第四話 ノクス編 影の仕事——東区の密偵制圧
王都の東区。
日が傾き始めた頃——裏路地の奥の倉庫の前に、黒いフードの男が立っていた。
「ノクス様、東区の件、やはり七賢院の密偵でした。三名。倉庫に潜伏し、王都内の貴族家に送り込む偽情報の文書を作成していました」
カインが近づいてきた。
その表情は硬い。
「中に何人いる」
「三名の密偵の他、護衛が五名。計八名です」
エルザが脇から付け加えた。
「護衛の二名は魔法使いです。段階は三から四程度。残り三名は剣士ですが、腕は良い——名の知れた冒険者クラスです」
名の知れた冒険者、と言えば魔法で言えば五段階から六段階が目安だ。
一般の騎士よりも実戦経験が豊富で、腕利きと呼ばれる部類に入る。
しかしノクスにはそれは雑魚だ。
「行く」
ノクスは歩き出した。
「ノクス様、一人でですか?」
カインが問いかける。ノクスは振り返らなかった。
「お前たちは外を固めろ。逃げる者がいれば仕留めろ。密偵の三名は生かして確保する——情報を吐かせるまでは」
「......了解です」
カインは短く答えた。
驚いた様子はない。
ノクスが「一人で行く」と言えばそれが正しい判断だと知っている。
ノクスは倉庫の扉の前で、一瞬、目を閉じた。
内部の気配——八つ。
うち二つが魔法使いの魔力を纏っている。
四段階と三段階。
扉を開けた。
「誰だ!」
即座に声が上がり、倉庫内で人が動く音がした。
ランタンの光に六人の男が抜剣しているのが映った。
奥の二人が手に魔法陣を展開し始めている。
ノクスはフードを被ったまま、ゆっくりと歩いた。
「ノクス......? お前が......」
剣を持った男の一人が、息を呑んだ。
「なぜここを......!」
四段階の魔法使いが、焦りを押し隠しながら魔法陣を展開した。
炎の球体——四段階魔法「ファイアスフィア」。
直径一メートル、一般的な石造りの壁を溶かすほどの熱量を持つ術式だ。
ノクスは動じなかった。
左手を軽く上げる。
指先から——ほんの僅かな魔力の揺らぎ。
二段階魔法「ウィンドカット」——を、極限まで圧縮した斬撃。
その斬撃が炎の球体を切り裂いた瞬間、球体は四散した。
跡形もなく。
倉庫内が、静まり返った。
四段階の魔法使いが、目を見開いた。
「......な、に......?」
自分の魔法が二段階の魔法で消された。
それが意味することを理解した顔だった。
魔法の世界には、覆せない法則がある。
一段階の差は、埋まらない。
たとえば三段階の術師が四段階の相手と正面からぶつかれば——同じ術式を放っても威力で圧倒され、魔力の総量で枯渇し、防御を張っても押し破られる。
技術や経験で補える差ではない。
段階という壁の前では、努力も才能も、一段階の前に無力だ。
だから四段階の魔法使いには確信があった。
フードの男がどれだけ速くとも、正面から「ファイアスフィア」を受け止められる者など、四段階以上の使い手しかいない、と。
その確信が、一瞬で粉砕された。
「下位魔法で上位魔法を殺す——それが、どういうことか分かるか?」
ノクスは男を見た。
「魔力の密度が桁違いに違う。俺が放つ二段階は、お前の四段階の十倍の圧縮率を持っている。——俺の魔力は段階という概念を超えている。これは竜の血が持つ、根源魔力だ」
三段階の魔法使いが、叫ぶように術式を発動した。
大地を裂く「アースウェイブ」——石の床が波打ち、ノクスの足元が崩れようとした。
ノクスは跳躍した。
天井近くまで上がった体が重力に従って落下する——その軌道の先に、剣士の一人がいた。
剣を構える。
しかしノクスの動きの速さに、剣先が追いつかない。
ノクスは腰に下げた剣を一閃した。
——抜いてから納めるまで、零点二秒。
剣士の剣が刃ごと吹き飛んでいた。
傷を負っていない。
剣だけを正確に弾き飛ばす——人間の反応速度の限界を超えた剣技。
「俺は情報が欲しい。大人しく話せば——楽に死ねる」
ノクスは静かに言った。
残りの護衛が四人、一斉に動いた。二人が剣を振り下ろし、一人が背後から短剣を投げ、もう一人が魔法を展開した。
ノクスは——動かなかった。
ただ、魔力の薄い膜を体の周囲に展開した。
「魔力障壁」——通常、七段階以上の使い手にしか展開できない術式。
剣が跳ね返り、短剣が弾かれ、魔法が散った。
傷一つない。
護衛たちが後退る。
四人の顔に、恐怖が滲んだ。
「ノクスだ......本当にノクスが来た......」
誰かが呟いた。
裏社会では、この男の名は「近づくな」の代名詞だ。竜の血を持つ男——その事実を知る者は少ないが、この男に向かっていった者が生きて戻った話を、誰も聞いたことがなかった。
護衛たちは、武器を床に置いた。




