したんだよ。ちゃんと死ななくちゃ。」
説明を聞いたヒューストは、何度も指で数えながら、頭の中で整理をする。
「えっと・・・。うん、君の言いたい事は分かるよ。確かに、『さようなら』には色んな意味が有るからね。だが・・・しかし・・・。お母さんの場合は、二番目のさようならじゃないのかな?」
「違うよ!母さんは最後のさようならを言ったんだ!」
トビーは声を張り上げて言うと、突然の彼の大声に、ヒューストは驚きながらも後退りをしてしまう。
怒らしてしまったのだろうか?とも思ったが、怒っている訳ではなさそうで、ヒューストの間違いを正そうとしている様だ。
「そうか・・・最後か。それは、どう聞き分けるのかな?何が・・・違うんだ?差とか言う物は有るのかい?」
恐る恐る尋ねると、トビーはまた得意気に説明をする。
「有るよ。妖精から教えて貰ったんだ。顔を見れば分かるんだ。一つ目は、笑顔の時。二つ目は、寂しそうな時。眉毛が逆に反っちゃってたり、泣いていたり。最後のが、表情が無い時。無表情って言うヤツ?母さんは表情が無かった。」
「あぁ・・・成程ね・・・。」
トビーの言う事は、強ち間違ってはいない事ばかりだ。
だからと言って、それで殺してしまっていい訳ではない。それだけの理由で、むしろ妖精とやらが、そんな事を言っていたからと言う理由で。
「だけどトビー・・・。君のお母さんは、最後の・・・三番目のさようならと言う意味で、言ったんじゃないんだよ?いいかい、それは妖精の・・・そう!妖精界の決まりで、私達人間の決まりとは、違うんだよ。それは、分かるかな?」
ヒューストなりに、トビーの行動の間違いを説明してみるが、トビーは不思議そうに首を傾げた。
「いや、母さんは間違いなく、最後のさようならを言ったんだよ。妖精は、殺して欲しい時にも最後のさようならを言うって言っていた。妖精は皆そうしてる。人間もそうしてるって言っていたよ。」
「それは、君がお母さんを殺した様な事を・・・かい?」
トビーは力強く頷いた。それとは真逆に、ヒューストからは大きな溜息が零れる。
「トビー・・・君はその妖精に、騙されているんだよ。生きている人間を殺してはいけないんだよ。例えどんな理由があってもね。それがその・・・妖精の言っていた最後のさようならを言ったから・・・としても。」
頭を抱えながら言うヒューストに、トビーは少し不機嫌な表情で、机をバンバンと強く叩き出す。
突然机を叩き出したトビーに、ヒューストは驚き、慌ててうな垂れていた体を持ち上げた。
「石!これを見てよ!この魔法の石が証拠だよ!おじさんは、妖精の事信じてはいないでしょ?この魔法の石を使えば、妖精と話が出来るんだよ!」
トビーは机の上に置きっぱなしになっていた、青く光る小さな石を指差した。
石はキラキラと輝き、時折青から青紫へと変わる。光の加減のせいの様にも思えるが、とても不思議な石で、普通の石とは違う事は分かる。
だからと言って、この石が本当に妖精と話せる、魔法の石等とは思えない。それ以前に、トビーの言う妖精の話し自体が危うい。
「あぁ・・・魔法の石か・・・。その、トビー・・・。妖精が居るかどうかはともかく、人を殺す事は、とても悪い事だと言うのは、分かるかい?」
困りながらも尋ねると、意外にも今度はまともな回答が返って来た。
「それは分かるよ。とても悪い事だって・・・。でも、仕方なかったんだよ。」
トビーは顔を俯けると、再び黙り込んだ。
罪悪感と言う物や、後悔と言う物は余りなさそうだが、善悪の区別はしっかりと分かっている事に、ほっと安堵する。仕方がなかったといいながらも、悪い事だと言う自覚が有るのであれば、妖精の話しさえ伏せておけば、こちらの願望通りに裁判が進められると思った。
「よし、じゃあトビー。君はお母さんを殺してしまった事を、後悔しているかい?」
気を取り直して、ヒューストは再び尋問を始めた。
トビーは無言で、顔を横に振るだけだ。
「そうか・・・。それなら、罪悪感は有るのかな?お母さんに対して、悪い事をしたと言う気持ちは、有るのかい?」
今度は、ゆっくりとヒューストの顔を見て、小さく頷いた。そのトビーの答えに、ヒューストは嬉しそうにする。
「そうか!悪い事をしてしまったと思う気持ちが有るのは、とてもいい事だよ。心がちゃんと有る人間の証拠だ。」
