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熱に浮かされ剣に狂い


 朔矢は、指導において何の役にも立たない。

 それはこの清嶺館の共通認識である。

 責任感など欠片もなく、他者の剣を見れる程真面目でもなく、そしてサボり癖が酷い。

 若いとか幼いとか以前に、人として最低である。


 それでも師範代かつ志紀と同格扱いなのは、それだけ彼が優秀だという事を示していた。


 性根の部分など、実のことを言えばどうでも良いのだ。

 我らは生きるはただ邪悪を滅する為。

 この身は力なき人々を護る一振りの刃。


 故に――力こそが、最も貴ばれる。


 朔矢は強い。

 その事実だけで、多くの不満は潰される。

 それに、本当に朔矢が酷い有様ならば、兄貴分である志紀に告げ口すれば良い。

 その愛の鞭にて彼を若干矯正してくれる。

 誰よりも厳しい志紀でさえ、若干矯正するのが精々であった。


 だがそんな朔矢でも、たった一つ清嶺館皆の役に立つ指導がある。

 それが――『模擬戦』。


 彼の剣技は道場で教える流派のはずなのに、まるで型に嵌らない。

 本当に、何をしてくるかわからない。

 一瞬さえも油断出来ず、ほんの僅かな隙でも容赦なく縫ってくる。

 まさに天賦天才の剣。

 だから……仮想敵としては最適であった。

 我らが絶つべき邪悪、『陰奇術士』の仮想敵には。


 そんな天才たる朔矢に対峙するのは、志紀。

 互いに木刀を構え、気配を研ぎ澄ませる。


 朔矢は人懐こい、子猫のような笑みを浮かべ幸せそうな様子だった。

 まるで模擬戦前の雰囲気でない。

 兄弟子である志紀との模擬戦だけが、彼が唯一サボらない修行であった。

 だからだろう。

 彼は心から楽しんでいる。

 だけど決してお気楽な訳ではない。

 笑っているのに、その空気はひりついている。

 彼の周りの世界が歪んでいると見学者が感じる程に、彼は戦いに集中していた。


 対して、志紀はほとんど無表情。

 鉄面皮である彼のいつも通りの表情で、そしてその構えはどこまでも正統で正道。

 重心を低く落とし、筋肉を撓ませた無駄のない剛剣。

 一太刀一太刀に、確かな重みとことわりが宿っていた。


 朔矢の構えは何時も通り、自由だった。

 一応は両手で木刀を持ってはいるが、それでどうやって攻めるつもりだという位にだらんと脱力しきっている。

 まるで海月くらげのようだ。

 それでも、油断できない事は他の誰よりも志紀は知っていた。


 互いの目線は、お互いの剣の切っ先。

 見学者の喉が渇きひりつく程に、空気が張り詰めていく。


 それは師範代同士の模擬戦だからという理由だけではない。

 彼ら仲良し義兄弟二人の模擬戦は、いつも、空気が重たかった。




 最初に動いたのは、志紀だった。


 間合いを詰め、一歩踏み込み、正面から豪腕を振り下ろす。

 正道にして、破壊的な一撃。

 木刀だってその勢いなら人を殺せる。

 とても模擬戦で放って良いような技ではない。


 朔矢はこれを一拍で読み、後ろに跳ねた。

 たもとを翻すような軽い身のこなし。


 志紀はすかさず追撃をかける。

 下段から斜めに斬り上げる二の太刀。

 横に移動しながら流れる三の太刀。

 一撃一撃が骨を砕く連撃が、間断なく朔矢を追い詰める。


 「速い……!」

 思わず、観客の門下生は呟く。

 志紀の剣は何も特別なことはしていない。

 道場で習う基礎の技術でほとんど完結している。


 だけどその基礎だけの動きが、目で追う事が難しい程に鋭い。

 なまじやっていることが理解出来るからこそ、その技量の高さが理解出来た。


 木刀と木刀が激しくぶつかり合い、乾いた衝撃音を撒き散らす。

 互いの刃が交錯するたび、火花すら散らしかねない勢いだ。 


 対し、朔矢の方も常人離れしている。

 彼の場合は目で追うとかそれ以前。

 視界に映し続けているはずなのに、何度もその姿を見失う。

 対峙する志紀ではなく、見学する門下生を見失うのだ。


 その位、彼の動きは変則的で、縦横無尽だった。


 床を蹴り、壁際を走り、時に跳躍しながら、志紀の剛剣をかわす。

 天空から逆さ姿勢にて斬撃を放つその姿は、もはや重力すら無視するかのよう。

