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恋した彼女は浮気女

作者: あんぜ

 中学のころ、三年生に進級してすぐ、同じクラスになった白根(しらね)さんという背が高く髪の長いかわいらしい女の子が居た。彼女は少し大人しめだけど面倒見がよく、人気もあったため、クラスの副委員長を務めることになった。当時の僕は――こんなかわいい子が世の中に居るんだ――みたいな感動と共に白根さんをよく目で追っていた。



 五月の後半、球技大会があった。クラスの取りまとめは委員長の河野(かわの)と副委員長の白根さんがやっていた。河野はそれほど背は高くないけれど、大人しく真面目な男子だった。ふたりはよく、委員の仕事で一緒に居ることが多い。


 正直、僕はそこまで気軽に女子と話せるタイプではなかった。河野も似たようなものみたいだったけれど、委員長と副委員長の間での会話がある分、僕よりも白根さんとずっと長く喋っていたと思う。


 その河野と白根さんの二人をテニスコート横でみかける。ちょうど、男子のサッカーの試合と、女子のバレーボールの試合が終わった所で男女混合のテニスの試合を見に来たところだ。


 ふと――ふたりがコートから離れていくのが目に入る。


 なんとなく気になってしまった僕は二人の後をそっと追った。

 二人はあまり用があるとは思えないような更衣室裏にやってきていた。



「白根さん、君のことが好きです。恋人として付き合ってもらえませんか?」


「私も……河野君が好きです」



 ああ……うん……お似合いだよね。


 向かい合った二人の会話が聞こえてしまった僕は来た時と同じようにそっと去った。

 なんだか急に体の力が抜けてしまった僕は、体調不良を訴え、保健室のベッドで休むこととなった。その後、サッカーのメンバーの調整に河野がやって来た。河野は心配していたけれど、体調は悪くなるばかりだった。



 そんなことがあって僕の初恋は脆くも敗れ去った。

 やがて二人の仲はクラスでも知られるところとなる。


 ただ、僕の白根さんへの想いは増すばかり。とても諦めきれていなかった。


 そうして夏が過ぎ、二学期の最初。まだ暑い日差しの中、始業式のため登校する。

 久しぶりに会うクラスメイト達。ただ、その雰囲気はいつもと違っていた。

 それは受験を控えた夏休みだったから――というのが理由ではなかった。


 仲のいい友達に何があったのかを聞いて驚いた。

 白根さんが浮気をしていたらしい。


 ――浮気だって?


 そんな大人の話題のような言葉が飛び出したことに理解が追い付かなかった。

 普段全く興味がなく開かないで置いていたクラスのSNSのコミュニティには、涼し気な私服の白根さんが河野ではない男とラブホテルに入る現場を写した写真が投稿されていた。


 ――嘘だよな!?


 ラブホテルなんて男子の冗談の中でしか会話に出ないような存在に、まさかあの白根さんが入るなんてとても想像がつかなかった。そしてその中で何が行われたのか……当時の僕にはあまりにも日常から外れ過ぎていたため理解もしたくなかった。それはクラスメイト達も同じだっただろう。



 その日からクラスの空気は文字通り一変した。

 当時、売女(ビッチ)なんて言葉は僕らには遠い存在だった。なのに誰が最初に言い始めたのか、白根さんはビッチなんて呼ばれ始めた。先生はクラスメイトに注意をしたが大した効果はなく、こそこそと隠れて呼ばれる分、余計にタチが悪くなった。


 河野は酷く落ち込んだ様子だったけれど、クラスメイト達が同情し、慰めていた。


 それに比べて白根さんはほとんど喋らなくなり、幽霊のように目立たないよう振舞い、だんだんとクラスに居場所がなくなっていっていた。



 ◇◇◇◇◇



「白根さん、好きだ! 付き合ってくれ!」


 ある日、文化祭の準備中、いつものように教室で誰もが白根さんを無視する中、項垂れて小さくなっていた白根さんに馬鹿みたいな大声で声を掛けた。いや、告白した。一瞬、静まり返った教室だったが――。


刈谷(かりや)、冗談おもしれーな!」

「お前そんなビッチがいいのかよ」

「ビッチちゃん、付き合ってあげなよ」


 皆がゲラゲラと笑い始める。


 ――なんだこいつら?