「母さんを、もっと痛くない方法で殺してあげればよかったと思うよ。包丁で刺したけど、一度じゃ中々死ななくて、何度も刺したからきっと沢山痛い思いをさせたんだと思うと・・・悪い事しちゃったなって・・・。」
悲しそうな顔で言うトビーの言葉に、先程まで嬉しそうに微かに笑顔まで浮かべていたヒューストの顔は、一気に沈んでしまう。
「そうか・・・そちらの方で、悪い事をしてしまったと思うのか・・・。君は、人殺しは悪い事だと言う事が、理解出来ていないのかな?分かっていないのかい?」
心成しか、苛立ち始めるヒューストだったが、今怒鳴りつけでもしたら、何も話さなくなってしまいそうでグッと堪えた。
「人殺しは悪い事だって言うのは、分かってるよ。だけど母さんは仕方なかったんだ。あれは母さんから頼んだ様な物なんだよ。」
トビーの発言を聞けば聞く程、苛立ってしまう。何を聞いても、何を言っても全て『仕方なかった』で片づけられてしまっている様で、どうればいいのかが分からなくなる。
「仕方が無い・・・仕方なかったか・・・。いいかい?トビー、仕方なく人を殺してしまう時は、自分の身に・・・命が危ない時に抵抗をして、その弾みで殺してしまったりする時に使う言葉でね・・・。」
「違うよ。おじさんの言っている事と、僕の言っている事は違うよ。」
ヒューストの言葉を遮って言うと、トビーは青く光る石を、そっと掌の上に置いた。
「ほら、見て。今も妖精達が、僕達の話を聞いている。妖精達はちゃんと分かっているよ。僕がした事は仕方ない事だって。」
優しくもう片方の手で、石を摩りながら言うトビーの表情は、とても穏やかだった。
しかし、ヒューストは崖っぷちに立たされている気分だ。どう見ても、トビーはまともとは言えない。例え善悪の区別が有るとしても、空想の世界にのめり込んでしまっている。これでは通常の刑罰等、到底無理だろう。間違いなく、彼はこの病院で暮らす事となる。
「トビー、よく聞いてくれ。私は君を助けたいんだ。君がちゃんと本当の事を、現実を受入れて話してくれれば、普通の少年院に行く事が出来る。そうなれば、早く外に出られるんだ。だがこのままだと、君はこの病院に閉じ込められ・・・いつ出られるかも分からない位、閉じ込められてしまうんだよ。」
必死に訴える物の、トビーは相変わらず石を嬉しそうに見つめるだけだ。
いい加減痺れを切らしたヒューストは、思わずテーブルを力一杯掌で打ち付けた。バンッと言う大きな音と共に、その場に立ち上がると、声を少し露わにし、トビーを指差しながら言った。
「いいかい?ハッキリ言って、妖精なんて物は存在しない!居ないんだ!それは君が罪から逃れる為に作った、只の・・・只の作り話なんじゃないのか?君は只、現実逃避をしているだけだ!事実はこう!君は母親を刺殺した!・・・それだけだ。出て行かれるのが嫌でね。」
最後は力無く言うと、震わせながら指差していた手で、そのまま、またバンッと一つ、机を叩く。
始めて声を露わにしたヒューストの姿に、トビーはそっと石を机の上に戻すと、ションボリとした顔で俯いてしまった。まるで父親にでも叱られた気分になってしまい、酷く落ち込んでしまう。
そんなトビーの姿を見て、ヒューストは慌てて声から刺を抜き、謝り出す。
「あぁ・・・すまなかった。すまなかったよ、大声を出してしまって。大人気なかったな。謝るよ、すまない。」
トビーは一瞬チラリと視線だけを上げ、ヒューストの顔を見るが、またすぐに下へと落とした。
「やっぱり・・・信じてないんだ・・・。」
小さい声で呟くと、ヒューストは困った様子で頭を掻きむしった。
「いや・・・私は妖精を見た事が無いんだ・・・。だからその・・・信じるにも、中々難しい。何しろ・・・見た事が無いからね。」
しどろもどろに言うと、俯くトビーの姿を見て、自然と溜息が零れてしまう。
忘れてしまっていた。目の前に居るのは、まだ小さな子供だと言う事を。現実逃避の為の作り話だとしても、それは純粋な子供心からかもしれない。それならば逆に、純粋な子供だからこそ、妖精と言うお伽話の中の存在を、本当に信じているのかもしれない。どちらにせよ、もう通常の刑罰は難しいだろうと確信してしまう。
