最悪なる災厄
最早ネイサンの精神は限界を迎える寸前だった。
人間は体感で四百年近く同じ生を繰り返すことができるような生物ではない。そして何度も何度も自室のベッドからやり直し、その度に原因が掴めず絶望して、積み重ねた全てが無駄になるのだ。
ただ徒労。
ただただ無意味。
終着点が見えない生という地獄。
それでもネイサンは何とかするために彷徨う。
「あれ?」
とある街に古代の本が隠されているという噂を聞いたネイサンは、それが解決の糸口になるのではないかと思い込み訪れたのだが、その街中で不思議な物を見たと言わんばかりの声を聞いた。
ネイサンがその声を発した人間を見た時、奇跡が起こった。
もう四百年前の記憶なのに彼の人生で最も脳が活性化して、珍しい黒髪黒目の男と現状が結びついた。
「お、お、お前のせいかああああ!」
「ふーむ……少しお話ししましょうか」
叫ぶネイサンにその男、ケントはさてどうしたものかと首を傾げ、少しだけ付き合うことにした。
「今すぐこれを解け!」
ネイサンは正気をほぼ喪失している状態ながら、今の地獄の原因がケントにあるという正解を導き出した。
ただ、ケントにすればこの恫喝はあらゆる意味で聞けなかった。
「正直なところ、勝手に発動してる力なものでどうしようもないんですよ」
ケントは包み隠さず真実を告げた。
この力は彼が制御しているものではなく自動的に発動しているため、能力の持ち主のくせに原理がさっぱり分かっていなかった。
「嘘を吐くな! 何か抜け道があるからお前は無事なんだろうが!」
「いや、無事も何も別に困ってませんから」
「は?」
ネイサンは正気でないまま、自分と話を成立させているケントもまた、生を繰り返しているから自分のことを認識しているのだと思った。
だからこそ平然としているケントは能力の抜け道を知っているのだと考えたが、答えはどこまでも救いようがなく……そして悍ましいものだった。
「鳥の動き。虫の生活をじっと観察したことは? 彼らの生態は見ていて飽きませんよ。花の美しさに見惚れていたことはありますか? 気が付けば夕方だってことがしょっちゅうあります」
ケントの表情に曇りはない。
「朝日と共に運動はされてます? 体がほぐれて気持ちいいですよ。食事はちゃんと食べてますか? 毎日のことですが美味しいものに飽きなんてありません」
精神にほつれもない。寧ろ満ちていた。
「他の人からも、何度も何度も同じことを繰り返すと言われますが私はそう思いません。毎回毎回驚きも、新鮮さも、楽しさもあります」
まさしく最悪の組み合わせ。
「ざっと一千万回は繰り返してますが、飽きるような兆候も辛いと思ったこともありません」
「一……千万回?」
「はい。一回が平均して二十年から三十年って考えると中々ですよね」
無限地獄に引き摺り能力と、何があっても人生を楽しめる正気の異常者がそこにいた。
「お前は……! お前は世界に対する呪いそのものだ!」
それはネイサンの言う通り、まさしく最悪なる災厄の化身だった。
しかし、ケントも言いたいことがあった。
「そう言われましても……自分のこの力に引っかかる人ってあまりいないはずなんですよ」
「な、なに?」
今まで呪いだの災厄だの、いてはならない存在など、様々な罵倒を受けているケントだが、長い生で自分の能力が発動する条件は何となく把握していた。
「賽の河原……って言っても通じないか。えーっと……大雑把に言うと親より先に死んだことが罪だからって、子供が河原で石を積み上げては悪魔に崩され、それをまた初めから積み直す苦行があるんですよ。そして自分の場合は、酷く悪いことをした人を取り込むってところまでは分かってます」
相手がかなりの罪を重ねていないと発動しない筈なのだ。
不慮の事故、偶然の産物が起こってケントを殺してしまった者の中には、無限地獄を経験していない者がいる。
ケントはもうずっと前に、何故なんだろうかと疑問を覚えて調べると、どうもこの能力が発動するのはどうしようもない悪人に対してだと結論していた。
「善行を積み重ねている俺を悪だと⁉」
「世間一般じゃ神の名を使って女子供関係を殺すのは悪党なんですよね」
自分達こそが正義だと信じて疑わないネイサンに、ケントは嘲笑することなく単なる一般論を口にした。
ケントは悪を滅ぼすつもりなどない。正義を助けるつもりもない。
ただ人生を楽しんでいる最中、誰かの世話になったのなら。恩を感じたのなら。それを返すのが人の道理だと思って、ネイサンを引きずり込んだだけだ。
「ふ、封印だ……封印してやる……!」
「よく言われますが、今のところそれが上手くいったことはないですね。大体の場合で千年も経てば封印が綻びますのでまたやり直しです。ああ、例外が一回だけありました。星と宇宙が終わりを迎えたから封印を維持できなかったと結論された方がいまして、多分、実際その通りのことが起こったんでしょう。封印されたと思ったら、起きて元に戻ってました」
「星が? 宇宙が終わる?」
「ええ。いつか訪れる確定した事項と思ってください。無限を脱出したところで、結局人々が作り出したものは無に消え去ります」
「う、嘘だ!」
「まあ自分も直接見たわけじゃないんですが、その人が言うには神も星と宇宙の滅びを食い止められなかったようですね」
目を充血させて涎すら垂らしているネイサンに、ケントは臆することなく淡々と事実だけを伝えるが、星や宇宙の尺度で考えたことのない人間には酷すぎた。
「それじゃあ今回はこのくらいにしておきますか」
「な、何を⁉」
ネイサンが止める暇もなかった。
ケントが腰に提げていた短刀で自分の喉をかき切ると鮮血が迸った。だが……その瞳は全く揺るぐことなくじっとネイサンを見つめていた。
「ああ⁉」
街中にいた筈のネイサンは、自室のベッドで飛び起きる。
「か、必ず抜け出して見せる! 必ずだ!」
そして天に向かって吠える。
それは神に誓った決意だった。
◆
とある集落は神への信仰が厚かった。
村人なら誰もが悪が滅ぶことを願い、邪悪なる異端は赤子だろうと関係なく殺し尽くすことを望んでいるような村だ。
そんな村で、息子が起きてこないことが気になった母は、様子を見るために部屋を覗き込んだ。
「ネイサン起きてる? ……ネ、ネイサン? ネイサン!」
ピクリとも動かない息子が気になった母が恐慌に陥る。
ネイサンはどこも見ていなかった。
見開いている瞳はどこも見ておらず、唾液がだらだらと口から流れ、ただ息をしているだけの存在だった。
◆
そして……。
とある男女の結婚式で拍手をしながら祝福する黒髪黒目の男がいた。
何千年も前の恩を返すためだけに用意した、綺麗な青い布と共に。
一発ネタみたいなものだったので、いったんここで終わらせていただきます!
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