三番目の指令
陰奇術士・慙鬼の討伐から数刻という時間が経過する。
志紀は後に現れた雨隆に対し、何と声をかけるべきか思案していた。
そして、ようやく絞り出したのは――
「……忝い」
その一言だけだった。
「別にええよ。僕かて、一応は人間や。思うところはある。さすがに、これをそのまま放置ってのはまあ、目覚めが悪すぎや」
雨隆はそう応じ、いつも通りの胡散臭い笑みを浮かべてみせた。
その背後では、複数の土人形が野ざらしとなった遺骸を慎重に運搬していた。
遺体が崩れぬよう、周囲の泥ごとすくい上げ、道場跡の一隅に掘られた大穴へ、静かに並べて弔っていく。
その傍らには、慙鬼が握っていた刀も添えられていた。
本来であれば、それは志紀自身が行おうとしていたことであった。
かつての同志、道場仲間として、生前を知る者として……せめてその最期を手向けるつもりでいた。
だが、雨隆がそれを制し、土人形にその役を任せた。
陰気の影響により腐敗の進行こそ遅れていたが、それでも数ヶ月間放置された遺体である。
人の手で直接触れるには、あまりにも穢れが強すぎた。
「……同時にこれだけを動かせるのですね」
志紀はふと、そんな言葉を口にした。
訓練の折、雨隆が使役していたのは一体のみであったため、志紀は勝手にそれが限界だと思い込んでいた。
だが、今目に見えるだけでも五体。しかもそれぞれ別個に動作している。
それにもかかわらず、雨隆にはいささかの疲労も集中する様子も見受けられなかった。
「なかなか器用やろ?」
「……私との鍛錬の際には、相当な手加減をさせてしまっていたようですね」
「おや、もしかして拗ねてる?」
「いえそういうわけでは」
若干早口になったことに雨隆は気付いたが触れず、変わりにいつもの腹立たしいにやけ面を見せた。
「そか。……ま、確かに手は抜いてたよ? けど、馬鹿にしたわけではない。君は強いよ。僕が期待するくらいには」
「……応えられるよう、努力いたします」
雨隆はくくっと、喉の奥で小さく笑った。
「ま、それはまた追々や。さて、君は僕の頼みを聞いてくれた。力を見せてくれた。なら、次は僕が約束果たす番やね」
「……ありがたいのですが、その話は戻ってからで良いでしょうか?」
志紀はそう返しながら、再び土人形たちの方へと視線を向けた。
正確には、土人形が静かに運んでいく、かつての仲間たちの亡骸を。
今はただ、弔いに意識を集中したかった。
「さて……何から話そかねぇ」
深夜。わずかな蝋燭の灯だけが揺れる道場内で、雨隆は相も変わらぬな笑みを浮かべたまま呟く。
「私に全面的な協力を――とのことでしたが……悩む程話すことが?」
「あるよ。話せなかったこと、話さない方が良いと判断したこと、言わずともまあ良いかなと思ったこと――いろいろね。じゃ、まずは《《僕にとって》》重要な話から始めよか」
志紀は正座のまま、静かに言葉の続きを待つ。
「今回、僕が陽気寮から受けた指令は大きく三つ」
雨隆は人差し指を立てた。
「一つは『君が陰奇術士と戦う手助けをすること』。これは、君のためというより陽気寮の腰が引けたからやね」
――陰奇術士となった朔矢が、志紀との決闘を望んでいる。
叶うのなら、その対価として無辜の民を一年の間襲わない。
その旨を朔矢は、陽気寮の方にもわざわざ文にて伝えていた。
しかし、陽気寮はそれを一蹴する。
『陰奇術士の言など誰が信じるか』とばかりに、追手を放った。
いや、それは疑う・信じる以前の問題。
我らに指図するとは生意気な……という、ただの傲慢に過ぎなかった。
結果、優れた術士三名が殉職。
慌てた陽気寮は意見を一転させ、朔矢の『約束』を呑む姿勢を示した。
こちらは貴様の討伐など容易いことだが、無辜の犠牲を好まないから、しょうがなく受けてやる……と、あくまで上から目線で。
――己らが裏切っておいて、『仕方なく、お前の言葉を信じてやろう』と言わんばかりの、傲慢極まりない態度。
それでも朔矢は約束を守り、追手のような好戦的な一部を除き、誰も殺してはいなかった。
そう語った後、雨隆は二本目の指を立てる。
「二つ目は『君が敗北した後の引き継ぎ』。ぶっちゃけ陽気寮は、君が勝てるとはぜーんぜん思ってへん。剣士ごときが、術士を屠った陰奇術士を相手取れるわけがない……ってね」
「まあ、そうでしょう。雨隆殿の実力を見るに、私など未熟さを痛感するばかりです」