あれこれと考えながら、その場をうろついていると、突然ハッと一つの言葉を思い出した。
「そうか!イマジナリーフレンド・・・。」
ポツリと呟いたヒューストの言葉に、トビーは不思議そうに首を傾げた。
「そうだ、イマジナリーフレンドだ!きっと君の言う妖精は、それに違いない!」
一寸の光を見付けた様に、ヒューストの表情は嬉しそうに変わる。
「イマジ・・・何それ?」
不思議そうに尋ねて来るトビーに、ヒューストは再び椅子へと座ると、優しい表情で丁寧に説明をした。
「いいかい?イマジナリーフレンドって言うのはね、君の様な年頃の子供がよく見る、空想のお友達なんだ。分かりやすく言えば・・・そう!君が頭の中で作った友達だ。だから君にしか見えないし、君にしか声も聞こえない。現にほら、この石からは、私には誰の声も聞こえないよ。」
「それは、誰も喋ってないからだよ。今は皆聞いているだけだって言ったよ。」
不満気な表情を浮かべるトビーに、ヒューストは軽く溜息を吐くが、めげずに続ける。
「あぁ・・・そうか。だがその妖精と一緒に遊んでいたのは、君だけだろう?君にしか、見えないんじゃないのかい?」
するとトビーは、嬉しそうな笑顔を見せた。
「違うよ。たまにジェシーとも一緒に遊んだ事があるよ。」
「ジェシー?」
「うん。友達。ジェシーと一緒に河原に行って、妖精と遊んだ事もあるよ。」
またしてもヒューストにとっては、嬉しくも無い回答に、体の力が抜けてしまう。
「えっと・・・一つ確認したいんだが・・・。そのジェシーって子は、人間かい?実際に存在する・・・と言うか、ちゃんと両親が居て、学校にも通っている友達かい?」
トビーは何度も大きく頷いた。
「ジェシーは僕の家の近くに住んでる子だよ。学校も一緒だし、乗るバスも同じだよ?ジェシーはたまにしか妖精と遊ばないから、石は貰ってないけどね。」
「そうか・・・。」
ヒューストは大きく溜息を吐くと、再び頭痛に襲われた。
トビー一人だけならまだしも、もう一人妖精の目撃者が居るとなると、更にどうすればいいのかが分からない。イマジナリーフレンドであれば、一時の物故、それが無くなればトビーの目も覚め、対応も違って来ただろう。
「よし、トビー。なら妖精の話しをしよう。その妖精は・・・今もその河原に居るのかな?」
腹を括り、ヒューストは自分でも馬鹿馬鹿しく思えるが、妖精の話を詳しく聞く事にした。そこから突破口でも見付かればと、思っての事だったが、殆どは自棄糞状態だ。
妖精の話しを持ち出すと、トビーは嬉しそうに、素直に答えて来た。
「うん、勿論居るよ。河原に妖精の家が有るからね。皆あそこに住んでいるんだ。ずっと昔から。」
「そうか。何人位、居るのかな?」
「えっと・・・六人かな・・・。たまに一人増えるけど。」
指折り数え、思い出しながら話すトビーの姿は、真剣その物で、嘘を吐いている様には見えなかった。
「増えるのか。じゃあ、名前はあるのかな?一人一人の、名前は。」
トビーはまた、指で数えながら、順番に名前をあげていく。
「えっと、ユーユでしょ、キリ、マーリク、モスロ、それからロイに、ドワル。あっ!後、エリスはたまに居たり居なかったりする。」
全員の名前を言い終えると、トビーは嬉しそうに満遍無い笑みを浮かべる。
ヒューストは、トビーのあげた名前を、一人一人丁寧に手帳にメモを取る。妖精の名前だけでなく、ジェシーの名前も、手帳に書き足した。
「そうか。ジェシーも皆の名前は知っているのかい?」
「うん、勿論知ってるよ。」
「知っている・・・と。そうか・・・。」
突然手帳に色々と書き始めたヒューストの姿を、トビーは不思議そうな顔で尋ねる。
「何で書いてるの?」
夢中で手帳に書き留めていたヒューストは、トビーの質問にハッとし、苦笑いをした。
「あ、あぁ・・・忘れっぽいからね。こうしてメモを取っているんだ。」
小さく頷くトビー。
本音を言えば、最終手段として、イマジナリーフレンドとしての為のメモだった。ジェシーは実在する人物の様だが、ジェシーがトビーに合わせているだけの可能性だってある。それならば、イマジナリーフレンドの症状として取り扱えばいい話だ。
「よし、ならその妖精は、私にも見えるのかな?とても大事な事だから、しっかりと考えて答えて欲しい。」
