反芻
短いお話です。終わりはありません。
「おかえり」
………真っ黒で伽藍とした部屋に立っている。
辺りを見渡すも、暗闇が目に焼き付くのみ。
果のない暗闇の中を進もうと足を踏み出したその時、
私の首から下の部位が千切れ始めた。
歩む度に四肢がもげ胴体が砕けていく。
不思議と痛みは感じない、ただ力が抜けていく感覚があるだけで。
黒かった筈の部屋が私の血液で赤く染まる。
とうとう私は首だけになり足を失った所為で
身動きが取れなくなってしまった。
ひんやりと冷たい床の質感を首の断面から感じる事が出来る。
相も変わらず何も無い赤色の世界。
虚空の中で、小さな足音が耳に入る。
前に視線をやると、こちらに向かってくるバスケットを持った少女が見えた。
気味の悪い色彩の髪と瞳。記憶には無い、知らない誰か。
少女は私の前で立ち止まり、私を見下ろす。
何も言葉を発さず、じっと見つめてくる。
一方、首だけの私は言葉を発せない。
思案を巡らせるだけで、少女に問い掛けることもできない。
ただ彼女の動静を見守る。
しばらく沈黙が続いた後、少女が私の頭に手を伸ばしてきた。
そのまま私の頭を掴んで持ち上げて、バスケットの中に入れた。
バスケットの中は毛布が敷いてある。
床とは違って温もりを得られる場所だった。
少女は私の首を有してまた歩き出した。
バスケットがゆらゆらと傾く。
まるでゆりかごの中に居るようで心地良く感じる。
痛みは感じなかったというのに不思議だ。
都合の良い部分だけ、感覚が働くような。
…そもそも痛みとは何だっけか?
此処では無い、何処かにあった筈のものだろうか。
思考が巡れば巡る程、赤い世界には白色が混ざり、燻る煙の様に視界を遮ってくる。
考えたくない。気付きたくない。
この場所が何なのか、この少女は何なのか、
私が本来居るべき場所が何処なのか。
微かに聞こえるノイズ。
脳裏に走るのは騒がしい街の風景。
先程までずっと聞こえていた少女の足音が、ノイズに混じってあっという間に掻き消されていく。
今初めて、この異様な空間に畏怖した。
煩わしい人の声、足音、車の走行音、匂い、
記憶の中のノイズが私を苛む。
怯えながら目を伏せた。
赤い世界を閉じるその刹那、
私とよく似た少女の声が黒い部屋の中で
ハッキリと聞こえた。