「うるせえ! 冗談じゃねえ! 僕は本気だ!」


「冗談だろ? 相手はビッチだぞ、刈谷」


 バスケ部の水島が僕に詰め寄ってくる。


「はあ? お前なんてただのノッポだろ?」

「なんだと!?」


 水島は僕の学ランの胸元を捻り上げた。さすが水島は背が高いだけじゃなく力もあった。

 僕は喧嘩なんてしたことはなかったが、涙目になりながらも一歩も引きたくなかった。


「ちょっとちょっと水島くん、マズいって。先生見回りに来るよ」


 そう言って口を挟んできたのは斎藤って女子。

 悪態をつきながら水島は手を離す。

 あーあ、ボタン取れかけだよ……。


「白根さん、僕、本気だから。考えてみて」


 もう一度、白根さんに声を掛けた。

 長く、能面の様だった彼女に表情が戻ってきていた。

 その顔は満面の()()をたたえていた。


 ――あれ?



 ◇◇◇◇◇



 翌日から、僕は口下手なりに白根さんに声をかけまくった。

 朝の挨拶に始まり告白もついでに行う。

 業間は用もないのに彼女の傍へ。ただ、彼女はすぐにトイレに逃げてしまう。

 昼放課は彼女の近くの空いた席に座り、白根さんが聞こうが聞くまいが勝手にうちの猫の話やゲームの話をしていた。


 クラスメイトからの風当たりは強かった。

 特に、河野には睨まれた。そしてその河野に、白根さんと入れ替わるように仲のよくなった三岳って女子。落ち込んでいた河野を慰めたらしいが、河野と一緒になって白根さんを睨む様子はとても優しい女子のそれに見えなかった。



 ある日、廊下で声を掛けた白根さんから初めて返事を貰えた。


「気持ち悪いから近づかないで」


 ――ちょっと涙が出た。なるほど、僕は白根さんからするとその辺の立ち位置なんだ。


 ただ、声を掛けてもらえたのはすごく嬉しかった。

 その日はそれだけだったけれど、最近、白根さんは業間にトイレに籠ることも少なくなり、目を赤く腫らしてることも少なくなった。その代わり、僕に対して怒ってることは増えた。


 クラスメイトも、だんだんと僕が白根さんに声を掛けても揶揄うようなことはしなくなった。見飽きたのかもしれないな。文化祭の準備も僕と白根さんは雑用を割り当てられ、やれ備品を借りてこいだの、片づけをやって置けだの、ゴミを捨ててこいだのとこき使われていた。



 ◇◇◇◇◇



 文化祭が終わり、本格的に受験勉強に力を入れ始めると、白根さんをわざわざ揶揄うようなクラスメイトは居なくなった。ただ、僕だけは白根さんに声を掛け続けた。


 放課後、いつもなら真っ先に教室を出るのに珍しく席に着いたままの白根さん。僕と白根さん以外帰ってしまったので、途中まで一緒に帰らないかと話しかけた。


「なんで刈谷は私に声を掛けるの?」


 そう聞いて来た彼女。初めて僕の名を呼んでくれた。


「白根さんが好きだっていつも言ってるし?」


 ちょっと浮かれて上げ調子で言ってしまう。


「私ならやらせてもらえるとか思ってるの?」


「やらせてって何を?」


「……わかって言ってるんでしょ」


「いや、わからんし」


「みんな、私をビ……ッチって言ってたから」


「白根さんに限ってそんなことない」


「どうしてそんなこと言えるの」


「白根さんが……河野の告白を受けた時、目が輝いて見えるくらい凄く嬉しそうだったから。そんな白根さんが河野以外を好きになるわけない」


 心からそう思った。思った通りを口に出したわけだけど……。

 言っていて何だか自分がむなしくなった。つまり、僕にはチャンスはない。


「――はぁ……ま、僕にチャンスが無いのはわかってた」


 そう告げて、僕は白根さんを残し、教室を後にした。



 ◇◇◇◇◇



 翌日、登校すると教室で白根さんがクラスの女子に話しかけているところを目撃した。

 相手は河野や三岳とはそれほど親しくない女子。

 僕は陰に隠れて聞き耳を立てる。


 ……相手の女子の反応は思ったより良かった。普通に会話していたことに安心したのもあって、僕は白根さんに声を掛けるのをやめておいた。昨日のこともあったし。


 昼放課、彼女は少しずつ周りの女子と会話しようとしていた。

 周りの女子たちも、流石にあれだけ白根さんをイジメていたので罪悪感もあったのだろう。申し訳なさそうに謝ったりして少しずつ会話を繋げていた。



 白根さんはその日から、手探りするように会話できる相手を探していった。

 時には無視されることもあるけれど、委員の仕事を通じてさらに何人かとは会話できるようになった。相変わらず河野や三岳、それから周りの人間は白根さんを嫌っていたけれど、クラス全体としては白根さんを巡る環境は落ち着いてきた。


