【朗報】ネトラレ特効薬、見つかる
「偶発的に起こるからこそ興奮すんだ。予想できてたらつまんねーよ」
そう言って笑顔を見せた友人の顔面を殴り飛ばしたいと思った。
◇ ◇ ◇
――時は数週間前に遡る。
純朴な少年【光琉】にとって友人の【源次】から借りたそれは人生初の恋愛ゲームであった。
『騙されたと思ってやってみろよ。新しい世界が広がるからよ』
半ば強引に渡されたゲームディスクをノートパソコンへインストールすると、二次元の美少女が画面の中で微笑み、その容姿と同様の可愛らしい声でタイトルコールをした。
ひらめきエモリアルN。どこかで聞いた事のあるようなタイトルだが、おそらく気の所為であろう。光琉はあまりゲームをする方ではないし、ましてPCゲームに関しては完全に無知であった。
ひらめきエモリアルは恋愛シミュレーションというジャンルのゲームである。
主人公を操作し、彼の通う学園でヒロイン達と絆を育む事を目的としたゲームだ。
ヒロインから関心を得られるように主人公の能力を鍛えなければ特定のイベントが起こらない為、育成ゲーム的な側面も持ち合わせていたひらめきエモリアルは、育成ゲームや恋愛ゲームに疎い光琉にとっては何もかもが新鮮だった。
気が付けば夜更かしをしてまで没頭し、ひらめきエモリアル(以降、ひらエモ)の世界に魅了されつつあった光琉であったが、物語が後半に進むつれ「おや?」と、首を傾げる事が多くなった。
ヒロイン達からの好感度は低くないはずなのに、デートへ応じてくれない事が増えたのだ。それにデートしてもどこか余所余所しい態度を取る事も多くなったのだ。
ルートを間違えた……という訳ではなさそうだ。そもそも、このゲームには特定のヒロインルートは存在していない。卒業式の日に伝説の校舎裏へ狙ったヒロインを呼び出し、そこで告白する事が最終的目標となっている。チュートリアルでそういう説明がされていた。
告白が成功したら、そのヒロインとの後日談が描かれる為、それがそのヒロインのルートとも言えなくはないが、基本的にルート分岐という概念はない。そういう認識だった。
◇ ◇ ◇
「……吐きそう」
暗い部屋の中で膝を抱えた光琉は呟いた。
何が悪かったのか。意味のない自問自答が脳裏で無限ループする。
恋愛ゲームって案外楽しいなと、夢中になってひらエモをプレイした光琉はヒロインへも徐々に感情移入をして行き、最後はそのヒロインとのハッピーエンドを期待してたのだが……。
『ハハハッ! なぁ、最高に興奮しただろ? まさか呼び出した校舎裏でヒロインと間男から〇〇〇〇を見せつけられる不意打ちNTRエンディングとか、マジで正気の沙汰じゃねーよな』
電話越しに笑う源次。
『告白イベントじゃなくて、NTR報告イベントからのエンディングの入り方、マジで神掛かってんだわ』
何を言っているのか理解できないが、愉快そうに笑う源次の顔を想像してイラついた光琉はスマートフォンを投げ捨てた。
「源次のクソ野郎! あえて結末を教えずにこのゲームをやらせやがったなァ!」
正気じゃないのはお前だろ。そう怒鳴りつけたいがその相手が居らず、光琉は行き場のない激情を己の枕へぶつけた。
ぼすぼすと枕を殴る音を響かせながら光琉は考える。
人生初の恋愛ゲームはまさかのNTRゲームだった。高校三年間を通してヒロインと通わせた心、育んだ絆はNTRという最低最悪な成果物となって帰って来た。
報われない。あまりにも報われない。
エンディング後に語られるヒロイン視点の物語では、如何にしてそのヒロインが寝取られるまでに及んだのか、詳細に描かれていた。光琉にとって、それはただひたすらに苦痛だった。
彼にはNTRによって齎された鬱屈を快楽へ昇華させる素質がなかったのだ。NTRマゾにはなれないタイプの人種だった。
ちなみにだが、18禁コンテンツを販売している某WEBサイトの人気検索ワードの一位はNTR・寝取られ、二位は逆レ〇プ、三位は男性受けである。意外とマゾ気質の男性は多いのかもしれない。
それこそ、騙し討ちのように光琉にひらめきエモリアルをプレイさせた源次もNTRマゾ紳士である。故に光琉へそれを勧めた事は彼にとって「最高の性癖に目覚めるから、お前も一度やってみ?」という純然たる善意による行動であった。
「くそぉ! 返せ! 俺の純情を返せよ、クソ間男にクソビッチ共ぉ! 許さねぇぞ、源次ぃ!!」
独り部屋で絶叫を上げる光琉だが突然、自室の扉が勢い良く開かれた。
「こら、光琉! 夜中に何を叫んの!? 近所迷惑でしょうが!」
光琉は母に叱られた。死にたいと思った。
◇ ◇ ◇
