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何も考えられず、ただ刃を振るい


 十日以上かけ、人力馬車にて彼らは生まれ故郷である道場の傍まで戻って来た。

 早く早くと思うけれど、自分で馬車を引きたくない朔矢は中で常に偉そうにふんぞり返っていた。


 ようやく……ようやくだ。

 にいさんが清嶺館の当主となり、自分がその補佐に就く。


 そうしてこの清嶺館をにいさんが継ぐに相応しき、完璧な形とする。

 それだけ。

 ただそれだけの為に、随分と回り道をしてきた。


 馬鹿な事に手を染めて、馬鹿を寄せ集めて、そうして今や猿山の大将。

 にいさんに『らしくない』とか言われたが、そんなの誰よりも自分がそう思っている。


 そもそも清嶺館さえが、朔矢にとっての居場所足りえない。

 堅苦しく、綺麗ごとが蔓延って、本音が押し殺される。

 志紀がそうであろうとするから支えているだけであって、朔矢の本質はもっと楽に生きることを望んでいる。


 陰奇術士なんて屑に関わらずにいさんと日がな一日のんべんだらりと生きたい。

 それが叶わないから、しょうがなく朔矢は清嶺館に関わっていた。


 とはいえ、にいさんがいるからそれはそれとして、これまでの日々は楽しかった。

 未来に希望も持てている。


 当主となり、門下生の前で緊張を隠し、必死に偉ぶるにいさん。

 それを横でちょっかいをかけ、叱られ殴られる自分。


 悪くない。


 そんな未来も、決して悪くはないと朔矢は思えた。

 だからまあ、色々と妥協してやろう。

 にいさんの為に、色々と……。


 ズキズキと痛む胸に気付かない様にして、その本音を押し殺して……。

 もうすぐの再会を、朔矢は心待ちにして――。


 急に、馬車が止まった。

「何だ? 何があった?」

「さ、朔矢様!? ひ、ひひ……火が! 清嶺館に……」

 慌て、車体の窓から顔を出しその方角に目を向ける。


 夜だから、それが良く見えた。

 燃え盛る、その炎が。


 朔矢は馬車から飛び出した。

 ぴしりと、何かが割れるような音を耳にする。

 それは、器。


 壊れ、再び生まれた自分の器。

 にいさんに育ててもらった心の器に、罅が入った音だった。




 早く……もっと早く動け。

 誰よりも俊足を誇っていた朔矢だが、今日に限ってはやけに遅く感じていた。


 焦燥感に苛まれ、押しつぶされそうになる。 

 目の前が真っ白になり、足元がぐらつく。


 頼む……頼む……頼む……。

 神にも御仏にも祈らない朔矢は、誰にでもなく祈りを捧げる。

 そうでもしなければ、心がバラバラになりそうだった。


 そうして、朔矢はそこに到着した。

 帰るべき故郷。

 最愛のにいさんがいる場所――。


 清嶺館は燃え盛り、陰の気に包まれ、怒声と悲鳴が入り乱れていた。


 足元に、死体が転がっていた。

 見知った顔ではない。

 だが、それ自体は知っていた。

 おおよそ人とは思えない形相と、青い肌。

 それは死鬼だった。


 さーっと、血の気が引いて行く。

 意識が堕ちそうになる。

 眠り、全てが夢だと思いたい。


 だけど……許されない。

 まだ、まだ可能性がある。

 まだ、にいさんが戦っている可能性が。


 朔矢は耳を頼りに走り出す。

 もし、もしもにいさんが生きているとするならば、必ず一番激しい物音の場所に居る。

 何故ならば、にいさんだから。




 朔矢がここまで恐怖に飲まれているには理由があった。

 それは、志紀という男がどういう性質なのかが示している。


 志紀という男は誰かを護らずにはいられない男である。

 正義感とか理想とか、そんな甘っちょろい夢想をしているわけではない。

 ただ、目の前の犠牲が許せないのだ。


 その為だけに、幼き頃自ら清嶺館に足を踏み入れ、そして誰よりも多くの時間を訓練に捧げている。

 そんなにいさんが、清嶺館を襲われ逃げるわけがない。

 誰よりも前に立ち向かい、最も危険な場所に足を踏み込む。


 だからこそ――この状況で最も先に死ぬ可能性の高いのは――。

「っ! か、考えるな! 大丈夫……大丈夫! にいさんが死ぬ訳がない。にいさんが俺を置いて……」

 必死だった。

 自分に対し言い訳をするのに必死であった。

 それほどまで必死になれなばならぬ程余裕がなくなるほど、朔矢は志紀を知り尽くしていた。


「邪魔だ!」

 襲って来た死鬼は、おそらく、元隊員だった。

 そんな事気にもせず、死鬼を朔矢は斬り伏せる。

 今道を塞ぐなら、生きている人でさえ殺してしまいそうだった。


 そうして最も激しい場所、倒れる死鬼で地面が埋まっているそこに居たのは――当主、神代正玄だった。


 ――くそっ! 外れた!

