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交わり散り咲く咎の華  作者: あらまき


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正道を捨てた剣


 陰気とは、陰鬱なる者が招く底知れぬ闇である。

 人を蝕み、穢し、堕とす。

 邪なる気に他ならない。


 その闇を祓い払うものこそが人の内なる輝き……即ち陽気である。

 太陽のごとく煌めき、穏やかで、力強く――人の根源的な力。


 陰気を操る邪悪を滅し、人々を護ることこそ、陽気寮が掲げる大義であり、誇るべき使命である――。

 陽気寮は周囲に対して、そう喧伝してきた。


 だが、それはあくまで陽気寮が自らの正当性を示すための、都合よく作られた欺瞞にすぎない。


 そもそもの話だが、陰と陽に善悪などない。

 邪悪なる光もあれば、正しき闇もある。

 明るき者が必ずしも正義ではなく、暗き者が常に悪意を秘めているとも限らない。


 陰も陽も等しく世界に遍在する、単なる属性に過ぎない。


 仮に、陽が正しく、陰が誤りであるというならば、陰に喩えられる女性は悪であるということになり、必然的にそこから生まれる全ての命が陰であり悪だということになってしまう。

 それは論理として、あまりに稚拙で浅薄と言わざるを得ない。


 そもそも、陰も陽も偏ることはあれど単独で存在出来るものではない。

『陰の中に陽があり、陽の中に陰がある』

 それらは本来、相反しながらも不可分なるもの。


 陰と陽は切り離せぬ一対。

 光輝けば影が生まれ、影ある場所には必ず光あり。

 互いに補い合い、調和を保ってこそ、世界は正しき形で存在する。


 即ち――陰陽おんようである。


「けどなぁ、そのことわりが通じとったんは、陰陽寮が権勢を誇ってた頃までの話や」

 雨隆はいつもの軽妙な口調でそう言いながらも、どこか悔しさと憤りの滲む声音で言葉を継いだ。


「今、そんなん口にしようもんなら、陽気寮どころか《《お上》》からも目ェつけられてまう。……それくらい、陰奇術士って存在は、人の理を壊しすぎたんや」


 そして雨隆は、手のひらをかざしながら、緩やかに語り始めた。


「あとな、本来の『陰気術』と、陰奇術士が使う『陰奇術』――似とるようで全然違うんよ。もっとも、君にその詳細を教える気はないけどね。ちゃんとした術を学ぶには時間も足りへんし、何より下手に教えて君が道を誤ったら……僕が悲しいから」

「悲しい……ですか」

「そうや。ほんまに」


 そこに冗談めいた調子はあるものの、その表情からは偽りの色は伺えなかった。

「とにかくや。ここまでが陰陽と術式の、ざっくりした全体像や。最後にまとめて見せたるわ」


 雨隆が軽く指を振ると、空中に墨のような黒が浮かび上がり、水の如く揺らめきながら文字を形作った。




『陰陽寮術式』

 陰と陽、双方の気を扱う術式。

 陰を用いるが、陰奇術士の術とは本質的に異なる。


『陽気寮術式』

 陰陽寮術式より陽気の術のみを抽出、応用した式。

 対陰奇術士戦に特化して精緻化されている。


『陰奇術』

 陰気を扱う別系統の術。

 一見術式に見えるが、上記二つとは起源、構造共に全くの異物である。




「……まあ、こんなところやな。大した話やないけど、一応は頭に入れといて」

「ひとつ、よろしいですか?」

「なんや?」


「もし、この説明が真であるならば、純粋に術理の幅という意味では――陽気寮より陰陽寮の方が優れている、ということにはなりませんか?」

「ふむ。確かに『できることの広さ』って意味やったら、陰陽寮の方が上やろな。けどな、強さって意味ではまた別の話や」


「それは、陰陽寮の弱体化によることによってですか?」

「ちゃうよ。仮に陰陽寮が全盛期であったとしても、結果は同じ。単純な話や」

 雨隆は指を一本立てる。

「陰陽寮いうのは、災厄を退けたり、占術で国を支えたりする『民の守り手』や。けど、陽気寮は陰奇術士を討つためだけに創られた『殺し手』や。……さて、どちらがつよなると思う?」

