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胡蝶之夢 破――双極


 まるでうたた寝のような淡い夢の時間。

 夜明けの桜のような、綺麗過ぎる交わり。

 それもまた、絢爛な時間ではあるだろう。


 だが、こんなものは余興に過ぎない。

 これは――散る為の語り合いなのだから。


 こんなものじゃない。

 俺達の時間が、この程度であるわけがない。

 それに、朔矢は気付いていた。

 志紀が……この逢瀬に退屈を感じつつあるのを。


 むしろ、志紀は剣でせっついていた。

『本気を出すという約束を果たすのはまだか』と――。


 全くもって嬉しくて、だから……。

 朔矢の表情から、笑みが消えた。


 瞬間――暴風が建物を襲った。

 木片が舞い散り、観客の髪を揺らし……崩れかけの建造物は、まるで震えているかのようだった。


 それが朔矢の一振りであると気付いた正玄は、つい立ち上がってしまっていた。


「これは……!」

 門下生の一人が叫ぶ。


 突風を呼ぶ斬撃を知らぬ者は、この道場にはいない。


 清嶺直心一刀流三大奥義その三『足絶ちの旋風つむじかぜ』。


 切り上げにより暴風を巻き起こす、回避不能の魔剣。

 本来ならば空より襲い来る死鬼を叩き落とす対空迎撃の技ではあるが、対地対人においても十二分に威力を発揮する。


 むしろ、人相手に奥義を放ったということの方が問題であるだろう。

 奥義を放つこと。

 それは――殺すことと同意であった。


「ご、御当主様! 止めましょう! 朔矢様に実力があることはもう十分わかりました! 門下生誰一人文句を言いません!」

 師範代の男、立畠は慌てた様子でそう叫ぶ。


 師範代となるには最低でも奥義の一つは習得しなければならない。

 故に、『奥義を使えること』そのものに、そう大した価値はない。


 問題は、それを実戦で使ったということ。

 奥義とは心技体全てが揃った最高の状態で、その上で全身全霊を持って集中してなければ成立せぬような技である。


 それを対人の、しかも同格との実戦の中で放ったというのは師範総代となるに十分な資格だ。

 誰も出来ぬのだから文句を言うわけがない。


 それが立畠の意見。

 二人を幼い頃から見て来た彼の、親心であった。


 だが……。

「座れ」

 正玄はそう、冷たく言い放った。

「で、ですが……」

「座れ。――三度はない」

 そう言って、正玄もそっと座る。


 横で不満そうな立畠を見て、正玄は小さく呟いた。

「子供は、何時までも子ではない。知っているであろう」

「……それは、そうですが……」

「奥義は、成立した。だが、志紀には傷一つ付いておらん。ここで止めれば、恨まれるぞ」

 そう言って、正玄は笑った。


 そう……彼らの為に、ここで終わらせてはならない。

 ようやく、彼らは温まってきたところなのだから。




 周りの雑音に、朔矢は苦笑を漏らした。

「ったく。しょうがねぇなぁ」

 朔矢は呟き、もう一度同じ技を放った。


 空を跳ぶ死鬼を落とす魔剣『足絶ちの旋風』。


 同じ技を繰り返すなんてのは無粋の極みでしかない。

 だけど、そうでもしないと馬鹿なあいつらは理解出来ない。

 だからこれは、志紀がどう防いだかを見せつける為だけの奥義であった。


 その剣の流れは、まるで風車の羽であった。

 ぐるりと円を描くように回り、剣の切っ先が床に触れる。

 それでも剣は止まらず、床を穿ち、抉りながら――斬り上げの斬撃に移行する。


 下より襲い来る魔剣が、志紀に迫った。

 志紀は風狂う魔剣に相対する中、一歩後ろに下がる。

 重心が安定しているが故に、暴風の中でも微量も体幹がブレていなかった。

 とは言え、これは逃げた訳ではない。


 逃げるのでなく、攻める為の後退。

