幼なじみと怪文書 その4
凄いことを思いついた! とテンションが上がったそのままの勢いでコロッケパンを口に運ぶ辺り、食い意地という点で恋はちゃっかりしている。ソースの匂いがふんわり香って、しまったメロンパンよりそっちにしておけば良かったと後悔しているところだ。
俺は腹いせ含みで反論した。
「別におかしなことじゃないだろ。間違って誰かに見られるのが嫌だからとかそんな理由で、わざわざ音楽の教科書の下に入れたんじゃないか」
「そ、そうかも知れないけど、」
「それに移動教室の時に教室を最後に出たのは俺たちだ。それ以降誰か教室に戻ったところを、少なくとも俺は知らん。授業終わりは体育の準備で男子は着替えだけ早々《そうそう》に持たされて全員弾かれたから、それを入れる時間は少なくとも男子にはなかった」
「で、でも、こんな挑戦状みたいなものわざわざ隠す必要があるのかなって思わない?」
「挑戦状?」
大切な想い云々《うんぬん》はどうした。
「だって、謎を解いてみてくれって言っているみたいじゃん。挑戦状だよ。それは早く見つかるに越したことはない。でしょう?」
「大袈裟だな……」
ん? 挑戦状?
そうか。挑戦状。そう考えればいいのか。
ということはこのたった六文字の手紙には、『この謎を解いてみろ水都恋』というメッセージが込められていることになる。
となれば、やはり。
「恋。たぶんこれ、穂積実花の仕業じゃないぞ」
「え、なんで」
「これは挑戦状だと言ったな。そう受け取るならって前提にはなるが、これを仕掛けた奴は少なくともお前にこの怪文書の謎が解けると思っていることになる。だが考えてもみろ、お前は一人でこの手の問題を解けたことはあるか?」
恋は言葉に詰まっていた。それはそうだ、認めたくないだろう。いつも水都恋はこういった謎に対して、俺と二人で向き合うのが当たり前になっている。サンタクロースのあのときから、恋は変わってはいないのだ。
観察力はあるが答えに辿り着けない。水都恋とはそういうやつだ。
それは高校生になっても変わらないし、中学時代もそうだった。ならば。
「Aさんはこの文書の謎は必ず解けるものだと何故か確信している。だが普通に考えれば、こんな紙切れ一枚で答えを導き出すのは困難だ。だが、恋は解くことが出来ると思っている。それは何故か」
恋はぽかんと口を開けた。コロッケパンを一口食べた。構わず進める。
「いいか、この怪文書に込められた最初のメッセージはこうだ。『水都恋、この意味を解いてみろ。例のごとく、綾里七瀬と一緒に』」
「一緒に?」
「そう。高校入学以前の俺たちをよく知っていなければ、こんな謎解き前提の怪文書なんて出せないんだよ。つまり中学時代を知らない奴にはこれが出来ない。そもそもこんな方法で何かを伝えようなどとは端から思わないからだ」
コロッケパンをごくりと飲み込み、恋は神妙そうな顔でうなずいた。
「そうか。じゃあ穂積さんは違う。中学時代を知らない。となると、室村さんと木戸さんと犬ヶ渕さんの誰かってことになるね。……全員男子。ってことは、やっぱり体育のときじゃなくって、その前の移動教室の隙に入れたんだね」
「三人?」だけ?
「でも」恋は人差し指を唇に当てながら、「せっかくの挑戦状ならもっと綺麗な紙使ってほしいよね。ちぎって使うんじゃなくて、せめてハサミ使うとかさ」
「サイズにも何か理由があるんじゃないか。わざわざちぎってまでこのサイズにしたんだから、って……ん? ハサミ?」
そうだ、ハサミ。どうしてAさんはハサミやカッターを使わなかった? ここは学校だぞ。文房具なら幾らでもあるじゃないか。サイズに意味があるなら、ハサミを使うでも、そのサイズの紙を見つけてくるでもいいじゃないか。それなのに、何故かちぎっている。つまり大切なのはサイズじゃない。ここから導き出せるのは、
「わざとだ」
「何がわざと?」
「ここで大事なのはサイズじゃなくて、ちぎっている、というところなんじゃないか。全ての違和感に何らかの意味があるなら、紙そのものに何も細工をしていないと考える方が不自然だろう。だとしたらこう考えるべきなのかもしれない。この手紙はこれで終わりなのではなく、この下にもう一枚の紙と補足する文章、即ち伝えたいメッセージがある。そう思えば、この内枠もそれを示しているように見えてこないか? どうして内枠で四辺を囲わなかった? 囲わないことに意味があるんだ。門のようになっているのは、まだこの下に枠線は続くという意味に受け取ることが出来る」
「下にメッセージ……わたしに、伝えたいこと」
恋は自信ありげに、こくんと頷いた。
「やっぱり。なんとなくそんな気がしてたんだよね。これ、やっぱりラブレターなんだよ」
ら、ラブレター? 挑戦状どうこうはどこ行ったんだ。
