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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

少女は皇帝となった 総集

作者: 佳音

連載をまとめたものです。

「はぁ、こんな人生、もううんざりだよ」

 人目につかない裏路地に彳む少女は、静かに愚痴を溢した。

「信じている神様が違うから、血が()()()から。それがどうしたというの?そんなくだらないことが、私の人生の隔たりになっているということに、何故誰も気づかないの?」

 美しい銀色の髪を持つ彼女はお使いの最中だったのか、中身の詰まった紙袋を抱え込んでいた。小柄な少女には大きすぎる袋は重量もあったようで、一歩歩みを進めると同時に収まっていたはずの内容物は底を突き破って、周囲に拡散した。

「あ、やっちゃった...」

 丸い果物は転がっていき、遂には大通りまで辿り着いてしまった。地に撒かれた果物や、困惑する少女の姿は街行く人々の目にも留まっているはずなのに、何故だか誰も、手を貸そうとはしない。

 そんな、切ない空気を打ち払うかのように、座り込み荷物を拾い集める少女の隣に、ある一人の少女が蹲踞した。その少女の黄金色の前髪は左目を覆い隠しており、碧く澄んだ右目へと視線が誘導される。

——ああ、綺麗な瞳。偽りなく真っ直ぐだ。

「手伝うよ、一人じゃ大変でしょ」

「ありがとう」

 金髪の少女は自身の持っていたトートバッグを銀髪の少女に与え、そこに荷物を詰めるよう命じた。

「でも、それだとあなたが...」

「いいの。私の家、すぐそこだから」

 すぐそこと言われても、この辺りにある住まいは領主であるクロフォード家の屋敷のみである。この言葉は、銀髪の少女に罪悪感を与えない為に吐いた嘘なのか、彼女はクロフォード家の娘なのか。

「...」

 彼女には、それ以上問いかける勇気はなかった。

「...はい、これで最後。気を付けて帰ってね」

「本当に、ありがとう」

「私が勝手に手伝っただけだし、そんな大層なこともしてないって」

 そう言ってはにかむ彼女は、女神のように見えた。そして、彼女は再び口を開いた。

「私は、レイア・セリシア・クロフォード。レイって呼んで。貴女は?」

「...プリムローズ」

 金髪の少女ことレイア、レイは本当に貴族の娘だった。貴族であれば、当然プリムローズのような、「迫害を受けている人種」についての知識もあるだろう。

「私のこと、気持ち悪がらないの...?」

「どうして?」

「だって、私は...」

 私は人の姿形をした化け物だから。そんな言葉は、彼女には重すぎて、口から発せられることはなかった。レイは太陽を背にして、顔に影がかかるように立ち位置を調整すると、先程まで左目に掛かっていた前髪を避けた。

「...それは、私も、貴女と近しい立場にいるから」

 レイの左目は、あらゆる物をも飲み込んでしまいそうなほど深い、紅色をしていた。

「神に呪われた子だとか、馬鹿馬鹿しいの。左右の目の色が違うから、何だというの?」

 プリムローズは、家柄も住まう世界も、何もかも違うこの少女に、妙な親近感を覚えた。


「レイア、帰るぞ」

 背後から唸るような低い声が聞こえた。その元を辿ると、身長は190はあるであろう、長身の男が鞄を持って立っていた。その男の髪や目は、レイのものとよく似通っていた。

「...はい、お父様」

「レイア、忠告しておこう」

 お父様と呼ばれた男は、プリムローズを鋭く見据えると、無慈悲な言葉を発する。

「其奴は、人の姿をした化け物だ。関わるんじゃない」

「っ...!」

 レイは、怒りや悲しみといった感情が暴走しないように、必死に堪えているようだ。

「お前もだ。俺の権力で捩じ伏せているだけで、所詮は其奴と変わりはない。分かったのなら、飛び火の来る前に離れるんだな」

 ぷつっと、何かの切れる音がした気がする。レイは、大きく息を吸い込むと、反撃を開始した。

「お父様は、何も分かってない!生命は皆等しく貴くて、優劣なんてあるわけない。どうしてみんな、蔑む対象がいないと生きていけないの?その大きな体には、優越感しか詰まってないの?」

