幼なじみと怪文書 その1
幼なじみというのは偶然の産物だ。
――近所で産まれた。
それだけのことから全ては始まる。
家族旅行の写真は決まってもう一家族写っているし、小学校入学の時の写真には赤と黒、二色のランドセルが肩を並べていた。
物心ついたときには、二人は既に幼なじみだったのだ。
「幼なじみになろうぜ」なんて言ったことはなんてないし、「幼なじみやめよう」となったこともない。
偶然にも近所で、示し合わせたわけでもないだろうに同じ年に産まれて、いつの間にか切っても切れない縁で繋がった二人は、おかしなことに高校までも同じ学校を受験した。
初めて校区に縛られない選択肢を与えられたのに、二人はそれが当たり前であるかのように同じ学び舎に行くことを選んだのだ。
二人の関係性は変わらなかった。幼なじみのまま高校生になっていた。
ただ一つだけ、大きく変わったことがある。
同じ場所に向かうのに、同じ歩幅では辿り着かなくなったのだ。
ランドセルを背負ってあの日並んでいた肩は、今では随分と差が付いた。
俺の身長が伸びたというのもある。が、原因は幼なじみの方にあった。
水都恋、十五歳。身長、百四十九センチ。中学二年から伸びていない。恐らく頭打ちだ。
俺の一歩に、恋は一歩半を要した。一緒に歩こうと思うと、俺は恋の歩幅に合わせなくてはならない。
それでも俺は恋の隣を歩いた。別にそうしたいわけじゃない。そうする必要があるからそうしている。
恐らく俺と恋の関係は、昔からずっとそうなのだ。
***
高校までは徒歩で三十分。自転車通学という選択肢もあったが、俺も恋も徒歩を選んだ。
代わり映えのしない景色だが、前を向いてペダルを漕ぐだけよりは、時々《ときどき》横目に田んぼを見ながらのんびり通う方が性に合っている。まあ、そんなのは入学して間もない今だから言えることで、数ヶ月もしないうちに立ち漕ぎしているような気もするが。
俺たちが通うことになった遠柿市立西高校は、所々センスが派手だ。
見た限りどの教室の時計も長針の色は青く、短針は赤い。体育館にある倉庫の扉は淡い黄色だったし、職員室の机はクレヨンのように様々《さまざま》な色が並んでいて、階段の踊り場にある掲示板には生徒が描いたと思われるアニメキャラが満面の笑みを見せていた。
外観は平凡だが、内側は何とか飾り付けようという気概で満ちている。賛否はあるだろう。俺は否定派に票を投じたい。
入学して間もない内は人間関係に苦労するものだ。見知った間柄が見当たらなければ同じ中学出身者同士で連むのが手っ取り早いのだが、それだって一つ共通点があると言うだけでほぼ初対面だったりする。会話の取っ掛かりがあるからと言ってそこに乗っていける人間ばかりではない。
俺も恋も、人と絡むことが得意ではなかった。
毎朝玄関から出て来て明るく「おはようっ」と言う水都恋の姿が、この学校で見られることは少ない。無論、俺もそうだ。人付き合いは好きじゃない。上手く行った試しがないからだ。
今日も一年三組の端っこで、水都恋は基本的に授業をまじめな態度で受けている……ように、周りからは見える。
一時限目の現文では何をそんなにノートに書くことがあるのかずっと赤ペンを走らせていたし、二時限目の数学では苦手なくせして「わたし出来ますけど」とばかりに涼しい顔で姿勢を正していた。たぶん、どちらも全く頭に入っていない。
まじめな顔して昼食のことやら放課後にコンビニでどのアイスを買うかやら、そんなことを考えて一日過ごしていることだろう。
ただ、三時限目の音楽はテンションが高かった。勉強をしなくてもいい。それだけであいつの表情から緩みが見える。分かりやすい奴だ。クラスで最後に教室を後にした俺は、前を歩きながら軽く身体を弾ませる恋に少しばかり呆れていた。音楽だって授業だぞ、と言ってやりたかったが、水を差すのはやめておいた。
音楽は三組と四組の合同授業だった。四組の生徒たちとは一切交流がないから、顔も名前も知らないし憶えようとも思わない。同じ中学だった生徒もいるだろうが、よっぽど個性的だった奴以外は顔なんて記憶になかった。
授業が始まり、教師による「男女ペアを組みなさい」という一言に音楽室がざわついた。
生徒間の交流を促したいのかも知れないがいらぬお世話だ。まだ接し方を探り合っている段階で殺生な、という者と、男女、というところに色めきだっている者もいるだろう。俺は前者だ。
しかし男女でというなら逃げ道はある。幼なじみという名の同類がいるのだ。俺は当たり前のように恋とペアを組もうとした……のだが。
「綾里くん、ペア組まない?」と声を掛けてきたのは、話したこともない女子生徒だった。
確か、浅見一可という名前だったか。俺と同じで名前に漢数字が入っていたことと、画数が少なくて羨ましいと思ったから憶えている。
余り者同士でもないのに俺を誘う意味は分からないが、こちらに断る理由はない。どうやら恋も四組の生徒に声を掛けられたらしいし問題はないだろう。
ペアになる必要性を全く感じない授業の最中、潜めた声で浅見は俺にこんなことを言った。
「綾里くん、水都さんと仲良いよね」
男子とペアを組んだ恋を見ながら、浅見一可はふっと微笑む。
俺は返答に困って、「まあ、幼なじみだし」とだけ言うと、
「そっか。そうだもんね。羨ましい……な」
小さく、囁くように呟いた。一部聞き取れなかったが、羨ましがられたことは分かった。
以降浅見が話しかけてくることはなかったし、俺から話題を振るなんてことは勿論なかった。淡々《たんたん》と授業は進み、チャイムが鳴って、そそくさと浅見が音楽室を出て行ったことで俺はほっと胸をなで下ろした。
変に会話が盛り上がりでもしたら面倒だ。そんな可能性は端からないかも知れないが、俺は他の生徒との仲を深めようとは露ほども思ってはいない。
関わりが増えれば軋轢も増える。この世の中で最も面倒なことだ。
そもそも俺は学校という場所が好きじゃない。赤の他人と絡まなければならない空間は苦痛でしかなかった。
一人になれるなら、断然その方が良い。
まあ、そうさせてくれない存在がいるわけなのだが。
今日も今日とて俺以上に人見知りを発揮し、ペアを組んだ相手とは目すら合わせなかった水都恋は、厄介なことこの上ない『謎』という名の面倒を運んでくる。
だが困ったことに恋は、自ら見つけて来たその謎を自らの手で解くということに成功した試しがない。
腐れ縁とも言うべき幼なじみは、謎が解けないのだ。
そのくせそれを見つけてくる嗅覚だけは優れているものだから手に負えない。
割を食うのは、いつだって俺だった。