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交わり散り咲く咎の華  作者: あらまき


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赤い朱い、蜘蛛の糸


「ですので、どうぞ、お願いいたします!」

 若き門下生に頭を下げられた志紀は困った顔を見せた。

「気持ちはわかる。だが、私に言われても……」

「いえ! 志紀様が言えば誰もが納得します! なので、どうか朔矢様こそが当主であると――」

 その言葉を、志紀は最後まで聞くことが出来なかった。

 その前に、彼は殴り飛ばされていた。

 朔矢によって。


「さ、朔矢っ!? お前……」

 突然のことに、慌てる志紀。

 それとは裏腹に、朔矢は冷静だった。


「何の役職も持たぬ門下生が師範代に己の意見を押し付けるとは、どういう了見だ。それもあまつさえ次期当主最有力候補の志紀様に。お前は自分が何を言ったのか、わかっているのか?」

 あくまで冷静な口調で、だけど激情を隠そうともせず朔矢は告げる。


 朔矢の怪力で殴り飛ばされた門下生は座り込み、身体をガクガクと震わせていた。

 その痛みを忘れる程、朔矢から向けられる激情は恐ろしかった。


「朔矢――。落ち着け。らしくない」

 もう一度殴りそうな雰囲気を感じ、志紀は朔矢の両肩に手を当てる。

 そのくらい、今の朔矢は不安であった。


 らしくない。

 昔の朔矢なら殴ったとしても『気に食わなかった』『ムカついた』とか、そういう理由だった。

 こんな風に賢い建前を持って、感情をぶつけ殴るようなことはしなかった。

 そんな賢しいことをするような性質では、なかった。


 それは朔矢もわかっている。

 怒りに任せつつも理屈を口にする自分。

 汚い人間に触れ、同じことをして、汚泥にまみれ変わってしまった自分。


 そんな自分が大嫌いで、そしてそんな自分を兄に見せているこの状況が、たまらなく苦しかった。

 顔をしかめるそのさまは、まるで泣きそうなように志紀には見えた。


「……にいさん。いえ、志紀様。お願いがございます」

「――聞こう」

「私と、戦って下さい」

「ふむ? 模擬戦――ということか?」

「いいえ、違います。当主の座を賭けての一騎打ち。己が実力、心血、全てを注ぎ、全力で、私と戦って欲しいのです」

「――それは……。いや、そのような方法で当主を決めるなど……」

「何故ですか? 実力を持って当主となる者を決める。正しい方法かと思いますが」

 それは全くもってその通りである。

 力こそが正しい。

 それがこの清嶺館の在り方だ。


 だが、志紀の心情としてはあまりにも受け入れがたいことだった。

 実力がそうであるのなら、朔矢がなるべき。

 そもそも、我々当事者が決めるというのが既に驕りである。

 現当主によって選ばれるからこそ意味があって、こんな風に勝手になんてのは――。


「それに……俺が、にいさんと本気で戦いたいんです。俺が……」

 懇願するよう、朔矢は呟く。


 それは志紀にとって久方ぶりに見る、朔矢の生の感情だった。

 だからだろう。

 わかってしまうのだ。

 当主とかそういうことは一切関係なく、心の底から、朔矢がそれを望んでいると――。


 だとしたら……。

「――わかった。それが、お前の望みなら」

 志紀にはそういうことしか出来る訳がなかった。


 弟分である朔矢の心からの願いを、志紀が聞かない訳がなかった。




 幾つかある修練場の内、最も損壊が激しく焼け跡さえ見える場所を、朔矢は決戦の舞台に選んだ。

 その方が志紀が全力を出せると考えて。

 愛しの兄は建物にさえ遠慮するような、息苦しい生き方をする男であると朔矢は知っていた。


 朔矢は己が獲物を部下から受け取る。

「頑張って下さい」

 その言葉に、朔矢は堪えきれないほどの怒りを覚える。

 彼としては、当主となる為の戦いに上司が挑んでいると思うだろう。


 だが朔矢としては、それは単なる建前。

 ただ戦いたいから戦うだけ。

 つまるところ、その怒りは、『俺達の間に土足で踏み込むな』というような気持ちである。

 このまま怒りに身を任せ、ぶん殴っても良いのだが……そんなことでせっかくの、にいさんとの時間を台無しにされたらたまったものじゃない。


 朔矢は部下に返事をせず無視したまま、剣だけ受け取った。


 ずしりとした重さが、手に伝わる。

 ゆっくりと鞘から解き放ち、輝く刀身を眺める。


 訓練用の、いつもの木刀ではない。