「はよっす! な? 最高だったろ?」
どんよりとした気分で登校する光琉の背中を源次が叩いた。
その挨拶に虚ろな瞳を向けた光琉はギリッと奥歯を嚙み締めた。
「最初から結末が分かっているNTRは真のネトラレに非ず。もはやそれはネトラセだ。だから俺はあえてお前にゲームの本質を教えずに最高のNTR体験を――」
「当たれぇええええええ!!」
全てを言う前に光琉の拳が源次の顎を打ち抜いた。
愛しいヒロインを間男へ奪われた際に味わった絶望と憎悪が集約された光琉の拳は源次の意識を刈り取った。
「だ、駄目だよ、光琉くん! いきなり暴力なんてっ!」
スローモーションのように倒れ伏した源次に駆け寄って来る一人の少女がいる。彼女は【咲】という名で、光琉の幼馴染に当たる少女だ。
幼馴染。そう、幼馴染だ。
光琉が昨晩、絶望を味わう事になったひらエモにも登場するヒロインにして主人公の幼馴染。そのキャラクターと咲の姿が重なった瞬間、勝手に足が震えだした。
こいつの傍にいてはいけない。光琉の本能がそう告げていた。
「幼馴染はやべぇええええええ!!」
光琉は逃げ出した。
◇ ◇ ◇
光琉は高校三年間を己磨きへ費やす事に決めた。
実にシンプルな話だ。NTRが怖いなら恋愛をしなければ良い。仲の良い女友達が出来ても、恋愛関係に発展さえしなければNTR事案が発生する事もない。つまり、断食系男子である事こそが最強のソリューションなのだ。
もし合コンに誘われたらどうするか。決まっている。筋トレがあるからと行かなければ良い。
デートへ誘われたらどうするか。決まっている。勉強があるからと断れば良い。
恋愛を求めし者にはNTRあり。孤高を極めし者にはNTRなし。これこそが世の真理であると言えるだろう。
勉強は良い。心を豊かにしてくれる。自己肯定感も満たされる。勉強をしない者は獣と同じだ。
筋トレも良い。筋肉は全てを解決する。大胸筋なき者に人権なし。自信だってバク上がりだ。
◇ ◇ ◇
「おい、アイツ見てみろよ」
遠巻きに見ている男子生徒の呟きが光琉の耳へ届いた。
「すっげぇ……。制服のボタンが弾け飛びそうなほどに盛り上がった胸筋。そして腕捲りしてるのは、前腕が太すぎて袖のボタンが閉まらないからか?」
「マジかよ、やべぇな。でもアイツ、学業成績も確かトップクラスじゃなかったか?」
過度な筋トレにより苛め抜かれた光琉の体躯はもはや学生レベルを超越していた。
既製の学生服が着られないほどの筋肉。筋トレによって上昇したテストステロン(男性ホルモン)によって顔付きさえ変わったように見える。
そして勉学においても妥協しない光琉は、常に成績上位者であり続けた。
人は光琉を称す。努力に取りつかれた狂人であると。
何が彼をそこまで駆り立てているのか。ストイックに努力し続けられる理由は何のか。その様はもはや狂っているとしか言えない。
◇ ◇ ◇
月日は流れ、光琉は卒業の日を迎えた。
「何の用だ。咲……そして、源次」
卒業式の後、校舎裏に来てください――そう記された手紙が靴箱に入っていた為、校舎裏へ赴いた光琉の眼前には緊張した面持ちの咲と、ニヤニヤと笑っている源次の姿があった。
(あぁ、このシュチュエーション)
光琉は三年前にプレイした恋愛ゲーム、ひらめきエモリアルのラストシーンを思い出していた。
(確かあのゲームの最後はこうやって校舎裏でヒロインと対面した後、間男との濃厚な〇〇〇〇シーンを見せつけられるんだったな……)
つまり咲がヒロイン。源次が間男という事であろうか。
友人キャラに幼馴染がNTRされる展開など、もはや定番中の定番。基本的に幼馴染は寝取られる生物である。そう悟っている光琉の覚悟は決まっている。もはや怖いものはなかった。
「そうか……源次。やるんだな? 今、ここで!」
「……? おう」
光琉の問い掛けに源次は首を傾げながらも頷いた。
その返答に光琉は「やはりか」と短く呟き、次に咲へと視線を向けた。
「咲、俺は大丈夫だ。お前さえ良ければ(源次と〇〇〇〇を見せつけてくれても)問題はないぞ」
「え!? 良いの?」
光琉の発した言葉に驚いた咲が目を見開いた。
「勿論だ。お前の気持ちは解っているつもりだから」
「ほ、本当に? でも最近、私ずっと避けられてるような気がしてたらから……きっと駄目だって」
咲の両目から涙が零れ落ちた。
それほどまでに俺へ源次との情事を見せつけたかったのだろうか。光琉はそう考えると少し複雑な気持ちだった。
「良かったな、咲ちゃん!」
源次が二カッと白い歯を見せて笑う。それに対して咲は何度も頷き同意を示した。
「うん、すごく嬉しいっ!」