「お前...誰に口を聞いているのか分かってるのか!」

「逃げよう!」

「えっ」

 レイはプリムローズの手首を掴むと、裏路地の方向へと走り出した。


「ここまで来たら大丈夫かな…」

 少女たちは裏路地を駆け抜けると付近の林へと逃げ込み、追手から姿を晦ました。

「こんなことになってごめん。貴女が、亡き母によく似ていたから…」

 レイはとても哀しそうな目をした。ポシェットに手を入れたかと思うと、その細い指の中にに一つのヘアピンが収まっていた。

「そのヘアピン…」

 ヘアピンは金ベースに、眩しいほど発色の良い、コバルトブルーの宝石が埋め込まれていた。彼女の髪色と、瞳の色と同じだ。

「お母さんの形見なの。アルビノって知ってる?ウサギとかにも居るんだけど、色素を持たない種で、目が血液の色の」

「…知ってる、街で会ったことがあるから」

 レイは前髪を纏め上げると、上の方をピンで留めた。

「アウイナイト、石言葉は『過去との訣別』。だけど、お母さんが居なければ私は今頃、この世には…」

「お母さんと何かあったの?」

 彼女は、ふうっとひと息つくと、過去について語り出した。

「私も貴女もお母さんも、迫害される人種。鬼の子だの化け物だの、勝手に敵対されて、住む場所を追われる」

 ふと目についたのか、アイリスの花を摘むと、木の幹の窪みにそっと添えた。

「——私が産まれた時、お父さんは、私を殺そうとした。頸筋に小刀を突きつけて、一思いにやってしまおうと…」

 右手を首元に当てると、何処か遠くを見つめるように、顔を上げた。

「その時、誰一人として彼を止めようとしなかったことを見兼ねて、産後間も無くのお母さんは止めに入った。お母さんは十七針縫う大怪我を負ったのだけれど、命に別状はなかった…はず」

「はずって…」

「次の日、母は突然、命を引き取った。胸元には、鋭利なもので突き刺された傷跡があって、真っ白だった肌やシーツには、赤黒い血がこびり付いていたみたい。死因は、失血死」

 レイの潤んだ瞳からは、ぽろぽろと大粒の涙が溢れていた。

「十七針って、不吉だよね。VIXIとも表せて、ラテン語で死を意味する。きっと、死に呪われていたんだ」

 犯人が彼女の母を殺したのは、偶然だった。アルビノを嫌う男が、偶々同じ病室に居合わせたのだ。

 元々迫害されて然るべき人種だから、その男に待ち受けていた裁きは、殺人にしては大層軽い物だったそうだ。

「私が物心つく頃には、実の母は死んでいた訳だから、屋敷はとても窮屈だった。一夫多妻制の世の中で、義理の母は沢山いたし、使用人もいた。けど、お母さんから唯一受け継いだこの目があるから、みんな怖がって、業すら放り出しちゃった」

 突風が吹き荒れたかと思うと、幹の窪みに添えた花は宙を舞い、黒く湿った土壌へ落ちた。

「みんな違って、みんないい。そうだよね…信じているものが違くたって、他人と少し違うからって、本質はみんな同じ。ヒトとしてイデアを授かっている限りは」

 これは、プリムローズにも宛てた言葉なのだろう。

「プリムローズ、プリムでもいい…?貴女も、もううんざりだと思わない?」

「…うん、行き辛い世の中だよ。みんなして、私を除け者にする」

 レイはプリムの手を取ると、とても正気とは思えない事を口走る。

「——この世界を、変えようよ。私たちで」


「私たち、で?」

「そう、叛逆を興そう。同じく、肩身の狭い思いをしている人たちを集めて。協力者はクロフォード家の伝手で、既に揃っているから」

 齢は16程だろうか。そんな彼女は、大の大人ですら投げ出してしまいたくなるほどの重い責任を負う覚悟があると言うのだろうか。

「もう、私が失うものはないの。運命は、転ぶ方に転ぶから、正解・不正解を考えるのは無駄だって思うから。その為に、仲間が欲しいの」

 プリムは、まだ短い人生だが、人生で最大の決断を強いられていた。確かに、この世界が住みやすくなって欲しいと願う気持ちはある。しかしそれ以上に、未知の世界への恐怖があるのだ。

