相応しき者
襲撃より、一月が経過した。
修練場含む幾つかの施設は壊れ、焼け落ち、数名の門下生は亡くなった。
痛ましい事件と言えるだろう。
だが、想定されたほどの被害は出なかった。
幾つか理由はあるが、単独犯でかつ主犯が『成れ果て』であったのが大きい要因だった。
死鬼が出現したことから考察するに、最初から成れ果てであったというわけではないだろう。
死鬼を作る能力があった以上、敵は陰気術士であったはずだ。
だが、この地に辿り着く直前、限界を迎え堕ちたのだろう。
陰奇術とは身体に陰の気を溜め、その力を持って術を行使する。
術を使えば使う程体内に陰気は定着し、安定していく。
少しずつ、人から外れていくと言っても良い。
そうして陰の気により増幅する欲が限界を迎えた時――陰奇術士は完全に人から外れ、異形の化物と化す。
それが『成れ果て』である。
悍ましく、恐ろしい化物であることに代わりはない。
だが、本来の陰奇術士と比べればそう大したものでもない。
なにせこれまで使えた陰を操る術が全く使えなくなり、天魔外道から単なるにケダモノに果てるのだから。
真に恐ろしきは制御された欲望。
己が欲の為どのような手段でも行う知性を持つ邪悪。
冥府魔導に堕ちし天魔外道。
それこそが陰奇術士。
我らの屠るべき敵である。
故に被害そのものはそう大きくなく、そして復興も進んでいる。
力なき未来である『沙夜』は志紀が救い、成れ果てそのものも朔矢が討伐した。
外部の力を借りずに処理出来たというのは非常に大きい。
それだけの力があると証明出来なければ、清嶺館お取り潰しという可能性もあっただろう。
そう……最悪な事態は避けられ、何も問題なく、元の日常に戻りつつあった。
ただ一人――朔矢を除いて。
「失礼します」
呼び出しを受け、清嶺館当主、神代正玄の部屋に朔矢は訪れた。
丁寧な作法を持って入室し、深々と頭を下げる。
それに面食らう正玄だが、表情には出さない。
当主にも威厳というものがある。
とはいえ……つい数か月前までは『おっさん何のようー? 面倒だから早くしてー』なんて言ってどかどかと部屋に入ってきた男がこの変わりようである。
驚くなという方が無理だ。
正座のまま、頭を下げ全く動かない朔矢。
その様子を見ながら、正玄は彼を思う。
礼節を覚え、怠け癖がなくなった彼の評判は良い。
いや、不満の声を実力を持って黙らせた。
今や彼を慕う者の数は多く、若い世代の希望ともなっている。
そう――正玄には見えていた。
政治がわからず、派閥の意味を知らず……だから、そうとしか見えない。
実際、それも否定できない。
今日まで、彼を称える声を正玄は何度も耳にした。
「朔矢よ。率直に問おう。次代は、誰が相応しい?」
「はっ。我が義兄弟、兄様である藤守志紀を置いて他にいないと断言します」
「……そうか。他に、ないのだな?」
「ありません。その実力、その技術、その在り方。正しくご当主様と瓜二つ。彼以外に、今の清嶺館を継ぐに相応しき者はおりませぬ」
「その言葉、覚えよう。――下がれ」
「はっ。失礼します!」
一瞬だけ、朔矢は正玄の顔を見つめる。
直後に深く頭を下げ、その場を後にした。
当主として、こう思うのはいけないことであるとわかっている。
だが、正玄は少し寂しさを覚えていた。
朔矢が真っ当に、立派になったことに。
ほんの数か月前までワルガキで、折檻で何度も殴られていたというのに……。
時間というのは本当に美しく、そして悲しい。
それでも……戻ることは出来ない。
正玄は親代わりでもなければここは託児所でもない。
ここは、魔を滅す為の剣士を育てる清嶺館なのだから。
「失礼します」
呼び出しを受け、清嶺館当主、神代正玄の部屋に志紀が訪れる。
生真面目で堅物が服を着て歩くその態度。
相変わらずの様子に、正玄は安堵を覚える。
「うむ」
「それで、御当主様。御用は何でしょうか?」
「うむ。――率直に尋ねよう。次代は、誰が相応しい?」
「それは、私ではなく門下生の声を聴くべきかと」
「――そう、思うのだな?」
鋭く、射貫くような瞳で正玄は尋ねる。
それでも、志紀の返事は変わらなかった。
「はい。私は、そうであるべきと」
「――わかった。下がれ」