「――なるほど。つまり陰陽寮の技術のうち、陰奇術士を屠る術だけを抽出し、徹底的に鍛え上げたのが陽気寮ということですね」

「まあ、その理解で大体は間違ってへんよ。他に聞きたいことある?」

「特には……いえ、やはり一つだけ。なぜ、私にこれほどの知識を与えてくださるのですか?」


「良い質問やなあ。それは――」

「……それは?」


 志紀が身を乗り出すと、雨隆は一拍置き、柔らかく、しかしどこか悪戯っぽく微笑んだ。

「――明日にしよか。夜更かしは、美貌の敵やからな」

 冗談めかした言葉ではあったが、どうやら本気で話すつもりはないらしい。


 志紀は呆れ顔で雨隆を見るが、実際既に夜が更けているのも事実である。

 ついでに言えば問答をするのも馬鹿らしいと思う程度には疲れてもいたので、志紀は素直にその言に従い、蝋燭の火を消した――。




 かつて、雨隆が志紀に語った言葉がある。

 あれに、偽りはなかった。

『志紀が術士となることは、叶わぬ』

 たとえ志紀に稀有な才があったとしても、それだけでは術士にはなれない。

 幼き頃より研鑽することのみが、術士となる道。

 その事実は動かしようもなかった。


 だが、術士にするのではなく、ただ志紀を『強くする』ことだけを目的とするのであれば、雨隆には幾ばくかの心当たりがあった。


 ――剣士としての基盤を活かしつつ、簡易な術を《《一つ》》のみ仕込む。

 それならば志紀が積み重ねてきた経験を無駄にせず、なおかつ実力を引き上げることができる。


 そもそも、道場というものは陽気寮の下部組織に等しく、多くの流派において既に陽気の術が剣術の中に組み込まれている。

 陰気を操る敵を滅ぼすために、最も効率よく作用する『陽気』が――。


 故に、『生かす』こと、そして『伸ばす』ことだけであれば、それほど困難な話ではなかった。


 ただし、一つだけ問題がある。

 志紀に、いかなる術を教えるか、という点だ。


 《《簡単な術》》と口にするのは容易い。

 だが、実際にはそのような都合の良い術など存在しない。

 もし、習得が容易でかつ効果的な力があり、実戦投入が容易いなんて術式があるならば、陽気寮は今頃国家内最大規模の巨大組織となっており、すべての道場がその術を既に取り入れている。


 術を繰り出す以前の問題として、陰気・陽気のいずれか一方を単独で制御するという行為自体が、極めて高度な難度を伴う。

 人とは陰と陽、双方の気を併せ持つ存在である。

 その片方のみを抽出し、扱うなどという器用な真似が、そう簡単にできるはずがない。


 だからこそ、志紀にはあらかじめ教えておかねばならなかったのだ。

 昨日語った、事前の基礎知識を――。


「というわけで、僕が君に教えようと思っているのは『簡易的かつ初歩な術』や。具体的に言えば『陰と陽を分けずに使う術』となるな。これなら、今の君でも短期間で習出来る可能性があるし、実戦でも十分に役立つと思う。さて――この術には、どのような問題があるでしょうか?」

「……陰気も共に扱うとなると、陽気寮の術ではない。なら、陰気を避ける陽気寮の方針に反するのでは……」

「正解や。もっと正しく言うなら国の方針に反するやな。だからこそ、これは皆に内緒にしなあかん。君だけじゃなく、僕まで腹を切る羽目になるかもしれんからな? ……教えるのを止めておこうか?」

