70 エピローグ-春の終わりに-
【忍】
「あれ、朱ちゃん先輩、今日はお休みですか?」
コッキーの先輩方、真紀ちゃんと行った打ち上げが昨日、あんなに楽しかった時間があっても、今日はやってきます。
日直の仕事で遅くなった放課後、私が最後だと思って入った部室は、しかし、全員ではありませんでした。
「あいつは・・・ああ。休みだ。」
開け放たれた窓、カーテンを撫でる風、斜陽は部室を照らしています。段々と日が長くなってきている今日、明るいはずの部屋の中は、どこか寒く、湿った感じがしました。
「珍しいですね・・・?朝起きれなくてお昼過ぎに登校しても、放課後には部室にくる人なのに・・・」
「・・・まあ、あいつにも色々あるんだろ。」
欠けているその人、朱ちゃん先輩はお休みでした。どこか感情の起伏に乏しい先輩の表情に少し引っ掛かりを覚えます。それはボケ不在の無気力感か、あるいは寂しさからでしょうか。
「朱は田中を殴って謹慎中。」
「え・・・?ええ!?」
静寂を縫うようにして私の耳元に届いたのは、本から視線を上げずに応えた恋ちゃん先輩のものでした。淡々とした声、対して私のものは大袈裟すぎるほどに大きくなってしまいました。
(謹慎って?殴った?どうして?)
「この不思議ちゃんは・・・必死に隠そうとしている俺の苦労わからない?これだから不思議ちゃんは空気読めないとか言われんだよ。主に俺から。」
「せ、先輩・・・そんな言い方・・・」
先輩のこんな言い方にもだいぶ慣れました。慣れたのですが、それは私の話です。大抵、こんな時はしーちゃん先輩が先輩にくってかかる場面です。
しかし、当のしーちゃん先輩に反応はありません。暗い表情、感情の欠如した様子は無気力に近く感じました。
「なんと言われてもいいけど、朱は正しいことをした。朱がやらなくても私がやっていた。楽器人の指を怪我させるなんて許されない。当然の報い。秋津みたいに将来有望な人なら尚更。」
「・・・・・・暴力少女イチカチャンが大暴走してるぞ。止めろよ。」
先輩の言葉の先はしーちゃん先輩です。肩を竦めて言うその様はどこかおどけているように見えます。
「私は・・・暴力が正しいとは思いませんが、間違っているとも思えません。」
「・・・前から思ってたけど、おまえって普段は正論振り翳してきっぱり言うけど、ここぞっていう時はヘタレだよな。」
「・・・はい。」
「おい・・・言い返してくれよ・・・」
先輩の意図がようやくわかりました。あからさまに煽った言い方は、このお通夜みたいな空気を変えようとしているのだと、わかってしまいました。
しかし、先輩の真意がわかったとしても、私にできることがわかりません。
朱ちゃん先輩なら、どうするでしょうか。先輩と一緒になっておどけて見せるのでしょうか。恋ちゃん先輩を窘めることはしないでしょう。しーちゃん先輩に対してフォローもしません。そんな気を回せる人のようには思えません。
(こんなとき・・・朱ちゃん先輩なら・・・)
朱ちゃん先輩がここに居てほしいと思ってしまうのは、誰かを頼ってしまうのは、疑いようもない私の悪癖です。
でも今だけは、この時だけは、それだけが理由ではないような気がしました。
誰もが口を閉ざし、下を向いてしまった部室は再びの静寂に包まれました。
「いやいや、怜が芯くったこと言うからでしょ?」
「それh・・・は!?」
下を向いた私たちには、入ってくるその人影に気づくことができませんでした。
「 皆皆、 各々、 銘々、ご苦労!」
天真爛漫、傍若無人。この部屋にいる誰もがその明るい声に顔を上げざるを得ませんでした。
「朱ちゃん先輩!?」
ニッっと笑った顔、快活な声。そこには朱ちゃん先輩がいました。
「な、なんで・・・」
「ふっ・・・謹慎処分くらいで私を止めることなどできないのさっ!」
おどけて言う朱ちゃん先輩の手にはステックケースがあります。
「・・・ドラマーがスティックケース忘れるなよ。商売道具だろ。」
