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交わり散り咲く咎の華  作者: あらまき


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戦う術


 《《らしい》》……と、言われることも多いが、志紀は座禅や書道といった行いを苦にしない。

 精神統一の一環として訓練に組み込まれているものではあるが、志紀の場合訓練時間以外でも暇があれば行うため、趣味と呼んでも差し支えない程度には親しんでいた。


 ゆえに、雨隆に言われるまま文字を書き写すことも、志紀にとっては何ら苦ではない

 ただ……なぜこんな当たり前のことを命じているのか、その理由はまるでわからなかった。


 陽気の術を教えてほしいと願い出た志紀に対し、課せられたのは正座による精神統一、素振り、そして筆による書き写しであった。

 書かされた文はおそらく経文の一種であろう。

 志紀が見たことのない書物ではあったが、文字の並びから何とはなしにそう察せられた。


 瞑想、素振り、写経。


 三つの課題を終え、志紀は静かに雨隆の方へ視線を向けた。

「これで、いかがでしょうか」

「んー? ええんちゃう?」

「……あまりに適当ではありませんか」

 志紀が眉を寄せ、困惑の色を浮かべると、雨隆は愉快そうに笑った。

「あははは、冗談や。堪忍な」

「……これは、意味のある行いだったのでしょうか?」

 いずれも、志紀にとっては日常の延長でしかない行動である。

 術を使うための訓練とは到底思えなかった。

「意味はあるよ。陽気の術との適性を測るためのな」

「……こんなことで、それがわかるのですか?」

「わかるよ。というか、僕にはもうわかったわ」

「……では、私の適性は?」

「うーん……これは、少々酷なこと言うことになるけど、はっきり言ってええ?」

「ぜひ」

「――才能、あるで君。うん、ひょっとしたら僕よりあるかもしれへん」

「本当ですか?」

「本当や。ほんまに凄いと思う。……君が《《もし》》、幼少の頃から陽気寮にいたら、間違いなく術士として大成してたやろな。もっとはやくそれだけの才あると知っていれば、陽気寮はきっと君の席を用意したで」

「……それは……」

「堪忍な。本当は『才能ない』って言おうと思ってたんやけどな……」

 雨隆は困ったように笑い、肩を竦める。


 ――陽気の術を扱うには、確かに才能が要る。

 だが、それだけでは足りない。

その才を花開かせるには、知識と技術を積み重ねる長い歳月が必要となる。


 つまり、今となっては志紀にとって、手遅れでしかなかった。

 すでに成人となった彼が、今から術を修めることは叶わない。


「というかそもそもの話なんやけどな、君たちの剣術も、わずかながら陽の気が使われとるで」

「……そうなのですか?」

「うん。僕ら術士の初歩中の初歩――その理をかみ砕き、剣術に組み込んだのが君たちの道場の始まりや。陽の気がまるでない道場の方が少ないんちゃう? ……ところで、今更やけど、何で術を覚えたいなんて言い出したん?」

「――この剣では、勝てぬと悟ったからです」

「そんな後ろ向きなこと言うてたら、ほんまに勝たれへんよ?」

「いえ――後ろ向きからの言葉ではなく、純然たる事実です。朔矢は、本物の天才でした。清嶺直心一刀流を極めた上、その先へ至りました。極地であった御当主様を、正面から打ち破ったのです。同様の剣を私が用いても、到底追いつけはしない」

「ああ……なるほど。同門の格下故にってやつか」

「その通りです。恥ずべきことですが、今の私の剣では、彼には勝てませぬ」

「……ちょっと嬉しそうに言うなや」

「――そんな顔をしておりましたか?」

「僕にはそう見えたよ。……まあ、仮に陽気の術に頼るとしても、正直、今の剣を極めるほうが遥かに確実やと思うで? 道場の剣術は元々、陰奇術士を殺すために編み出されたものやからな」

「――それは、承知しております。しかし……」

「例えばやな。君が時おり不思議な現象を起こしたとするよ? 剣を振ると炎が生まれたり、斬撃が飛んでいったり……いや、これは法螺やないで?」

「わかります。――そういった方を、知っておりますので」

「えっ、ほんまに? そんな人おるん?」

「はい。先日、命を落とされた御当主は奥義を放つ際、実際に炎を纏っておりました」

「……ほんまかぁ……それなのに、敗れたんやな?」

「はい。正面から、堂々と」

「……術ってのは、その字の通り才と知を積み上げて、ようやく扱えるもんや。でもな、ごくまれに、その全てを飛び越える存在がおる。いわゆる――天才ってやつや。亡くなった御当主は、陽気を扱う類い稀なる才覚の持ち主やったんやろな」