 そのまま離れようとする朔矢に、正玄は気付いた。


「朔矢よ! 頼む! 奥に行ってくれ! 志紀と――」

 何か続きを言っていたようだが、朔矢の耳には入らなかった。


 指示された奥に、居たのは、巨大な化物だった。

 肌色は夜でも輝く赤で、身の丈五間(約九メートル)を超え、頭頂部には角を持ち、顔は蝦蟇の様に潰れぶつぶつ。

 腕や足は丸太のように太く、胴体は達磨。


 異形の化物の正体を、朔矢は知っている。

 それは『成れ果て』。


 陰奇術士とは己の中に陰気を溜める外道の術である。

 人とは陰と陽、両方が調和することでのみ生を謳歌出来る。

 故に、陰気を宿すことで人としての道徳を失い、理性を失くし、欲望は再現なく巨大化していく。


 それでも、自分の欲望を飼いならしている内には、まだ人でいることが出来る。

 中身はともかく外見は人のまま。

 冥府魔導に堕ち、己が欲の為他者を食い荒らす天魔外道だが、それでもまだ人でいられる。


 だけど、一瞬でも己の欲望に飲み込まれれば、もう二度と人には戻ってこれない。

 外道から更に堕ち、醜い化物に成り果てる。

 目の前の、異形のように。


 とはいえ……それほど大事ではないのだが。

 朔矢はこの状況を怪しんでいた。


 成れ果ては確かに脅威だが、志紀が苦戦する相手ではない。

 すくなくとも、目の前にいる成れ果てくらいなら余裕のはず。


 人の意思を残す陰奇術士と違い、成れ果ては術を使わずただ暴れ回るだけだからだ。


 だけど――志紀はそこに居た。

 成れ果てと対峙し、ボロボロの身体となって。


 何故――。


 そう思ったが、すぐ理由は判明する。


 志紀の背に、沙夜が居た。

 当主の一人娘で、そして志紀の――。


 朔矢の中に怒りに等しい感情が宿る。

 どうして貴様がそこにいる。

 誰を盾にしている。


 だが、朔矢はその感情をすぐに捨てる。

 怒りよりも大切なものが、そこに居るからだ。


 異形は棍棒のような腕を振り上げる。

 志紀はそこから避けるそぶりを見せない。

 いや――避けられないのだ。

 後ろに、■■が居る所為で。


「っ! まに、間に合え!」

 朔矢は叫び、飛び掛かる。


 異形はこちらを全く見ていない。

 なら――。


 振り下ろされる巨腕に合わせ、朔矢は下段から刃を上向きの逆さとする。

 そしてそのまま、斬り上げた。


 真っ向勝負をすれば、確実に力負けする。

 だから、朔矢は敢えて刃を斜めに当てた。


 斬り落とすのではなく、まずは力を反らし、受け流す。

 攻める為ではなく、護る為の業。


 それは朔矢の苦手であったが、それでも今はそんな事がいっていられない。

 ビキビキと、腕が軋む。

 ただでさえ腕力の差は歴然なのに、重力までもが敵をする。


 それでも堪え、堪え――彼の為に、朔矢は命を燃やした。


「やら……せるか! てめぇなんかがにいさんの前に立つんじゃねぇ!」

 朔矢は、剣を振り抜いた。


 力は流れ、異形の身体は傾き、あらぬ方向に腕が振り下ろされる。


 その腕に朔矢は乗り、走りながらさきほど生まれた切り目を正確に通す。

 左腕が切り落とされ、それでも止まらず更に反対の腕も乗り、その腕もを斬り落とした。


 再び剣を逆さに向け、股下から斬り上げながら、朔矢は駆け出し、飛び上がる。

 刃を突き刺したまま、目の前の巨体を壁とし、空に駆け上る。

 胴体からまっすぐ上に傷が伸び、そして頭部を通過。

 それでもまだ止まらず、朔矢は走り抜き、刃と共に異形の背から滑り降りた。


 股下正面から、背面まで一本の線。

 そして異形は、寸分狂わず均等に、真っ二つに分裂した。


 倒れ、崩れ落ちた成れ果ては見るだけで不安に誘う内臓を露見させ、おどろおどろしい陰気を周囲にまき散らす。


 残心を忘れず、とんっと、軽く後ろに跳び陰の気を避ける。

 そうして、朔矢は志紀の元に向かった。


「にいさん! 無事か!?」

 その言葉に、志紀は小さく頷く。

「ああ。助かった、朔矢」

「へへ。良かった。間に合わないかと思った」

「ああ。私もだ。……ふがいない兄で済まないな」

「んなことないさ。にいさんは優し過ぎるんだよ」

 そう言って、朔矢は微笑む。


 嬉しかった。

 嫌な予感が全て外れ、にいさんと再会出来た。

 後ろに余計な奴が居てこちらを見ているが、そんなこと気にしない。


 ただ、生きて会えた。

 それだけで良かった。


 だから――この時はまだ、自分の行動の意味もわからず、自分の考えの浅さにも気づいておらず……。

 そして、後悔もしていなかった。



ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
全速力の救援、間一髪…… でもこの場に戻ってきて成れ果てを討ち取ったってことは……?
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