志紀は深く頭を下げ、その場を離れる。
重苦しい空気はいつものこと。
だが、今日に限って言えば少し意味合いが変わる。
慈悲をかけた正玄と、それを振り払った志紀という形に……。
「――ままならんものだ」
誰に語るでもなく、正玄は呟いた。
どうして未だに次期当主が決まっていないか。
それは全て、あの日の晩に起きた成れ果て騒動に起因する。
正玄は何があったのか正しく理解している。
成れ果てより志紀は沙夜を守り通した。
それは倒すよりもよほど難しい偉業である。
しかもあの時沙夜は腰を抜かし動けなくなっていたそうだ。
そんな人を抱え生き残ったのだから誇って良いし、なにより父として心の底から感謝を覚えている。
だが……それはあくまで正玄の目で見ての世界。
門下生の見る世界は、違う。
『志紀様が倒せなかった敵を朔矢様が討伐なさった』
それが、今の清嶺館の真実。
最も大きな派閥を持ち、多くの門下生に憧れられ、実力を見せた男。
その朔矢こそが、次期当主に相応しいというのが、現在主流の意見であった。
だからこそ、正玄は志紀に尋ねたのだ。
次代は誰が相応しいと。
己こそがと言うのなら、そうしても良い。
それが正玄の想いであった。
だが、志紀は正玄の気持ちを理解した上で、断った。
あるがまま、なすがまま。
当主の座に拘りはなく、成るべき者が成るのこそが好ましい。
当主であろうと、一門下生であろうと……例えどのような形であれ、己はこの道場に忠義を貫く。
それが、志紀の言い分だった。
全くもって、理解出来る。
同じ立場なら正玄は全く同じ事を思い、同じ行動を取った。
本当に、志紀は自分に良く似ている。
だからこそ、正玄は悩んでいた。
皆が正玄を当主とし認めている。
愚直さと真面目さ、そしてその実力。
誰一人としてそれを否定出来る者はいない。
だが当の正玄は、己が当主として相応しいとは一度も思った事がなかった。
正玄が当主として選ばれたのは、正玄が相応しかったからではない。
当時、正玄が死ぬことさえ出来ないくらい弱かったからである。
いわば消去法だ。
当時敵対していた陰奇術士――。
それが恐ろしく強く、そして悍ましかった。
敵陰気術士の根源たる欲望は『食人』。
それも鍛え抜かれた男を喰らうのが、彼が何を持ってしても叶えたい渇望であった。
その時のことを正玄は語らない。
ただ、一つ言えることがある。
当主として相応しき者は、皆戦いに赴いた。
その陰奇術士と戦うに相応しい実力がなく、その中で比較的マシな者。
それが正玄であった。
消去法による当主任命とはいえ……役目を蔑ろにするようなことはない。
どんな理由があろうとも、受け継いだことに代わりはないのだから。
正玄は当主として、相応しき在り方を心掛けた。
威厳ある態度を覚えた。
相応しき実力を身に着けた。
当時の事を知る者が減った今では、彼が余り物であったなんてにわかには信じないだろう。
亡き先人の為、自分の代わりに散っていった者達の為、正玄はそうなるよう努力を重ねた。
故に――今、彼は苦悩していた。
自分が相応しくないと、自分が誰よりも知っている。
そしておそらく、自分に似た志紀もそうなる。
自分達の気質はあくまで刃金。
どうあっても刀以外には成れない。
志紀は己と異なり、才覚はある。
だが、いやだからこそ、己と同じく一振りの刀であるのが相応しい。
自分と同じ思いをさせたくない。
わかるのだ。
似ているからこそ、彼が当主となればどれだけ苦しむことになるかが……。
自分よりも若き剣士に、死地に赴くよう命じるようなことを彼にさせたくない。
戦う力があれども安易に手を出せず、歯がゆい思いをし続けるような目に遭わせたくない。
それは、己が命を絶つより苦しいことだ。
だが――志紀が後継者足りえるのもまた同時に事実である。
彼以上に相応しき者はいないという意見は正玄も同意だった。
何も特別な事はしていない。
ただ、誰よりも多く修練に励み、誰よりも多く書物から学び、誰よりも多く清嶺直心一刀流に触れている。
天才ではない。
むしろ、天才でないからこそ正しいのだ。
凡人が極めた修練。
それこそが、次代に繋ぐ光。
真なる天賦を生む道標。
正玄は志紀の弟分、朔矢が天才であることを偶然とは思わない。