 相変わらずな様子に、志紀は目を細める。


 ここまで奇天烈な動きをされたら基本の剣術は通用しない。

 それでも、真正面から正攻法で打ち破らねば意味がない。

 志紀は才ある弟分と異なり、それしか出来なかった。


 志紀は一歩も引かず、呼吸を整え、再び踏み込んだ。

「せいっ!」


 朔矢の回転斬りに、志紀は木刀を真っ向から叩きつける。

 衝撃が二人の腕を軋ませ、火花のような痛みが走った。

 それでも、彼らは譲らない。


 朔矢は一瞬、志紀の力に押されかけ――《《にやり》》と笑う。

 次の瞬間、床を蹴って跳び上がり、頭上を飛び越えた。


 一瞬の間に志紀の背後へと回りこむ朔矢。

 しかし志紀も、背中で風を感じた一瞬で振り向き、振り抜きざまに一刀。


「はッ!」

 二人の木刀が空中で噛み合った。


 打ち合い、かわし、また打ち合う。

 踏み込み、転がり、跳び上がり、刃と刃が絡み合う。


 力と速さ、正統と変則。

 剛と柔。

 互いの持ち味が、これ以上なく際立っていた。


 互いに、小手先の技など通用しない。

 何度もその剣を見て、何度も共に鍛え、競い合って来た。

 互いの動きに知らぬものはない。


 そんな事最初から両者共にわかっている。

 そしてそれだけ分かりあえててもなお、一瞬の油断が命取りだと互いに理解していた。


 まだだ、こんなものじゃない。

 あいつはこの程度であるわけがない。


 相手に対する敬意と畏怖。

 それに反骨する負けたくないという意思。

 互いに苦しくとも凌ぎ合う。

 同格だからこそ、あいつにだけはと耐え、譲らず、打ち合う。


 それが、二人は心から楽しかった。


 競り合い。

 木刀と木刀が押し合う。

 力と力がぶつかり、汗が額をつたう。


 世界が、二人で完結する。


 志紀の剣を受ける度、朔矢は全身が吹き飛びそうになる。

 小柄な朔矢ではただ受けるだけで骨は軋み、身体は浮きそうになる。

 だから、受け流すしかない。

 受けるだけで相手を追い詰めることが出来る。

 まさしく、清嶺館の流派である『清嶺直心一刀流』の全てが詰まっていると言って良いだろう。


 かと言って志紀の方も、一瞬たりとも目が離せない。

 朔矢の剣は形なき、言わば無形の剣。

 足や背面は当然、頭上からさえも刃が迫りくる。

 何時、何処から襲ってくるのか全く読めない。

 たった一手で全てをひっくり返す。

 油断なんて出来る訳がなかった。


 ごくりと、観客は思わず生唾を飲む。

 それだけ激しい凌ぎ合いだった。


 だけど、彼らにとってはまだ、『小手調べ』でしかなかった。


 周りからは死闘にしか見えないだろうが、この程度なら目をつぶっても同じ動きが出来る。

 お互いがお互いの動きをわかりあっているからだ。

 だから、手探りで徐々に段階を高めていく。

 お互い全力を出す為の、いわば準備運動。


 そしてようやく、お互い温まってきたところだった。

 ここからが――本当の勝負。


 二人の目の色が変わる。


 真面目で無骨な志紀の目に、熱く滾る熱が。

 仄かに、その表情に笑みが宿っていた。


 反面、朔矢の表情からは余裕の笑みがすっと消え、冷たい表情に。

 いつもふざけて飄々とする朔矢の目には、静かな本気が宿っていた。

 

 両者の瞳に映すのは、お互いを打ち負かさんとする相手と、己そのものを表現したその業《剣》のみ。


 二人が構えを変え、本気で打ち合おうとする、その瞬間だった。 


「そこまで!!」 


 鋭い声が、稽古場を切り裂いた。


 二人の間に、道場当主……師範総代が歩み寄ってくる。

 随分と、険しい顔つきだった。


「稽古は中断だ。師範代、並びに師範補佐は全員、私について来い。それ以外は稽古に戻れ!」


 二人は呼吸を整えた後に、正座でお辞儀をし合い、模擬戦の終え木刀を収める。

 だが、火花を散らすように交わった視線は、まだ熱を帯びたままだった。



ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
うーん、武道のライバルとしての絡み、独特のヒリヒリするような感覚というんでしょうか、 いいですねぇ……
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