第一話 アルス編 王妃の感謝——静かな誓約
王宮の奥の間は、昼でも光が薄い。
厚い石の壁が外の音を遮り、長い廊下の先にある寝室にはいつも静けさだけが満ちていた。
アルスがその部屋を訪ねたのは、王妃の回復が医師たちに確認されてから三日後のことだった。
「聖枢機卿様、お待ちしておりました」
侍女が深く頭を下げた。
扉の向こうから穏やかな声が聞こえた。
「どうぞ、入ってください」
部屋の中には王妃と王の二人がいた。
王妃——イレーナは窓際の椅子に座っていた。
一週間前と同じ顔だ。
しかし頬の色が違う。
死に向かっていた肌の青白さはなく、柔らかな血の色が戻っている。
その変化だけがあの十分間に何が起きたかを証明していた。
「先日は……ありがとうございました」
イレーナは静かに言った。
声に感情がある。
しかし抑えている。
貴族の女性として育てられた抑制と、それでも滲み出る何かが混在していた。
アルスは頭を下げた。
「お体の具合はいかがですか」
「おかげさまで」
イレーナは少し微笑んだ。
「……あの夜のことを、ずっと考えていました。意識が薄れていく中で、光が見えたんです。白い光。それがどこから来たのか、目が覚めてから初めて分かりました」
アルスは何も言わなかった。
ただ静かに聞いていた。
「あの毒は」イレーナは声を落とした。
「偶然ではないと思っています」
沈黙。
王が口を開いた。
五十代の男で顔に疲労と怒りの両方が刻まれていた。
「聖枢機卿、率直に聞く。あれは誰の仕業だと思うか」
アルスはしばらく考えてから答えた。
「陛下、今は申し上げられません。しかし——証拠が整う時が来ます。その時まで、このことはお二人の胸だけに収めていただけますか」
「証拠が整う」王は繰り返した。「つまり……お前は既に動いているということか」
「はい」
一言だけ答えた。
王は何かを考えるように目を細め、それから静かに頷いた。
「分かった。待とう」
部屋を出る直前イレーナが言った。
「聖枢機卿様」
アルスは振り返った。
イレーナは何かを言おうとして止まった。
それからただ静かに言った。
「……また、診に来てください」
「はい」
アルスは答えた。
廊下に出てからライトが小声で言った。「王妃様は……ずっとアルス様の方を見ておられましたね」
「そうか」
アルスは前を向いたまま歩き続けた。




