ラグノールの海で⑧
<拠点での戦い>
「見失ったな……」
「そうだな……」
ヴォルクとクラリスは船上で佇んでいた。
意気揚々と出発したはいいものの、全速力で駆ける海賊船たちに追いつけず、あっという間に見失ってしまった。、
「まぁ、こっから狼煙をあげる手はずだったよな」
クラリスが作戦を思い出しながら、まだ作戦の範囲内であることを伝える。
「狼煙ねぇ……」
「どうかしたか?」
「いや、さっきあいつがブチ切れたときに投げつけてたような……」
「まっさかぁ」
「さすがに見間違いか……」
…
リリスの怒声が、波の音をもかき消して響き渡った。
「待ちなさぁいっ!! 誰が年増だってのよおおおお!!!」
その気迫に、船の舳先が風を切って突き進んでいた。魔法の残滓が空中を焦がし、船首の板が微かにきしむ。海賊船を目指して一直線に追いかけるリリスの姿は、もはや「追跡」ではなく「討伐」に近い。
部下たちは青ざめていた。
「姉さん……マジでキレてる……」
「当たり前だ、あれは禁句中の禁句だ……!」
船が岩礁の影を抜けると、開けた場所に出た。そこは港のようになっている。どうやらここが海賊たちの拠点となっているようだ。その時、遠くから罵声が飛んだ。
「へっ、ババアにしては追ってくるのが速いじゃねえか!」
「――あ?」
リリスの顔が、静かに、しかし確実に険しくなった。
だが、次の瞬間。
「やめておけ」
低く、だがよく通る声が奥から届いた。
その男が姿を現すと、周囲の空気が変わった。海賊たちの士気が一気に整い、ざわめきが消える。まるで訓練された兵士たちのように、矢を番え、構えが整っていく。
「……あいつがボスっぽいわね」リリスが呟いた。
男は痩身で、黒の軍服を思わせる海賊装束に身を包んでいた。光を受けて藍色に輝く髪を乱さぬよう後ろで結び、鋭い目を光らせてこちらを睨む。
「魔王軍の魔女か……、よくもまあここまで追ってきたものだな。だが、ここまでだ」
「自分で言ってて恥ずかしくならない? この時代にテンプレな台詞を……」
「ふん、構わん。矢を放て!魔法もそのうち尽きる!」
その合図と共に、海賊拠点の高台から一斉に矢が放たれた。
リリスは咄嗟に魔法の障壁を展開する。「っ、これはマズいわね……数でも地の利でも完全に不利……!」
「姉さん、どうします!? このままじゃ!」
「狼煙を上げるのよ! 早く!」
「それが……さっき姉さん、怒りながら投げちゃったじゃないですか!」
「はぁ!? どこに!」
「海賊に!というか海に!」
リリスは天を仰いだ。激しい爆撃のような矢の雨に、防御魔法の負担が増していく。炎の壁で守っても、隙間から矢が飛び込んでくる。
「くっ……どうにかしてこの状況を――なんか燃えるものはないかしら?」
その時、彼女の視界に入ったのは、自身の腰に結わえていた一本の瓶。それはフィーネから手渡された日焼け止めであった。その瓶をよく見ると――
「……火気厳禁……?」
フィーネの文字が、淡く光るラベルに浮かんでいた。
「まさかとは思うけど……これ、可燃性……?」
あたりを見回すと、船の脇には補給用の小型船が係留されていた。木製で、積荷には布と……小さな火薬箱が見える。
「姉さん!あれなんかどうですか?」
「さすがにピンポイントで箱に火を当てられないし……船は魔法を当てたぐらいじゃ簡単には燃えないわよね……」
矢がまた一斉に飛んでくる中、炎の壁で矢を焼き払った。
しかし、周囲には斧やら矢やら、これでもかというぐらいに突き刺さっている。
「さすがにもう限界が……やっぱりこれしかないか……これに火魔法を当てて燃焼させれば……」
手の中の日焼け止めを見る。
「でもこれは……フィーネちゃんがせっかく作ってくれた……うーんでも他に手もないし……」
「もうやばいですよ!!」
「仕方ない!フィーネちゃんごめんね!」
えいっと日焼け止めの瓶が投げられ、瓶は大きな弧を描いて小舟に着弾した。直後――
――ドン!!!
衝撃が水面を走り、爆風が海面の霧を巻き上げた。
「ちょ!まって!?まだ魔法あててないんだけど、勝手に爆発したわよ!?」
爆発は小舟の船体を燃やし、そして火薬箱に引火した。
――ドンッッッ!
再度、先ほどよりも強い衝撃で爆発が巻き起こる。船体は完全に木っ端微塵になり、破片が四方へ吹き飛んだ。
「なっ!は、破片が!馬鹿、やめろ――!」
火のついた破片が爆発の余波で、港にある倉庫の扉まで吹き飛び、火の粉が火薬庫へと飛び込む。
3度目の爆発は、一際大きなものだった。
火薬庫の引火は叫ぶ間もなく、海賊拠点の一角が、大きな爆発と火柱に包まれた。
リリスは、爆風の後ろで髪を乱しながら仁王立ちしていた。
「な、なんかすごいことになっちゃったわね……計画的な火計、ということにしておきましょう。」
「姉さん流石っす!」
…
その頃、海上を回っていたヴォルクたちの視界にも、黒煙が上がっていた。
「来ました!合図です!」
「……やっぱり狼煙を投げたのは見間違いだったんじゃないか?」
クラリスが呆れたように言う。
「おう?なんか狼煙にしては黒いような……?まあ……あれがリリスらしさってやつだな」
ヴォルクは笑うと、剣を握った。
「突っ込むぞ! あいつが派手にやったぶん、俺たちも暴れなきゃな!」
クラリスは小さく笑った。
「あいよ、後始末ってやつだな」
魔王軍の増援が、炎の渦中へと走り出した。