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光と影、二つの魂  作者: そら
第一章 「光の朝と、影の夜明け前」
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第五話 アルス編 王妃の診断——一分の奇跡

王宮の廊下は、アルスが来るといつも少し静かになる。


衛兵が礼をとり、侍女たちが頭を垂れる。

廊下の突き当たり、王妃の寝室の前では四人の典医てんいが待っていた。

全員が疲れ果てた顔をしていた。


聖枢機卿カーディナル様、お越しいただきありがとうございます」


筆頭典医のガロンが深く頭を下げた。

六十代の老人で王国で最も権威ある医師の一人だ。


「王妃様のご容態が急変し、私どもでは手が尽きまして......」


「話は後でいい。先に王妃のところへ」


アルスは穏やかに、しかし迷わず言った。

別の典医が慌てて先導し寝室の扉が開かれる。

ガロンはその後ろで表情を作りながら続いた。


天蓋付きの寝台に王妃が横たわっていた。

二十八歳の若い王妃——三ヶ月前まで活発だったはずの女性が、青白い顔で目を閉じている。

呼吸は浅く脈は乱れ気味だ。


アルスは寝台の脇に立ち、目を閉じた。

ライトが後ろで手帳を開く音がする。


アルスは手を王妃の体の上にかざした。

回復魔法の光——柔らかな白金の光が広がる。

しかしアルスは治療をしていなかった。

まず、分析をしていた。


病の根を、魔法の光で精密にスキャンする。

細胞の一つひとつが魔術の光に反応し、その異常を返してくる——それを、アルスは「読んで」いた。


一分。


「分かった」


アルスは静かに目を開けた。


「毒です」


典医たちが動揺した。


「し、しかし毒の検査は何度も——」


「通常の検査では検出できない毒です。細胞の内部に浸透し、ゆっくりと機能を壊していく。既存の解毒薬では対処できません」


部屋が静まり返った。

ガロン典医の顔が、一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、かすかに青ざめた。

すぐに元の表情に戻したがアルスはその一瞬を見逃さなかった。


「解毒は可能ですか?」


別の典医が問いかけた。


「はい。ただし——典医の皆さんには退室していただく必要があります」


アルスは穏やかに言った。


「理由は?」


ガロンが、慎重に眉をひそめた。


「回復魔魔法の集中が必要です。見ている人間がいると、私は普段より力が出ない」


微笑みながら言ったその言葉は嘘だった。

本当の理由は——ガロン典医の、あの一瞬の青ざめ。

毒を「知っていた」者の反応だ。

今は証拠がない。

動くのは早い。

まず王妃を救いそれから締める。


典医たちが退室した後ライトがアルスの隣に立った。


「アルス様、ガロン典医の反応が——」


「気づいた。後で調べてくれ。七賢院しちけんいんとの接触がないか」


「既に着手しております。シルヴィアが手配を」


アルスはそれ以上何も言わず王妃に向き直った。


白金の光が再び広がる。

今度は治療が始まった。


浸透毒しんとうどくの解毒——それは、体内の細胞一つひとつに浸み込んだ毒素を、魔法の光で丁寧に取り除いていく作業だ。単純な解毒魔法では追いつかない。

毒素の構造を把握し、それに対する精密な術式を組み立て、一層一層剥がすように処置していく必要がある。通常の回復魔法師では、この作業に数週間かかる。

それでも成功するかどうか分からないと言われていた。


——いや、正確には。「治せなかった」と言われていた。


この毒の原型は、数百年前に存在した。

当時、大陸最高位の6段階回復魔法師が三人がかりで挑んで、それでも解毒できなかったという記録が残っている。

「魔力を拒絶する毒」——回復魔法をかけるたびに毒素が魔力を押し返す性質を持ち、術師の魔力を逆に消耗させながら体内に根を張り続ける。

六段階でも解毒不可能と結論づけられ、以来「不治の毒」として歴史に記録されたまま、処方は失われたとされていた。


七賢院はその処方を、古文書の研究から復元した。

完全な再現かどうかは七賢院内でも議論があったが——「6段階では解毒できない」という点においては、完全再現である必要すらなかった。

王妃に盛られたのはその毒だ。


アルスには、この力がなぜ自分の中にあるのか分からない。

六段階というのは表向きの話だ——それは自分でも知っている。

しかしその先が分からない。

ただ、体の奥から何かが動く感覚がある。

細胞の一粒一粒に語りかけるような、静かで、しかし途方もなく深いところから来る何かが。

毒素を「消す」のではなくあるべき状態に「戻す」に近い感覚だ。

なぜそれができるのかアルスは説明できない。

ただ——できる。


アルスは十分で終えた。


ライトが時計を見て蒼白になった。


「......十分で......」


王妃の頬に僅かに赤みが戻っていた。

呼吸が深くなり脈が安定している。


「完全回復には数日かかるが——毒の影響は取り除きました。あとは休養と栄養を」


アルスは立ち上がり袖で汗を拭った。

見た目には涼しい顔だが相当の魔力を使った。

体の奥が静かに疲弊している。

この毒は——回復魔法をかけるたびにまるで意思を持つかのように押し返してくる。

魔力を当てれば当てるほど、毒素が抵抗して魔力を喰う。

数百年前の術師たちが手を尽くして諦めた理由がよく分かった。

その綱引きを十分間続けた結果がこの汗だった。


「典医たちを呼んでくれ」


ライトに言うと、ライトはすぐに扉を開けた。


典医たちが全員部屋に戻ってきた。

ガロンも、他の三人と並んで寝台の脇に立った。


アルスは王妃の容態を順に説明した。

毒の種類、解毒の経緯、今後の処置。

穏やかに丁寧に。

ガロンを含む四人全員に向けて等しく。


ガロンはその間表情を崩さなかった。

崩さないよう努めた。

しかしアルスが「毒の発見が遅れたのは、通常の検査では検出できない性質のものだったからです。皆さんに落ち度はない」と言った瞬間——胃の底が、冷えた。


なぜ、そこまで知っている。


「通常の検査では検出できない」——その性質を、なぜこの男が知っている。

まさか——毒を「知っていた」のか。

いや、それとも単に解毒の過程で特定しただけか。


判断できない。

アルスの目はガロンを見ていない。

四人全員を等しく見ている。

疑っている「顔」ではない——しかし、疑っていない「顔」とも言い切れない。


——分からない。それが一番怖い。


王妃の目が、薄く開いた。


「......聖者様......」


かすれた声だった。

アルスは微笑んだ。


「おやすみなさい、王妃様。明日には、もっとよく眠れます」



その夜、ガロンは寝室の扉に鍵をかけ、窓の隙間に布を詰め、それから低く呪文を唱えた。

七賢院の構成員だけが知る、特定の音の並び。

唱えた瞬間に声は術式に変換され、離れた場所にいる受信者の耳にだけ届く。

記録には残らない。

傍受もできない。

証拠にもならない。


「王妃が、解毒された。聖枢機卿によって。十分で——完全に」


沈黙の後、耳の奥に声が返ってきた。


「あり得ない。6段階では解毒不可能なはずだ」


別の声が割り込んだ。


「お前の目が節穴なのだ。完全な再現ができていなかったのだろう」


「違う。私の調合に誤りはない。問題は聖枢機卿の側だ——あの男が、6段階ではないということだ」


声の応酬は夜が明けるまで続いた。

ガロンはその全てを耳の奥で聞きながら、ただ一つのことだけを考えていた。


——どちらにしても、あの男は危険だ。




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