6 青春の序章は過去を想起させる
【忍】
「結局何もできなかった・・・」
ひとり階段に腰をおろし、堪えきれずに出たボヤキは運動部の掛け声に混ざって消えていきました。観客席のように横に数十メートル延びる階段は三段しかありません。見下ろす先にはグラウンドが広がっています。
何もできなかったというと言葉のあやになってしまうのですが、てっきりギターの弾き方なんかを教えてもらえると思って見学に向かった私の期待は大きく外れたものになってしまいました。
しかして今日、私は人生で初めてバンドというものを組みました。何を隠そう、あの車座のメンバーです。
甘声さんがギターとボーカル、こっくりさんがベース、オド太郎さんがドラムで私が「りーどギター」を担当します。軽音学部は主にプロの曲を練習してライブで演奏することが目的の部活のようでした。
従ってバンドの当面の目標は5月に行われる月例ライブに出ることだそうです。
演奏する曲は何を隠そう・・・もはや何も隠せてはいませんが、ラットの曲です。ほとんど音楽に触れてこなかった私ですら知っていた有名な曲です。確かアニメーション映画の主題歌だったと思います。
あれよあれよと話は進み、気がついた時には今週の土曜日にスタジオで練習するところまで決まっていました。
(結局、人はそう簡単には変われないのかな・・・)
嫌なことを思い出しそうになって私は少し大袈裟に頭を振ります。過ぎたことをいつまでも考えていたってしょうがありません。これからのことを考えるべきです。差し当たっては、当座の問題を解決しなくてはなりません。
(楽譜が読めない・・・)
ラットの曲をやると決まってすぐ、こっくりさんが楽譜をコピーして渡してくれました。どうやら「すこあぶっく」というものを持っていて、ちょうど目当ての曲が収録されていたとのことでした。
小、中学校と音楽の成績は中の中だった私です。覚束ないながらも楽譜は読めると思っていたのですが、渡されたそれは五線譜のはずなのに6本ある線や、音符ではなく数字が羅列されているだけで音階がわからないなど、到底私の知っている楽譜ではありませんでした。
(五線譜・・・いえ、この場合は六線譜?左上にあるアルファベットがコードだと思うんだけど・・・)
朧げな記憶を頼りに左手でコードを押さえます。案外覚えているものだと驚きつつ、自分を褒めます。私は褒めて伸びるタイプなのです。しかし中学の音楽の授業がこんなところで役に立つとは思いませんでした。
そう、私は今ギターを持っています。
楽譜をもらったあと、ダメもとで田中先輩にギターを貸して欲しいとお願いしたところ、OBが置いていったギターがあるとのことでそれを貸してもらうことができました。
マイギターというわけではありませんが、こうして構えるだけでなんだか少し楽しくなってきます。
ただ、音楽の授業以外でギターなんて触ったことがないのでうまく音が鳴りません。しっかり押さえているつもりでしたが、ダメダメなようです。
(音が小さくてよく聞こえない・・・やっぱり弾き方が間違ってるのかな・・・)
四苦八苦しながら試行錯誤していた私ですが、10分とたたずに左手が痛くなってギターを置きました。前途多難です。
自分の不甲斐なさにため息をついているところに、ふと背後で地面を蹴る音がして振り返りました。
(きれいな人・・・)
そこにはひとり立つ女子生徒、その視線が私を捉えてじっと見つめていました。
色素の薄い髪に瞳、整った顔立ちは日本人離れして見えます。
どれくらいそうしていたでしょうか。はたして、微動だにしない私たちの間には、互いに見つめ合う時間が流れていました。
20230525サブタイトルの附番を変更しました。