◇ ◇ ◇
「……ん?」
何かがおかしいと思っていた光琉だったが、光琉の家族、そして幼馴染である咲とその家族と共に卒業祝いパーティーを開いている時にその疑問はピークへ達した。
校舎裏へ呼び出された後、気が変わったのか源次は家に帰ると言い出した。
帰り際に肩を叩いて「おめでとさん、これで罪滅ぼしはできただろ?」と意味不明な言葉を囁き去って行った源次の背中を見送り、光琉と咲も帰路へ着いた。
やはり青姦は敷居が高かったのか、家に帰ってやる事にしたのだろう。そう考えて納得した光琉だったが、その考えは完全に間違いであった。
光琉と咲、それぞれの両親が集まり開かれる卒業祝い。
それは確かに二人の卒業を祝う為のパーティーではある。あるのだが、何かが違っていた。
「良かったわね、咲」
「光琉くん、咲の事をよろしく頼むよ」
「光琉、咲ちゃんの事を大切にするのよ」
「しっかりやれよ、光琉」
光琉の両親、そして咲の両親から激励された光琉は笑顔のまま硬直していた。
何か致命的な勘違いをしているのでないかと、隣に座る咲を盗み見れば、その横顔は真っ赤に染まっており、恥ずかしそうにはにかんでいた。
「光琉くん、これからもよろしくね」
「あ、ああ。よろしく頼む……?」
訳が解らないが、とりあえず場の空気を読んで頷く光琉。その耳元へ咲が唇と寄せて囁いた。
「大好きだよ、光琉くん」
何故か光琉は咲と付き合う事になった。しかも結婚前提で。
◇ ◇ ◇
「いやぁ、お前マジで凄ぇよな」
酔っ払って顔を赤らめた源次が俺の背中をバシバシと叩いた。
「大企業のネトラレーナ・コーポレーション勤めだもんなぁ。給料も結構な額もらってんだろ?」
「まぁ、それなりには……な」
何がそれなりだよ。そういって再び俺の背中をバシバシと叩く源次。
以前、もろにぶん殴ったにも関わらず、こうやってまだ友達でいてくれる事を光琉は源次に感謝していた。
お互いに社会人になった。ボーナスも入って懐はそれなりに温かい。密かに今日の飲み代を奢ってやろうと考えていた光琉の耳へ、源次の大きな溜息が届いた。
「それにしても、やっぱ咲ちゃんは光琉を選んだかぁ」
「何だ? 藪から棒に」
突然、どこかセンチメンタルな雰囲気を漂わせた源次へ、光琉は怪訝そうな瞳を向けた。
「いや、な。実は俺、咲ちゃんの事が好きだったんだよな」
「……今更かよ」
光琉は大学卒業と同時に咲と結婚をした。
ひらエモによって脳破壊されていた光琉は一生、結婚なんてしない。まして幼馴染などあり得ないと考えていたが、実際の結婚生活は光琉に沢山の幸福をもたらしてくれた。
そして、今ならば分かっている。その陰の立役者が他でもない眼前にいる源次であった事を。
「なぁ、何で源次は咲の告白を応援したんだ? 俺と咲が疎遠になっていた間にチャンスはあったろ」
卒業の日、光琉への告白を後押ししたのは源次だった。彼は咲の事が好きだったにも関わらず、光琉のと仲を応援した事になる。
源次を殴り飛ばした事件の後、光琉は源次と咲を避けていた為、その間に源次が咲を口説くチャンスはあったはずだ。
「そりゃあ……」
少し口籠った後、源次は白い歯を見せて豪快に笑った。
「そっちの方が興奮するだろ?!」
光琉の友人である源次という男はどこまで行っても自身の性癖に忠実な男であった。
その後、美容師の女性と結婚を果たした源次は「やはりネトラセよりネトラレだよな!」と言い、自身が過去に放った「偶発的に起こるからこそ最高に興奮できるNTR」発言を証明しようと、あれやこれや馬鹿な画策をしたようだが、結局は失敗に終わったらしい。
源次の妻は身持ちが固かったからだ。実に良い事だと思う。
性癖が満たされないと愚痴を言いつつも、その実、もう完全に諦めている源次は幸せそうに笑っていた。
そんな困った友人である源次を生暖かい瞳で見守りつつ、光琉は順調に咲と幸せな家庭を築き、子供にも恵まれた。
光琉は時々思うことがある。もしあの時、源次からひらエモを勧められなかったら、と。
その場合の光琉は漫然と日々を過ごしていただろう。大した努力する事もなく、何となく進学して何となく就職して。その先に今と同様の幸せはあったのだろうか。
やり過ぎた感じはあったものの、NTR回避の為に己磨きへ勤しんだ日々は無駄ではなかった。むしろその努力があったからこそ、今の自分があるのかもしれない。
努力は裏切らない。まさにその通りだと思えた。
「行動なくして幸福なし。どんな形であれ、努力こそがNTRへの特効薬かもしれないな……」
愛しい妻とその傍らで眠る子供たちの寝顔を眺めながら、光琉はそう呟いた。