 僕はと言うと、あれから白根さんに話しかけることは無くなった。

 残念ながら、彼女からも僕には話しかけてこない。



 ◇◇◇◇◇



 高校受験を終え、無事に僕は進学。

 結局、僕は白根さんどころか、あの事件以降口を利かなくなってしまったクラスの友達ともそのまま会話が無くなり、皆がどこの高校へ進学するかとか詳しく知らないまま卒業を迎えることとなった。


 卒業式ではみんな感慨深げに涙まで流すやつも居たけれど、まあ、僕は中学の想い出なんて、最後の半年で何もかも吹き飛んでしまった。最後のSHRが終わると、教室の会話も在校生からの見送りも躱し、僕は帰路についた。



 ◇◇◇◇◇



 高校の入学式の日、クラス分けに従って教室へ入ると、白根さんの姿があった。

 廊下側のいちばん後ろの席が僕の席。そして三列左のいちばん前の席が白根さんだった。


 彼女は一時期、落ち込んでいたころが想像もできないほど綺麗になっていた。白根さんはすぐにクラスで注目され、以前のような人気を取り戻していた。女子だけでなく、男子にも囲まれている彼女は相変わらず僕には眩しかった。


 ――不意に白根さんがこちらに目を向けほんの一瞬、微笑んだ。ただ、その笑顔はすぐにクラスメイトの陰に隠れてしまった……。


 そう。あの話を知る生徒はそう多くないし、わざわざ口に出す生徒も居ないだろう。そんな奴が居たら今度こそ白根さんを守ってやろうと僕は決意した。











 ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇











 僕の学校での友達関係も、高校に入ってぐっと生徒数が増えたことでリセットされた。多少、知り合いがいても別に絡んでくるわけじゃない。河野や三岳は同じ高校みたいだったけど、別のクラスらしいのが幸いだった。



「よお刈谷! 朝から白根を眺めて目の保養かあ?」


 まず友達になったのが、この柳町(やなぎまち)。厄介なことに、白根さんがクラスメイトに囲まれている所を眺めていたのを見られてしまっていた。初日からチャラそうな感じの茶髪に絡まれてしまったと落胆していたが――。



『わかる。わかるぞお刈谷。あれはイイ女だ。目がいい。あのりりしさは一途さが垣間見える!』


 思わず柳町に右手を差し出してしまっていた。

 柳町はガッシリと握手をしてきた。


『あとでかい。いろいろでかい。すごくでかい』


 言いながら、クネクネとキモい動きを始めた柳町からさっと手を引っこめる。


『なんだよ照れんなよ、初心(うぶ)かよ』


 そんな感じで馴れ馴れしくボディタッチと共に僕に絡んできた柳町だったけど、何というかな。こんなやつでも学校で話をできる相手が居ると言うのは悪くないな――そう思った。



 ――そして白根さんの周りには今朝も友達が集まっていた。うん、よかったな白根さん――そう心から思えた。それを眺めていたのを登校してきた柳町に見つかったわけだ。


「そんなつもりはないっての」


「嘘嘘お、見てた癖にい。――あっ、七尾ちゃん、おはよう。今日もかわいいねえ」


 七尾という女子が教室に入ると、柳町は踵を返してそちらに去っていった。

 彼女は同中の女子で以前から声をかけているけど相手にされていないらしい。


 柳町のそんなところもなんとなく嫌いになれない部分だった。



 ◇◇◇◇◇



「むはははは刈谷、貴様にいいことを教えてやろう」


 昼放課、弁当を食べ終えたころ、柳町が運動部の男子グループ――いわゆるモテそうな連中――の輪に入って話をしていたわけだけど、突然騒ぎながらこちらにやってきた。そして次は耳元で囁いてくる。――やめろ、キモいから普通に話せ!