「いえ。お願いします。それで強くなれるのなら……」

「相変わらず、覚悟が過ぎるなあ。まあ、ええわ。教えたるよ。陰陽を統合して扱う、初歩中の初歩の術――とはいえ、君ならそれを活かすことができるはずや」

「なぜ、私であれば扱えるなどと?」

「単純な話や。これは《《強化術》》やからな。非力な術士より、力自慢の剣士にこそ向いとる。強い肉体があればこそ、強化も映える」


 雨隆はにこやかにそう告げた。


 とはいえ、理由はそれだけではない。

 術士が操る陰気と陽気とは、つまるところ『人の感情』から生じる力である。

 そしてその感情の振れ幅――陰も陽も、志紀は非常に高い値を示していた。


 すなわちそれは、志紀の心が常人よりも遥かに豊かであることの証左でもあった。


 だからこそ、雨隆は彼を『熱き人』と評したのだ。

 どれほどの困難や絶望に直面しようとも、闇に呑まれることなく、自らの中の闇と向き合い、なおも光を求め続ける強さ。

 正義と愛の名の下に、命を賭してでも前へ進もうとする強靭な意志。


 故に――その魂が力と結びついた時、きっと大きな変化を齎すだろう。

 雨隆は、そう確信していた。


「さて……実際に教えるのはええんやけど、実は術の候補が三つ程あるんよ。どれが良い?」

「私が選んでも?」

「僕は剣士やないから、どの術が君に向いとるかなんてのもわからへん。だから君が選んでくれな困るくらいよ」

 そう言って、雨隆は三つの選択肢を示した。


「一つ目は、『身体強化』。己の気を使って肉体能力を底上げする、最も地味で、最も汎用性の高い術やな」

「具体的には?」

「ほんまにそのまま。俊敏性や瞬発力が上がって、筋肉の質も向上する。簡単に言えば、発動中常時全体的な筋肉の底上げや」


「……確かに、有用ですね」

 単純な身体能力が向上するということは、それだけで多くの戦闘が優位になる。

 御当主に匹敵する肉体――それは一つの武器となる。

 だが、それだけで朔矢と対峙できるかと問われれば、いささか心許ない。


「二つ目は、『斬撃強化』。攻撃の瞬間、斬撃の速度と威力が上がる術や。ついでに、陰奇術士に対して特に有効になるよう調整もされとる」

「つまり、剣を強くするのですか?」

「ちゃうちゃう、斬撃や。つまり『殺傷力』の強化。剣自体の耐久は変わらへんし、斬る時の一瞬で発動させな意味もない。常時発動を維持も出来へん。無意識の斬撃には乗らんっちゅーことやから、ちゃんと意識して使わなあかんね」

