69 勝つとか負けるとか、そんな単純なものじゃない
【朱】
最初は、単純に自分専用の冷蔵庫がなくなるのが嫌なだけだった。
部室がなくなると冷蔵庫が使えなくなって飲み物が冷やせないし、夏と冬、季節によってお昼のバリエーションが少なくなって嫌だ。だからコッキーを存続させようと思った。それだけだった。
でも、シノと出会って変わった。
シノは毎日セッションを繰り返して、時々 The Peaceの練習をして。半ば強引にコッキーに連れてきた自覚はあったけど、それでもシノがどんどん音楽にハマっていくのがわかって、そんなシノを見て私が一番音楽をしていた頃を思い出した。
音楽の楽しさを思い出した。
「やあやあ来たねおふたりさん!ライブお疲れ!」
部室の入り口、人の気配を感じて向けた視線、扉を開けて顔を覗かせたのは恋と汐だった。
「え、なんか恋、機嫌悪くない?」
仏頂面と、恋の表情の違いがわかるほどのスキルは持ち合わせていないけれど、それでも、何となく恋が発する雰囲気にはのっぴきならないものを感じる。
「別に悪くない。」
「明らかにご機嫌斜めだよね!?」
「はあ、その件はもういい。呼び出した理由は何?」
無表情がデフォルトの恋には珍しく、今日はその表情から感情が読み取れた。もしかしなくてもふたりだけの時間を邪魔されたからだろうか。
「まあ、いいか・・・じゃあ打ち上げだー!怜の奢りで!」
恋の問い、ライブの後にやることなんて決まってる。今日は食べるぞー!他人の金で!
「あ、朱ちゃん先輩そんなの悪いですよ・・・!」
「・・・300円までなら出してやる。」
少し悩んだ素振りの怜は「いいんだ指宿・・・」と付け加えて応えた。その声に覇気はなく、いつもの皮肉マシマシの態度はそこにはなかった。え、何これ私が悪いの?それともいじってほしいのん?
「え、何そのサイゼ意識した価格設定?そんなにサイゼ行きたいの?」
「おまえこの前までドリア食いたいって言ってただろうが・・・」
「えーそんなに私とドリア食べたいのー?」
「はあ・・・もうそれでいいよ。」
「私&ドリア食べたいの?」
「先輩!卑猥です!」
「やっぱやめようk・・・」
「ああ!ごめんて!私をサイゼに連れてって!」
「おまえは昭和のOLか・・・っ!」
危ない危ない。怜を揶揄うのも大概にしないと。このままでは、しな垂れた私の悩殺ボデーでいちげきひっさつ、ポケセン待ったなしだ。300円分おこづかいを損してしまう。
なぜOLなのかわからないけど、怜はひんしを免れ、いつもの調子が戻ってきたようだからどうでもいいか。
「あ、そんなことより、二条さんふたりを呼んできてくれてありがとう!打ち上げ行くよね?」
二条さんは恋と汐を呼んできてくれた功労者だ。だから打ち上げに参加する権利がある。決して、教室で見かけたあのふたりの雰囲気の中に私が入りづらくて彼女を特攻させた後ろめたさからご馳走しようとかではない。ほんとだよ?
ともあれ、打ち上げは人数が多ければ多いほど楽しい。うぇるかむかもーんだ。
「いえ・・・私は・・・あの、ちょっといいですか?」
ちょっといいですか、とはまさかデートのお誘いではないだろう。十中八九、質問の類だ。今は気分がいいとはいえ、あまり面倒な質問には答えたくない。
(うーん。でも功労者であることは事実なんだよなー・・・)
「なんなりと!」
ここは割り切ろう。そして、そうと決まれば面倒なことはさっさと済ませて楽しいことをやろう。
「・・・その・・・どうやったら、私は恋ちゃんに勝てると思いますか?」
黙り込む面々。衣擦れの音。迂闊な口を撃ち抜きたい。
どうして二条さんをよく観察しておかなかったのだろう。今ならわかる。こんな展開は避けるべきだった。
彼女の雰囲気からはきな臭さを感じる。まさか、私ともあろうものが気分の良さに引っ張られたのだろうか。
「ま、真紀ちゃん急にどうしたの・・・?」
私が答えを返さない分、シノが場を取り持とうとしてくれている。気を遣って言葉をかけてくれている。
甚だ面倒だけれど、自分が蒔いた種、思考の海に潜って現実逃避するのはよくない。
「私は宗次郎を尊敬してる。The Peaceの音楽が好きだし、宗次郎の才能に焦がれてる・・・」
正直、意味がわからなかった。
言っていることが支離滅裂とまではいかないけれど、断片的すぎて理解できない。彼女の中では多くの想いがあって、それが整理できていないうちにその一部が漏れ出てしまったというところだろうか。
「新歓を見て、さっきの演奏を聴いて確信した。」