「白根がよ、放課後に屋上へ呼び出されたらしい。他のクラスの男子に」

「まじ……」


「おう。そんで白根を狙ってるっつか、気になってる男子がソワソワしてんだ」

「そんなにいるのか……」


「気になんなら見に行って来いよ。なんならその前に告白って手もあんぜ」

「告白なあ……」


 告白はもうした。何度も何度も。それでもダメだった。


「告白はさあ……もういいよ」


 そう言って覗きにもいかないことを柳町に告げる。

 白根さんが他人の告白を受ける姿なんて、一生に一度でいい。いや、一度も見たくなかった。

 柳町は残念そうな、悲しそうな顔をしていた。



 ◇◇◇◇◇



 翌日、教室へ入るといつも以上に白根さんの周りに人だかりができていた。

 登校してくる女子が何事かと話を聞きに行く。


「えっ、なになに? 昨日のやつ? どうなったの?」

「1-Bの中村くんが告って白根が断ったらしいんだけど、食い下がったのよ。お試しか、無理なら友達からって」


「で? 白根は?」

「一週間だけ待ってくださいって。そしたらお試しも考えますって」


「えっ、どゆこと? 白根?」

「それ聞いてんだけど教えてくんないのよ」

「中村って結構カッコよかったよ」

「顔もいいのに勿体なくない?」


 そんな感じで女子連中が話していた。そこへ――。


「それなら俺もお試しに立候補していい?」


 そう白根さんに告げてきたのは運動部の……なんだっけ。


「飯島が立候補するなら俺も立候補しようかな」


 そうそう飯島。こっちはなんだっけ……柳町の前の席だから宮村だ。


「えっ、マジで、引くわ宮田。白根みたいなのがタイプだったの?」


 宮田だった。親し気な女子がその宮田に文句をつけている。


「いやだって、高校入ったら彼女欲しいって思ったし」

「誰でもいいんじゃん、それ!」



「うん、わかった。一週間したら誰かとお試しで付き合う」


 そう言ったのは白根さんだった。マジで?

 白根さんの返答で、じゃあ俺も俺もとさらに三人の立候補者が増えた。


「うわー、ドン引きー」

「白根、やめときなー。こいつら誰でも良くて彼女欲しいだけだから」

「やめて白根、そんなに焦らなくていいから。変な噂がたっちゃうよ」


 彼女の発言に男子の立候補者が増えて、女子たちも大騒ぎに。



「お前は立候補しないのかよ」


 僕の傍でそう言って肩を手をやってきたのは柳町。


「僕は彼女には好かれてないんだ」

「白根になんかしたのか?」


「お前と同じだよ。付きまとって告白しまくった」

「そうか……」



「――だが俺は諦めないけどな!」



 ◇◇◇◇◇



 あれから三日が経った。白根さんの告白騒ぎは他のクラスにまで伝わっていた。

 わざわざこの1-Cの教室まで白根さんを覗きに来る奴らまで居た。

 白根さんが何を考えているのか僕にはわからない。ただ、不安があった。


 そしてその日の昼放課、恐れていたことが再び起こった。



 最初は、1-Bのあの中村がやってきた。


「白根さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな」


 そう言って中村は白根さんを階段の踊り場まで連れ出した。

 あとから女子の友達がついて行って様子を伺っていた。


 白根さんが戻ってくると、様子を伺いに行っていた女子たちから何があったのか聞かれていた。


「振られちゃった」


 にっこり笑顔でそう言った白根さん。

 心なしか、その言葉は僕に届くように言ってきたふうに聞こえた。


 その後もひとり、またひとりと白根さんに男子生徒が会いに来た。

 どの男子も、白根さんの噂を聞いて立候補してきていた男子たちだった。


「――また振られちゃった」


「――またまた振られちゃった」


 そう言ってクラスに戻ってくるたびに報告する白根さん。

 彼女を取り巻く女子がみんな心配して声を掛けているけれど、本人はケロッとしている。そして、クラスで白根さんに告白した一人、飯島が白根さんに声を掛ける。


 彼はスマホを片手に持ち、青い顔をしていた。


「白根さん、これって本当なの?」


 飯島は白根さんにスマホの画面を向ける。


「やっぱりね」

「やっぱり?」


「ううん、こっちの話。――うん、そんな噂があったのは本当だよ」

「この噂は本当なの?」


「飯島君はどう思う?」

「本当なのか教えて」


「それは教えられないかな」

「そんな……」


 なになに?――どうしたの?――なんて言いながら白根さんと親しい女子や、彼女に気のある男子たちが様子を聞きに集まってくる。


「私、浮気女(ビッチ)なんだって。恋人に振られた時、そう言われたの」


 耳を疑った。

 どうしてそんなことをわざわざ自分からバラすんだ?

 白根さんはまた、あんなことになってもいいのか?