これで自分には見えないと言ってくれれば、ヒューストにとっては都合が良い。しかし当然の事ながら、全てが思い通りに行くはずも無い。今までがそうであった様に。
「あぁ、見えるんじゃないかな?妖精は人間に見られるのが好きじゃないみたいなんだけど、本当に仲良くしたいって人には、姿を見せてあげるんだって。だからおじさんが、妖精に本当に仲良くなりたいって教えてあげれば、きっと姿を見せてくれるよ。」
とても嬉しそうに話すトビーの姿は、ヒューストにとって残念で仕方がなかった。期待外れもいい所だ。
「そうか・・・大人の私にも見る事は出来るのか・・・。」
ガックシと首をうな垂れると、これ以上何も言葉が出て来ない。
そもそも何故ここへ来たのか。ヒューストは原点を思い返した。
幼い子供が、父親と離婚をし家を出て行こうとした母親を、別れの時に包丁で刺し殺したのだ。何度も何度も刺し、血塗れで母親の遺体の前で佇むトビーを父親が見付けた。
父親はすぐに救急車を呼んだが、既に母親は死んでしまっていた。トビーはそのまま、この精神病院へと連れて行かれたのだ。すぐさま精神病院へと輸送されたのは、危険性有りと判断されたからだ。
この事件担当になり、少年トビーが何故母親を殺したのか、と言う動機を聞く為にやって来た。それは法廷での資料を集める為。
しかし、既にトビーと話しをしていた医者に聞いても、学校関係者に聞いても、トビーは普通の子供で、むしろ優しい少年だと誰もが証言をする。だからこそ、危険性有りなのかもしれない。普段とは真逆の行動を取る子供。それは精神異常と診断されやすい。
警察側としては、それは余り面白くない話だ。医療少年院となれば、刑期が変わって来てしまう。通常の刑罰を受けさせ、普通の少年院に入れさせたいだろう。
だがこの少年トビーを、個人的に救ってやりたいと言う気持ちが有った。医療少年院の実態は酷い物だ。そんな所に送りつけたくは無い。通常の刑罰ならば、動機次第で刑期を軽減させてやれるかもしれない。まだ十歳そこらの子供だ。未来が有る。
その為に一番大事な動機を聞きに来たはいいが、予想外に『妖精』の話が出てきてしまった。先に話を聞いていた医者は、そんな事は何も言っていなかったが、それはきっとトビー自身が、言うのは不味いと理解し、判断して話さなかったのだろう。
妖精どうこうと言う話しは子供だが、判断力はちゃんと有る。頭の良い子供だ。冒頭にトビー自身が自ら自覚し、言っていた『ここから出れないと思う。』と言う言葉が、正にその証拠だ。
まだ母親との別れが辛い故に、離れ離れになる位なら・・・と言う動機の方が、単純だが理想的だった。
「よしっ、トビー。君は医者には妖精の話しはしなかったのかい?」
別の視点で考えてみようと、ヒューストは改めてトビーへの尋問を再会する。
トビーは無言で頷いた。
「そうか、その理由を聞いてもいいかな?」
「医者はそう言う話をすると、すぐに頭がオカシイって決めちゃうって、母さんが言ってたんだ。だから言わなかった。」
「へぇ・・・お母さんから教えて貰ったのか。妖精ではなくて。」
今度は妖精ではなく、母親から貰った知識に、少し安堵する。全てが全て、妖精から貰った知識と言う訳ではない事が、救いの様にも思えた。
「お母さんに、妖精の話はした事が有るのかい?」
トビーを大きく頷くと、嬉しそうな顔をする。
「母さんも、見てみたいって言ってたよ。だから妖精に、母さんを紹介しようとしたんだ。」
「お母さんを?お母さんも、妖精を見たのかい?」
また妖精の目撃者が一人増えるのか、と不安になった。しかしトビーの表情は、悲し気に変わる。
「いや・・・その前に、母さんが家を出て行く事になって・・・。」
俯くトビーの姿に、ヒューストは心無しか、チクリと胸が痛んだ。やはり母親との別れは、悲しかったのだと、トビーの表情を見れば分かる。
ならば殺してしまう事は、更に辛い事では無かったのか、と言う疑問が頭を過ると、率直に聞いてみた。
「お母さんが出て行く事は悲しいのに、死んでしまう事は、悲しくないのかい?殺す時、辛くは無かったのかな?」
「悲しいよ。永遠のお別れだから、悲しいに決まってるよ。殺している時も、凄く悲しかった。だけどこれは、母さんが選んだ事でも有るんだから、頑張ったんだよ。」