忘れ物をしたことを隠すように背中に回された手、しかし、その手の甲が赤く腫れあがっているのを私は見逃しませんでした。
「なんだとー!それはドラマー差別だ!ギタリストはよくピック無くすじゃないか!」
「ギタリストに飛び火させないでほしい・・・じゃあ、ベーシストは・・・むっつりスケベ?」
「おい一花ちょっと待て。前後関係って言葉知ってる?ついには叙述まで不思議になったか?空間捻じ曲げるなよな。」
「この男は!あなたがむっつりなことを棚に上げて!だいたいあなたは・・・」
零れる笑顔、部室には弛緩した空気が流れました。思わず私も笑顔になってしまいます。
事実、朱ちゃん先輩が来ただけです。しかしそれだけで部室に温度が戻った錯覚すら覚えました。
「おーい。おまえら。顧問の欄書いたけど・・・って黒江。」
しかし、次の瞬間。部室に入ってきたその人の声に、私は血の気が引きました。
謹慎中であるはずの朱ちゃんがここにいるのはおかしいことです。それだけでもっと罰が重くなってしまう可能性があります。
「山城先生!」
「お、おう。なんだ指宿?」
驚いた表情の山城先生。「いきなり大きな声出すなよ・・・」と呟いている様子に反省の余地があるような気がしますが、今は私のことよりも朱ちゃん先輩の弁明の方が先決です。
「違うんです!その、朱ちゃん先輩は忘れ物を取りに来ただけで・・・その・・・」
しかし、せめてもと威勢よく切り出した言い訳は尻すぼみ。見切り発車に終わってしまいました。朱ちゃん先輩のため、何か言いたいのですが、言葉が出てきません。
「ん?まーいいんじゃね。」
「へ?」
「黒江。他の先生に見られるなよ。特に教頭。あいつはダメだ。」
「気をつけるであります。」
結論のない私の言葉に、山城先生は「なんだそんなことか」と前置き、あっけらかんと答えてくれました。
「部活への昇格の申請書持ってきたぞ。橘に渡せばいいか?」
「私ですか?なぜですか?」
「え、だって部長って橘だろ?」
「私だよ!朱ちゃんだよ!」
「え・・・嘘だろ・・・?」
「それどう言う意味!?」
三者三様の疑問、驚きです。しかして、朱ちゃん先輩は憤慨している様子でそっぽを向いています。
「だっておまえいい加減じゃん。部長なんてできんの?橘の方が適任だろ。」
「もういいよ誰が部長でも!私帰って寝る!じゃあね!」
喧嘩別れのようなセリフです。また暗い雰囲気に逆戻りかと思いました。
しかしそれは杞憂でした。部室を出るときに振り返った朱ちゃん先輩の顔が無邪気な笑みに彩られていたからです。見送る面々、朱ちゃん先輩のその様子に呆れたような、ほっとしたような、部室は朗らかな空気に包まれていました。
勢いよく閉められたドアはその縁で跳ね返り、わずかな隙間を作っています。
差し込む光、その赤色は部室を暖かく照らしてくれているのでした。
【茜/】
「ここは・・・どこ?確か学校から帰ってきて、制服脱いでそのままベッドに直行して・・・」
「おいでませ!女神様だぞ☆」
「・・・・・・自称神なら、東京には五万といますよ?」
「ひどい!自称じゃないです!まあ確かにあなた方が思うところの神ではないんですが・・・細かいことはいいでしょう!その調子だと以前会ったことは忘れているようですね。」
「以前も会っている・・・?」
「あなたが転生する前に会っていますよー!」
「そうですか・・・ところで、ここはどこですか?」
「ありゃりゃ反応が薄いですね。感動の再会だというのに!まあいいですけど。ここは、そうですね・・・あなたたちの言うところの魂というものを私たちのいるところまで引っ張ってきた、というところでしょうか。」
「わかったような、わからないような感じですね。」
「別にわかってもらわなくていいです!ところで。」
「何ですか?」
「別に私が神であろうがなかろうが、敬語は必要ありませんよ。敬ってくれるのは嬉しいですが、その気持ちがない人間にされてもつまらないので!」
「そう?わかった。」