 プリムには、親という概念が存在しなかった。また、愛される事を知らなかった。彼女は日々、「生きること」を考える事しかできなかったのだ。

 数分の沈黙の末、決断を下した彼女の返答は、

「…分かった。協力する」

 イエスだった。

「ありがとう。丁度いい時に出会えたよ。これから、拠点へ向かう所だったんだ。今は、合図を待ってる」

 これが運命の賭けだ。

 失敗すれば当然命はない。それでも、彼女は、プリムローズは、今置かれている環境に納得がいかなかったのだ。

 茂みに身を潜める事2時間と少し。辺りが暗くなり始めた頃に、ライトを使ってモールス信号が送られてきた。

『・・-・- ・-・ ・・-・- -・-・ ---・- ---・- -・・・-』

「…南に進め、か」

「でも、方角なんて分からないよ」

 しかしレイは、さも当然かのように、左の方角へと歩み出した。

「まだ陽がある。今は日没直前だから、沈みかけている太陽の方角が西。南はそこから反時計回りに90°」

 学問のよく分からないプリムにとっては、異国語を聞かされた気分だったが、レイが言うのなら間違いはないのであろう。

「行こう。幸いまだバレてないから、急いで」

「うん」

 プリムはレイに手を引かれて、太陽を右手に走り出した。日々荊棘の道を歩むプリムにとって、駆け出したレイの華奢な背中を追うこの時が、如何にも息苦しさから救ってくれそうで、胸に炎が灯った様に、野望が身体を熱く燃え上がらせる感覚を抱いた。

 15分程走ったのだろうか。疲れ切った身体は酸素を欲し、浅い呼吸に激しく鼓動する心臓を宥めようとはしない。額を伝う汗は既に九割九分沈んでしまった太陽の光によって、輝く。

 林を抜け、未だかつて見たことのない街並みが流れていく。暫く走ると、とある赤煉瓦造りの、可愛らしい伏せ屋に辿り着く。

「此処が私たちの拠点アジトだよ。叛逆の第一歩に願いを込めて、起源オリジンって呼んでる」

 レイは扉を引くと、プリムを内部へと招き入れた。暖炉を囲うようにソファが置かれていて、パチパチと火花の音が心地よい。ふんわりと香る沈丁花は、プリムたちを迎え入れる様に、部屋中を包み込んだ。

「本当の居場所は、何処なんだろうな…」

 何処か寂しそうなレイの瞳には、美しく、そして執拗に輝く炎が灯っていた。


 勿論、行動を始めないことには、事態が良い方向へ向かうことはない。しかし、良い意味でも悪い意味でも、「何も変わらない」のだ。叛逆の罪で断首されることもなければ、義理の正義に飢えたヒトを謳う者どもと対峙することもない。私たちが行動することに意味はあるのか、リスクとリターンで考える必要があった。

「プリム、これが陰謀への参加者名簿。写真もあるよ」

 これはまた、気の利く相方である。殊更問題となるほどではないが、プリムは字が読めない。つい先日、aからzまでの26字を覚えた所なのだ。書けるのは、All collect,Go,Stay,Wait、そして、自身の名前、Primroseと、良き相棒、Leiaのみである。

 学問は楽しいものだと、熱心に励むプリムを見たレイは、「誰もが教育を受けられる、そんな国があればな…」と、感歎を溢した。一方の彼女は、秀れた頭脳と、カリスマ性、武具の扱いや殺生にも長けていた。幼い頃からの英才教育が効力を発揮しているのだろう。身のこなしは、武人のそれとなんら変わりなく、観る者をその美しさで惹き込ませる。