「あー、やっぱり拗ねてる? 一体しか使わなかった件で」
「いえそのようなことは」
「そ、そう……。ま、それはともかくとして。僕の任務の本命は、君が破れた時の対応や。つまり、彼を倒すのはもちろんのこと、弱点を探る、実力の上限を見極める――そういう情報収集も僕の目的やったんよ」
雨隆は悪びれることなく、にこやかにそう語る。
つまり、雨隆の使命では討伐は手段の一つであり、それに固執する必要はなかった。
志紀が敗れる未来を前提とし、その戦いを観察・記録するだけでも一応は任務達成となる。
志紀にとっては敗北すると決めつけられるなんて不愉快な話ではあったが、都合の良い形であるのに間違いはない。
ここまでは……志紀も事前に知らされていた範囲である。
だから、ここから――。
雨隆は、三本目の指をゆっくりと立てる。
それは――口にしただけで陽気寮への裏切りとなる、本物の機密であった。
「三つ目。もしもの時は、《《君を殺す》》こと。それが、僕が君の元に派遣された本当の理由や」
「……その、『もしも』とは?」
「君が陰奇術士と成り果てた彼と出会って、どれくらい経ったかな?」
「……一月と少しです」
「そう。それだけの時間しか経っていないんよ。だというのに君……随分と肩の調子、良さそうやね」
雨隆の口調には、どこか皮肉が滲んでいた。
「肩……ですか。それは、刀傷のことを?」
志紀は無意識に、その傷跡に触れた。
信じていた弟に触れられ、抉られたその傷跡に――。
「せや。たった一月やで。それで傷が完全に塞がって、痛みも残らず、後遺症すら皆無。……それって、本当に普通やと思う?」
「確かに早いとは思いますが……それほど不自然でしょうか」
「うんうん。実際そうなったんやから大したことないって思うんもしゃーないことやな。でも、ちょいと考えてみて。陽気寮は、内政的にはろくでもないことばかりしよるが、一応は最上級の護国組織や。その陽気寮が、わざわざ人殺しを命じる? しかも、僕みたいな高等術士をわざわざ派遣してまで」
「……つまり、私はこの国にとって死ぬべき存在なのですか」
「違う。『死ぬべき《《かも》》しれない』存在や。だからこそ、ここではっきりさせよとおもてな」
「……どうすれば」
志紀の中に、小さくない焦りが生まれる。
己の身が人のためにならぬというのなら、自害することも吝かではない。
だが、少しだけ待って欲しい。
一つだけ、やり残したことが残っている。
弟の後始末をするという、たった一つだけの未練が。
不安を押し殺し、雨隆を見つめる志紀。
そんな志紀に対し彼は……。
「――じゃ、脱いでくれる?」
「……は?」
「服を、脱いで」
いつもと変わらぬ、狐のような目の微笑み。
だがその瞬間、志紀は背筋に微かな圧を感じていた。
志紀にだって、羞恥心はある。
今回の場合はついでに妙な危機感さえも感じ、正直剣を抜くべきかとさえ悩んだ。
それでも志紀は圧に押され、上半身を晒すこととなる。
何とも言えぬ妙な緊張と、僅かな抵抗感が身体を走る。
別段、他人の前で肌を見せたことがないというわけではなく、普段ならその程度気にも留めないだろう。
道場の集団生活においてそのようなこと気にする余裕などない。
他の門下生と風呂を共にしたことだってある。
だけど、それとは訳が違う。
二人きりという状況。薄暗い室内。
その上、あの細めた眼からわずかに覗く瞳がすぐ目の前にある――その距離感が、奇妙な緊張感を生じさせていた。
「……もうええで。恥ずかしい思いをさせてすまんな」
雨隆は軽口めかしてそう言いながら、志紀から一歩身を引いた。
衣を身にまとい直しながら、志紀は問う。
「何か……わかりましたか?」
「ま、結論から言えば、良い知らせと悪い知らせが一つずつやな。少々込み入った話になるが、聞く用意はあるか?」
志紀は頷き、雨隆に正対するよう正座し直す。
「まず良い方から言っとこうか。現時点では――君を殺す必要はない。その旨は陽気寮にも報告しておくから君が今後狙われることはなくなるね」
「その判断の根拠は?」
「それが悪い方の話、つまりこれから説明する内容やな。まずは陰気について整理しておこか」
陰気とは、その字の通り『陰の気』。
憎悪、苦悩、怒りなど、負の感情を由来とするものであり、それらを増幅させる性質を持つ。
だが、それは決して特異で悪しき力ではない。
陽気と同様、人の身に本来備わっている自然なものである。