 一歩下がりながら上段を構え、そしてそのまま渾身の力を籠め剣を振り下ろす。


 振り下ろされる刃と、斬り上げる刃。

 二つの力は噛み合い、剣戟となり衝撃波を放った。


 暴風は魔剣だけではなく、二つの斬撃がぶつかり合った衝撃であった。


「あれは……」

 立畠は呟く。


 立畠だけでなく、誰でも志紀の技は理解出来たであろう。

 その名前は『下がり上段』。

 清嶺直心一刀流にて、技とさえ呼べない基本の一つである。


 基本故、門下生の誰もが出来、そして誰もが嫌というほど素振りをやらされた。


 ざわざわと、声が響く。

 門下生たちの不安そうな声。

 その声は朔矢の望む志紀を称えるものではなく、むしろ逆だった。


 奥義を実戦で放った朔矢と違い、そんな基礎的な技を使うなんてという下らない落胆の声。

 その意味が分からない程に、門下生たちの目は曇っていた。


「あの、お父様。……奥義というのは、それほど容易く破れるものなのですか?」

 悲しい事に、大半の門下生にわからなかったことを、朔矢が最も嫌いな女が理解していた。

「――容易くは、ない。だが、奥義であろうと、基本であろうと、技は技。強きが勝つ。それだけのことだ」

 正玄はそう答える。


 そう――朔矢の奥義を志紀は誰でも使える基礎技で破った。

 状況に対し最も適したものを選択し、鍛錬をかかしていなければ、奥義さえ基礎の剣で対処出来るということ。


 それは誰でも同じことが出来るということでもあった。

 指導者として、これほど相応しきはないだろう。


 いや、それ以前の話だ。


 一つを磨けば、奥義を超えることが出来る。

 それを成し遂げた志紀の偉業の意味を考えたら、誰が後継者かなんてのは考える必要さえなくなる。


 何故志紀がそのようなことを出来るのか、知っているのは朔矢だけだった。


 例えば、この道場に居る限り、誰もが素振りをやっている。

 つまり皆が同じだけ、経験を詰んでいるということになる。

 だが実はそうじゃない。


 気の抜けた訓練に意味はなく、例え気持ちが入っているつもりであっても毎日の繰り返しである以上、惰性となる部分が必ず出て来る。

 簡単だと僅かでも思ってしまえば、身体が勝手に手を抜いてしまう。


 人というのは、そのような身勝手な生物である。


 だが、志紀は違う。

 志紀は入って来た時から今日に至るまで、一日も訓練を欠かさず、そして一日たりとも訓練で手を抜いた事はない。

 本当の意味で、一日たりともだ。

 奥義だろうと基礎技だろうと、それこそただのすり足であろうとも、志紀は一度たりとも、『簡単』だと思ったことはなかった。


『私は不器用だからな』

 そう言いながら、あらゆる訓練に全力を注ぎ続けた。

 誰よりも多く修練に身を委ねた。

 常に己を改め、昨日の自分を乗り越え続けた。


 そんな志紀だからこそ、あらゆる技が必殺となる。


 朔矢は周囲に見下されつつある愛しの兄に目を向ける。

 堅物で回りの声など気にしないと思われる志紀だが、あれで案外撃たれ弱いところがある。

 だが、今の志紀は周りの侮蔑を気にしていないどころか、気付いてさえいない。


 それどころか、志紀は笑みを浮かべていた。

 仄かな微笑。

 訓練中笑うなと叱りつける志紀らしからぬ表情。

 それは戒め隠して来た志紀の本性が表に出たことを意味した。


 そう――楽しくないわけがないのだ。

 最愛の兄弟が、全力ではしゃぎあって。




 剣戟の音が鳴り響く。

 時に激しく、時に緩やかに。

 それはまるで音楽のようだった。


 あまりにも極端な緩急。

 それこそが、朔矢の最大の武器であった。


 朔矢は文句なしの天才である。

 相手の呼吸を完全に把握し、生じた隙を縫うくらいに。

 無意識に『ここで攻撃されるわけがない』と相手が思う時期が、朔矢には見えていた。

 