 彼女にとって、城下の兵衛なんて、赤子も同然だろう。そんな彼女にも、弱いものはあるのだ。それを打ち明けてくれたのは、あの、暗い林の中だった。

「…私は、人を殺せない」

 切な気な面持ちで、叛逆に於いて致命的な欠点を自ら発いた。

 それだけ、自分にとって辛いことであったとしても、この世界が許せなかったのだろう。それならばと、プリムはサラサラと靡く銀髪を結い、叛逆を遂行する決意を固めた。

 暖炉に焚べていた薪は全て炭となってしまい、パチパチと燃えていた焔は静かに消え失せた。


********************


「おはよう、朝だよ」

 静寂な夜が明け、燦々と輝く太陽は血腥い未来を霞ませるべく、語りかけるように柔らかく彼女らを照らした。

 レイから漆黒の剣を承けたプリムは、嘗て無い高揚感と、それとは正反対の感情、哀を感じた。鞘を腰にかけ、柄を強く握り締めた。

「——私達は、同じ人間なのだから」

 …だからなんだというのだ。そもそも、真っ当に生きて、唯仁義を問うだけの少女を執拗に否定し、絶望の淵へと追いやった者達を、同じ「人間」と見なしていいのだろうか。仲間ではないのだろうか。

 ——否。これが結論である。

 刃向かう者は殺しても構わない。私の使命は、自由を手にすることなのだから。


「はぁっ、99、100…、」

 銀髪の少女は今日も木刀を振っていた。密度の高い木材を粗く削って作られた木刀は、想像よりも重量があるようで、半端な力で振えば太刀筋を制御することもままならない。

 プリムは額の汗を拭うと、茂み付近の岩へと腰掛けた。すると、茂みはガサゴソと音を立てた。

「わぁっ…」

 草木の中から顔を出したのは、金髪の少女、レイアであった。

 その背後には、一人の大柄な男が立っていた。

「この人は私たちの味方で、軍事の指揮を執ってくれる人」

「どうも、ニコラスです。以後、お見知り置きを」

 その男はなんとも細身で、逞兵とは掛け離れた体格をしていた。しかし、立ち振る舞いは気品で育ちの良さが伺える。

 そして、その顔立ちには妙な見覚えがあった。

「…貴方は、もしかしてこの帝国の皇子」

 ニコラスという名の男は、先程までの柔らかさを消し去り、黒い、刃物のような鋭利な笑みを浮かべた。場の空気は凍てつき、たじろぐ事さえできなかった。

「ごもっとも。私こそ、ニコラス・アルフォンス。()()()()皇族の血を受けしもの」

 プリムはこの男が嫌いになった。態度が気に食わなかったのだ。

「そんな御身分の方が、何故に私たちの味方をするというので」

 ニコラスは、黒い笑みを一層強めると、手の内を明かした。

「私にとって、皇族は邪魔でしかないのです。この帝国の制度はご存知ですか」

 皇子に不利になる制度といえば、『女帝が統治する国家』ということだろうか。確か、彼には三つ上の姉がいる。

 ニコラスは切り株の上に座り込むと、更に付け加える。

「私が欲するのは、富でも名声でもない、軍事的な侵攻力ですから」

 妙な男だ。そんな物、皇帝の一存で覆るのだから、態々リスクを冒してまで叛逆に加わる理由とならない。

 ——何か裏がある、信用するな。

 プリム自身の勘は、そのように示唆していた。


 ニコラスが兵士達との打ち合わせがあると、この場を立ち去った後、プリムは月桂樹を踏み躙ると、一旦思考を停止した。今考えた所で、どうすることもできない。

 彼女の横で国土地域の地形図を真剣な面持ちで睨むレイは、計画のことで手一杯だろう。

「ふぅ、休憩にしよう…」

 木刀を背負うと、木陰ですやすやと寝息を立て始めた。


「——っ誰!?貴方達は…」

 彼女の睡眠は、レイの悲鳴によって絶たれた。

 プリムは飛び起きると、岩に立て掛けた真剣を鞘から抜くと、悲鳴のした方へ走り出す。

「っ!」

