表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
交わり散り咲く咎の華  作者: あらまき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/41

闇の中でさえ許されぬ想い

 それは、刀と呼ぶにはあまりにも歪だった。

 形状としては、それほど奇異ではない。


 不可思議な術を操る陰奇術士の武器としては、むしろ凡庸とさえ言えるだろう。

 異様なのは――その長さ。


 黒く鈍く輝くその太刀は、大太刀よりもさらに長く、刀身だけで三尺(およそ一メートル)を優に超えている。

 柄を含めれば、五尺(百五十センチ)はあるだろう。


 ただでさえ規格外な長さである太刀を、小柄な朔矢が持つからこそ、その異様さは際立っていた。

 まるで、自らの細い身体では支えきれない業の象徴を、無理やり掲げているかのように。


「問答は、これが最後だ。にいさん……。――抜け。民を思うなら、俺を殺してみせてよ」


 そう言って、魔に魅入られた最愛の弟は嗤った。

 あざけるように――けれど、その笑みにはどこか淫靡な、壊れた艶が混じっていた。


 あまりに過去の朔矢とかけ離れたその姿に、志紀は否応なく悟らされる。

 弟はもう、人ではないのだと。


 朔矢は、たしかに陰奇術士となった。

 だが、それほど強大な力を持っているわけではなかった。


 それは『成り立て』だからという単純な理由ではない。

 魔に起因する力そのものへの関心が極端に薄いという、朔矢の気質に起因していた。


 陰奇術士が使う術は、陰の気を媒介とする点では共通している。

 だが、その内容は、術者の資質――つまり、欲望の形に大きく左右される。

 人であるうちは決して叶わぬ欲。

 それを叶えることこそ、陰奇術士にとっての『術』である。


 けれど、朔矢の望む『欲』は、やや異質だった。

 彼が望んだのは、果てなき快楽でも、権力でもない。

 ただ一つの『目的』――それだけを成し遂げるために、彼は人を捨てた。


 そのため、特別な術を欲しなかった。

 力に執着せず、興味すら持たない。

 実際、陰奇術士の基本とも言える『死鬼化の術』すら、朔矢は扱えない。


 ただ一つの例外が、今手にしているこの黒刀。


『黒刀:閻魔ヤマ


 朔矢の陰の気を凝縮し、ただ形にしただけの剣。

 それに特殊な能力は持たない。

 いや、むしろ――この刀を持つことで、陰奇術士本来の性質である『他者へ陰気の影響を与えること」すらできなくなっている。


 朔矢全ての陰の気を刀という形に閉じ込め、外に漏れぬように封じた存在。


 それゆえに――異様に長く、異様に重い。

 刀というものは、長さが増せば、その分だけ重量も、振り回すための負荷も倍加していく。

 たとえば、物干し竿の端を持ってみればいい。

 普段扱いは軽く気にもならない竿であっても、端だけを持って剣のように振ろうとすれば、その長さから来る遠心力で肩が壊れる。


 朔矢の黒刀は、まさにそれだ。

 風を裂くように、軽く一振りするだけで、『ぶんっ』と音が鳴り、空気を大きくうねらせる。


 再び朔矢は構え、志紀を見つめた。


 ……だが、その視線には次第に落胆の色が濃くなる。


 これだけ言っても、志紀は刀を抜こうとはしない。

 ただ、立ち尽くしているだけ。


 この期に及んでも、まだ信じているのだ。

 これは何かの間違いだ――と。


 話せばわかる。

 悩みを聞いてやれば、苦しみを取り除いてやれば――。

 そうすれば、元の朔矢に戻ってくれるはずだと。


 それはたしかに、志紀から朔矢への愛だった。

 兄として、家族として、誰よりも深く思い、信じようとする心。


 ああ、まったくもって――綺麗な愛だ。


 だがそれは同時に、朔矢の想いを軽んじてもいた。


 朔矢は、気まぐれでも、衝動でもなく、己の意志でこの道を選んだ。

 志紀のその優しさは、残酷な傲慢に過ぎない。

 朔矢の覚悟を、志紀は理解しようとさえしていない。


 そのことが、朔矢にとって何よりも哀しかった。


 ――びくん。


 志紀の身体が、びくりと跳ねた。

 何が起きたのか。どうしてそうなったのか。思考が追いつくより早く、左肩に熱が走る。


 内側から、じわりと広がる灼けるような熱。

 視線を落とせば――そこに、黒刀があった。


 朔矢の刀が、志紀の左肩を真っ直ぐに貫いていた。


 痛みは、視覚よりも遅れてやってきた。

 ずるり、と刀が引き抜かれる感覚。

 次の瞬間、それは烈火のごとき激痛へと変わり、志紀の身体を襲った。


「ぐあっ……!」

 喉の奥から搾り出されるような叫びが漏れ、膝が崩れ落ちる。地に手を突いた志紀の体を、血がじわじわと濡らしていく。