「……どうかはわかりませんが、一つの到達点であったことは確かです」

「やろな。……せやからこそ、術を無理に覚えようとせんでも、剣を極めた方がまだ可能性があるって話や。……まあ、君のその様子じゃ、納得せぇへんやろけど」


 志紀の表情を見た雨隆は、そう呟き、溜息を吐いた。


 短い付き合いではあるが、彼が想像以上に一本気で、扱いにくい性質の男であることは、すでに察しがついていた。

 陽気寮にも陰陽寮にも、ここまで不器用で真っ直ぐな気持ちの良い男はいなかった。


 少々――いや、かなり面倒ではあるが。


「まあ……気持ちはわかるよ。同じ使命を持つもん同志やからな。じゃ、僕に出来る範囲で、少しだけ協力したろか」

「……教えていただけるのですか?」

「ううん。教えることはできへん。でも、稽古くらいは付き合ったるわ」


 そう言って、雨隆は柔らかく微笑んだ。




「急急如律令、笑う門には福来たる――ほにゃららたらたら……人間万事塞翁が馬、っと。よし」


 胡散臭さを超え、呪文から外れふざけきった文言を唱えながら、雨隆は道場の門にぺたりと札を貼りつけた。

 その様子だけを見れば、まさに似非術士の体である。


「……何をなさったのですか?」

 わざわざ部屋を閉め切り、さらに門に札を貼るという異様な行動。

 見た目も言動も発言も、どこを切り取っても疑わしさしか残らない。


「ん? 悪いけど、結界を張らせてもろたわ。僕の術、あんまりよそ様に見せたくないんよ」

「結界、と仰いますと?」

「今回の場合、中の様子は外から分からへんし、入ることもできん。……あ、閉じ込めるつもりやないで。札を破れば、中からは出られるようになっとる」


 雨隆はにこやかに言い放った。


 志紀は外の窓へ視線を移す。

 木枠越しに見る外の景色には、特段の変化は見られなかった。


「そう見えるだけやね。向こうからこっちの様子は見えへんし、むこうの様子もこっちからは見えへんよ。誰かが通っても、気づかれへんくらいには――僕の術、完璧やから」

 本来ならば驚くべき技であるはずなのに、その余計な一言、二言……いや三言のせいで、途端にありがたみが薄れるのだった。

「さて――それじゃ、始めよか」

「……鍛錬をつけていただける、とは伺いましたが……一体、何を……?」

「その前に、ひとつ訊いてええ?」

「はい、なんでしょう」

「急に敬語になったの、僕への敬意かと思ったけど……もしかして、距離、置かれてる?」

「………………陽気寮の方には、頭を垂れろと。亡き師にそう教えられておりまして」

「なるほど。沈黙さえなければ、もっとええ返しやったかもな。まあ、知らんけど」


 からからと笑う雨隆に溜息を吐きながら、志紀は木刀を手に取った。


「ああ、ちゃうちゃう。それやない、そっちや」

 雨隆が指差したのは、掛けられた真剣の方だった。

「……死合いを?」

「いや、そうやない。でもな――これは覚えといてほしい。これから本気で強くなりたいんやったら、木刀はもう一切使わんといて。それから、門下生との模擬戦も禁止や。君程になるともう意味がないどころか悪影響しかないわ。剣を極めるのならそれもええけど、君がこれからするのは殺し合いやからな」

