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交わり散り咲く咎の華  作者: あらまき


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信頼の対価(後編)

 蓮生無明塾は、清嶺館のように剛剣を主とする剣ではない。

 かといって、速さに軸を置いた剣であるわけでもない。

 速剣は人を殺すのに長けていても、陰奇術士のような超常なる者には無力であるからだ。


 ただひたすらまっすぐ剣と向き合い、一刀を極めんとする清嶺の剣と比較すれば、その在り様はいささか『邪道』と言わざるを得ない。


 が、それは決して弱さでもなければ邪悪でもない。

 ただ、求められる資質が異なるというだけのことに過ぎなかった。


 むしろ、異なる資質を求めているゆえにこそ清嶺館と蓮生無明塾は長きにわたり、友好を保つことができた。


 互いに求める資質が異なるからこそ、競合することなく補い合い、研鑽し合えた。

 互いの道場に適さぬが才能ある門下生を融通し合い、育てることもできた。


 正反対の気質ゆえにこそ、荒々しい者の集まりである剣術道場にあっても、両派は良好な関係を築いてきたのである。


 蓮生無明塾の剣を端的に言えば、『技巧剣』となるだろう。

 人ならぬ化生に力で対抗しようとすれば、それ相応の素質と才覚が求められる。

 剣の才覚に頼れば、その行き着く先は自然と先細る。

 一部の超常なる者しか、邪悪に立ち向かうことは叶わない。


 では……才覚なき者に、戦う資格はないというのか。


 ――否。

 力なくとも、才なくとも、命を奪うことは叶う。

 ただ一閃、正確に急所を穿てば。


 それこそが、蓮生無明塾の根本理念であった。


 具体的に言えば、蓮生無明塾は二つの競り合いに特化している。

 すなわち――『先の先』と『後の先』である。

 前者は、隙を誘い油断を作って先制の一撃を見舞う術。

 後者は、相手の攻撃を誘発し、それを返し刃で屠る術。


 ほかにも様々な応用はあるが、急所を狙い最小限の力で致命を奪うという思想のもと、この二系統の間合いが重視されるのは当然の帰結であった。


 敵としてそれを迎えた今、志紀はまざまざと思い知らされる。

 無明塾の剣は、他流派以上に熾烈な駆け引きが要求された。

 剣を操る才よりも駆け引きの才を優先して求めたのだから当然と言えば当然だろう。


 相手の心理を読み、逆手に取る知略――それこそが無明塾の在り方。

 そしてそれは、志紀があまり得意とするものではなかった。


 ふっと、慙鬼の姿が陽炎のように揺らめいて消える。

 刹那、志紀の正面に現れた慙鬼は鋭い刺突を繰り出してきた。


 志紀は一歩、あえて前へと踏み出す。

 後退すれば、相手に次の手を許してしまうと即座に見切り、鍔で突きを強引に弾きつつ斬撃を振るった。


 その一閃は相手の脇腹を確かに捉える。

 だが密着距離ゆえに切断には至らず、斬撃というより打撃として相手を吹き飛ばすにとどまった。


 一歩下がり、正眼の構えのまま相手が起き上がるのを、志紀は待つ。

「……妙だな」

 ふと、志紀は自然と声を漏らす。


 この状況に、強い違和感があった。


 慙鬼の隙を穿つ剣は、明らかに無明塾の教えをなぞっている。

 だが同時に、最も肝要であるはずの『駆け引き』を一切継承していない。


 蓮生無明塾の極意とは、ただの剣技にあらず。

 相手の内心を読み、その意図を見抜き、行動を先んじる――その鋭敏な観察眼こそが核心である。

 だが今の慙鬼に、その駆け引きの気配は皆無。

 ただ技を繰り出すだけのそれは、覚えたての技を自慢する幼子のようであった。


 とはいえ、それは当然のことでもある。

 慙鬼は世界を正しく認識できていない。

 彼が動いているのは、良くも悪くも生前行った行動の繰り返し……つまるところの『惰性』である。


 ――だからこそ、おかしかった。

 今の慚鬼は、あまりにも弱すぎる。


