報せ
あの日――次期当主に指名された朔矢が道場を出奔してから、すでに一年余の歳月が流れた。
その間、数多の出来事があった。
いや、何も起こらぬはずがなかった。
彼は誰もが憧れ、深く影響を受けた、光そのものであったのだから。
朔矢の失踪後、ひと月以上にわたり捜索が行われたが、結局その行方はつかめなかった。
そして、その直後に起きたのが――喧嘩である。
もっとも、『喧嘩』という表現は、いささか実態とかけ離れているが。
実際行われたのは、朔矢を慕う門下生による、志紀に対しての一方的に殴打であった。
『お前がいながら……お前がいたせいでっ!』
それは明らかなる八つ当たりに過ぎなかった。
朔矢の出奔に最も心を痛めたのが志紀であることは、誰の目にも明らかであった。
それでも志紀は、相手の怒りを『正当な訴え』であると受け入れ、無抵抗で殴られ続けた。
さらに彼は、それを門下生の暴力ではなく『ただの喧嘩』とし、あらゆる罰則を己だけのものとした。
すべては己の至らなさが原因であると、彼は言い切ったのだ。
それでも、以後しばらくの間、志紀に対する批判が続いた。
その動きの背後には、単なる朔矢への想いだけではない、政治的な思惑が色濃く存在していた。
朔矢の失踪を機に、当主候補として最も有力視されていた志紀を権力の座から遠ざけようとする者たちの策謀である。
朔矢が排除しようとしていた道場内部の権力構造は、彼の不在によって再び息を吹き返し、表面化し始めていた。
それらの攻撃に対してさえ、志紀は一切の反論を行わなかった。
最愛の弟を喪った現実を、誰よりも深く、重く受け止めていたのが彼であった。
結果、周囲は流れに乗じ、志紀を追い詰めすぎた。
やりすぎたのだ。
彼の人となりを真に理解していれば、そこまでの行動には至らなかっただろう。
『責任を取り、師範代の資格を返上いたします』
そう言い残し、志紀は師範代の座を自ら退き、一門下生として再出発した。
多くが彼を引き止め、謝罪の言葉を口にした。
誰もが、そこまでの責任を志紀に求めていたわけではなかった。
なにせ、彼を欠くことで道場の運営そのものに支障が生じることは明白であったのだから。
師範代とは奥義を修めた者に与えられる称号であり、道場運営の中枢に携わる権限を意味する。
その地位は、多くの権利と責務を包含している。
利益や名誉、より高い地位を求めるあまり、志紀を貶めることに加担した者たちにとっては、『自ら手放す』などという発想は夢想だにしなかった。
彼らはまた、志紀という人間がどれほど高潔で、同時に頑固であるかも、理解していなかった。
結果として、最も困ることとなったのは他の師範代たちである。
志紀は、戦闘力において当主を除けば随一、技量は最高水準。
訓練量、知識量も群を抜き、優れた門下生に合わせて個別に訓練内容を策定するなど、道場にとって不可欠な存在であった。
無論、門下生の誰もがその貢献を理解していた。
早朝の稽古では、門下生とともに素振りに励む、師範代でなくなった志紀の姿があった。
その姿は、周囲から完全に浮き上がっていた。
稽古の最中であろうとも、師範代たちは次々と志紀に助言を求めにやって来た。
それを目にした門下生たちもまた、師範代ではなく志紀に教えを請うようになった。
門下生が師範代を差し置いて指導を受ける――それは、道場における権力構造の崩壊を意味する。
この事態に、普段は政治に疎い当主も、ついに重い腰を上げざるを得なかった。
『師範代に復帰せよ』
当主の命に対し、志紀は首を縦に振らなかった。
頑固で、自己を律し、自責の念に囚われやすい――そんな面倒な性質を持つ志紀を、ここまで追い込んだ師範代たちを、当主は深く恨んだ。
二時間を超える面談の末、ようやく志紀は師範代として再び道場に立つことを承諾した。
もっとも、それは『復帰』ではなく『新たに任命される』という形式を取るものであった。
すなわち、現在の志紀は『師範代として最も格の低い新参者』であるということになる。
当主の威信と信頼をもってしても、それが限界であったのだ。
その過程で、当主はようやく事の全容を知ることとなった。
最初は単純な感情論だと思われていたが、実際は――己の利益のために、志紀に責任を押し付けようとする政治的思惑が背景にあったのだ。
その事実を知った当主は激怒し、道場内で暗躍していた師範代たちをすべてその地位から引きずり下ろし、門下生へと降格させた。
とある男の出奔を境に、清嶺館の空気は日に日に淀んでいった。
それほどまでに、その男は希望であり、光であった。
夜の闇を裂く一筋の光。
それを失った清嶺館の未来は、深い闇そのものと化していた。
無論、それだけが理由ではない。
その男の喪失によって、もう一つの光にも陰りが差した。
それもまた、空気を重く沈ませた要因であった。
誰一人、言葉にはしない。
だが、誰もが感じ取っていた。
二つの光が交わることで初めて生まれた、未来への道筋。
あの日々は、もはや二度と戻らぬものとなったのだ、と――。
喪失を経て、ようやく知る。
確かに、彼らは特別だった。
だがその特別は《二人》が揃っていたからこそ成立した、奇跡に他ならなかった。
希望は潰え、未来は閉ざされ、人々の顔からは表情が失われた。
そのような沈鬱とした空気の中で、皮肉にも清嶺館の名声は天を衝く勢いで高まっていった。
陰奇術士を短期間に二度撃破したという、前代未聞の戦果。
本来、陰奇術士とは刀によって討たれる存在ではない。
陽気寮に属する術士たちを複数動員して対処し、それでも犠牲は避けられぬというのが常識であった。
清嶺館の剣士など、国の上層部にとっては使い捨ての戦力でしかない。
陽気寮にとっては、陰奇術士が操る死鬼に相当するのが道場剣士である。
そのような中で、ただの剣士が――しかも単独で一切の犠牲なく陰奇術士を二度も屠ったという事実。
かねてより、清嶺館の当主が陽気寮で手に負えぬ陰奇術士を討伐したという例は存在した。
だがそれはあくまで、当主という特別な立場にある者だからこそ可能な離れ業とされていた。
その通念を覆したのが、ただの一師範代――藤守志紀であった。
しかも彼は、これら二件にとどまらず、過去にも少数精鋭による陰奇術士討伐の記録を残している。
これらの実績は、頭の固い陽気寮ですら考えを改めるに足る材料となった。
陽気寮は、旧『陰陽寮』の系譜を継ぐ国防機関である。
陰陽寮の性質を色濃く引き継いでいるため、由緒ある家柄、ことに公家筋の影響を強く受けており、その出自ゆえに、選民的傾向が根深い。
かつて武家の専横に反発した公家たちが、武力を手中に収めた結果、今度は自らが新たな支配の構造を築いてしまった――
そんな歴史的背景もあってか、陽気寮は露骨に剣士を蔑視していた。
その価値観を揺るがすほどだったのだ。
清嶺館の名は高まったのは。
今や一部の公家の中には、清嶺館を諸流派の上に据え、
将来的には陽気寮と並ぶ存在に育て上げてもよいとする者すら現れていた。
中の事情を、清嶺館の昏い空気を一切知らぬままに、彼らはそのような将来を夢想していたのである。
――そんなある日のことだった。
その報せが、清嶺館にもたらされたのは。
ありがとうございました。




