幼なじみと怪文書 その3
「諦めろ、それが君の運命だ」
とかつて俺に言い放ったのは、小学校からの友人である尾崎莉愛だった。
何か面白そうなことがあると、一人じゃ解決出来そうもないから、と俺を頼ってくる恋を突っぱねたところで毎回徒労に終わり、結局はその願いに応える他なくなるのは今も昔も変わらない。
時間は有限だ。急ぐに越したことはない。せっかくの昼休みを謎解きなんぞで消費してたまるか。ゆっくり休むことが出来るかどうかはスピードがものを言うのだ。
女子のけたたましい笑い声や男連中の喧しい声が踊り場まで響いてくる中、俺と恋は手の上に載せた紙に視線を集中させる。
ここには何らかの謎が込められている、という前提で考えなければいけないだろう。他でもない恋がそう言うのだ。ここから感じ取ることが出来るものは全て読み取らなくては。
そう思うと、全が意味ありげに見えてくる。この不気味な手紙には、『水都恋さんへ。』という宛名以外にも幾つか情報が詰まっている。まるでここから何かを読み取れとでも言っているかのように感じた。
「分かりやすいところは置いておいて、まずはこの謎の枠かな」
六対四ほどの長方形の紙には、歪な線で内枠が描かれていた。文字が書かれている向きに合わせれば、下部を除いた三辺に枠はあり、門のような形になっている。
「単なるデザインだとは思えん」
「うん。絶対違う」絶対とまで言うか。
「なんでそう思った?」
「枠が黒で書かれてて、下だけ枠が書かれてないから。わたしだったらもっとカラフルにする」
なるほど。そういう考え方もあるのか。
「確かにこいつ、仮にAさんとするが、Aさんは文字の一部に紫色のペンを使っている。つまり飾ろうと思えばいくらでも飾れるだけの色彩は持っているんだ。洒落たことをするなら黒なんて使わずにやる、ってことだな」
「でも、だったらなんでここは紫色を使ってるんだろうね。あと変な太線もある。これにも意味があるってことだよね」
そこだ。これがこのメッセージを気色悪いものにさせている。
水都恋さんへ。――の四文字目、『さ』の横線と、『へ』の文字だけが、ボールペンで何度もなぞったように太い。誤字をごまかしたようにも見えないから、ここにも何かが込められているとみるべきだろう。
紫のペンは句点に使用されていた。普通より円が大きく書かれているように思える。不気味だ。
そして気になるのが、次に恋が言ったこの点。
「正直一番分かんないのが、この数字だよね」
恋はそれを指さした。
この紙には余白がある。上部だ。枠線は紙の縁に沿って書かれているが、その内側は不自然なまでにしっかりと空白になっている。普通なら文字は上から詰めて書くか、真ん中に配置するだろう。だがこれはそうではなく、わざわざ下部に文字を横書きで書いている。
そして、恋が言った数字。
『水都恋さんへ』の頭部分にはご丁寧に②という数字が付いていたのだ。そして上部の空白部分には、①。無意味なはずがない。
「安直に考えるなら、『①にも何か言葉が入ります。当ててください』、だよな」
「うーん」恋は腕を組んで唸る。「宛名の前に入れる言葉ってあるかな」
「だとしたら、空白であることそのものに意味がある、か」
宛名と言えば、もう一つ。
「宛名に句点って付けるっけか」
「わたしに聞かれても」
今日日手紙なんて書かないからそんなことさえ分からない。まあ、紫のペンは句点にだけ使われているのだ。無意味ではないだろう。
特筆すべきはもう一点、この紙の下部が、もう少し大きな紙に折り目をつけ定規か何かで切ったようにギザギザである、ということくらいだろう。最初から小さな紙を用意しておけと言いたいが、このサイズでなければいけないメッセージ、というのもあるのだろうか。
門のような枠線。文字の一部が太く書かれ、句点だけ紫のペンを使用。上部をわざとらしく空白にし、そして水都恋へ宛てて何かを伝えようとしている。
恋の机の中に入れているのだ。だったら別のメッセージを宛名の代わりに書けばいいものを。
「ん? ちょっと待って」
恋が首を傾いだ。
「これ、いつからあったんだろう?」
「俺が知るか。さっき見つけたばっかりなんだろ?」
「うん。見つけたのはさっき。ってことは、朝にはなかったんじゃないかな。こんな面白いもの見つけないわけないもん」