「……感覚が鈍るから、ですか?」


 なんとなくだが、志紀にも彼の意図は察せられた。

 あの、父と朔矢の間に交わされた殺気立つ一戦――。

 あれと同様の、極限の集中を求めているのだと。


「せや。模擬戦ってのは、どうしても相手を殺さないようにと無意識に考えてまう。ぬるくなるんよ。木刀もそうや。優しさが滲むような戦い方は、今の君には不要や」

「……その通りかと、思います」

「せやからな。これからの鍛錬は、すべて真剣で。しかも《《殺すつもり》》で振るうて貰うで」

「つまり、そのために命を賭していただくと……?」


 志紀の問いに、雨隆は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。


「それも悪くないかもしれんけどな。もっとええ方法がある。……それにな」

「それに?」

「君程度じゃ、僕は殺せへんよ」

「――では、その術。見せていただけますか」

「まぁまぁ、ちょいと待ち。……急急如律令――疾風迅雷、ここに来たれりっと」


 唱えながら札を投げると、小さな風が巻き起こり、そこに《それ》が現れた。


 見た目は訓練用の木製の人形に似ている。

 ただし、雨隆が呼び出したそれは、赤茶けた土で形作られていた。


「これやったら、全力で斬っても大丈夫やろ?」

「ええ――どうやら、そのようですね」


 志紀は静かに鞘を払う。

 刀身が空気を裂き、空間が張り詰める。

 雨隆は思わず「ほほー」と感嘆の息を漏らした。


 雨隆剣術の心得こそ浅いが、それでも一目で分かる。

 目の前の志紀には、研ぎ澄まされた何かが宿っていた。


「始める前に、ひとつ……いや、二つ、伺ってもよろしいでしょうか」

「ええよ。何でも訊いて」

「では、まずひとつ。これのどこに《《疾風迅雷》》なのですか?」


 目の前の土塊は、ただ不格好で無骨なだけ。

 いなずまの如き鋭さも、風のような軽やかさも皆無である。

 むしろ《動かざること山の如し』の方がまだ近い。


「人は見かけによらん、てやつかもしれんよ?」

「人ではないでしょう。これは。それから、もう一つ」

「はいはい、何でしょう?」

「その《《急急如律令》》という文言、本来は呪の締め括りに用いるものでは?」


「おや……志紀殿、ずいぶんお詳しいようで。お知り合いに術士でも居た?」

「いえ。ただ、書物でそうだと」

「なるほどなぁ。けど、その答えは……もう少し仲ようなってからやな」

「――では、構いません。始めましょう」


 雨隆が『どうぞ』と手を差し向ける。

 その瞬間、志紀は一歩踏み込み、刀を振り下ろした。

 土塊の木人形に向かって、容赦なく斬撃を叩き込んだ。




 そうして鍛錬が始まって……。

 志紀は、驚く程あっさりと敗北する。

 文字通り『土を付けられた』。


 数度の斬撃を放った後に、刀が土人形の身体に呑み込まれ、彼自身も全身に土を絡みつかされ、両腕を封じられる。

 一剣士が刀を奪われ、両腕すら封じられるというのは、抗弁の余地なき完敗であった。


 志紀は、侮っていた。

 雨隆個人というよりも、陽気寮という存在そのものを。


 そもそもこの土人形は、訓練用の術などではない。

 れっきとした陰奇術士用の戦闘術式である。

 土だからと言って侮るべからず。

 硬度は任意に調整可能で、形状も不定。

 故に、予測を困難とし、敵の虚を鋭く突く。


 そもそも、たかだか一介の剣士が立ち向かってよい相手ではない。

 それでも、志紀にはこの《《土くれ》》を倒さねばならぬ理由があった。


「この程度、倒されへんようじゃ……無駄死にやね。件の彼が殺した術士も、これを得意にしとったから」

 雨隆の言葉に、志紀の表情が微かに変化する。


 朔矢は、この術を操る術士を討った――。

 であれば、この程度の術に打ち勝てずして、何を以て戦うというのか。

 雨隆がそこまで言ったわけではない。だが、明確にその含みをもって、彼は語った。


「もう一度、お願いします」

「悪いけど、今日はここまでや。志紀殿も肩をまだ庇っとるようやし、無理は禁物やよ。それじゃあ、お疲れさん」

 そう告げると、雨隆の傍らで土人形は音もなく崩れ、砂となって空気に溶けた。

 門に貼られていた札を破り捨てると、雨隆はあっさりと道場の外へと立ち去った。


 取り残された志紀は、その場に正座し、静かに瞑想へと入る。

 そうでもしなければ、こみ上げる苛立ちを抑えられそうになかった。


 ――情けない。みっともない。何より、ふがいない。


 あの底の読めぬ態度、どこか人を小馬鹿にしたような言動。

 雨隆の一言一言が、いちいち癇に障るのは、あるいは自分が彼に及ばなかったせいかもしれない。


 だが、腹立たしさの本質は、他人にあるのではなかった。

 何一つできなかった己自身に対する怒りこそが、最も大きかった。


 志紀はそっと、朔矢に貫かれた肩へ手を添える。

 庇っていると雨隆に言われたが、その実感はまるでない。

 彼に言われるまで、負傷したということさえ忘れる程度のことであった。


 目を閉じると、まるで昨日のことのようにそれを思い出すことが出来た。

 燃え盛る棒を突っ込まれたような熱と、痛み。

 そして――まるで交わりを犯すような表情で己を見つめる弟。


 落胆と興奮を嗜虐心で包み込んだ、あのらしくもない表情は、目に焼き付いている。

 そんな顔をさせてしまったのが己という罪の意識。

 それと……。


 不思議と、痛みはすでに、ほとんど残っていない。

 だけどその代わり……じくりと、胸に広がるような痛みが残っていた。


ありがとうございました。

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土人形なのに強い……極み目前でも切れない、すごい…… ヘラヘラしながらなのにびっくりするほど強い……
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