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交わり散り咲く咎の華  作者: あらまき


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18/41

始まりの咎の唄

 志紀の閉塞感に包まれた日常に、波紋を投じたのは思いがけない人物だった。

 道場の廊下を歩いていた彼は、ふとその姿を目にする。


 神代沙夜。

 清嶺館の当主、神代正玄の一人娘。


 道場内で顔を合わせること自体は、特段珍しくではない。

 同じ敷地内に住んでいるのだから当然だ。

 だが……彼らの場合は少々、事情が異なっていた。


 視線が交差する距離にまで近づいたのは、実に一年ぶりだった。


 その理由を、志紀は理解している。

 全てはあの日……あの夜のこと。


 志紀は《それ》を見てしまった。

 そして、それ故に——彼がこの道場から姿を消した。

 今でも、時折夢に見る。

 あの時の、彼の絶望より尚深い、その顔を。


 だから、沙夜が自分を避けるのも当然だと思っていたし、実際、志紀はそれを不満に思わなかった。

 彼女に恨まれても仕方がない。

 自分は、彼女の未来の夫を奪ったのだから。


 だからこそ、沙夜と出会った時、志紀は何の言葉を発せなかった。

 一体どの面下げて、何を話せと言うのかと。


 だが——沙夜の方は違った。


 彼女は、志紀に話しかけようとしているようだった。

 いや、どちらかと言えば《《問いかけよう》》としているように見えた。


「……あの、えの……」


 それは、蚊の鳴くような小さな声だった。

 喉に何かが引っかかっているような、躊躇と葛藤が滲む声。

 元々大きな声を出すような人ではなかったが、そんないつもと比べても尚ささやかな声量だった。


 志紀が思わず手を伸ばしかけた、その瞬間。

 沙夜はふいに横を見て、そして顔を伏せた。


「……失礼しました!」


 その一言だけを残し、彼女は逃げるように去っていった。


 言いたいことがある……だが、言えない。

 そんな迷いのにじんだ態度。


 そして志紀には、その言いたかったことの『核心』が、既に察せられていた。

 二人の間に共通するものはただひとつ。

 《あの男》のこと以外にあり得ない。


 加えて、沙夜が視線を送ったその先は、神代正玄の部屋だった。

 志紀のいる場所にわざわざ近づいてまで沙夜が伝えようとしたこと——その意味を想像した瞬間、志紀の思考は白く染まった。


 もう、それしか考えられない。


 志紀は廊下を駆け出していた。

 いつも慎ましく振る舞っていた彼が、子供の頃でさえしなかった『廊下を走る』という掟破りの無作法を犯すほどには、焦燥に囚われていた。




 当主の部屋。

 乱暴に襖を開け放った志紀に、正玄は一瞬だけ目を細める。

 だがすぐに仏頂面に戻り、平然を装い、告げる。


「……いいところに来た。陽気寮からお前宛の連絡だ。感謝状の授与と、その式典についてのことだな」


 それは、明らかに誤魔化しだった。

 平静を装い、事態をやり過ごそうとする意図が見え透いていた。


 志紀は騙されなかった。


 誤魔化しが下手だったわけではない。

 そうではなく、正玄が《《無作法を叱らなかった》》——それが異常だった。


 門下生が挨拶もなく襖を開け放てば、通常なら逆さ吊りも覚悟の沙汰。

 実際、過去にはそんな罰を受けた男もいた。

 当主の部屋に忍び込み、酒をくすねようとした馬鹿な男——志紀の弟分が。


「何があったのですか?」


 志紀の問いは、確信に満ちていた。

 すでに何かが起きている……そう確信しての言葉。


 正玄は一瞬、顔を歪めた。

 苦渋に満ちた表情。

 それでも志紀の眼差しを前に、諦めたように口を開く。


「……どうしてお前は、いつも……」


 その言葉は途中で途切れた。

 しかし、その声は今にも泣き出しそうだった。


「申し訳ありません。不出来な門下生で」

「くだらぬことを言うな。いいだろう。どの道、隠し通せる話でもあるまい。だが、一つだけ約束しろ」

「はい」

「話が終わるまで、絶対に部屋を出るな。いいな?」

 志紀は静かに頷いた。

 それを確認して、正玄は深く息を吐き出す。


「——朔矢が、見つかった」


 短い一言だった。

 だが、その言葉が持つ意味はあまりにも重い。


 朔矢。


 その名前を聞いた瞬間、志紀の脳裏に浮かんだのは、あの笑顔だった。

 あどけなく、愛くるしい、子供のような無垢な笑み。


 礼儀には疎く、軽んじられることも多かったが、いざ剣を抜けば誰もが黙った。

 剣の才、力、感覚、胆力。

 すべてにおいて傑出した天賦の持ち主。


 志紀はその弟分を誇りに思っていた。

 だが、彼が道場を去る前には、あの笑顔はもう……どこにもなくなっていた。

 心の底から笑えない程に、彼は苦しんでいた。


 苦悩していた、追い詰められていた。

 それに気づかなかった。

 いや、気づこうとさえしなかった自分が、志紀は許せなかった。


 その朔矢が——見つかった。


 ようやく、志紀はその事実を受け止める。

 悲しみも、怒りも、歓喜すらなかった。

 ただ——安堵があった。


「……良かった。生きていてくれて……」


 生きている。

 それだけでよかった。

 それは、志紀にとって何よりの救いだった。


 そんな志紀だから、まだ気づいていなかった。

 正玄の顔が、苦しみに満ちていたことに。


「さすが御当主様……お見事です」

 志紀は素直に敬意を表する。


 志紀は正玄が当主として振舞い、苦手な政治にも手を出し、様々な手段を用いて朔矢の探索に力を入れていたことを知っていた。

 それは組織運営の為、当主としての責務として、正玄は動いた。

 だけど、決してそれだけではない。

 そこには朔矢に対しての親心のようなものがあることを、志紀は理解していた。


 そんな正玄だから発見出来た。

 そう思ったのだが……。


 だが——。


「……見つけたのは、私ではない」

「では……誰が?」

「——陽気寮だ」


 陽気寮。

 清嶺館を含む複数の道場を束ねる上位組織。


 志紀の眉がわずかに動いた。

 なぜ陽気寮が、たかが一門下生の捜索に動いた?


 理由がないとは言わない。

 朔矢は陰奇術士を倒した実績もあり、次期当主として内定もしていた。

 一応動く理由はある。

 だが——万年人手不足の陽気寮が、その程度で人員を裂くだろうか。


 何かがおかしい。

 安堵の地面が、崩れ落ちていくような嫌な予感が、志紀の胸を締めつける。


 そして——。

「……志紀。落ち着いて聞け」

 正玄の声は低く、沈んでいた。


「朔矢は——陰気術士になっていた」


 その言葉が、すべてを引き裂いた。

 正玄の元に届いた文は門下生が見つかったという報せではない。

 ただの、討伐依頼であった。


 飛び出すなという正玄の言葉の意味を、志紀は今更に理解した。


ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
あああ、とうとう歪さが発露してしまった…… これで心置きなく殺されることができるね!(人の心)
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