 周りの皆が引いていた。彼女に告白したクラスの男子たちも。


 そりゃそうだろう。聞いた限りでは高校で初めての彼女を作ると言ってたやつらばかり。告白した相手が、浮気なんて経験している女子だなんて思ってもいなかっただろう。


 ただ、僕はわかってしまった。

 白根さんは――自分がまた同じ嫌がらせを受ける――と想定していたのだと。


 なぜなら彼女は皆に引かれる中、僕を見、首をちょっとだけ傾げながらニコリと微笑んだからだ。


 僕は溜息を付きながら立ち上がる。クラスメイトをかき分け彼女の傍まで行く。

 彼女はやってきた僕をじっと見たまま。

 何事かと注目を浴びる中、僕は彼女に告げる。


「白根、好きだ。付き合ってくれ」


「うん、刈谷くん、私も好き」


 みんな、あまりに突然過ぎてあっけに取られていた。

 彼女の友達も、告った男子たちも。


 そんな中で最初に口を開いたのは柳町。


「いやいやいやおかしいっしょ! なんで刈谷お前、しかめっ面で告る?」


 そう、僕は怒っていた。すごく怒っていた。

 彼女は自分がまた同じ目に遭うとわかっていた癖に、予防策を取らなかった。

 そして結果がどうなろうと選択を僕に丸投げしたのだ。

 微笑みだけで僕を試そうなんて。


「白根さんもどうして? 浮気って本当なの?」

「刈谷くん、本当だと思う?」


 女子に聞かれた白根が、微笑みと共に問いかけを再び丸投げしてくる。

 白根、わかってやってるな。


「僕は白根が浮気なんてするとは思わない。そんな噂より白根を信じてる」


「いやいや! それはいいけど何でしかめっ面なんだよ刈谷は!」

「ぷっ……白根さんも何でそんな仏頂面の告白受けてんのよ!」


 柳町と七尾が笑いながら、二人揃って僕たちにボディタッチと共にツッコんでくる。

 二人につられて白根も笑うけど僕は怒ったまま。


 結局、白根の噂については僕が否定し、柳町と七尾が笑い飛ばしてくれたから、その後誰も気にすることはなかった。それどころか僕に()()()()()()男子たちが悔しそうにしていた。ただそれも、白根の――刈谷くんだけは信じてくれると思った――という言葉と共に、諦めざるを得なかったようだ。



