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交わり散り咲く咎の華  作者: あらまき


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致命的なすれ違い


 満足――だった。

 志紀の心は春の陽気のように、暖かく、穏やかなものだった。


 全力を出した。

 全身気だるさが襲い、腕は震え箸を持つことさえ苦労し、足は油断するとすぐ崩れそうになる。

 その疲労感は凄まじく、逆に心地よくさえあった。


 己の出せる全てを引き出した――。

 その上で、負けた。

 それも正面から、堂々と。


 その相手が最愛の弟なのだから、満足でないわけがない。


 心から、晴れやかな気持ちであった。


 あの全てを出し切った戦いの後、朔矢は疲労で眠りについた。

 当然と言えば当然だろう。


 志紀が朔矢に勝っている部分なんてのは実のところ体力程度のもの。

 その志紀でさえ明日一日は休暇にしようと考えるくらいに疲れ切っている。


 朔矢がこのまま明日の朝まで起きずとも珍しいとは思わない。


 ふと、志紀の口元に微笑が浮かぶ。

 かつての想い出が、兄貴分として指導していた日々が彼の脳裏に繰り返されていた。


 今から考えたら信じられないが、朔矢の剣は最初はもう、それは酷いものだった。

 小さな身体であったということもあるが、それ以前の話。

 才能というものが、まるで感じられなかった。


 何が悪いのか、どこが酷いのか、それさえ分からず、志紀も教えるのに苦労した。

 今でさえ、あの時のあの酷い剣は何が悪かったのかわからない。


 とはいえ、その問題は克服出来た。

 毎日毎日、疲れ果てるまで素振りを一緒にしたことで。

 幾ら教えても駄目だったのに、ある日突然出来るようになっていた。


 そして一度それなりに覚えたら、後は技術を湯水のように吸収していった。

 紛れもなく天才の剣で、志紀も何度嫉妬を覚えたかもう数えていない。


 それでも弟を恨まずに済んだのは、あの笑顔の所為だ。

 何度も何度も『にいさん』と呼んで、慕ってくれたから。

 だから、自分も正道に進めた。


 嫉妬に狂わず、負けないようにと努力を重ねられた。

 志紀は天才に負けたわけではない。

 共に進む同士である、弟に負けたのだ。


 だから――満足だった。

 納得もしている。


 そして、あれだけ見事な剣士となってくれたことに、兄として誇らしく思っていた。

 そう――瞳を閉じれば想像出来る。


 当主として振舞う堂々とした朔矢の姿。

 その隣には彼女の姿もあって――。


 ちくり、と胸が痛んだ。


「――私は、愚か者だな」

 そう、呟く。

 理由はわからない。

 だが、二人が一緒にいる事に若干の心苦しさを感じていた。


 おそらくだが……彼女に未練のようなものがあるのだろう。

 恋心と呼ぶ程大きくはない。

 そこまで彼女を慕ってはいないはずだ。

 ただ、少し前までは、彼女と一緒になるかもしれぬと淡く思っていた。

 心を求めたわけではない。

 そこまで自分は下劣ではない。

 だから……それを言葉にするなら、きっと情欲だ。


 そのような愚かな感情が己の中にあること、それに志紀は強い憤りを覚えた。

 己の未熟さと醜さを目の当たりにし、怒りを覚える。

 そして同時に、そんな自分が彼女の夫とならずに済んで良かったという安堵も。


 自分は彼女に相応しくないと。


 そんな考え事をしながら歩いていると目的の場所に辿り着いた。

 志紀は正座をし、中に声をかける。


「御当主様――お呼びでしょうか?」

「うむ――。入れ」

 短く命を受け、志紀は当主正玄の部屋の襖を開いた。




 正面に置かれた二つの盃と徳利。

 正玄が呼び出した理由は、とてもわかりやすいものであった。


「志紀。お前が飲まんのは知っている。だが、今日は付き合ってくれぬだろうか」

 正玄の声はいつもの厳格さは欠片もなく、とても優しいものだった。

「ですが、私はまだ未熟な身で……」

 じっと、正玄は志紀の顔を見続ける。

 睨むでも、怒るでもなく、まっすぐと。

 それが当主としてでない顔だったから、志紀は折れた。


「――わかり、ました。では……」

 緊張と共にそう口にする志紀を見て、正玄は頷く。

 そしてそっと、その盃に正玄自ら酒を注いだ。


「ご、御当主様! 私が……」

「良い。今日は……私に持て成させて欲しい」

 そう言ってから、正玄は自分の器にも酒を注ぐ。


「……良く、頑張ったな」

 正玄の言葉が何に対してなのか、志紀にはわからなかった。


「私はな……志紀。お前を、実の息子のように思っている」

「そ、そんな恐れ多い。私など……」

 正玄はくっくと笑った。


「そういうところだ。……良く、頑張った。誇って良い。お前が、朔矢を育てたのだ」

 柔らかく、穏やかな口調で。

 それは、次期当主が誰なのかを暗に示す。


 だからこそ、正玄にいつもの厳格さはない。

 端的に言えば、肩の荷が――下りていた。


 志紀は理解した。

 正玄は今当主という立場ではなく、一区切りついた親という立場で語っているのだと。

 そして同時に、心の底から自分に敬意と敬愛を向けていると。


 次代当主を育てたのはお前だ。

 お前は自慢の息子だ。


 そう、正玄のその顔は語っていた。


「――盃を持て」

「はっ!」

 志紀は盃を手に取ると、正玄は自分の器をくいっと傾ける。

 それを見て、志紀も己の盃に口を付けた。


 ふわりと甘い香りが広がる。

 それは、これまで嗅いだことのない、極楽の香りだった。

 当主である正玄が今日という日を祝う為に用意した酒である。