 この程度の剣で、どうして陽気寮の術士を返り討ちにできたのか。

 志紀が報告を受けた内容と、目の前の実力とがまるで釣り合っていない。

 これでは術士どころかうちの道場の師範代でさえ倒すことは容易だろう。


 つまり――何かがあるということだ。

 この男には、まだ見せていない何かが。


 熟考する間もなく、慙鬼は起き上がりと共に飛びかかってきた。

 それはこれまでとは打って変わり、理のある技ではなく、獣のような本能に任せた暴力だった。


 振り下ろされる刃に対し、志紀は即座に刀を構えて迎え撃とうとする。

 が、刹那――死の気配が走った。


 理由はわからない。

 だが、このまま防げば確実に命を落とす……そんな直感に志紀は支配されていた。


 だが同時に、防がねばならぬと経験は告げている。

 この速度、この重さ、そして間合い。

 避けきれぬ一撃であればこそ、防がねば即死必至――そのはずだ。


 それを本能は否定する。

『避けろ、防ぐな。斬られるぞ』と。


 本能と経験。

 相反する感覚が胸中で激しく衝突する。


 ――だが、志紀はそのいずれにも従わなかった。


 本能に任せて生きるには、志紀は理性を持ちすぎていた。

 経験に絶対の信を置くには、彼はあまりに慎重だった。


 今の志紀は、自分以上にこの世に信用ならぬ者はいないと知っている。

 自分が皆の言う頼れる者であったのなら、当主は今もあの場にいて、弟は輝かしい未来を迎えていたのだから。


 ゆえに、志紀は己の感性全てを疑いながら感覚を研ぎ澄ませ――そして、察知する。


 志紀が何もない背後に構え直した、まさにその瞬間であった。

 一際大きな剣戟の音が鳴り響いたのは。




 背後の見えぬ斬撃を防いだ後に慙鬼を蹴り飛ばし、志紀は先刻の異常について思考を巡らせていた。

 確かに正面から放たれたはずの斬撃が、背後より襲い掛かってきた。


 一体、いかような理屈で起きる現象なのか――。

 かつての自分であれば、きっとそう考え込んでいただろう。


 だが、志紀には既に見覚えがあった。

 あれと似た『魔技』を、一度だけ見たことがある。

 弟が当主を凌駕せしめんと放った、二度の斬撃を同時に放つあの不可思議な技。


 それには及ばぬが、慙鬼が用いた技もまた、同種の魔技であると志紀は見抜く。

 そしてその見立ては、正しく的を射ていた。


 人でもなく、魔でもない。何者にもなれぬ曖昧な存在。

 剣士でありながら、もはや剣士としての理さえ持たぬ、哀れな存在。

 その不完全な変質ゆえに、彼は歪んでしまった才能を歪な形で発揮していたのである。


 それは――斬撃の位置を任意に《《移動》》させる、物理法則の一端を捻じ曲げる異能。

 魔剣|《心要らず》。

 それは、剣士の理想である『躱せぬ刃』に限りなく近い性質を持つ、極めて危険な斬撃であった。


 慙鬼が刀を振るうたびに、志紀の表情はますます険しさを帯びる。

 無理もない。

 見えている刃と、実際に襲いかかる斬撃の位置とが、まるで噛み合っていないのだ。

 一撃を防ぐたびに、おろし金でこすられるかのように神経が摩耗する。


 斬撃は左右、背後、上下を問わず自在に現れる。

 これがもし相手が通常の剣士であれば、目線や構えから次の一手を読むことも可能だったろう。

 しかし、幸か不幸か今の慙鬼には思考がない。

 目の焦点も曖昧で、殺気すら発していない。

 そのため、行動の予測は一切通じなかった。


 それでもなお志紀が戦線を維持できているのは、積み重ねてきた経験と、無明塾の剣に対する知識、そして並外れた直感と反射神経によるものであった。

 だが、それが長くは続かないことも、誰よりも志紀自身が理解していた。


 一撃一撃が、不可避かつ予測不能。

 紙一重の回避を繰り返す中で、精神への負担は確実に蓄積していく。


 斬撃を躱し、受け流す志紀の姿は、どこか舞うがごとく優雅ですらあった。

 だが、それは無数の死地を、寸前で躱しているがゆえの舞だった。

 志紀が察知できるのは、斬撃が放たれるその《《瞬間》》のみ。