 ◇◇◇◇◇



 放課後、白根に誘われて屋上に二人で居た。

 フェンスに指をかけ、彼女は外の景色を眺めていた。

 僕はその高いフェンスにもたれ掛かっていた。


「刈谷くんはどうしたら機嫌を直してくれますか?」


 首をかしげながら問いかけてくる彼女。


「何でわざわざあんなことをしたの? 僕を試すため?」


 棘のある口調で恋人に問いかける。


「理由は色々あるけれど、いちばんは…………刈谷くんが卒業式を逃げたから」

「それは…………中学では居場所が無かったから」


「私は頑張って居場所を作ったけど、刈谷くんが居場所無くしちゃったらしょうがなくない?」

「そんな器用じゃないし」


「どちらにしても刈谷くんが逃げたから、私は告白の返事をする機会を失くしました」

「それはごめん……てか、もっと前でもいいだろ」


「女心を分かってない! そんなすぐ決心できないし、タイミングもあるし」


 それにはちょっと何も言い返せなかった。面倒くさいけど。


「……じゃあそれはいいとして、噂は? もっといい方法あったろ。僕頼みじゃなく」

「誰が噂をバラまいてるか知りたかったんだ」


「わかったのか」

「うん」


「誰?」

「水島」


 水島? ああ、バスケ部の? 久しぶり過ぎて忘れていた。


「――覚えてる? 水島」


 顔色を読み取られたのか、確認するように白根は聞いてくる。


「ああ、ノッポの」

「そう、ノッポの」


「――彼にね、中二の時告られたんだ」

「ああ、そうなんだ」


 中二のころは、白根さんの存在さえ知らなかった。


「でも、タイプじゃないから断った」

「ふぅん」


「恋人の話なのにもっと嫉妬とかしてくれないの?」

「嫉妬とか今更…………白根には河野が…………」


 白根はフェンスから手を離したかと思うと、僕の前に立ち、まるで逃がすまいとするかのように僕の左右のフェンスを掴む。彼女は背伸びをし――。


「ん…………!?」


 突然、白根の顔が近づいたかと思うと、彼女の匂いで鼻腔が刺激される。

 中学の頃、彼女に付きまとい、傍に行くとふわりと香ったあの残り香。

 あれでいっぱいに満たされただけでなく、唇には衝撃が。


「ごめん、ちょっとぶつかっちゃった」

「だ、だいじょうぶ……。大丈夫?」


「ん。ファーストキスって言ったら信じる?」

「…………」


 彼女がラブホテルに入った事よりも、こっちの方が信じ難かった。が――。


「――信じるよ」

「刈谷くん、ちょろい」


 そう言って、体を離す白根。


「――河野君とはキスもまだだったの。だから彼、余計に怒って」

「まじか」


「うん。……それで水島君の話だったね。彼、入学式の日にも告ってきたの」

「そうなんだ」


「また噂になっても守ってやるって。おかしいでしょ? 彼、中学の頃は率先して噂話に乗ってたのに」

「まあね。僕もあの時の裏ボタンの爪、壊れちゃったし」


「第二ボタンってまだ残ってる?」

「残ってるけど……水島の話は?」


「ああ、うん。それでね、中村君たちに、誰から噂が回って来たか聞いたの。そしたら水島だったの」

「なるほど。それであんなことしたのか」


「うん」

「つか、中村とか飯島とかに悪いと思わなかったのかよ」


「だって私、浮気女(ビッチ)だもん」


 そう言って笑った白根だったけれど、美人になった代わりに面倒くさくなったなあと感じる。初めて会ったころの彼女からは想像もできない。ただ、取り繕っていない彼女を見られた気がしてそれはそれで嬉しかった。思えば最初のあの怒りの表情。あれこそが初めて見た彼女の素顔だったのかもしれない。














「はぁ……いいけど白根、ちゃんと飯島とかに謝れよ。水島のこと説明して。僕も一緒に謝ってやるから」

「刈谷くん、そういうところ真面目だよね。曲げられないって言うか」


「謝るまで機嫌は直さないことにした」

「もお…………わかりました」











 ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇ ◇◇◇◇◇











「刈谷くん、おはよう」


 それまで彼女の席の周りでたむろしていた友達に断りを入れた彼女は、まるで恥じらう乙女かのように目を輝かせ、登校してきた僕の所へとやってくる。


 ――いくらなんでもそんな言い方は無いんじゃないか――って?


 だって彼女は自称浮気女(ビッチ)だもの。

 開き直った彼女はあの事件の時、そう言った。

 そして今でもそう言う。


「おはよう、白根」


 白根は僕の恋人。中学のころの()()()()はもう居ない。白根さんは幻だった。


「寂しかったよ、刈谷くん」


 白根はそう言って僕の首元に頬を付けてくる。

 フゥ~!――途端に彼女の友達から冷やかしの声が。

 僕は大して顔が良くないからだろう。彼女の友達にはこの関係は受け入れられている。


「やめろよ、恥ずかしい」


「だって私、ビッチだもん」


 五月の始めという今の早い時期、奥手の多かった我が1-Cでは、彼女持ちは僕以外には一人居るだけ。当然、羨望の眼差しで見られるが――ビッチじゃしょうがないな――などという謎の理論で納得されていた。


 白根はあれから、自分の立場を利用して僕を持ち上げてくれていた。

 あの事件でのことはもちろん、いま聞くと恥ずかしいような僕の中学での行動まで持ち出して……。おかげで僕には男子にも女子にもたくさん友達ができた。


「刈谷あ、俺も負けねえからなあ!」


 登校してきた柳町がバンバンと容赦なく背中を叩いてくる。よく喋る緩めのフェイスに短い茶髪の一見チャラい、だが一途な男はいつの間にかいちばん仲の良い友達になっていた。彼は登校してきた七尾を見つけると――。


「七尾ちゃん、おはよう! 僕たちも甘~い高校生活を始めようよ」

「脳味噌わいてんの? キモいわ柳町」


 しかし柳町は引き下がらない。かつての僕を見るかのようだ。


「柳町君は刈谷くんみたいだね」

「そう見える?」


「うん」

「七尾は白根みたいだな」


「私はあんな酷く嫌ってなかったよ」

「よく言うよ」


 呆れた物言いだった。彼女は僕にすごく怒っていたし、気持ち悪いとも言われた。

 あれは本当はちょっと嬉しかったの……たぶん……きっと――徐々に小さくなる声と共にそう言われた。付き合い始めた頃に。


 付き合い始めてからの彼女は常にこんなふうにベッタリかというと、普段はそうでもない。


 仲のいい女友達たちといつも一緒に居るし、そこにはモテる運動部の男子もときどき混ざってたりする。ただ、なんとなく彼女と目が合ったりすると、誰かと話をしていてもそれを遮って、僕のところまでやってきてベッタリと甘えてくる。元カレの河野と付き合ってる時でもそんな仕草は見たことがない。