「そっちの方がしっくりきますね!」
「それで、なんの用?」
「JAPANESE SAMURAI!単刀直入ってやつですね!でも、もう少しお話ししましょうよ!新しく始めた楽器はどうですか?毎日練習してて偉いですよね。楽しいですか?」
「まあ楽しいけど・・・」
「私は楽器ってやったことないんですが、あれって手とか痛くないんですか?」
「初めはそうかもだけど、そのうち慣れる・・・もういいでしょ?本題があるのに、まどろっこしいのは好きじゃない。」
「あらあら。好きな人に対してはあれだけまどろっこしいのに?」
「・・・喧嘩売ってんの?」
「拗らせてるとも言いますね!いやー乙女ですねー!」
「帰る。」
「ふふふ。意地悪はこのくらいにしておきますかねー。では本題です。じゃじゃーん!なんでもござれ!疑問にお答えコーナー!」
「・・・疑問?」
「はい!転生のこととか、転生のこととか。あるでしょう?あら、どうかしました?」
「いや、何でも知ってそうなやつの手のひらで踊らされてるのがすごく嫌で・・・」
「ふふふ。そういう反骨的なところ好きですよ。そうです!あなたの言うとおり私は何でも知っています!ですから、抵抗するだけ無駄ですよー!むしろ聞きたいことが聞けないので損であるとまで言えます!」
「はあ・・・どうして私は転生したの?」
「人間はみんな転生してますよ?肉体と魂は情報的スペクトラムにおける円環の中にあります!」
「わざと難しく言ってるでしょ・・・わかりやすく言って。」
「使いまわしです!リサイクルです!クルクルクルクルー!」
「こいつ人をなんだと・・・」
「ふふふ。冗談です。ゴッドジョークですよ。ま、本質的には似たようなものですけどね。」
「はあ・・・じゃあなんで私に中学生なんていう、人生の途中から記憶を取り戻させたの?」
「それは簡単です。10代の多感な時期が創造性を育むのに適しているからですよ。あなたの音楽の可能性を広げるお手伝いをしました。」
「可能性?そういうのって2、3歳の時の方が大事なんじゃないの?」
「その通りです!ですが、あなたの場合はすでに前世で土台が出来上がってますから、幼いころの成長は必要ありません。あと2、3歳で転生させると、あなたの場合は前世の記憶を悪用してスポーツや絵画といった他の道を歩み出しかねませんので、10代のある程度道が狭まった状態で転生させました。こちらがあなたの質問のメインの回答ですね!」
「やり口が汚ねえ!そんな理由でこの身体の元の持ち主は私に・・・」
「そこは大丈夫です!その身体の前の持ち主なんていません。乗っ取りとか気にしなくでもいいです。強いて言えば、あなたが持ち主です!」
「私が?意味わかんないけど。」
「さっきも言いましたが、人間とはリサイクルの中にあります。身体も魂も全部ひとつです。過去のあなたも、今のあなたも、全部同じなんですよ。」
「いやいや、それだと時系列が合わないじゃん。過去の私は数年前までは生きていたし、この身体だって生きていた。同じ時間を生きているのはおかしいでしょ?」
「時間なんて、人間が事象を理解しようと考え出した概念に過ぎませんよ?本来的にそんなものありません。」
「それは暴論でしょ。現に宇宙は誕生するし、生物は死ぬ。これは時間が流れているってことだし、つまり時間があることの証拠でしょ?」
「実に人間らしい考え方ですね!」
「むかつく言い方・・・」
「でもそれだと、時間が流れていることを示しただけで、時間があることの証明にはなっていませんよね。」
「それは・・・」
「別に時間なんてなくても宇宙は作れますし、生物は死にます。今ここであなたを殺して生き返らせてあげましょうか?そもそも、時間の有無によってあなたがふたり分の身体で生きていたことを否定できるものではありません。それに、考えてみてください。あなた方が全ての根源として考えている宇宙が原子を生む前、時間なんてものがありましたか?人が死んだらその人の時間は消失するんですか?光は目で知覚します。音は耳です。では時間は?ほら、もうわからないですよね。時間なんて、そんなものなんですよ。」