 斬撃は慙鬼の刀の動きと完全に連動しているため、刀の動きを見れば発生の契機だけは感知できる。

 だが、それがどこに現れるかは全く予測できない。


 思考はない。理もない。

 陰奇術士ですら、まだ思考の残滓を保っている場合がある。

 慙鬼には、それすらない。

 故に――予測することさえ、端から誤りであった。


 不可視の刃。

 それはまるで――背後からもう一人の陰奇術士に襲われているかのようだ。


 視界に慙鬼を捉えていなければ即死する。

 だが斬撃は、視界の外側から無関係に襲ってくる。

 まるで息の合った二人組のような、無機質な単独連携。


 しかも、どうやら慙鬼は、この不可思議な斬撃に更に順応しつつあるらしい。

 斬撃の間隔が徐々に短くなり、それに応じて志紀との距離も開いてゆく。

 ただ防ぐことさえ出来ず、徐々に後退を余儀なくされていた。


 離れたことには気づているが、接近することすらままならない。

 不味い。明らかに、状況は悪化している。


 そしてようやく気づいた。

 清嶺館の剣術、すなわち清嶺直心一刀流と、慙鬼の異能は、相性としては決して悪くない。

 だが――自分のような中途半端な剣士には、最悪の相性であった。


 どうする。

 どうすれば、この理不尽な状況を打開できる。

 脳裏に剣戟の音が反響し、息が切れ、汗が頬を伝う。


 それが冷汗か、疲労によるものか。もはや判別すらつかない。

 息が浅くなり、感情が鈍り始める。

 怒りとも自己嫌悪ともつかぬ念が胸に宿る。

 それでも、内なる芯だけは折れまいと奮い立っていた――空回りしながらも。


 ――違う。

『お前は、戦い方から間違えている。お前にまともな剣術家としての道など、最初から存在していない。お前には無理だ。御当主や、愛しの弟と違って、お前にはな』

 心の中にいる自分は、己を嘲笑しながら、そう言った。


 そして次の斬撃が見えざる軌道で襲いかかろうとしたその瞬間……志紀の脳裏に、一つの問いが浮かんだ。


 ――朔矢ならば、どうするだろうか。


 答えなど、わかりきっていた。

 朔矢なら、この程度の相手に苦戦などするはずがない。

 猫のような笑みを浮かべながら、曲芸のごとく躱し――斬る。


 気がつけば、志紀は走り出していた。

 一直線に、愚直に、慙鬼の懐へ飛び込むように。

 無謀。

 それはもはや自殺行為に等しい行動だった。


 当然、迎撃気味に不可視の斬撃が志紀を襲う。

 だが――放たれた斬撃は志紀には届かない。

 既に志紀は、その間合いから外れていた。


 前後左右、あらゆる方向から飛来する斬撃――

 しかし、ただ一箇所だけ、攻撃が届かぬ死角が存在した。


 それは――慙鬼自身の《《真上》》。

 通常の刀での立ち回りでは絶対に使われることのないその位置は、慚鬼にとって間合いの外であった。


 志紀は空中に跳躍し、慙鬼の頭上から逆さに身を翻す。

 まるで逆立ちするような姿勢のまま、彼は静かに呟いた。


「朔矢なら、このまま首を落とせていたであろうな」


 そして――剣を振り下ろす。

 頭上から降り注ぐ刃は慙鬼の左肩を砕き、志紀はその背後へと着地。

 振り向きざま、今度こそ――その首を、断ち切った。


「遅くなって、すまなかった。せめて……安らかに眠れ」


 その言葉を最後に、慙鬼の骸は黒い塵となり、跡形もなく風に溶けて消えて逝く。

 志紀はただ一度、祈るように目を閉じた――その者の哀れな最期に、せめて静寂の慰撫が与えられるようにと。



ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
 対人としてははるかに実直で強い剣なのに、理論寄りで異形や異能に効きずらいのは悲しい……  基礎の精密性は、力でダァー!する流派を基準に置くと中途半端かぁ。 今でも人間基準ではすごい側なのに、陽気術の…
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