 刈谷くんだけだよ?――そんなアピールを忘れない白根。


 僕はかつて彼女に話したことがある。

 彼女が元カレの河野の告白を受けた場に居たことを、その時の彼女が輝いて見えたことを。それを上書きしたいんじゃないかと思うくらい白根は積極的だった。



 白根がこれだけ目立つ行動を取っていると、当然かつてのクラスメイトたちにも知られることとなる。白根と仲直りした女子たちは彼女を祝福してくれるだけなのだが、そうではない奴らも居る。


 水島――白根に告白してフラれた腹いせに白根を追い込んだと踏んでいる。

 やつは白根の悪い噂を流そうと企み、うちのクラスの飯島を始め、白根に告白してきた男子たちに接触してきた。だけど、僕が付き添って白根が彼らに謝罪して回り、水島の話をしたところ、同じバスケ部の飯島や中村らが水島を問い詰め、現在では奴はいくらかハブられ気味らしい。


 河野――白根の元カレ。今では彼女に毛嫌いされている。

 僕としては河野には嫉妬こそすれ、偽の画像で破局に追い込まれたという点では同情を禁じ得ないでいた。ただ、彼は白根を信じ切ることができなかった。好きになった相手のことならもっと彼女の言葉を聞いてあげるべきだった。彼が今更何かしてくるとは思っていなかった。


 三岳――今は河野の新しい彼女。白根を孤立させた首謀者だと僕は考えている。

 彼女は白根の噂が流れた直後から河野に接触して優しくしていたようだ。正に真打ち登場。新たなヒロインは河野のハートを射止め、彼と共に白根を追い込んでざまぁしてたわけだ。僕は三岳のことは最初から欠片も信用していなかった。問題を起こすならこいつと踏んでいた。



 ◇◇◇◇◇



 五月のある日の昼放課、僕らの教室にかつてのクラスメイト、斎藤がやってきた。

 彼女は白根へのイジメにもそれほど加担せず、かといって白根とそれほど親しく接していたわけでもない。まあ、比較的中立的立場な女子だった。僕も一度、水島の暴力から助けて貰ったことがある。


「白根さんも刈谷くんも、今は幸せそうにしてるんだ。おめでと」


「ありがとう」

「ありがと、斎藤さん」


「えっと……今更にはなるんだけど聞いて欲しいことがあるんだ。これ……」


 彼女はスマホを見せてきた。

 とても見辛い画面だったけれど、輪郭からなんとなくあの例の画像のように見える。


「これは?」


「これね、実はあの写真を画像処理してみたわけだけど、画像のAI生成って知ってる?」

「うん、何となく聞いたことはある」

「私も聞いたことある」


「実は今のAIで生成された画像って、人の目には分かり辛いけれどAI独特の癖があって、こうやって画像処理されるとすぐ本物かどうかわかるんだ」

「へえぇ」


「へえって興味ないの? 本物かどうか」

「僕にはどうでもよかったし、今はもうそれが偽物だって知ってるから」


 僕は白根と目を合わせ、頷きあう。


「そうなんだ、すごいね刈谷くん。さすがあの告白をしただけのことはあるね」

「これ、もしかして調べてくれてたの?」


「うん。どうしても気になってね」

「斎藤さん……ありがとう」


 白根が涙ぐむ。僕も斎藤も彼女の背に手を回して慰める。


「白根さん、泣かないで……それでね、高校の友達に詳しい子が居て、もしかしたらAI生成じゃないかって。それで画像処理してもらったの。やっぱり偽物だったよ」


「よかったじゃん、白根!」


 聞き耳を立てていたっぽい女子がそう言った。それを皮切りに何事かと興味を持った教室にいたクラスメイト達が集まってくる。今更誰も気にしていなかったけど皆、それぞれに――よかったね――と白根に声を掛けていた。