 其処にはレイに刃物を向け、殺気を放った男二人が居た。

 遂に帝国にバレたか。あの男達は、クロフォード家の財産を狙った誘拐を企てている様には見えない。

 完全に、殺しに来ている。

 レイは、体術だけでも奴らを仕留める技量を有している。が、その力を使うのを恐れている。

「貴女は優し過ぎる。やっぱり、白い光の中で、お嬢様として生きていて欲しい…」

 プリムはそう呟く。彼女は真剣を持ち直すと、恐ろしいほど正確な太刀筋で男達の首を断ち切った。


——彼女にとって、初めての人殺しは、純粋な少女を護る為のものあった。


 もう引き返せない。私は…「罪人」だ。


 返り血を浴びて赤く染まった剣を振り、血を落とすと、鞘へと納めた。

 レイは、ほっとしたように胸を撫で下ろした。

「ありがとう、プリム」

 だが、プリムはその言葉に応えることができない。彼女は、既にレイと同じ立場に居ないのだ。

 先程までレイが睨めっこしていた地図を手に取ると、計画に記された地点を確認する。

 プリムはここ数週間の特訓の成果か、簡単な文書なら難なく読解できるようになっていた。レイは計画を立て終えており、それは全て地図に記入されている。つまり、もう彼女が居なくとも、叛逆に支障はないのだ。

 ならば、此処でプリムが取る行動はひとつ。

「レイ、私とは此処でお別れ。貴女は、陽だまりの中で、幸せに生きるべきだから」

「あっ…」

 レイは何か言い返そうとしていたが、プリムには関係がない。

 彼女はレイを置いて、陽の射す方へと歩み出した。


********************


「——さぁ、その時は訪れた。諸君、栄光の為に剣を握り給え」

 指揮官・ニコラスの掛け声を期に、火蓋は切られた。どす黒い暗雲に覆われた空は、目の前であるはずの王城を遥か遠い存在に思わせ、戦闘意欲を削ぐ。しかし、最早止まる術は持ち合わせていないのだ。

「必ず、女帝の首を取る」

 叛逆者は数刻後には、滾る怨念に身を任せ、帝国を絶望の淵へ陥れるのであった。


 その後の記憶は曖昧で、無に等しかった。気づけば、数多の兵を裂き殺し、女帝の首先に黒刀を突きつけていたのだから。彼女の背後は窓で、此処は4階。生きて逃げ延びるのは不可能だった。

 シャンデリアを吊るす糸が焼け切れ、パリンと音を立てて硝子片が飛び散った。

 硝子片はプリムの頬をかすめ、流血を齎す。

——追い詰めた。

 女帝は、名はなんだったか、確か、安泰セルマと言っていた気がする。

「——何者なの、貴女…」

 不確かだが、セルマは未確認生物と対峙しているかの様な怯え具合で、か細い声を発した。

「化け物の名なんて、聴いても無駄でしょう」

 冷たく突放す。彼女にとって、敵将との対話は流水を両断するのと同じほど興味のないものだった。

「何が、何が気に入らなかったの…!?私の権威があれば、どんな事でも…」

「私は、貴女に興味はないの。唯、純粋な少女や、私みたいな、不幸な人間を救いたいだけ」

 セルマは必死の命乞いで、呼吸が荒ぶっていた。

「——私たちに、貴女は必要ない」

「…っ!」

 ——プリムの剣は、寸分の狂いなく、女帝の首を刎ねた。


 プリムは、体力的にも限界を超えていたのだろう。立つのも覚束ず、剣を杖代わりにして漸と自重を支えていた。そんな所へ、悪魔は現る。

「本当によくやってくれたよ。プリムローズ」

 振り返る先には、先程まで味方面していたニコラスが居た。ニコラスは出会った時と同じ、又はそれ以上に冷たい目をして言った。

()()()()()()()()為だ、悪く思うな。——近衛ども、こいつを捕えろ」

 彼女の推測通り、ニコラスは初めから、裏切るつもりだったのだ。彼には他に妹、姉は居なかったはず。つまり、現女帝が死ねば、仕方が無しに彼に権力が集まる。これを狙っていたのだ。