 刃こそ潰しているが、それは真剣そのものだった。


 本当ならば刃を潰していない本物を使いたかったが、流石に許可が下りなかった。

 とはいえ、これで十分だろう。

 我が兄の剣ならば、刃がなくとも人くらいは容易い切断出来るのだから。


 数度、片手で剣を振り、腕に馴染ませる。

 単なる片手での素振りでさえ周りから歓声があがっている。

 朔矢は苦々しげな表情のまま、刀を鞘に仕舞った。


 正面を見ると、既に志紀は正座してこちらを待っていた。

 瞳を閉じて、静かに、精神統一をして。


 ゾクっと、背筋が震える。

 それは恐怖でもなければ緊張でもない。

 歓喜だ。


 これから始まる二人だけの世界で、にいさんが自分だけを見つめてくれるという事実に、朔矢は歓喜を覚えていた。


 気づけば大勢に囲まれている。

 とはいえそれも当然。

 あくまで現当主が決める事柄である為、そうと明言してはいないが……この勝者が道場の次期当主である。

 そうでなくとも道場若手実力一位二位の、何時もの模擬戦ではなく真剣での勝負。

 門下生として気にならない訳がない。


 そうなると当然、現当主神代正玄の姿もそこにあった。

 誰よりも威圧的な気配を放ちながら、自分達の行動を一挙手一投足見逃さないように。


 それは良い。

 だが、その隣の女は見逃せなかった。


「ご当主様。これは模擬戦ではございません。乙女が見るべきでないような、血生臭いことになることも十分にあり得ます。ですので、沙夜様がご覧になるのは……」

 いかにも相手を心配してる体を装った、拒絶。

 それに対し正玄が何かを言う前に、沙夜が口を開いた。


「いいえ。例えどのようなことがあろうと、私は見届けます。それに、私も無関係ではございません。私と、朔矢様と、志紀様。三人で、未来を作っていくのですから」

 微笑を浮かべる沙夜に対し、朔矢はどす黒い感情を覚えた。

 端的に言えば、殺意である。


 ただでさえ自分が欲しいものを全て持っている癖に、こいつは今しかない、二人だけの時間を三人の時間と言いやがった。

 わざと自分達の間に入ってきやがった。


 それは、それだけは、許しては――。


 ギリッと、自分の歯が軋む音がする。

 朔矢は憎しみに染まりつつある感情を、必死に抑え込んだ。


 外野なんて気にするな。

 俺とにいさんの、二人だけの世界に邪魔者なんていないんだから。


 朔矢は二人に一礼し、正面に目を向ける。


 志紀は全く動じず、精神統一を続けている。

 観客により生まれたふわふわした浮ついた空気の中でも、志紀の空気はピンと張り詰めていた。


 すがすがしい、まるで深層の森のような心地よく透き通った空気。

 どこよりも居心地の良い空気。


 志紀が志紀で居てくれる。

 それは確かに、朔矢の救いとなっていた。


 朔矢は数歩前に進み、刀を置いて正座をした。

 志紀と同じように。


 二人で向かい合い、正座をし目を閉じる。

 たったそれだけ。

 それだけのことで、一瞬で空気が張り詰めた。


 周りの緩い空気は一瞬で霧散し、二人が放つ剣呑な空気が場を支配する。


 数名の門下生は足を震わせる。 

 それは、彼らが初めて体験する、実戦の気配だった。


「良かった。にいさん、本気を出してくれるんだね」

 優しい兄のことだから、なんだかんだ言って手を抜くかもしれない。

 それが、それだけが朔矢唯一の不安だった。


「当然だ。――そう、お前が望むのなら」

「うん。にいさん。本気でお願いね。俺も、本当の本当に、本気で行くから」

「――ああ」

 朔矢の心は幸福でいっぱいになった。


 本気で戦う。

 それはつまり、お互い本気で相手のことだけを想うということ。

 その他有象無象全ての事柄を捨て、ただ相対する相手だけを見つめ、剣を振るということ。

 愛情も、憎悪も、その他全ての感情が及ばない、深い執着を向け合う時。

 これ以上の時間はない。


 始まる前だというのに心がときめき、胸が張り裂けそうになる。


 そして……朔矢は信じていた。

 お互い本気を出せば、必ず望む結果が待っていると。


 つまり――容赦のない敗北。

 全力で抵抗してなお組み伏せられ、その命を容易く散らされる。

 その瞬間こそが、朔矢の心からの望み。


 それだけが、最後の心の支えだった。






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一騎打ち、なんと甘美な……
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