今度は真剣な眼差しで言うトビーの姿に、ヒューストはまたしても頭を抱えてしまう。母親殺しの話しとなると、結局振り出しに戻ってしまうだけだと思い、嫌気がしてきた。
「分かった。お母さんを殺した理由は・・・そうだったね。頑張ったのか・・・。」
ヒューストは深く溜息を吐くと、この先どうすべきかを、悶々と悩んだ。
トビーを助けてやりたい気持ちは変わらないが、このままでは確実に、医療少年院行きだ。妖精に吹き込まれての犯行等と言う訳にもいかず、自分までもが変人扱いをされてしまう。それ以前に、妖精を容疑者にする事自体不可能なのだから、結局はイマジナリーフレンドと言う事で納めるしか無さそうに思えた。
しかし、妖精のもう一人の目撃者、ジェシーが居る。彼女が法廷に引っ張り出され、妖精発言でもした時には、更に拗れてしまいそうだ。仲の良かった友人となれば、他の刑事が既にジェシーの元へ、トビーについて聞きに行っているだろう。その時点で、アウトなのかもしれない。
ヒューストから、また一つ、大きな溜息が零れる。
「おじさん、溜息が多いね。」
キョトンとした顔で尋ねて来るトビーに、ヒューストは恥ずかしそうに笑った。
「あぁ・・・すまないね。大人は何かと悩みが多いんだよ。ややこしい世界でね。」
するとトビーは、机の上に置いてあった石を、そっとヒューストの前へと差し出した。
「だったら、妖精に聞けばいいよ。何でも知ってるから、きっと教えてくれるよ。おじさんの悩みも、聞いてくれるよ。」
子供ながらの気遣いなのだろう。それが今のヒューストには、何故か嬉しい好意に思えた。
散々その妖精の話しのせいで、悩んでいると言うのに、今はその妖精の話しに癒されてしまう。不思議な物だ。なんだかトビーの言う通り、石の中から、本当に声が聞こえて来る様な気になってしまう。
「そうだね、聞いてみるのも・・・悪くないかもね。」
小さく笑うと、トビーの顔からは嬉しそうな笑顔が零れる。
「君は本当に、優しい子なんだね。人殺しをした事が、信じられないよ。」
ヒューストは優しくトビーの頭を撫でると、自然と表情が柔らかくなる。本当に、こんな良い子が母親殺しをしたなど、信じられないと思うと同時に、純粋故に妖精の言葉に従ってしまったのだろうと思うと、不甲斐無い。
照れ臭そうな笑顔を見せるトビーの顔は、天使の様に可愛らしい。こんな子が、明日に新聞には凶悪犯罪者として、一面にでも載ってしまうのかと思うと、心が痛む。
トントン、とドアをノックする音が聞こえると、ヒューストはハッとトビーの頭の上から手を退かした。
ドアから白衣の来た男が入って来ると、軽く咳払いをする。
「そろそろ時間ですよ。」
男に言われ、ヒューストは慌てて腕時計を見た。
「あぁ・・・本当だ。もうそんな時間か。」
「どうしたの?おじさん。」
首を傾げながら尋ねて来るトビーに、ヒューストは少し悲しそうな表情を浮かべて言った。
「悪いんだが、もう面会時間が終わってしまってね。今日はもう帰らないといけない。また明日来るから、話しの続きは明日聞かせてくれるかな?」
ヒューストは椅子から立ち上がると、軽くトビーの頭をポンポンッと叩く。
「あぁ、そうなんだ。うん、いいよ。分かった。」
素直に頷くと、トビーは机の上に置きっぱなしになっていた石を、素早くズボンのポケットの中へと仕舞う。その瞬間、どこかから笑い声が聞こえた気がした。
ヒューストはふとトビーの方を見つめた。
「今・・・笑ったかい?」
不思議そうに尋ねると、トビーは無言で首を横に振る。
「そうか・・・空耳か・・・。」
ヒューストは手帳を胸ポケットの中に仕舞うと、軽くトビーに手を振り、そのまま部屋を後にしようとした。
ヒューストがドアから出て行こうとした瞬間、後ろからトビーが話し掛けた。
「ねぇおじさん。妖精はどこから来たのか、知ってる?」
ヒューストは後ろを振り返ると、じっと無表情で座るトビーの姿が有った。それは最初の氷の様に冷たいトビーと、同じ雰囲気を化持ち出している。
「さぁ?どこからだろうね。知らないな。」
一瞬背筋に悪寒が走り、ゾッとしたが、それを隠す様に笑顔で答える。そしてそのまま、部屋をから出て行き、ドアを静かに閉めた。