「…レイ、ごめんね」

 プリムは元相棒を想い、涙した。


「…遂にできた」

——ニコラスが裏切った。そんな知らせを聴いて、居ても立っても居られなかったレイは、せめて、悪役に仕立て上げられたプリムだけでも救うべく、秘密兵器の開発に当たっていた。

 プリムに突放された所で挫けるレイではなく、寧ろその真逆であった。

 彼女は、プリムにとって、「不必要だった」過去の自分が不甲斐なく、尚裏切り行為を見過ごした事の罪滅ぼしとして、全精力を注いで救出計画を練っている。幾つか実行の目処が付いた物があるが、どの作戦に置いても、如何しても、レイには克服しなくてはならない壁があった。

 『人殺し』、それは、彼女のトラウマその物だった。どんな計画でも、確実、なんてものはない。少しでも蓋然性を高めるのであれば、少々手荒な手段をも取らなくてはならないのだ。そしてそれは、「せめて苦しまずに、一息に」殺す為、彼女が恐ろしい兵器を生み出すこととなる。

 レイは真っ暗な洞窟に身を潜め、蝋燭の僅かな光のみを頼りに、かつて無い殺傷力を持つ武器を開発した。火薬を用いて金属片を撃ち出すこの武具を、拳銃

——Pistolと名付けた。

 しかし、これはまだ射程距離が短く、計画には不向きだった。改良の余地はあるだろうから、プリムが処刑される「三ヶ月後」、タイムリミット迄に練り直そう。


********************


 レイには、もう一つやらねばならぬ事があった。それは、プリムとコンタクトを取ることだ。救いの手を差し伸べたところで、思い通りに動いてくれないと、どうしようもない。不確定要素はできる限り排除すべきだろう。

 独房へ入れられたプリムと会う手段は、多くはない。年に一度の解放日のみである。それは、正に今日であった。これを逃すと後がない。

 松明に火を灯し、既に慣れ親しんだ洞窟を後にした。


「——面会を望むのか?」

 看守の長は重く、低い声で尋ねる。レイは物怖じもせずに答える。

「はい。プリムローズ・()()()()()()へご通達を」

 彼女には、事実を伝えてはならなかった。実の母を手にかけたとしれば、嫌悪の念に押し潰されることになるだろう。隠し子であり、忌子である彼女は、まだ、自身の置かれた境遇を理解しない。記憶が無い。

 これが、執拗に過去を話したがらない理由だった。そもそも、覚えてすらいないのだ。愛すべき母の顔、生誕を祝う暖かい視線、幼き頃の美しい思い出も。

 何としても、彼女を生かさなくてはならない。一人の少女を、たった一人の、癒えない少女を。


「プリム、久しぶり」

 独房の中には、妙に落ち着いたプリムが硬いベッドに座っていた。灰色で狭い独房は強い圧迫感があり、狭心させる。

「レイ…」

 プリムは収縮した様子であった。目に光はなく、随分と落ち込んでいる様に見えた。

 レイは、彼女に脱獄の計画を伝えようとした。

「プリム、明日の朝日が昇ったら…っ!」

 背後に痛烈な殺気を感じた。ニコラスだろう。計画を聞かれて仕舞えば、彼の野望の妨げになる為、排除しに来るだろう。

 それは、何としてでも避けたい。

 ならば、残された手段は一つだろう。

「…プリムに任せたのは、失敗だったよ。理不尽に対抗する為の曲がりくねった正義で、どれだけの人を殺したの?」

「…!?」

 プリムは感歎した。

「私は、平等に誰もが暮らせる、笑顔の咲く世界を作りたかったの。貴女は、唯の『悪魔』でしかない」

 心が痛い。偽りを叙述するのが、ここ迄精神を引き裂くとは思わなかった。

(いつか、必ず橋を繋げるからね…)