「お前これがラブレターだって思ってんのか」
「だって、パソコンで打ったみたいに字が綺麗だったんだもん」
「字が綺麗なだけでラブレターなら、お前は漢字テストの答案もラブレターって言うのか」
「は? 言うわけないじゃん」
……そりゃそうだ。
「ま、まあ。これはある意味じゃ活路だ。ヒントが増えれば答えにも近付く」
サイズを考えると、おそらくこの紙はメモ帳の紙を二枚にちぎって使っている。
一枚の紙を二枚に。一つじゃなく、二つ。
意味ありげに①と②を記して、①を空白にし、あえて下部の方に宛名を記入した理由。
『さ』の一画目と、『へ』を太字にして、『。』を紫色に。
机に入れられたのは体育か音楽の授業付近。
中学時代を知る人物。
あと少しだ。あと少し確信を持てる何かがあれば――。
「ねえ、七瀬。もう一個気になったこと言っていい?」
「……なんだよ」
「この『さ』って字なんだけどさ。なんでこの人、パソコンで打ったみたいな字で書いてるんだろう。『さ』って普通三画で書かない? 手で書くとき下を丸く書く人いないよ」
「言われてみれば」
やたら綺麗な字だからぱっと見では違和感を覚えなかったが、手書きならば『さ』は二画目をはねて三画目は独立している。それなのにこの手紙ではパソコン入力したときの『さ』だ。癖という可能性もなくはないが、何もかもが意味深な差出人のことだ。無意味な訳がないと思う。
すると。
「分かった!」
「……何が」
「分かったよ七瀬。遂に分かっちゃったんだよ七瀬」
何の当てにもならない一言が恋から放たれた。鼻息荒く、正鵠を得たとばかりに自信たっぷりな目でこちらに胸を張る。
「一応聞こう」
「まずこの①の空白。これは一番には別の名前が入りますよって意味なんだと思う。二番にはわたしの名前があるんだもん。きっとそうだよ」
……まあ最後まで聞こうじゃないか。
「次に『さ』。横棒が太いでしょ。これは、横棒だけを読めってことなんだよ。だから読み方は『いち』。続けて読むと、『いちへ』だから、出席番号一番の席に向かえってことなんじゃないかな」
「はあ」
「正解じゃない?」
「じゃあ紫の丸は」
「んっ」口を真一文字にして、恋は目を逸らす。「でざいん、じゃないかな」
「よし。じゃあ、そういうことにしておこう」
「ぬわー」恋は俺の腕を掴み、「そんな殺生な」
「自分でも違うって分かってんじゃねえか」
「だって」
だって――自分では謎は解けないから。とでも言うつもりだろうか。
いや、恋は言わない。自覚はしていても、恋は決して、そう口にはしない。
俺は嘆息し、
「考え方としては悪くないと思うが、無視している点が多すぎる気がするな」
だがやはり、俺にはない視点だった。
俺は多分、このメモをそんな安直な訝り方で見てはいない。もっと捻くれた見方をして、注目すべきところを見落としているんだと思う。それは詰まるところ、俺はこの謎を解くことにさほど真剣ではないことを意味しているし、興味を抱いていないことの証左でもある。
「だから解けないんだろうな。一人では」
その時だった。
キンコンカンコン――と、校内に鐘の音が響いた。
「……まじかよ」
昼休みが終わってしまった。飯も満足に食えていないというのに。
「答えは出ず仕舞い。んん~悔しいなぁ! 考え事してるとあっという間だね。時間忘れないようにここにも時計掛けてくれないかなぁ」
「誰も使わない場所に時計なんか置くかよ……スマホ見ろスマ、ホ……」
ぴたっ、と。自分の身体が止まったことが分かった。脳の回路が一瞬フリーズしたみたいだった。
ひらめきって奴は突然やってくる。
『さ』が普通じゃないからこそ起こる一番の変化。そして紫色の大きな句点。
恋が出した間違った結論、『一へ』。そして、別の名前が入る。
「そうか。そんな単純なことか」
一つ見えてくると視野が広がる。視野が広がれば焦点を当てるべきものも見えてくる。
「なあ恋」
三つ目のパンを開けようとしている恋を、語気を強めることで止める。
「ごめん。三つ目は返すよ」
「当たり前だ。でもそのことじゃない」
「?」
「掃除の時間って、サボったらバレるかな」
恋は花開いたように表情を咲かせる。
「何か分かったんだね!」
「分かったと言うか、まあこれで幕引きできたらいいな程度には」
「叱られて済むのならバレても良いかなってくらいには気になってるけど」
「そうか。そうだな。じゃあ出来るだけ手短に」
このメモを誰が入れたかなんて、ここまで来たら案外簡単なのだ。無意識に恋が言った言葉の中に答えはあった。ようはそれを説明できる理屈があれば済む話だ。
一つのことが分かれば理屈はあっという間に紐付けられる。所詮は入学直後に考えられた付け焼き刃の暗号ゲーム。そんな手の込んだこと、出来るはずがないのだ。