第五・五話 幕間 ライト視点 ——光の奇跡を隣で見た男
ライトは手帳を胸の前で抱えたまま、動けなかった。
時計の針を確認した時——十分と、少し。
口の中が乾いていた。
ライトはアルスの補佐官として三年間仕えてきた。
その間に、アルスが治療を行う場面を何度も見てきた。
軽傷なら秒で、重傷でも数分で。
疫病の現場では、熱で倒れた子供の身体をただ一度手で触れるだけで顔色が戻ることがあった。
しかし——今日は違った。
典医四名が「手が尽きた」と言ったのだ。
大陸最高峰と称される医師たちが、原因すら特定できなかった症状を——アルスは一分で「毒だ」と断言した。
そして十分で解毒しきった。
6段階の回復魔術とは、これほどの奇跡を起こせるものなのだろうか。
ライトは補佐官になってから、魔法段階に関する文献を一通り読んでいた。
6段階——それは大陸に唯一とされる回復魔術の頂点だ。
その記述には「重篤な損傷の完全修復」「複合的な病の根治」とあった。
しかし、「通常の検査では検出不可能な毒を、一分で特定する」「十分で完全解毒する」——そんな記述はどこにもなかった。
ライトは三年間アルスのそばにいた。
アルスが「6段階」と呼ばれていることは知っている。
しかし——今日初めて、その数字が正しいのかどうかを疑った。
疑った、というよりも——6段階という言葉が、この方を説明するのに十分かどうかを確かめたくなった。
王妃の頬に赤みが戻るのをライトは目の端で見ていた。
生きていく色が、青白い肌に滲み出てくるような——その変化が十分という時間の中で起きた。
この方は何者なのだろう。
三年前、ライトが補佐官に任命された時、アルスはすでに聖枢機卿の称号を持っていた。
二十四歳で就任したと聞かされていた。
信じがたい年齢だとは思ったが——目の前に立つ青年が、どこか別の世界に根を張っているような気がしてライトはあまり深く考えないようにしていた。
「典医たちを呼んでくれ」
アルスがそう言いながら袖で汗を拭う姿をライトは初めて見た気がした。
汗。
疲労の証。
治療の後にこの方が汗をかくのをライトは三年間で一度も見たことがなかった。
——ああ、と思った。
この方も疲れるのだ。
当たり前のことだった。
しかしその当たり前が、今日初めて腑に落ちた
十分間アルスは何も言わなかった。
ただ王妃の前に立ち光を放ち続けた。
それが「どれほどのことか」をライトには計れない。
ただ一つ分かるのは——通常の治療では汗をかかないこの方が今日は汗をかいた。
この毒がそれだけ特殊なものだったということだ。
ライトは扉を開けながら、廊下でこちらを窺っていた典医たちに声をかけた。
その背中でアルスが静かに呟くのが聞こえた。
「……よかった」
誰に向けた言葉でもない、ただの独り言。
ライトは扉を閉めながら、心の中でメモをとった——この方は、いつも「よかった」を先に言う。
喜ぶより先に、安堵する。
三年間、そうだった。