 悲しみを秘めた深い碧色の瞳の奥で、贖罪をする。

「秩序を乱して、大勢の夢を奪って…プリムはもう出会った頃の純情な少女じゃない。本当に、こんな事を望んでいたの?」

 知っている。彼女は誰よりも、人を思い遣っていた。戦場に置いて、兵士を甚振ることはしなかった。苦しめず、息の根を引き取る。それは偽善だと知っていても、最大の敬意を表していたのだ。

「...」

 気配が消えた。成功だ。

「プリム...っ!」

「嬢ちゃん、そろそろ時間だ」

 いや、失敗だった。看守の一声で、ニコラスへの敗北を嫌と云う程認識させられた。

 独房を追い出された後、藍色の壁に強く拳を打ち付ける。奴を見縊っていた。初めから殺しておけばよかったのだ。皇帝として、力を持った彼は、誰にも止めることができない。

 彼女は独り、黄金色の薬莢を握り緊める。


********************


——ああ、遂にこの時が...

 報われること無く終わるこの人生。本当に無駄の塊だよ。

 カーン、と妙に甲高い鐘の音が罪人の死を祝賀するように響く。

「プリムローズ。殺人の罪で、断頭刑に処す」

 鉛の鎖で繋がれた腕を引かれ、上りたくもない死への階段を一歩、また一歩と着実に踏んでいく。

 深紅の絨毯上に足を乗せると、周囲がとてもよく見えた。嘲笑う聴衆たちの顔は何とも不気味で、生きた心地がしない。見渡すが、レイの姿は、どこにもなかった。

 また一歩。今度は、錆びた鉄の匂いがした。斜めに鋭利に研がれた刃は、物々しく、禍々しく真っ赤な太陽の光を帯び、輝いていた。

「ただの叛逆者に、こいつを使うのは情けだ」

 背後の皇族用特等席からそんなことを言うのは、ニコラスだ。

 目論見のために利用したくせに何が情けだ。プリムはやっぱりこの男が嫌いだった。

 身体は死の恐怖に正直なのか、呼吸は酷く荒くなり、脚が竦んでしまう。

「せいぜい地獄で反省するんだな」

 そう看守に言われると、いよいよ最期が差し迫っているようで、無性に悲しくなった。

——もっと花を、見ていたかったな。

 美しい花には棘がある。しかしながら、それにも柔らかさを含んでいる。少し常識からはみ出ていたって、個性じゃないか。不遇なプリムは、花を見るだけで、ほんの少し気が紛れるのだった。

 首を固定された。腕を繋がれた。もう動けない。

 死神は彼女の背後でほくそ笑んでいることだろう。

「ニコラス陛下。この縄を離せば、刑が執行されます」

 看守は刃につながれた縄をニコラスに手渡す。

——今までありがとう。来世は、幸せに暮らせるといいな...

 ニコラスが冷たい笑みを浮かべた次の瞬間。

 彼は額に血を流し、地面に倒れこんだ。そのすぐ後に乾いた破裂音が聞こえた。

 誰かの差し金?


 ニコラスが縄を手放した事で支えを無くした刃は、何故か、一向にプリムの首を刎ねようとしない。

「...ただいま。プリムローズ」

——ゆっくりと顔を上げると、其処には、最も彼女の望んでいた人物が立っていた。


「...レイ!」

 レイは彼女の拘束具を解くと、ほんのり柔らかな笑みを浮かべた。そしてすぐ、悲しそうな目をした。

「ごめん、プリム。私は貴女を傷つけた」

 牢獄での事だろうか。あれが偽りだという事は、プリムにも分かっていた。レイは、嘘を吐く時、必ず「あの髪飾り」を握りしめる。それは、彼女なりの贖罪なのか、それとも、亡き母への謝罪なのか。どちらにせよ、悪く思っているのだろう。

