5章:全てを理解する
深夜。駅前の交差点でトラックに跳ねられた息子は、目撃者の証言によれば救急車が到着する前に、ふらふらと何事もなかったように立ち上がり、虚空に向かって何かを叫びながら夜の街へ消えていったのだという。
私がその事実を知ったのは、翌朝、警察からの電話だった。
不意に突きつけられたのは、耳を疑うような「事件」だった。
住宅街で、何かの棒のようなものを握りしめた男が、残業帰りのサラリーマンや、清掃員の老人を次々と襲撃している。
後に公開された防犯カメラの映像を、私は今でも直視できない。
そこには、血まみれの顔で、何もない空間に向かって楽しげに話しかけながら、得物を振るう「私の息子」が映っていた。
彼は笑っていた。
純粋で、無垢な、あまりに幸福そうな笑顔。
倒れ伏し、動かなくなった人々を見つめながら、彼は譫言のようにぶつぶつと何かを呟いていたという。彼には、何が見えていたのか。
「……洋介」
確保された洋介と対面できたのは、それから一週間後のことだった。
場所は病院ではなく、厳重な警備が敷かれた精神病棟の奥。
白い壁に囲まれた保護室の中で、息子はどこか遠い場所を見つめていた。
あの日と同じ、穏やかな声。
私は震える手で、アクリル越しに彼を呼んだ。
反応はない。
洋介の視線の先には、ただの殺風景な監視カメラがあるだけだった。
彼はその機械のレンズを見ているような、見ていないような…酷く虚ろな目でそこにただ存在していた。
私は直視できなかった。
彼の目には、もう何も映っていないのか。
廊下ですれ違う医師も、世話をする看護師も、そして目の前で泣いている母親でさえも。
今の彼には何も認識できない、していない。
洋介の歪んだ頬が、ひくひくと震える。
「…洋介…あなたには、何が、見えているの…」
絞り出せたのは、それだけだった。
重い防音扉が閉まる。
金属が噛み合う、冷徹な鍵の音が廊下に響き渡る。
私は一人、沈黙の中に立ち尽くした。
ふと、背後の窓の外を見ると、古びた駐車場の看板が風に煽られて、小さく揺れていた。