「・・・よく語るくせにまったく理解できない。」
「時間の概念に囚われている人間には理解できないでしょうねー。あ、ちなみに、時間の概念がない人間も地球にはいますよ。謎を解明するためにアマゾンの奥地へ向かってください!まあ、あなたにとってこの話はさほど重要ではありません。だから理解してもらおうとは思いません!」
「・・・ほんとのところは?」
「面倒なのでこれ以上は説明したくありません!」
「こいつ・・・」
「ふふふ。冗談です。それに、人生の途中から前世の記憶を思い出す人なんて世界には何人もいますよ。このあいだテレビの特番でやってました!」
「テレビの知識かよ!今時テレビ見ねえよ!」
「ふふふ。冗談です。」
「はあ・・・ねえ、聞いていい?」
「お、真面目な雰囲気ですね!どうぞどうぞ、なんなりと!」
「・・・・・・何で私を貧乳にしたの?」
「それは・・・っ!!」
「そ、それは・・・?」
「私の趣味です!!!」
「・・・・・・冗談と言わないだと!?」
「ふふふ。」
「とんだバッドステータスつけてくれやがって!」
「はわわっ!?これがツンデレというやつですね!でも神舐めないでください?私、知ってるんですよ?貧乳はステータスだって!」
「違うわ!」
「え?だってネットにそう書いてありましたよ?」
「ネットの情報を鵜呑みにするなよ!」
「むう・・・喜んでくれると思ったのに。いつか私に感謝する時がくるかもしれませんよ?」
「確かに小さい方が好きってやつはいるけどあいつは・・・あー!もういい!続き!なんで私に記憶を引き継がせたの?」
「それも簡単です! The Peaceが好きだからです!」
「・・・・・・は?」
「私は平和を愛しています!」
「いや、意味わかんない・・・」
「そうですか?うーんそうですね。では・・・私たちは何でも創ることができますが、それはなんでも知っているからこそなんです。そして私たちは知っているものしか作ることができません。これが私たちがあなたたちを作った理由です。」
「だから・・・わかるように言って。」
「私たちの予想にないモノ、コトを作って意外性を示してもらい、私たちの刺激にするためです!」
「・・・人間ってあんたたちの娯楽のために作られたの?The Peaceもそのうちのひとつで、あなたを楽しませるために継続させたいって?」
「あら!そう聞こえましたか!」
「殴りてぇ・・・っ!」
「だから、何も生み出さず、ただ漫然と生きているだけの人間に価値はありません。」
「・・・そこまで言うか・・・つまり、私にまたThe Peaceを始めろと言いたいわけ?」
「そうは言いませんよ。確かに私はThe Peaceが好きだと言いましたが、それは創造物に大きな意外性を感じるからです。あなたがこれから成す音楽がThe Peaceでなくとも、意外性を持つものなら私は構いません。」
「私は音楽を続ける前提なのね・・・」
「そうですよ。言ったじゃないですか。創造しない者に価値はありません。」
「・・・・・・私は・・・」
「おっと!そろそろ現実のあなたが起床する頃合いです。意識を戻しますね。」
「ち、ちょっと待って!まだ聞きたいことがたくさn・・・」
「おや、このままあなたの意識をここに留めておくと、あなたは魂がない廃人の状態で覚醒することになりますよ?」
「は!?何言ってんの!?」
「ふふふ。冗談です。では、また会いましょう。茜。」
「・・・・・・私はもう茜じゃない。」
「そうでしたね。ではもう一度。」
「また会いましょう。朱。」
ここまで読んでくださった方、お付き合いありがとうございました。
ここで一度、彼女たちの物語に区切りをつけようと思います。ただ、この先のお話も書くつもりですので、また機会があったら読んでいただけると幸いです。
ありがとうございました。




