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まるで身体に一滴ずつ泥が混じるような



 そうして、師範代、師範補助を中心とした特別修練期間が始まった。

 名目はあくまで自己研鑽――だが、誰の目にも、それが後継争いの一環であることは明らかだった。


 ある者は偶然を装い当主の傍にて修行を行い自分の技を見せ、ある者は自分の指導力こそが最も素晴らしいと大勢の門下生に己が技を伝授する。

 そんな状況でも、志紀はいつもと変わらなかった。


 門下生にごく当たり前な指導を行い、誰にも見せず自主練に励み、空いた時間に書物を読み、戦に備える。

 何も特別なことはしなくても良い。

 それで選ばれてこそ、己はその役目を果たすだけの器があるということ。

 選ばれぬようなら、他に適した者を主とし己を一振りの剣とするだけ。

 ただ、それだけの事だった。


「――宜しいのですか?」

 書物を読む志紀に、声をかける姿が。

 そこにいたのは神代沙夜だった。

「沙夜様。このような場所でいったいどうしました?」

 ここは書庫とは言え、彼女が好みそうなものはない。

 無骨な男の持つ軍事書や訓練法ばかり。

 ごくたまに、どこから仕入れたのか色艶本が混ざる事はあるが……尚の事、彼女には適さないだろう。


「貴方様に会いに来ました。志紀様」

「何か私に出来る事があるなら、何なりと」

「いいえ。そうではないです」

 沙夜はくすりと笑い、そう言った。

「では、何故私に?」

「……夫婦となるかもしれぬ方の様子を見る事が、そんなにおかしな事でしょうか?」

 そう呟く彼女の頬は、軽く朱に染まっていた。

「――御冗談を。私など候補の一人に過ぎません」

「ですが、皆そうは思っていないようですか?」

「私自身が、そう思うのです。師範代は皆、優れたものを持っております。私など、きっと力不足でしょう。無論、師範補助となっている人たちも、その資格はあります。当然、選ばれたのならな全力を尽くすつもりでは御座います。ですが、私こそがなどとうぬぼれるつもりはございません」

「そう……ですか。わかりました。お邪魔をしてしまいました。謝罪します」

 そう言ってから、沙夜は深々と頭を下げ、その場を後にする。


「――私は、何とも至らぬ男であろうか」

 志紀は自分を罵倒するよう、小さな声で呟く。

 自分が不器用であるとわかっている。

 無骨で生真面目、鉄面皮。

 そう呼ばれている事も知っている。


 故に当然、女心などわかるはずもない。

 だから……気の利いた言葉をかけられなかった自分に、志紀は怒りを覚えていた。


 彼女――沙夜は別れ際、その表情はどこか、がっかりとしていたようだった。

 彼女を不快にさせぬよう、何一つ偽らずに答えたつもりではあったというのに。


 だから、やっぱり自分にはきっと当主は適さない。

 いや、当主となること以上に、誰かと夫婦になるということが、志紀には恐ろしかった。

 やっとうを振れば何とかなることと違い、こればかりはどうしようもない。

 遊び人である弟分にでも聞けば多少はわかるだろうが……きっと自分は、彼と同じ事は出来ない。

 再び己を罰し、志紀は小さく溜息を吐いた。




 そうして、どこか浮足立った空気が続く修練が数日。

 その裏で、密やかに動き出す者たちもいた。


「志紀様は立派なお方だが……あまりにまっすぐすぎる。遊びがない。あれでは門下生の息も詰まるだろうに。それに……時に策を弄せねば、生き残れぬ事もあるのだよ。特に……当主などという肩書ならばな」