「使いどころを選ぶのですね……けれど、威力は確かに魅力的です」

「やろ? 前のが全体の底上げならこっちは瞬間の強化や」


「んで三つ目は、『防御術』。身体を一時的に硬化させる術。地味やけど、便利やと思うで」

「剣を弾けるくらいですか?」

「うん。普通の剣士の一撃くらいなら余裕や」

「……ですが、陰奇術士と化した朔矢の一撃には……」

「ま、無理やろな。皮膚が鉄になった程度で、どうにかなる相手やないし」

「……意味ありますか?」

「僕にはわからへんけど、正直微妙な気はしてた」

「つまり、実質的には二択ですね」

「せやな。さあ、どっちにする?」


 志紀は、即答することができなかった。




 季節が一巡した。


 おおよそ十一か月――志紀は、その間ひたすらに己を磨き続けた。

 雨隆より術式を学び、同時に各道場に伝わる剣術の記録を読み漁った。


 清嶺直心一刀流では勝てぬと悟ったが故に、他流の剣術にも手を伸ばし、片端から習得に努めた。


 脳裏には常に、朔矢の剣が鮮明に刻まれている。

 当主との戦いのあの美しくも未来のある刃は、どれだけ時間が経っても色あせることはなかった。

 どうすればそれを破れるか。どうすれば、あの弟を殺せるか。


 今日まで、そしてこれからも考えるのは、ただその一点のみ。

 ただ、不思議なことにその過程は苦痛ではなかった。

 最愛の弟を討つ覚悟のはずであったのに、何故か。


 朔矢の剣は、偉大であり、優れており、そして何より完成されていた。

 加えて、陰奇術士という存在は、常人を超えて成長する。

 かつての肉体的限界を前提にしてはならない。

 朔矢のことであれば、完成された剣をさらに高みへと導いていると見るのが自然であろう。


 それでも尚、殺すと決めた。


 その覚悟のみを支えに、十一か月、死に物狂いで生き抜いた。


 無数の剣術より、朔矢に対し有効だろうと判断した技術のみを選び、技を身体にしみこませ、習得し続けた。

 清嶺直心一刀流を礎としつつも、弟を殺すための剣技と知識のみを積み重ねていった。


 眠る時も、目覚めても、ただ殺すことだけを考え続けた。

 にわか仕込みの剣術を寄せ集め、即興的に混ぜ合わせ、己が血肉とした。


 正当に学んだ清嶺直心一刀流が、その身を削られ、無数の蛇足が付け足された。

 もはや、志紀の剣は『我流』という言葉ですら生ぬるい。

 見苦しく、醜く、下らなく、使い道も限られ、そして相伝する価値もなし。

 かつては真っ直ぐで、誠実で、美しかったはずのその剣は、今や見る影もない。

 常軌も道理を逸した、ただ一人を殺すためだけの剣。

 言うならばそれは――『邪道の剣』であった。


 志紀自身、己が剣の歪みには気付いている。

 それでも、後悔は一切なかった。

 弟が穢れ、堕ちたのである。

 ならば、自身の剣が醜くなったところで気にする時間さえも惜しい。


 それに、ただ一人を屠る為だけの邪道の剣と化しても尚、瞼の裏に宿る弟に届いていないことを、志紀は自覚していた。




 ある日の早朝――。

 いつものように、志紀は雨隆との訓練前に正座し、精神を統一していた。


 感情を制御し、沈静させたうえで発露する。

 それこそが、志紀の術を強めるための修行であった。


「……気づけば、随分と《《男前》》になったもんやねぇ」


 雨隆の軽口は、誉め言葉というよりむしろ、皮肉に近い響きを持っていた。


 おおよそ一年前に比べ、志紀の肉体は一回り大きくなり、筋肉も著しく発達している。

 同時に、その身体には大小無数の傷が刻まれていた。


 そしてその傷は、端正であった顔にも残されてしまう。

 顔に傷を作り、眉間に皺の入った険しい表情で。

 それは真面目で堅物という印象を壊すに十分な変化。

 だから、志紀の印象は大分と変わってしまっていた。

 また傷の一つは、わずかにでもずれていれば視力を失っていたであろう危うい位置にあった。

 そんな綱渡りな日々を、志紀は今日まで重ねて来た。


 この一年弱の間、志紀が何をしていたかといえば――陰奇術士を狩り続けていた。


 その数、二十八。

 剣士としては、これまでで最多の討伐数であり、陽気寮術士と比較しても、一年以内でこれ程の数を成し遂げた者は存在しない。


 無謀と言っても差し支えのない行いであり、途中から雨隆は再三にわたり制止を試みた。

 それでも、志紀は陰奇術士討伐を止めなかった。


 それは、正義のためではない。

 来たる決戦に備え、陰奇術士との戦いの経験を積む――ただ、それだけであった。


「これだけ良い男になったんや。そらもう、引く手あまたやろなぁ」


 くだらない軽口に、志紀は思わず苦笑を漏らす。

 それほどまでに気安く言葉を交わせる仲になったという、ささやかな実感もあった。


「雨隆殿ほどでは」

「はいはい、ありがとさん。――して、今日の《《ご注文》》は?」


 訓練の強度を問う、雨隆の常の言い回しに、志紀は端的に答えた。

「――全力で」

 雨隆の身体がぴくりと反応する。

 この言葉は、訓練の終焉を意味していた。


 朔矢との約束の刻限まで、残り一月を切っている。

 訓練を終える時機にあることは、理の上では正しい。


 それでも、雨隆の胸には、何故か割り切れぬ想いが残っていた。

 納得したくない、そんな衝動に駆られていた。


 だからこそ――条件を一つ、提示した。


「全力の僕に、勝てたら行ってよし」

 それが、雨隆の出した、最後の『試験』であった。


ありがとうございました。

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