 ――こんなはずではなかった。


 普段の志紀ならば、たとえ腕がもげようと、足が砕けようと、戦いを止めはしなかった。

 命を賭して剣を振るう覚悟が、それを幾度も証明してきた。

 だが今――戦う覚悟を持たない今の志紀は、剣士としての意志さえ捨てた志紀は、ただの人間に過ぎなかった。


「がっかりだよ、……ああ、本当にがっかりだ、にいさん」

 朔矢は、指先で刀についた血を拭い、そのまま舐めて見せる。

 まるで美酒を味わうかのように、恍惚とした微笑みを浮かべて。


 頬に浮かぶ朱、滲む多幸感。

 嗜虐に歪むその表情は、あまりにも異様だった。

 跪く志紀の顎を、朔矢は左手で強引に持ち上げ、自らの視線と重ね合わせる。苦痛と混乱に染まる志紀の表情を見て、蠱惑的に笑った。


 ――朔矢は、元より整った顔立ちだった。

 あどけない容姿に潜む残酷な喜び。

 その背徳的な美しさは、まるで汚れてしまった聖女のように、見る者の心を歪める。


「にいさん。俺、にいさんが思ってるような、《《良い子》》じゃなかったんだよ?」

「違う……。朔矢は、私の弟で……」

「苦しそう。痛そう。でもね、そんな顔も見たかったんだよ。ずっと……。うん、想像以上に……良い顔だよ。にいさん、もっと見せて?」

 指がそっと志紀の肩に触れた。柔らかく、優しい手つきだった。

 まるで愛しき者を抱くように――そしてそのまま、肩の傷口に親指を深く沈める。


「う……あ……っ!」

 ずっ……と、音を立て、傷口が抉られる。

 だが志紀は、声を上げることしかできない。

 逃げることも、拒むことも、叶わなかった。


 朔矢は、陶酔したように微笑む。

 ――そう、ずっとこうしたかった。

 そう言わんばかりに。


 なぜ朔矢が、ここまでの感情を抱いているのか。

 志紀には、わからなかった。

 ただ、自分の鈍さと愚かさに恥じ入り、どうすれば良かったのかと考える。

 やがて、ひとつの結論に辿り着いた。


 志紀は、力を抜き、抵抗をやめた。


「にいさん……?」

「……すまない。そんなにも、私を恨んでいたとは……。すまない、朔矢……至らぬ兄で……本当に……」


 その言葉に、朔矢の表情が一瞬、無へと還る。

 次の瞬間、張り付いたような笑みがその顔に浮かんだ。

 それは、明確な《《怒り》》だった。

 志紀にも、それくらいは理解出来た。


「ふぅん。そっか……そういう風に言うんだ、にいさんは。じゃあ……いいよ。わからせてあげるだけだから」

 朔矢は手を引き、親指についた血を舐め上げる。


 そして、志紀の首筋にそっと顔を寄せ、唇を這わせた。


 ぞくり――志紀の身体が震える。

 痛みはない。

 ただ、くすぐったく、背筋を撫でられるような小さな感覚。

 志紀にはそれが快楽であることがわからなかった。

 ただその得体の知れぬ感覚に、困惑し、戸惑う。


 だが、何故か不思議と――朔矢を、愛おしいと感じてしまった。

 兄として、仲間としてではない。

 己を喰らわんとするこの存在を、抱きしめたくて仕方がなかった。


「……っ、さ、朔矢……お前は……」

「にいさん。一緒に悪い子になろっか?」


 まるで幼い頃の悪戯の続きのように、朔矢は無邪気にそう誘った。

 出血で霞む意識の中、その甘い囁きは、あまりにも魅力的だった。


 ――戻りたい、あの頃に。だが。

 戻れないのなら、もう進むしか……朔矢と同じ、昏い、闇の道に……。


「……駄目、だ……私は……お前を……っ!」

 痛みに耐え、志紀は朔矢を突き放した。


「……残念。まあ、どうでもいいか。どうせ――時間切れだし」

「……時間、切れ……?」


 志紀は荒い息のまま問い返す。

 日が完全に沈み、夜が支配する刻――陰奇術士の時。

 時間切れとは、こちらの方のはずなのに。


「にいさんってさ、悪いこと出来ない性質だよね。馬鹿が付くほど、真面目だし」


 朔矢は遠くを見ながら、ぽつりと呟く。

 そう――志紀は、どうしようもなく正直者だった。


 子供の頃の悪戯も一度として成功せず、嘘をつけばすぐに顔に出た。

 そんな志紀が、朔矢のように誰にも見つからず出奔することなど、出来るはずがなかった。


 ゆらり、と闇から影が立ち上がる。


 直後、金属がぶつかり合う、鋭い剣戟の音。

 朔矢は後方へ跳び、影が志紀の前に立ちはだかる。

 まるで、彼を守るように。


「志紀、無事か?」

 白き衣を纏うその背に、志紀は見覚えがあった。


 ――清嶺館当主、神代正玄。

 志紀にとって親代わりでもある彼は、同じく親代わりである朔矢の前に立ちはだかった。



ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