 師範代の一人が、そう呟く。

 彼の名は、館山。

 年若い志紀に嫉妬を抱く中年の武人であった。


 実力が低い訳ではない。

 ただ、高いという訳でもない。

 師範代の中で中の下程度。


 指導が優れているという事もない。

 劣っているという訳でもないが、平凡。


 その代わり、彼には大勢の部下がいた。

 彼には政治力という武器を持っていた。

 そういう方法で師範代に上り詰めた、唯一の男であった。


 館山は、自らの配下の師範補佐たちを集め、ささやかな画策を始める。

 ――表向きは修練での事故。

 だがその実、志紀を傷つけ、失脚させる為の小細工だった。


 大したことをするつもりはない。

 彼の力はこれからの、自分が当主となった後の清嶺館に必要なのだから。


 ただ、偶然訓練で腕の骨を折って、一月二月休んで貰うだけ。

 ただそれだけの事でしかない。


 そんな狡い策に、文句を言う声はなかった。

「このまま奴が師範総代になれば、我らの出る幕もなくなるだろうに……」

「ならば、多少の荒療治も致し方あるまい」

「剣の道は、勝つか、負けるか……彼も良く言っていた言葉だ。文句はなかろう」


 師範補佐たちは顔を見合わせ、不敵に笑う。

 元より、清廉潔白な人間ばかりが道場に集うわけではない。

 中には、己の出世のためならば手段を選ばぬ者もいた。


 そんな中、館山が次なる策とし目をつけたのは――朔矢だった。


 道場の中でも、志紀に次ぐ若き俊才。

 だが、どこか柔和で、油断ならぬ雰囲気を纏った少年。

 実力はあり、人気も高く、真面目であれば志紀と双璧と為すと言われた男。


 同時に、不真面目でやる気のない朔矢だけは、どれだけ重宝しても当主になり得ない。

 味方に引き込めたら、これほど便利な駒はないだろう。


「はいはーい。何の用事ですかー?」

 とても目上の者に呼ばれたとは思えない態度で朔矢は館山の訓練場に入ってくる。

 ガラガラと乱雑に戸を開け、何の返事もないままに入り込む。

 普段なら叱りつけるところだが、今日はそうもいかなかった。

「朔矢殿……お待ちしておりましたぞ」

 館山は部下に人払いをさせ、お茶を用意させてから、まるでゴマをするかのように甘い言葉を囁いた。


「貴方様ほどの才を、このまま志紀様の影に埋もれさせてよいものでしょうか? いいえ、良い訳がありません」

「……へ? 何が言いたいの?」

 朔矢は、にこりと微笑む。

 だがその瞳は、少しも笑っていなかった。

 親しい者なら、すぐにわかっただろう。

 朔矢が、どれほど怒っているかを。


 普段怠け者で、勉学の時間は睡眠時間と同意義の朔矢を賢いと思う者はいないだろう。

 だが、彼は決して馬鹿ではない。

 こちらを舐め腐った館山の目論見くらい、見抜けぬわけがなかった。


 彼の感覚の鋭さは、天性のもの。

 彼は普段、本気で怒られるかどうかのギリギリでいつもふざけている。

 やる気も学ぶ気もないが、地頭自体はまごう事なき天才であった。


「志紀様の影にいても、貴方はただの小者で終わる。だが、もし我らと共に歩むなら……次代の右腕として、いや、いずれは――」

 輩山の言葉に、朔矢は小さく息を吐き、偽りの笑みを浮かべる。

「あーあーはいはいそういう感じねー。なるほどなるほど。うん、言いたい事はわかったよ」

 いかにもな、内通に応じる態度を見せ周囲の空気が緩和する。

 それに反し、朔矢の気持ちはどんどん冷えていった。


(……思ったより、馬鹿が多かったんだな。ここ)


 朔矢は第二の故郷であるこの道場に、軽く落胆を覚える。

 こんな甘言で、にいさんから心が離れると思っているのだろうか。


 いやそもそもそれ以前に、お前のどこににいさんに勝っている部分がある。

 というかだ……お前の場合はにいさんどころか他の師範代にさえ負けているだろう。

 例えにいさんが辞退しても、お前が選ばれることはないわ。


 朔矢の頭の中に無数の罵倒が宿り、流れていく。

 館山のこっちを見る目が『馬鹿な小僧だ』というそれそのもの。 

 悪党やるならせめてもう少し隠せよと突っ込みたくなるのを朔矢は必死で堪えた。


「とは言え、悪いけど《《他にも》》俺を呼ぶ声があるんだ。俺を引き抜きたかったら積める物積んでね」

 そう言って、館山の誘いをあっさり受け流し、朔矢はその場を後にする。

 それを館山は追わなかった。


 別に生意気がガキが欲しい訳じゃない。

 あいつはさっき、他にもと言った。

 それは非常に都合が良い。

 志紀から離れてくれたらそれで十分だからだ。

 それは別に自分である必要もない。

 だから館山の興味は、あっさり朔矢から離れた。

 朔矢の目論見通りに……。




 館山の道場から離れながら、朔矢は己の爪を噛む。

 不味い。

 この流れは不味い。

 思った以上に、ここには馬鹿が多い。


 あまり考えなくないが、馬鹿が館山だけとは思えない。

 悲しい事に、館山は師範代の中ではまだマシな部類である。

 ぶっちゃけもっと下らない馬鹿が大勢いる。


 館山がやらかしている以上、そいつらもやらかさないという保証はどこにもない。

 いや……たぶんもう、やらかしている。

 裏で暗躍ごっこしまくってやがる。

 それを、朔矢が知ろうとしなかっただけで。


 朔矢は本気で馬鹿ばかりだと変な感心を覚えた。


 清嶺館は使命を帯びた一つの集合体である。

 互いに命を預け合い、邪悪と戦い民草を護る。

 その為だけに、存在が許されている。

 だから、その他の戦場には決して駆り出されない。


 戦乱の中であろうとも、他国の民を殺すよう命じられることはない。

 清嶺館が屠るのは、必ず陰奇術を扱う天魔外道のみだ。


 その戦争しないことが許されている特別な武力集団である『清嶺館』の仲間同士で足を引っ張り合う?

