後編: 本物の人生とは
滑り止めで入学した高校に馴染めず家に引き籠もっていた僕にとって、久々の夢は非常に胸躍らせるエンターテインメントとなった。
部下の船員たちに助けられ、王国で待つ愛らしい婚約者を想い出し、夢の僕は失意に飲み込まれることなく光の国を後にしていた。
三度の夢で、貿易船は主要な三つの国を巡っていく。
肉の身体を持たない陽炎じみた人々が暮らす猛暑の砂漠【炎の国】。
美しい人魚たちの都。魔法の潜水艦に乗っていく琥珀の宮殿【水底の国】。
血まで凍りつく極寒の世界、環境に適応した岩石人たちが生きる【雪の国】。
そうして、様々な経験をしながらも僕らは交易を成功させ、長い航海を終えた船は懐かしの王国へと戻る。
船主はこの貿易によりもたらされた莫大な利益に喜び、一人娘と僕の結婚式を王国中に轟くほど盛大に執り行ってくれた。
偉業を成し遂げた達成感を胸に目覚めた現実の僕は、暖かな布団にくるまれ、夢の続きを期待しつつ、平日の昼間から贅沢な二度寝を決め込むのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
もう八度目になる夢に現実の僕は狂喜した。
一念発起して小さな配送会社に就職したはいいが、劣悪な待遇と激務に倦み、心身も病んでいた時期のことだ。
大きな屋敷で妻子に囲まれて生活する傍ら、貿易船団を率いて世界を巡る。
まさに夢のような生活を送る僕だが、今回はかなりの窮地に陥っていた。
名の知られた海賊船団との交戦中、味方の船団とはぐれた我が旗艦が偶然にも流れ着いたのは、人以上の美徳と知能を持つに至った獣が卑しい野獣同然にまで退化した人間を支配する文明を発達させている未知の大陸【獣の国】だった。
獣たちは見た目こそ僕の知る動物とまったく同じであるにも拘わらず、独自の言語を話し、素朴ながら高度な文化を有し、完成された社会を築き上げている。
対して、ここでの人は下劣で醜悪極まりない。
何よりも不快にさせられるのが、彼らの行いをどこか人間の本質的な悪徳に則ったものであると否応なく理解できてしまうことだ。
高貴な獣たちと一年ほど暮らした僕ら船員はすっかりこの理性ある社会が気に入っていた。彼らから同胞として認められることを切望するほどに。
しかし、ここを知れば知るほど自分たちが異物でしかないことに気付く。
そして、野生の人間がどれほど害悪であることか……。
僕ら知恵ある人の存在がどのような悪影響を及ぼすかも想定しきれない。
獣たちと船員たちを交えてよく相談した末、僕たちは名残惜しく思いながらも艦へ乗り込み、自らの属する王国へ帰還することを決意したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そして……。
これが九度目の夢だ。
薄れゆく意識の中、僕は過去の夢を鮮明に思い出していた。
これまで、どの夢も詳細をまったく思い出せなかったのだが、灰色の現実より夢の中でこそ本物の人生を生きてきたことを改めて感じさせられる。
でも、何故だろう……今、この時に至り、思えば……。
あの夢を見る度、現実の僕は少しずつ何かを失っていったような――。
まぁ、いいか。
次の夢はどんなだろう。楽しみだなぁ。
そこで僕の意識は途絶えた。
…………。
朝、目覚めた私は、隣に眠る妻と子の存在を確認して安堵の息を吐く。
「ふぅ、相変わらず奇妙な夢だった。もう十回目……いや、九回だったかな? やれやれ、どちらでもいいことだが」
「……んん、あなた?」
「おっと、起こしてしまったかい。おはよう」
未確認大陸を始めとする数多くの新航路を発見し、異文明との交渉にも通じた私は、今や王国の大規模船団を任される若き提督となっている。
思えば、これはある意味で夢のお蔭とも言えるだろうか。
あの奇妙な夢の中での私は嫌になるほど愚鈍な男だった。
しかし、夢から目覚める度、ああはなるまいと己を奮い起たせ、人生の岐路を誤ることなく進んでこられたような気もしているのだ。
凡庸で退屈な、しかし、異常に現実感のある異世界の夢。
ともすれば、どちらが現実なのか分からなくなってしまうほどの夢。
「パパ、おはよー!」
「ああ、おはよう」
「今日は出港の日だよね? 僕、ママと一緒にお見送り行くからね!」
「ハハハ! それならちゃんとお前たちを見付けて帽子を振ってやらないとな」
まぁ、つまらないことを考えるのはもういいか。
次の航海は何が起こるのか、今から楽しみだ!
私の人生はまだまだ続くだろう。
しかし、あの奇妙な夢を見ることは二度と無い。
何故か、そんな予感がしていた。
最後まで読んでくださって有り難うございます。
この物語は自由に想像し、お好きなように感じていただけたら嬉しいです。