「知ってるよ。ニコラスを欺く為だったんだよね」

 プリムは話をする時、必ず目を見る。並大抵の人なら、瞳の奥に隠された真意までは偽れないのだ。

 彼女には、過ちを犯した時点で、頼る術がない。どんな判断でも間違えないように、いつも、瞳を覗くのだ。

「私を救ってくれてありがとう。レイ」

 もう、迷いは無くなった。私たちが居るべき場所は此処じゃない。

「...この国を出よう。それに、この帝国はもう長くないよ」

 皇族の血を継ぐ者は、皆死を遂げた。放っておけば、統制はとれなくなるだろう。

 レイは、白鳥のように、宝石のように清い。その瞳は、全てを見透かしているようだ。

 彼女は、あの時のように、真っ直ぐな瞳で答えを乞う。

()()()皇帝にならないの?」

 レイは、ようやく気付いたのだ。私は、記憶を無くしていない。そして、皇族の血を継ぐものだと自覚している。それでも、血が穢れたとして捨て子にした母に愛情なんてない。殺したのも、本望だ。

 プリムは静かに首を横に振り、否定した。

 私は、人を殺した、穢らわしき生物。崇め称えられる程の者じゃない。

「もう、失うものはないから。だから、自由に暮らせる安息の地を求めて、旅に出ようと思う」

 未だ見ぬ理想郷(ユートピア)へと、夢見る少女は橋を架ける。

「その旅、私も着いて行っていい?」

 良き相棒は、何処までも献身的で、心優しい。住み親しんだ故郷を去ってまで、出会って間もない少女を支えようとしているのだ。

 プリムの目からは止め処なく涙が溢れた。

「っ...ありがとう。レイは、私の太陽だよ」

 この世界に終焉が訪れる時まで、プリムの荒んだ心を、レイは照らし続けることとなる。

 醜い争いの末には、それまで"当たり前"だと思っていたことが、途方もなく美しいものに感じるのだと、二人は感銘を受けた。

 綺麗事ではないのだが、人間は、夢を追い求める最中こそが、最も輝く時なのだろう。

 彼女らは、平穏を求めて、夢を見る。


「プリム、見て見て!美味しそうな木の実を見つけたの!」

 笑顔で駆け寄ってきたのは、レイア・セリシア・()()()()()

 人懐っこい彼女の顔には、晴れやかな笑顔が浮かべられていた。

 この地で、至福を手に入れたのだ。

 プリムは、涼しい木陰のハンモックに腰を下ろし、大きくなってきたお腹を摩る。

 二人は、アルフォンス家の統率する帝国から遠く離れたある国へ、移り住んだ。此処では誰も差別をしないし、人の不幸を自分の事のように悲しみ、幸を自分の事のように喜ぶ、心優しい民ばかりだ。

 プリムは、この国、この町で出会った、ヨハネス・リルクヴィストと結婚し、子供を授かった。レイは、先日オスヴァルト・フォーセルと結婚したようだ。金の指輪を大切そうに薬指にはめるレイは、恋する乙女だ。

「そのまま食べてもいいけど、ジャムにしてみてもいいかも。よく熟れてそうだし、相性いいんじゃないかな」

「美味しそう。明日、作って持ってくるね!」

 何気ないこの日常をどれだけ欲した事か。愛情の繋がりを何年追い求めた事か。今となっては空白の十六年が惜しくて堪らない。

 そうそう、あの帝国は、統率者を失った事で崩壊し、争いが耐えない地域となった。今も、紛争は続いている。

「いつくらいに生まれるんだっけ?」

「三ヶ月後くらいかな。ほら、触ってみて。動いてる。生きているんだよ」

 生命体の持つ温もりは、他に変えられない程、プリムの心を癒してくれた。

 愛する人との間に授かった、尊い命。それは、とても愛らしいものだ。

 私たちは、掴み取った幸せを噛み締めながら、この一瞬を、ひとときを重ねて生きていく。

——命の尽きる、その時まで。


-完結-

tx!:)

ありがとうございます(╹◡╹)

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