 そんなの、虫が自分の手足を喰らっているようなものだ。


 馬鹿過ぎて笑う事も出来ない。


 正直に言えば、清嶺館がどうなろうと朔矢には知った事じゃない。

 潰れようと滅びようと好きにしろと思う。


 だけど……このままでは、にいさんが危ない。


 志紀は愚直で、無骨で、真面目一辺倒。

 あまりにも真っ直ぐで、目が焼かれそうになる。


 きっと、こうした黒い動きを警戒すらしない。

 それ以前に、陰謀を張り巡らせ暗躍している仲間がいる事さえ想像していないだろう。


 志紀の世界は、まっすぐで、無骨で、その振るう剣のように美しい。

 いや……美しい物でなければならない。

 なのに、この道場は腐りかかっている……。

 だったら、どうする?

 どうすれば、にいさんを護れる?

 にいさんが幸せになれる?


 考えて――考えて――考えて――。

 だが、その答えは、最初から一つしかない。

「俺が、やらないと。俺が、にいさんを護らないと。俺だけが……」

 誰にでもなく、そう呟く。

 そう、自分しかいないのだ。


 愚かな馬鹿共から美しいにいさんを護れるのは……。




 その日の夜――朔矢の予想通り、館山の弟子がそこに居た。

 男は武具置き場で何か細工をしている。

 誰の武器かなんてのは、見なくとも理解出来る。

 それは、志紀の物だ。

 激しい力で叩きつけられ、誰よりも消耗の激しい木刀。

 だけど、誰よりも丁寧に手入れがされ、整えられた木刀。

 しかも、その傷には見覚えがあった。


 それには数日前、決闘した時己がつけた傷がついていた。


 それに、男は……切り込みを入れていた。

 途中で、折れるように。


「何を――している?」

 朔矢は、自分でも驚く程冷たい声が出ているのに気づいた。

 そうしなければ殺してしまいそうなほど、目の奥が熱かった。

「違っ……違うんだ! 俺は……!」

 必死に言い訳を始める館山の弟子。

 その姿を見て、やるべき事を朔矢は理解した。


 大切な人の為、自分がやるべき事。

 それは……愚か者共と同じ立ち位置に立つ事だった。


「清嶺館師範代の武器を傷つける。その意味、わかってやってる?」

 微笑みながら、腕を、朔矢は容赦なく極め、力を込めていく。

「わ、悪かった! 謝る! 謝るから――だから――」

 朔矢はにっこりと微笑みながら……ぐっと、その腕を押し込んだ。


 関節稼働の限界を超え、男の腕から、ぱきんと軽い音が響く。

 それと同時に男は絶叫し、地面に崩れ落ちた。

「おや。やり過ぎてしまった。でもまあ、事故だから仕方ないよね」

 朔矢は笑ったまま、すっとその場を立ち去った。

 この現場を見れば、誰でも何があったかわかるように。


 最悪な気分だ。

 謀略を張り巡らせるのも、故意に誰かを傷つけるのも、蹴落とし合うのに交わるのも、何もかもが、最悪。

 それでも、これが一番効率の良い手段でもあった。

 朔矢は、馬鹿がどうして馬鹿をやるのか、理解出来てしまっていた。


 その後、朔矢は『館山の弟子が師範代の武器に細工をしていた』という噂を流した。

 噂は真実であるが故にあっという間に広まり、館山が総代になるという声は、一瞬で消えた。




 さらにまた別の日。

 志紀を闇討ちしようとした師範補佐たちに朔矢は逆に罠を仕掛けた。


「ここに隠れていれば志紀様が通るのだな?」

「うん」

「それを、背後から叩けば一撃で……」

「うん、そだね。通るよ。あんたらを捕まえに」

 にっこりと頷いた朔矢は、事前に仕掛けておいた隠し縄を引く。


 ばたばたと、師範補佐たちは晒し者のように庭先に転がり出た。


 たまたま居合わせた志紀たち師範代に醜態を見られた師範補佐たちは言い逃れできず、悪事が白日の下に晒された。


 もちろん、すべて偶然を装って。




 ――これで、これで良い。にいさんさえ護れたら――俺は……。

 朔矢は、ひとり夜の庭に立ち、月を見上げた。

 ――どれだけ汚れようと、にいさんには関係ない。にいさんという光を護れるのなら、それで。


 胸の奥、ほんの少しだけ冷たくなった自分に気づきながらも、朔矢はそう、自分に言い聞かせた。


ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
うぽつです。 にいさんの為、純真な心のままにして、苦しく汚い謀略の道を進むことも厭わない、ああなんと麗しき愛かな。 沙夜さんもまた、すごくイイというか、稚拙な表現になりますがどストライクです!(歓喜…
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