3章:レベルアップって身体も変わるのか!
最初の違和感は、ほんの些細な、取るに足らないものだった。
魔王軍の斥候だという“オーク”の群れを一人で全滅させ、最高に気持ちいいレベルアップの快感に酔いしれた夜のことだ。
野営の焚き火のそばで、俺はふと自分の手を見つめた。
オレンジ色の炎に照らされたその手。指の関節が――心なしか、少しだけ長い気がした。
節くれ立ち、皮膚の質感がどこか人間離れした、硬くて冷たい何かに変わっているような……。
(……気のせいか。聖剣の使いすぎで手がむくんでるのかな)
俺が首を振ると、脳内でルナがいつも通り元気いっぱいに跳ね回った。
『そうそう! それはレベルアップによる肉体強化の影響ですっ! 勇者さま、どんどん人間を超越したカッコいい存在に成長してますよっ。おめでとうございます!』
「そっか、肉体改造か。やっぱ勇者になると身体つきから変わるんだな」
その明るい声を聞くと、漠然とした不安はすぐに霧散した。
そうだ、俺はレベルアップしたんだ。強くなる過程で多少の容姿の変化があるのは、ゲームでもよくあること。俺は納得し、深い眠りについた。
◇
だが、次の違和感は、もっとはっきりした形で現れた。
補給のために立ち寄った、ある平和な村でのことだ。
村の入口に立つ“村人”に、ギルドの場所を聞こうと話しかけた。
「……すみません、この近くに宿屋はありますか?」
「勇者さま、ようこそ。魔王軍が近づいております」
返事が、やけに機械的だった。
感情の起伏がないどころか、声の高さも抑揚も、まるで録音されたテープを再生しているかのようだ。
「いや、宿屋の場所を聞いてるんですけど」
「勇者さま、ようこそ。魔王軍が近づいております」
全く同じ文言、全く同じ間。
NPCかよ、と俺は苦笑した。
ま、ここは異世界だ。同じことしか言わない奴もいるんだろう。深いことは考えず、俺は村の広場へと歩を進めた。
◇
その日の夜。宿のベッドで横になっていた俺は、ふと窓の外を見た。
月明かりに照らされた、村の入口の看板が揺れていた。
風はない。空気は静まり返っている。
なのに、看板の板が、まるで生き物みたいに、ギィ……ギィ……としなっている。
いや、しなっているのではない。
それは、看板そのものが「意志を持っている」ように見えた。
板に描かれた文字が、うぞうぞと蠢いている様に見えたんだ。
俺は激しく目をこすった。
次の瞬間、視界は元に戻っていた。そこにあるのは、ただの古びた木の看板だ。
『あわわ……すみません! 今のは……その、レンダリングが……!』
「……レンダリング?」
俺が問い返すと、ルナの声が少しだけ掠れた。
『ええっと! 表現上の問題ですっ! 勇者さまの【完全理解】のレベルが上がりすぎて、ちょっと……この世界の処理能力が追いついてないだけです! すぐパッチを当てますから、大丈夫ですよっ!』
ルナの笑い声が、どこか薄い。
いつもの「えへへ」という響きに、電子ノイズのような雑音が混じっている気がした。
気にするな。
俺は自分に言い聞かせた。
俺は勇者だ。俺は最強だ。
俺はこの世界で無双し、誰よりも自由を楽しんでいる。
翌日、街道で遭遇した“モンスター”を適当に斬り伏せる。
聖剣を振るうたび、鮮やかな光の粒子が舞い上がる。
それは息を呑むほど美しい、神職の御業のような演出。
……でも。
その光の粒子に、時折、ドロリとした「赤い何か」が混じるような気がする。
不気味なほどに、生々しい赤い何か。
『あっ、はい! これは新機能の“ダメージエフェクト”です! リアリティ重視の設定になってるだけなので、大丈夫大丈夫! 全然大丈夫ですから!』
ルナが捲し立てる。
彼女がそう言うなら、そうなのだろう。
大丈夫だ。
強さへの不安がそうさせるのか?だったら、もっと強くなればいい。
魔王を倒すため。この世界を救うため。
俺は【完全理解】の出力を、もう一段階引き上げた。
より鮮明に。
より詳細に。
世界の隅々までをズームし、そのルールを、真実を、脳に焼き付ける。
そのたびに。
美しいファンタジー世界の輪郭が、ボロボロとゴミのように剥がれ落ちていく。
剥がれた壁の隙間から見えたのは、石造りの街並みではなく、錆び付いた鉄の板だった。
倒したモンスターの首から溢れ出したのは、光の粒子ではなく、汚い体液と、見覚えのあるなにか…。
「……あっ」
俺が声を上げる前に、ルナの歌声が響いた。
彼女の歌が、俺の意識を"こちら"へ引き戻す。
俺はもう一度、聖剣を強く握りしめた。
理解を深めれば深めるほど、俺の肉体は膨れ上がり、レベルを上げれば上げるほど皮膚の下で「何か」が激しくうごめき始める。
これが、強くなるっていうことだ。
俺は歪んだ視界の端で、必死に「女神」の姿を探した。
だが、ルナの顔が、どうしても思い出せない。
彼女の目は、二つだっただろうか。それとも、もっと……。
わからなくなってきた。これは、『完全理解』の出力を上げて、"理解"しなければ。
「ルナ、もっと……もっと理解させてくれ。この世界を」
俺の声は、もはや人間の言葉の形をしているのかも理解できなくなっていた。