志紀の元で学んだからこそ、朔矢は花開いた。
それは他の誰でもなく、天才でない志紀にしか出来ないことだった。
だが――。
もう、そのような感情から来る理屈でどうこう出来る状態を通り越している。
力こそが正義。
それが清嶺館の教え。
であるなら――次代は朔矢こそが相応しい。
どちらも正しい。
二人共、正しいのだ。
正しいから、正玄は揺れている。
正当であり、安定。
受け継ぎ、繋ぐ者、志紀。
改革であり、躍進。
強者という正義者である朔矢。
正玄の心情で言えば、七割程志紀に寄っている。
なにせ元々そのつもりであり、そしてそれだけの実績を重ねて来た。
だが、門下生の多くは朔矢を押している。
志紀を選べばおそらく、強い反発があるだろう。
「……そう、か。私は……理由を求めているのか」
世の中には、流れがある。
流れに逆らうことは難しく、時に理不尽な状況でも従わねばならない。
今が、それ。
朔矢を当主にするというのは、流れであった。
だから、理由を欲していた。
志紀を選ぶ、理由が。
なんてことはない。
当主、神代正玄は、藤守志紀に期待している。
この悩みは、ただそれだけのことだった。
だとするならば……尚のこと正玄は志紀を選んではならない。
当主である己が、依怙贔屓など許されることではない。
だから――。
「御当主様。沙夜でございます」
戸の外から、娘の声を耳にする。
当主を決める為、呼び出した三人目の声を――。
「入れ」
「はい。失礼します」
そっと、部屋に入り、そして頭を垂れる。
親と子ではなく、今は当主と次期当主の妻として。
それがわかるから、沙夜は深く頭を下げていた。
「――お前には、苦労をかける」
正玄の言葉に、沙夜は驚くようなそぶりを見せる。
だがすぐ微笑を浮かべ、首を横に振った。
「いいえ。苦労など、とんでもございません。今この瞬間も命を賭け、戦いに赴く剣士の方々がいらっしゃる。彼らの前には、私の苦労などなきも同然です」
強い娘だ――と、正玄は思う。
正玄は沙夜を振り回し、苦しめた自覚がある。
直接明言はしなかったが、志紀を当主とし許嫁と思い共にしろと間接的に伝えた。
そして沙夜はその通りにした。
だから、成れ果て襲撃の際彼女は志紀の元に居た。
それなのに、この有様だ。
だからこそ――彼女にはそれを言う資格がある。
志紀の妻と成りたいと願い、その権利が……。
これは父親としての意見でない。
情や愛着、家族愛でもない。
使命を持つ者としての、正当な権利だ。
未来を繋ぐも最も重要な役目を背負いながら、一切の権力を持たない沙夜の、たった一つの願い。
それを踏みにじるようでは、道場を残す意味がなくなる。
我らは天魔外道たる陰奇術士を打ち倒す為に在る。
故に、日向を歩き正道を進む義務があった。
「――沙夜、答えよ。お主は、誰に嫁ぎたい」
沙夜は、父の心情、当主としての義務、その間の葛藤、全てを理解する。
理解した上で――答えは、微笑だった。
「どなたでも、私は構いません。それが清嶺館を護る道であるのなら、躊躇いなど、ございませんとも」
それは、どこまでも正しい答え。
当主と、次期当主の妻としては満点の回答だろう。
だが、父親としては好ましい解とは言えなかった。
「ですが……」
「ですが?」
「ですがもし……もし、我儘を言うのでしたら――」
「構わぬ。好きに答えよ」
「――沙夜は、朔矢様の元に……」
頬を染め、そう、娘は呟いた。
確かに、そう――。
それは、正玄にとって望みとは正反対の答え。
だが同時に、心のどこかで踏ん切りがついた気がした。
「そう――か。それが叶うとは、断言せぬ。だが、父として、当主として、その気持ち、決して忘れぬと誓おう」
心から、正玄はそう口にした。
「ありがと、ございます……」
泣きそうな声で、感謝を告げる娘の姿。
それは、正玄の気持ちを確たるものとするに十分なものであった。
「変わる時が来たのかもしれないな。この道場が」
小さな声で、そう呟く。
それは父親でも当主でもない、ただ一人の男としての言葉だった。
ありがとうございました。
ストックが溜まるまで、少しのあいだ更新止まります。
カクヨム様の方でストックを溜めてますので、待ちきれない方は是非そちらの方でもお付き合いをば。