恋は何も言わない。二条さんに視線をぶつけて、逸らさない。
「私は、宗次郎の才能をもらった恋ちゃんに負けたくない・・・いや、勝ちたい・・・」
あの男に言わせれば、私たちの演奏は二条さんの心を動かしたのだと思う。だから、こんな青春まっしぐらなセリフも口にできるし、こんな雰囲気にも耐えられるのだろう。
「私は・・・宗次郎じゃない・・・っ!」
何かを堪えるように手を握りしめる恋。震える端から滲み出る激情。
「私は私!宗次郎の娘じゃない!」
二条さんは恋を怒らせようとして言ったものではなかったんだと思う。それは二条さんの表情からも明らかだ。
しかしその言葉は、何かが恋の忌諱に触れていた。
今までの恋からは想像できないほど大きな声。それは文字通りの声量であり、そして声を大にして伝えたいことなのだろう。
しかし、その意味は文字通りではない。
恋は、宗次郎の娘だ。
なんとなくそんな気はしていた。恋という名前、レスポール、そして今日のステージでの弾き方。
私は確信した。確定的に理解した。だからこそ、感じないわけがない。
「音楽は勝つとか負けるとか、そんな単純なものじゃない。」
感情に、雰囲気に流されたわけじゃない。ましてや、宗次郎の娘だから助けるわけでもない。
「本当は、今日だってそう。多く投票してもらったら勝ち?じゃあ、投票しなかった人たちの気持ちは無意味なの?ただ、別のことが好きで、その人にその音楽が合わなかっただけなのに。」
何が私にそうさせたのか、わからない。
「人気だから偉いの?多くの人を感動させて、お金をたくさん稼げばそれでいいの?それなら、その人気な曲に共感できない人たちの思いはどうなるの?」
直接聞かれたからというのはあるだろう。音楽に勝ち負けを求めるその価値観が私の主義主張からかけ離れていたから、反駁したくなった、そうなのかもしれない。
「音楽はひとりひとりの好きがあって、それは千差万別。白黒つくようなものじゃない。だから、勝ったとか負けたとか、そこに拘る理由は何もない。」
自分の価値観を人に押し付けるなんて、ナンセンスだ。それはわかっている。
「・・・・・・それじゃ、どうやっていいものを作ればいいんですか・・・あの人よりいい曲を作りたい、あの人より上手くなりたいっていうのは無意味なんですか・・・っ!」
肩を震わせ、キッと睨めつける視線は、確実に私を捉えている。
湧き上がる感情、しかし、瞳から溢れるものはその気持ちのみ。はたして、彼女の瞳には様々なものが溜まって渦巻いているのだろう。
「いいや。もちろん、技術で負けたくないって思うのは良いことだと思うよ。けど、あの人よりいい曲にしたいっていうのは少し違うかな。あなたはその、あの人にはなれないんだから、同じ表現はできない。というか、そもそも比較できない。だから自分の音楽を求めるしかないんだよ。」
言いたいことを言ってしまった。
自分で言うのも変だけど、私が周りを顧みないのはいつもどおり。それでも、私の言葉の後、今の部室の空気は居た堪れなかった。
ちらと様子を伺えば、二条さんは何か言おうとして口を開いては閉じてを繰り返して。恋は恋で相変わらず。怒っているのは間違いないと思うけれど、その形がわかりづらい。
シノは落ち着かない様子であわあわしてるし、汐は恋の手を握って動かない。怜は腕を組み目を瞑って俯いている。国会議員か。しばくぞ。
誰も何も言わない。雰囲気は最悪。いつも怜のことを厨二病とこけ下ろしている私が、厨二くさい、あるいは、青くさいことを語ってしまった。
響いた鎮魂歌は静寂の帷を下ろし、遍く言葉を奪った。全くもって痛堪れない。
「・・・良いこと言ってる風で月並みだな。」
救いの神、怜。いや、私の悩殺ボデーに懸想する邪なところがあるし、むしろ邪神だろうか。
冗談はさておき、こういうとき本当に頼りになる。存分に茶化してくれたまえ。
「ま、だからといって、二条さんの考えが間違いだとは思わないけどね。」
「結局、日和った結論じゃねーか。」
「その通り!色々な意見があって然るべき。つまり・・・みんな違ってみんないいってことなんだよ!」
「おまえが言うと薄く聞こえるんだよなあ・・・」
「ひどい!」
なんてやつだ。私のありがたい言葉を何だと思ってるんだ。私の考えた言葉じゃないけど。
「だいたい、考えが他人との違っているのにひとまとめにして良いとするなんて、波風立てず反目しない、なんでもかんでも他人との違いを認め合うってことだろ?盲目的やしないか?」
「違うよ。」