 白根が囲まれている中、たくさんお礼を言われて帰ろうとしていた斎藤に声を掛ける。


「このことさ、河野には言った?」

「うん、先に話したけど……よくなかった?」


「いや、言ってやった方がよかったと思うよ」

「そうだね」



 ◇◇◇◇◇



 そして翌日。

 教室に入るといつものように彼女がやってきて首元に頬を付ける。けれどいつもと違って浮かない顔。冷やかしも聞こえてこない。


「刈谷くん、友達を通して連絡があったんだけど、河野君が、放課後に屋上で話がしたいって言ってきた……」


「うん。教室で待ってるよ」


「あの、刈谷くん、一緒に来て」


「話をするのに邪魔じゃないかな?」


「ちょっと怖いから、できたら一緒に居てくれると嬉しい……」


 二人で話をした方がいいとは思うけど、白根がそう言うならとついて行くことに。



 ◇◇◇◇◇



 放課後、屋上に行くと河野が待っていた。僕らの他にはバドミントンで遊んでいる女子が四人だけ。機嫌の悪そうな河野は最初から僕を睨みつけていた。


「刈谷くんと付き合ってるって本当だったんだね」

「そうだよ」


 言葉少なに返す白根。


「刈谷くん、悪いんだけど二人だけで話をさせてくれないかな」

「構わないけど――」

「お願い、ここに居て」


 白根が訴えかけてくるので僕は頷く。


「離れたところに居るから。大きな声で話すようなことではないよな?」


 僕は少し離れたところでフェンスにもたれ掛かる。

 二人は反対側のフェンスで話し始める。


 ――ただ、すぐに言い争い始め、彼女がこちらに歩いてこようとするが、河野に肩を掴まれる。彼女は手を振り払い、こちらへ。僕も小走りで駆け寄り彼女の手を取ると、本人はくるりと僕の後ろに回り込み、陰に隠れた。


 僕は追ってきた河野に対峙する。


「刈谷くん、その、悪いんだけどさ……」

「なに?」


「白根さんを僕に返してくれない?」


「……は?」


 何言ってんだこいつは……。

 それまで河野には嫉妬だとか同情みたいなものしかなかった。それだけの目に遭っていたのは知っている。けれど、突然訳の分からないことを言い始めたこいつには怒りしかなかった。


「お前、自分が信じられなくて彼女をビッチ呼ばわりして追い詰めた癖に、今さら何言ってんだ!?」


「騙されてたんだよ、三岳さんに! 彼女は水島とグルだったんだ。だから別れたのは無効!――もう元通りなんだよ白根さん」


 ますますおかしなことを言ってくる河野。


「はあ? お前、白根がどれだけ辛かったか見えてなかったのか? お前がやったんだろ!」


 僕がそう言うも、河野は白根と目を合わそうとしつこく回り込もうとする。

 白根は僕の陰に逃げ続けていた。


「写真だって偽物だったんだよ、だから君をビッチなんて呼ぶ必要は無い」


「お前の勝手な決めつけで白根を振りまわすな! 彼女がどんだけ――」

「刈谷くん! 私、もうなんか腹が立ってきた。言ってやっていい?」


 ん?……え、何の話?


「何か知らないけどいいんじゃない?」

「うん!――河野君はそういうけど、私、ビッチなの!」


「「え?」」


 うっかり河野とハモってしまう。何を言い出すのかと――――あ!!!!


「私ね、もう刈谷くんと三回もしたんだ! だから河野君の入る余地は無いの!」


 口を塞ごうとする僕の手を避けながら、彼女は最後まで言い切った。

 河野はというと、呆けた面をしていた。


「は……え……もう?」


「しました!」


 河野は一瞬、顔を青くしたかと思うと、それは見る見るうちに赤く変わっていった。


「こ、こ、こ、この! クソビッチ!!」


 うああああ――叫びながら、河野は塔屋へと走り去っていった。


 残された僕たちは組み合った姿勢のまま、呆気に取られていた。


「だいたーん」


 ――バドミントンのシャトルを地面に落としたままこちらを眺めていた女子がそう呟いた。


 僕らも慌てて逃げ去った。



 ◇◇◇◇◇



「はぁ、スッとしたね! 刈谷くん」


 家路につく白根はそう言った。

 あのあと教室まで荷物を取りに行って昇降口まで、河野には遭遇しなかった。


「いやあ、どうなのかなそれは……」


 また変な噂が流れないといいんだけど……。


「そもそも入る余地ってあったら困るよ」


「心の話だよ?」



「――とりあえず、明日のお弁当の材料を買いに行くので、付き合って」


「へいへい」


「嬉しくないの?」


「毎日幸せです」


「よろしい」


 付き合い始めてからの彼女は、二人っきりになると僕にベッタリ。

 結構すぐにくっついちゃった訳だけど、キスと同じくそっちも大変だった。

 滅茶苦茶痛い、歩けないって文句を言われた。

 けれど、こんなことがあって――早めに済ませておいてよかったね。ざまぁみろ――と。

 いや、どんなざまぁだよ。











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― 新着の感想 ―
[一言] 騙された辛さとかはあったものの、最後に幸せになれたのであれば何より… というものの、AIを駆使した嫌がらせとか怖すぎて背筋が冷えた
[一言] こういう作品は拍手で称えられるべきでしょう。 堪能させていただきました。
[良い点] 純愛?こういうの好きです。 元カレもだけど、その男と付き合いたいがためだけに合成写真を作ってヒロインちゃんを陥れる女って人として最悪だと思います。
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