「お前ならそうだろうな」
「ってことは、これはわたしたちが登校する前に机の中に入れたわけじゃない、ってことだよ。だとしたら、どうやって机の中になんて入れることが出来るの? 休み時間? ほとんど移動教室で誰もまともに教室になんていられなかったのに」
「一時限目と二時限目、には、そうか、無理だな。普通ならその時点で見つけている」
「でしょ」
それに、隙を見て手紙を机の中に入れることは難しいだろう。まだ入学して間もないのだ。不穏な動きを見せる生徒の存在を無視できるほど、互いに信頼感など持っていない。
「今日お前の机ががら空きになったのはいつだ?」
「音楽と体育のときくらいかな。そのときは誰もクラスにいなかった」
「逆に言えばそれくらいってことだ。でも、体育の間は無理だろうな」
「着替えがそのまま放置してあるからね。鍵はちゃんと体育係の子が閉めて、先生に預けてたよ。鍵は授業中担任の高山先生がずっと持ってるし、マスターキーは先生しか持ち出せないだろうから、生徒は簡単には入れない」
「体育係の人って名前なんだっけ」
「穂積実花さん」
「女子だよな。女子なら高山先生に言って鍵をいつでも借りられるが」
「はっ! ってことは穂積さんがこれを入れたのか!」
「バカ。穂積って人は体育の授業抜け出したのかよ」
「鍵を持ってるんだから、施錠する直前に入れたのかも知れないじゃん」
「……あっ」こりゃ一本取られた。
そう言われれば、体育係の穂積なら確かに恋の机に紙を入れられる。
でも、それだけだ。
この手紙に込められたメッセージに「私は穂積実花である」と読み取ることが出来る何かがあるなら確定だが、それはどこにも見当たらない。しかも女子だぞ。こんなガキみたいなことを高一の女子がするか?
「いや、女子だからこそってこともあるのか」
「ん?」
「いや、何でもない」
仕切り直そう。
「例えばAさんが女子なら、体育の授業中に忘れ物をしたと言えば高山先生は鍵を渡すだろう。穂積がそうである可能性も含めて、これが体育の授業中に入れられた可能性は極めて高いと考えるべきだ。体育の授業中に授業を抜けた生徒は?」
「いないと思う」
「じゃあやっぱり穂積か」
さっぱり分からん。Aさんが穂積であるとの情報は今のところ皆無なのだ。状況証拠だけで解決を見るべきではない。こじつけられる何かがあればそれでもいいのだが。
「でもさぁ」
と、恋は俺が食べていたメロンパンの残りを勝手に食べながら話し始める。別にいいけど、甘すぎたから。
「もし穂積さんがこれを入れたなら、よくわたしがこういうの好きだってこと知ってたよね。まだ会ったばかりなのに」
「会ったばかり、ってことは、穂積は違う中学出身だったのか」
「ほんと七瀬は人の名前憶えないよね」
「三年でおさらばする関係だからな」
「ドライだ」
恋はメロンパンをぺろりと平らげもう一つのパンを要求してきたが、さすがに却下した。頬を膨らませたが、無視することにする。
「で、どうなんだ穂積は」
「穂積さんは違う中学だよ。同じ中学だった人はたぶん、室村さんと木戸さんと、犬ヶ渕さんかな。少ないよね。めっちゃ中学近いのに」
「ん、それだけか」
「他のクラスには結構いるけどね」
「そうか。うちのクラスはそれだけなのか」
意外だった。もっと出てくるべき名前があるだろうと思ったからだ。
「浅見は違うのか? 音楽の時にペア組んだ」
「浅見さん? あー、同じ学校だったよ。凄い七瀬、よく名前憶えてたね。珍しい!」
まあ、話しかけられたし。
そうだ、穂積は中学時代の俺たちを知らない。だとしたら、こんな手紙で水都恋を釣ろうなどと思わないだろう。もし恋でなく俺がこんなものを貰っていたとしたら、気持ち悪くてすぐさま捨てる。それが普通だ。
そのときだった。
「あ、違う。体育のときじゃない」
突然、恋がコロッケパンの袋を勝手に開けながら、なんとも気の抜けた声を発したのである。
「何だよ、急に」
「体育の授業中じゃないよ七瀬。この紙は、体育のときにはたぶん、もう机の中にあったんだ」
「何でそう言えるんだよ」
「だってこの紙、音楽の教科書の下にあったんだもん!」
「だから何だ」
「体育は音楽の後にあったんだよ? 体育のときに入れたのなら普通、音楽の教科書の上にあるんじゃないかな? ないかな!」