茶化して終わりにしようと思っていけれど、これは言わなければいけない。
「この詩の意味はみんなが互いを違うことを認め合おうってことじゃない。みんながみんなできることとできないことがあって、お互いに真似のできない長所があるから、みんなすごいって意味なんだ。」
これは私の言葉じゃない。だからこそ客観的にわかる。みんな誤解してる。語感で判断してる。
気になった事、その表層を撫でてみること自体は悪いとは思わない。興味の向くまま試してみればいい。
けれど、それしか見ないのはいけない。それでは誤解が認識の先に立ってしまう。
そしてそれは、詩も歌も変わらない。奇しくも、いつの日かあの男が語っていた言葉を証明してしまっている。なんだか悔しい。
畢竟、表現者の思惑なんて、受け手がどう感じるかで変わってしまう。
だから重要なのは聞き手の心を震わせられるか。つまり逆説的に、表現者がどう苦悩しているかは関係ない。
前よりも良い曲を作りたい。あいつに勝ちたい。モテたい、売れたい。表現者は様々苦悩すればいい。勝手にやってくれ。
ただ、それは表現者にとっては必要なことかもしれないけれど、音楽には関係のない話だ。
音楽はただそこにあるだけで誰かに影響を与える。ただあるだけなのだから、正解も間違いもない。ましてや表現者の都合なんて、音楽の前では等しく無意味だ。
「朱ちゃん先輩・・・その、つまりどういうことですか?」
表現者にはわかる。わからないやつは。
「わからないやつは、金子みすずを読め!話はそれからだ!」
「えぇ・・・」
困惑するシノは放っておこう。おっと、耳打ちで怜に解説を求めている姿は微笑ましい。ふたりを邪魔してはいけないと思ってのことだ。決して説明するのが面倒なわけじゃない。ほんとだよ?
「朱。」
ふと、視界の外から声がした。
恋だ。真面目な顔つきでこちらを見つめている。いったい何を言われるのだろうか。デートのお誘いだろうか。いやー朱ちゃんモテモテだな。
「ありがとう。」
「お、おう?」
(え、いきなり何・・・感謝の言葉?ゲンドウにも言ったことないの?まったくわからん。)
この子は本当に読めない。脈絡がわからない。そもそもわかる日なんてくるのだろうか。
しかし、気のせいかもしれないけれど、いつもはわからないその表情は、柔らかなものに思えた。
あるいは、恋は私の言いたいことがわかったのだろう。二条さんもわかるからこそ、何も言うことができなくなったのかもしれない。
音楽は相対的に測ることはできるけど、それは観測者の論理であり、それ自身は絶対的な唯一である。つまり、ひとりひとりの音楽がある。あるのはそれだけ。
さっきは茶化して砕けた言い方になってしまったけれど、それでもわかるやつにはわかる。あえて難しい言葉で言うことに意味なんてない。それに、今回は二条さんに伝わればそれで御の字だ。
ついと二条さんを見やれば、腑に落ちた顔はしていない。恋に謝っているその表情も、晴れ晴れとしたものには見えない。
でも、それも当然だ。そもそも何かが解決したわけじゃない。振り出しに戻っただけだ。きっと、それがわかっている汐は、だから、肩をすくめてやれやれといった様子なのだろう。
それでも、部室の雰囲気は悪くないと思えた。
「おーす。いやーひっさしぶりにいい演奏だったわ。黒江と一花、おまえらやるなー。」
ドアノックもなしに開け放たれたドア。開口一番の褒め言葉。歩み寄ってくる声の主は今日の功労者のひとり、その人だった。
「華琳ちゃん。」
「一花・・・山城先生と呼べ・・・」
「え、先生、華琳ちゃんって名前なんですか?かわいいです!というか、恋ちゃん先輩が名前で呼ぶって、仲良いですね?」
「別に華琳ちゃんと仲よくはない。」
「おまえな、そういうことは本人の前で言うなよ。」
「そういうもの?」
「え、えっと。でも親しげですよね?」
「華琳ちゃんはThe Peaceの元ドラマー。」
「え・・・?」
「サポートドラマーな。で、一花の父親がThe Peaceのギタリストなんだよ。それで昔から知ってるってだけ・・・指宿?」
動きが止まったシノ。それは文字通り言葉を失っているみたいだった。驚いた時のテンプレのようなその反応に思わず笑いが漏れてしまった。
「・・・まあそんなことはいい。全員、今日はお疲れだったな。勝負の結果を伝えにきたんだが・・・言うまでもないな?」
山城センセはニヤリと、おそらく自分ではニヒルだと思っているだろう笑顔で言葉を締め括った。ウケ狙いでこの顔作ってるわけじゃないよね?