 悪い物のわけがない。


 だが……極楽は、始まりだけだった。

「――――っ!」

 目の前が真っ赤になり、喉は熱くなり、味覚には刺激が。

 初めての酒は、ただ熱く、辛いものであった。


 苦しむ志紀に正玄は微笑を浮かべる。

 息子同然の男は、正玄以上に剣以外はからっきりなようだった。

「――どうやら、酒の楽しみ方を教えるところから始めねばならんようだ」

「け、けほっ。お、お手柔らかに……お願いします……」

「ああ。――時間は、たっぷりとある」

 正玄は呟き、己の盃に酒を注ぐ。


 血は繋がらない。

 当主としての繋がりもない。

 それでも、二人の間にある絆は確かに父と息子のそれであった。






 夢の中、何度も同じ光景が繰り返される。

 志紀の手から剣が零れ堕ちる。

 己が命を絶つ希望の剣を、己が……。


 微笑を浮かべる志紀。

 拍手と喝采にて結果を喜ぶ野郎共。

 そして――自分に頬を染める、女。


 誰もが幸せとなった瞬間。

 皆が納得のいく結果となった結末。


 そう……誰もが納得したのだ。

 死を望んだ、朔矢以外。


 どうして俺を称える!?

 誰がどう見てもにいさんの方が強かっただろうが!


 何故にいさんは微笑を浮かべる!?

 どうして俺を憎まない!?

 何故そんな安らかな顔になっている!?


 そして――お前は、誰の嫁となる女だ!?

 にいさんに色目を使っていただろうに、何故その目で俺を見る!?

 その目を俺に向けるな!

 ただでさえ貴様の存在は不愉快なのに、何故だ、どうしてこうなった!?


 最悪を最悪で包んだ絶望。

 これまで重ねて来た何もかもが崩れた瞬間。


 一つの希望もない、昏い闇。


 ――いや、違う。


 まだ、希望があった。


「にいさん……」

 堕ちた中でも、彼だけは、光り輝いていた。


 そうだ……もう、正直に言おう。

 俺には出来ない、俺には向いていない。

 当主となることに、兄の上に立つことに耐えられない。


 にいさんには悪いけれど、有象無象が群がる今でさえ、俺は苦しんでいる。


 だから――《助けて》と言おう。


 そうすれば、にいさんならわかってくれる。

 現当主も納得してくれる。


 あとは、俺が愚かだと周りに頭を下げ続けたら良い。


 そう……にいさんが居れば、にいさんと話せれば……。


 夢の中の兄は、いつもと違い獰猛な笑みを浮かべていた。

 捕食者にも見える、野性的な笑み。


 兄は普段抑えている獣性を曝け出しながら、自分の腕を掴み、力強く手繰り寄せてきた。

 抵抗出来ない――する気も起きない。

 そして兄は、己の首筋に牙を立てた。

 鋭い痛みを、敢えて与えるように、嬲るように……。


 それはまるで、お前は自分のものであると示すようだった。


 わかっている――。

 これは、ただの願望だと。

 それでも、そう願ってしまうのだ。


 兄に、全てを奪われたいと。

 愛も、操も、命も、全て――。


 抱きしめられた、暖かさを感じる。

 嬉しくて、幸福で、そして――。




 心地よい人肌の暖かさに包まれながら、朔矢は目を覚ます。

 叶わぬ願望ゆえに苦しい夢から起きたはずなのに、暖かさも、抱かれる感触も消えていない。


 もしかして……にいさんが……。

 そう思い、瞳を開く。

 そこに居たのは――『沙夜』だった。


 何故か彼女は半裸になって、朔矢の布団の中に入っていた。

「おま――お前は……お前は何をしている!?」

 淫靡な、それでいて妖艶な笑みを浮かべながら、彼女は首元で囁いた。

「お情けを、頂戴しとうございます……。朔矢様……」

 倒れ込むように、身体を預け、指先で身体を撫でて来る。


 ゾワリとする。

 ただただ、悍ましさと嫌悪だけを感じ続ける。

 虫唾が走るという言葉の意味が、今身体で体験出来ていた。


「や、止めろ!」

 叫びながら、朔矢は布団から飛び出る。

 それでも、彼女は縋りついていた。

「朔矢様……私は……私は……」

 恍惚とした表情で、ただそれしか見ない。

 幸せそうなその表情が、ただただ不気味だった。


 そうして逃げるように、乱暴に襖を開けた――。


「朔矢……?」

 そう、外から志紀の声がした。


 半裸の自分とそれを掴む沙夜。

 志紀は、それを見てしまった。

 見て、顔を反らした。

 苦々し気に、苦しそうに。


 その表情は、これまで朔矢が見たことのない表情で……だからこそ、理解出来てしまった。

 全部、終わってしまったのだと――。


 自分が成れ果てを倒した時でも、まだ挽回出来た。

 勝負に勝ってしまった後でも、まだとりなしが出来た。


 だけど、これはもう駄目だ。

 もう、ただの兄と弟でいることさえ許されない。


 最悪の傷つけ方をした俺は――泣き言を、救いを求めてはならない。


 兄のその表情が、何よりも物語っていた。


 パリンと――割れた音がした。

 それは、自分の心の音。

 一度壊れた後、にいさんに大切に育ててもらった……綺麗な綺麗な瑠璃の心。


 それが再び、砕け散った。

 最後の希望と共に――。


 朔矢はその身そのまま、清嶺館を出て行った。

 そして、二度と戻って来ることはなかった。




ありがとうございました。




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初恋モドキを奪い、訳のわからない事をして……裏切り。そう感じてしまったような……ボタンの掛け違えがいくつも積み重なっているような、儚く脆い心が……どうしましょうか……
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