本来、陰と陽は相反する概念であると同時に、自然界の万象に遍在し、均衡を保つものとされていた。
その均衡を狂わせ利用するのが、陰奇術士の頭目たちである。
彼らが扱う陰気は、質量共に常軌を逸している。
その気に触れれば、ただ命を絶たれるだけでは済まない。
むしろ、素直に死ねるならばまだ幸いだろう。
死してなお、生者のまま動き続ける屍となる可能性すらあるのだから。
「とまあ、陰奇術士の陰気というのはそれほど特殊で危険な代物ってわけやな。ただな、本来、他人の《《気》》ってもんは、長くは残らんのよ。時間が経てば、あっという間に散る。言い換えれば、即効性だけの毒みたいなもんや。致命傷にはなり得るけど、長くは影響しない」
「なるほど。……勉強になります」
志紀は、心からそう思っていた。
陰気と陽気――言葉としては耳慣れていても、その本質を学ぶ機会は限られていた。
敵の最大の武器であるにもかかわらず、その性質を知ることが許されない。
理由は単純だ。
陰気の理を知れば、陰奇術士となる素地ができてしまう。
それゆえ、今この場で雨隆が語る内容は、志紀にとって極めて貴重な話であり、値千金にも等しい意味を持っていた。
「さて……まあ、これは直接見てもらった方が早いやろな。ということで。きゅうきゅうにょりつりょーっと」
気の抜けた呪文を口にすると、雨隆はぺたりと志紀の額に一枚の札を貼りつける。
札は『災い転じて福となると良いよね』という、軽妙な文句と、何故か猫の絵が添えられていた。
「ほな、鏡を見てきてみ。僕の言いたいことが、すぐにわかると思うわ」
雨隆の笑みを一瞥した後、志紀は道場の隅に置かれた姿見へと歩を進めた。
そして、鏡に映った己の姿を見て、思わず息を呑む。
――全身に、無数の黒い亀裂が走っていた。
「これは……」
それは、切り傷のようでもあり、裂け目のようにも見えた。
「君の体に残っとる陰気やね。……ま、それ自体は大した問題やない。苦労の証でもあるし、人生の痕でもある。誰しも持つもので、放っておいても害にはならへん。問題は、そこや。左肩を見てみ」
言われて改めて見下ろせば、左肩――かつて朔矢に刺された箇所を中心に、真っ黒な染みが大きく広がっていた。
「これは……っ!?」
「全くもって常識外れや。普通、陰奇術士の陰気であっても、数日もすれば薄れていく。けど君のそれ、どうや? 薄なっとるか?」
「……いえ、強い黒。これは薄くなったようには……」
「やろ? だから異常なんや。これが、陽気寮が君を『殺すべきかどうか』判断しかねた理由ってわけや」
「つまり私は……朔矢の陰気に呑まれ、魔に堕ちつつあるのですか?」
己が死鬼に成り果てようとしている。
もしくは成れ果てのような化外に。
であるなら、雨隆の言も納得出来ようものだ。
それは殺す理由には、十分過ぎる。
だが、そうではなかった。
「それなら、まだ話は簡単やった。そうじゃないから、厄介なんや。……君はその陰気を完全に《《馴染ませとる》》。他者の陰気をまるで共存するかのように自分の一部として取り込み、利用しとるんよ。まるで陰奇術士みたいにな」
理由は、わからない。
本来、陰奇術士になるためには厳密な知識と儀式が必要であり、時には生贄さえ必要とする。
己の内に陰気を蓄え、制御するためには相応の覚悟と代償が求められるはずだった。
だが志紀は、何の準備も学びもなく、それを《《得て》》しまっていた。
「端的に言うなら……君、陰気を扱う才があるんや。それも、天才とか天稟とか、そういう言葉でも足りへんくらいの」
だからこそ、陽気寮は『殺せ』と判断した。
この男が陰奇術士に堕ちれば、一体どんな災厄をもたらすのか――予測すらできなかった。
「では何故、雨隆殿は私を殺さぬと決めたのです? このような……危険な存在を」
「危険やないと判断したからやけど?」
「何故、そう断じられるのですか?」
「君は『扱う才』はあるけど、弟君と違って『堕ちる才』は持ってへん。それにな、君には陽気の才もある。やから、君の身体は陰と陽、その双方に均衡が取れてるんや。……見た目にはそう見えんかもしれんけど、君、案外《《熱い》》男なんやね」
どうしてそんな結論に至るのか、志紀には理解できなかった。
だがその時、雨隆の横顔には、いつもの飄々とした笑みではなく――どこか、慈しみを湛えた静かな表情が浮かんでいた。
ありがとうございました。