「まったくだよー疲れた。なんで私たちがこんなことしなくちゃいけないのー?山城センセ、ちゃんと軽音部シメといてよねー?」
まったく、面倒なことに巻き込まれたものだ。そもそもこの人が勝負とか言わなければこんなことにはならなかったのに。
「おまえもノリノリだったと思うんだが・・・というか、お前らなんでそんな拗れるまでになったの?退部届出せばいいだけじゃん。」
「あれー山城センセ、顧問なのに知らないのー?入部届を出した後は退部届を出せば辞めれるけど、仮入部届の場合は退部届を出すんじゃなくて、そのものを返してもらわないとダメなんだよー?決まりじゃん。お役人が決めたルールでしょ?」
「公立学校の教師をお役人と言うやつ初めて見たわ・・・というかそれは知ってるが、仮入部届をもう一枚貰えばよくね?軽音部は5月に退部してさ。うちの学校、兼部OKだし。」
衝撃と畏怖。回転ドアはないけれど、私の中では認識が180度回転していた。
「え、私なんか変なこと言った?」
「なんでそれを早く言わないの!」
「いや言おうとしたんだけどさ・・・あのとき軽音部のバカどもが壁を壊して・・・それにこんな単純なことをやらないのは何か理由があるのかと・・・」
本来、山城センセは責められる立場にない。山城センセは軽音部の顧問であって、コッキーの顧問ではない。だから私たちに果たす義理はない。
しかし責めずにはいられない。
言葉が尻すぼみになっていく山城センセは、その肩までも小さく丸めている。これはいじらずにはいられない。
「もう!山城センセ罰金8千円!」
「地味に高い!?なんでだよ!遺憾の意を表明する!」
なに遺憾の意って。政治家か。お役所って言ったこと引きずってるのだろうか。
「じゃあ私、遺憾のかにする!」
「ん・・・ん、しか残ってないならそれでいい。」
「そう言う意味じゃないから!黒江も一花も変なところで連携するなよ!」
ほんと、この子ノリいいよね。あ・・・宗次郎の娘だから・・・か。
「・・・・・・罰金がいやだったらコッキーの顧問して!」
「いやだよ私の仕事増えr・・・」
「いいからやって!顧問の兼部もできるよね!」
「それは・・・そうだが・・・」
こういうことは勢いで流すに尽きる。変なところに波及しないうちに訴求してしまうのがいい。
「ドラムセットも用意するよ!理由は知らないけど、軽音部だと叩きづらかったんでしょ?」
「・・・暇がある時しか来ないからな。」
逡巡、しかし迷いなく山城センセは頷いた。何がそうさせたのかはわからない。あるいは、山城センセも今日の演奏で何かを感じたのだろか。
感嘆詞付きで恋とハイタッチ。喜びを分かち合う。これにて一件落着。
いやしかし、生徒会によるコッキー廃部宣告に始まり、部員勧誘、セッションで語る平凡な毎日、シノ救出大作戦、そして顧問の捕獲。色々あったけれど、落ちるところに落ちたというところか。
思えば長かった。遠いところまで旅をしてきた。でもこれでようやくコッキー存続が叶った。それどころかサークルから部活への昇格もできる。明日にでも生徒会に乗り込んでドヤ顔を向けてこよう。
「よーし!サイゼいくぞー!」
明日やろうはバカやろうだと全校集会で校長が言っていたけど、そんなこと知らない。というか韻踏んでてムカつく。
そもそも、明日やることは明日やればいい。明日やることを今日やってしまったら明後日やることを明日やることになってしまう。
それは先々を考えて行動できる大人の皆さまであればそうなのだろう。でもそれは、もう社会的ブラック思想に毒されている。
私たちは今を生きているのに、常に明日のことを考えるなんておかしい。明日のために今を犠牲にするなんて間違ってる。
(ああ、なぜ今になってこんな・・・今日は感傷的になりすぎている気がする・・・)
ふと思い出すのは、かつて言われた言葉。私の過ち。
客入りが悪い。音源が売れない。流行らない。
あの時は納得した。あいつは正しいことを言っていると思った。だから、ついて行った。けど、それは私にとって歪みだった。
そして、私にとってその歪は大きすぎた。
今なら言える。私はやりたいことをやる。やりたい音楽をやる。
ああ、なんだか今日は語りすぎた。私らしくない。
そもそも、こんな難しいことなんて考える必要はない。ただ、目の前のことを全力で楽しめばいいだけなんだから。
私は今を生きる。明日など顧みず、今日を全力で楽しむ。そしてそれを繰り返す。
今日好きなことに全力に生きて、明日好きなことに全力で生きる。
全てはこれに尽きるのだから。