『無拍子』

 呼吸を読み、相手の意識から外れた瞬間に動くこと。

 それが朔矢の高速移動の原理であった。


 朔矢の場合は、相手だけでなく観客の意識さえも盗む。

 それは常人がどれほど鍛えようと得ることの出来ない力、理解出来ない才能。

 だが、朔矢にとっては当たり前のことでしかなかった。


 で――そんな朔矢の無拍子に何故志紀が反応出来ているのか。

 答えは単純。


 弟だからだ。


 ただでさえ不器用な自分が天才である弟と剣を交えるのだ。 

 目を離すことなどあろうわけがない。

 仮に意識の外から来たところで、弟のしそうなことなど予想出来ないわけもなし。


 故に、無拍子は無拍子足りえない。

 例えどれだけの事をしようと『朔矢ならその位出来て当然』と受け入れる志紀に驚きによる隙も生じない。

 

 無拍子、愛の元に破れたり。

 故に対等。

 故に――戦いは拮抗する。


 衝撃波さえ放ちあう、あまりにも激しい剣戟。

 朔矢の深い緩急全てを志紀は打ち返す。


 その様は、まるで踊っているようだった。


 その瞬間――志紀の刀が、朔矢の身体を《《貫通》》した。

 一瞬の悲鳴。

 その直後、朔矢の身体はふっと、煙のように消えた。


 それは残像だった。


 清嶺直心一刀流三大奥義その二『影を宿さぬ写し水』。

 気配を操り、実像そのものである幻を作る剣技。

 その独自性と破壊力を持たぬ故、限りなく使い手の少ない技である。


 奥義と無拍子の組み合わせによる、背面奇襲。

 だがそれさえも志紀は防ぎ、それどころか反撃に一閃を叩きこんで来る。


 朔矢は慌て、剣を盾とし防ぐ。


 鈍い音と共に、衝撃を殺す為、自分から後ろに下がらされる。

 そうしなければ、腕の一本は持っていかれていた。


 ――流石はにいさん。俺なんかじゃ勝てるわけないや。

 兄の微笑にゾクゾクとする甘美な死を感じる。

 実直過ぎる剣は誰よりも穢れを知らず、積み上げて来たものは誰よりも重い。


 朔矢は自分が天才であると認識している。

 だが、そんな事実本物の前には霞む。

 本物は天才とか才能とか関係ない。


 純粋なまでの力で、全てをなぎ倒す。

 芯の通った一本の刃。

 それこそが、藤守志紀という男。

 我が愛しの兄である。


 とはいえ有象無象はそれさえわかっていない。

 俺なんかを持ち上げる馬鹿共には、もっとわかりやすい餌を与えたないといけない。


 しょうがないなぁという見下しの気持ちと共に、朔矢は刀を鞘に仕舞う。

 戦いの終わり……なわけがない。


 そもそも、まだ二人共《《本気》》じゃあない。

 それなりに動いてはいたが、これまではあくまで訓練での本気だ。


 ここからが、本当の本気。

 魂での、語り合い。


 その前に、観客の目を覚まさせなければならない。

 朔矢の思惑を志紀は理解し、それに付き合うため、同じ様に刀を鞘に納めた。


 ざわめいた喧噪の中、二人は同じ構えを取る。

 刀を鞘に納めたままの構え――抜刀術。


 正玄の目が見開かれる。


 清嶺直心一刀流にて、抜刀術はただの一つしか存在しない。


 三大奥義を習熟したその先の『秘奥』。


 それを身に着けた者は、当主である正玄だけだった。


 深い前屈姿勢のまま、互いに一歩ずつ踏み込み、そして――。


 清嶺直心一刀流秘奥義――『朧月夜』。

 半月を描く幻惑の剣が交差し、二人の斬撃は新円となる。


 唖然とするしかなかった。

 ただ、唖然とするしか。


「――もう、私の時代は終わったのだな」

 人目さえ気にせず、正玄は呟く。

 

 それほどに、二人の剣は美しかった。


ありがとうございました。

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究極の基本、究極の奥義をぶつけてみる激戦 それはそれとして秘奥、やばそう ……見栄えしないのはわかるけどさぁ……門下生!絶許!
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