64 軽音バトル!④(色めきの破章編)
【忍】
「それでは、これから軽音楽部とコッキーポップ同好会による軽音バトルを行う。」
音楽室の前方、壇上に作られたステージ、立てられたマイクスタンドの前で山城先生は宣言しました。
先生の背後にはスピーカーやアンプ、ドラムセットが並んでいます。腕組みをして伸ばした背筋、言葉の最後にニッと口の端しを歪めた表情はゲームのラスボス感がありました。まさに決戦前です。
ともあれ、今日戦う相手は山城先生ではありません。
今日は土曜日です。つまり軽音バトル当日です。
音楽室は多くの人でごった返し、ぎゅっと寄せても部屋の半分くらいは余裕で埋まってしまいそうです。
知らないけど人が大半ですが、中には見知った顔もちらほらあります。部活帰りだろう体操着の生徒、同じクラスのあの子、教室の前でよくすれ違う子もいます。
しかしそれでも、集まったのはそのほとんどが軽音楽部の部員のようでした。勝手知ったると姿勢を崩して談笑している様子は、吹奏楽部や合唱部ではないように見えました。
「先生〜始めるのはいいんですけど〜コッキーポップの人が来てませ〜ん。」
ドキリと脈打った心臓、恐る恐る声のした方向を見ると、声の主はニヤニヤした笑みを貼り付けた女性でした。見学の時に軽音楽部で見たことがある生徒でした。
「おいおい。これから勝負だって言ってるのに、演者がいないのか?」
「マジかよ。大変じゃん。逃げたんじゃね?」
明からさまな挑発です。こんなことするのなんて、ドラマや漫画の中だけだと思っていました。
「せ、先輩はそんな・・・」
「シノ。」
言い返そうと口を開いた私、その反駁は、しかし被せられた声で掻き消されました。
「朱ちゃん先輩・・・でも・・・」
自分の言葉ながら意外でした。今までなら、何を言われても受け流すことが常だったはずです。なんなら、ヘラヘラとした愛想笑いを返すことくらいはしたかもしれません。少なくとも、こんな安い挑発に乗るような性格ではなかったはずです。
首を振る朱ちゃん先輩、その静止に言葉を飲み込ます。この状況で1番突っかかっていきそうな朱ちゃん先輩が黙っているのです。私も自重せねばなりません。
「安っぽい挑発、そんな恥ずかしいセリフよく言えますね。役者気取りですか?その様子ではあまりお勧めできませんよ?」
またまた意外にも口を挟んだのはしーちゃん先輩でした。朱ちゃん先輩を挟んで反対側、両手で左右の肘を抱くように、クイっと顎をあげながら言う姿は漫画に出てくるキツめのお嬢様のイメージでした。
役者といえば、しーちゃん先輩の方がよほど芝居がかっていますが、なぜか様になっています。
「なんだと・・・っ!だいt・・・」
「おまえら喧嘩するな。どうせバトルやるんだ。そこで白黒つけろ。コッキー側が欠員ということだし、軽音楽部が先攻で始めるぞ。準備掛かれ!」
鶴の一声、山城先生の宣言に反発する人はいませんでした。せいぜい睨む視線を向けてくるくらいです。
そうしてマイクチェック、楽器の音出しを行った数分後、4カウントで大音声が鳴り響きます。
そうして、軽音バトルが始まりました。
(この盛り上がってる全員が一般客ってわけじゃないよね?)
恙無く、とは言えない開始、今は田中先輩たちが演奏しています。
田中先輩たちの演奏はとても上手でした。
本来のThe Peaceは女声でベースボーカルですが、田中先輩がキーを半音下げてギターボーカルで歌っていました。
いつも聴いている曲との違いに違和感を感じないこともありませんが、これはこれで新鮮味がありました。
曲のジャンルに詳しいわけではありませんが、以前、先輩がオルタナティブロックとかエモ系ロックと言っていました。言葉の意味はなんとなくしかわかりませんでしたが、ロックと言われれば確かに、この演奏にはガツンとした迫力がありました。
それになりより勢いがあります。盛り上がるのも頷けます。上手であることは疑いようもありません。
しかし、ステージ前の方に固まってひと際盛り上がっている人の顔を見るに、動員がないとも言い切れないような気がします。意図的に盛り上げている、サッカーでいうところのホームグラウンドのような感じがしました。
(何も起きないよね・・・)
昨日の階段での出来事もあります。温度差だけならいいですが、作為的な何かが起こりそうだと思ってしまうのは、私の考えすぎなのでしょうか。
(先輩・・・まだかな・・・)
しかしそれとは別、もっと気がかりなことがあります。
未だ、先輩が来ていません。
昨日、あんなことがあった手前、気が気ではありません。もしかして昨日のことで目に見えないキズがあったのかと嫌な想像をしてしまいます。
「忍。秋津から寝坊したって連絡があったって。もうすぐ着くらしい。」
そっと耳打ちで教えてくれたのは恋ちゃん先輩です。恋ちゃん先輩は声が大きい方ではありません。それでもかなりの大音量の中にあってもよく聞こえました。何か話す時のコツでもあるのでしょうか。
恋ちゃん先輩に会釈と心ばかりの返事を返します。手を上げて応えてくれた恋ちゃん先輩の向かう先は出演者の待機場所である音楽準備室でしょうか。
(そっか。寝坊か。何もなくてよかった。)
しかし、いつも目の下にクマを張り付けている先輩ですが、遅刻しているところは見たことがありませんでした。珍しいこともあるようです。
そうして、先輩が到着したのは軽音楽部の演奏が終わってしばしの休憩時間、転換のタイミングでした。
「は?突き指?」
素っ頓狂な声は、珍しくも朱ちゃん先輩のものでした。
いえ、朱ちゃん先輩の気持ちもわかります。私なんて、驚きのあまり声すら出ませんでした。
「秋津くん、その、大丈夫ですか?」
「ああ。安静にしていれば問題ない。」
先輩としーちゃん先輩、いつもあれだけ言い合っているふたりです。犬猿の仲とも言えます。
しかし、眉を顰め先輩を気遣うしーちゃん先輩に他意はなく、本当に心配しているようでした。
そんな様子に視線を逸らす先輩はどんな心持ちなんでしょうか。
「・・・昨日のリハは無理矢理やったけど、それがよくなかったみたいだな・・・悪化したみたいだ・・・」
「あーだから昨日は調子悪かったのか。ほら怜。手、見せてみ?ぷぷぷ。おててクリームパンじゃん。」
「それ腫れてるって意味?例えが独特すぎるだろ・・・」
「えーそう?で、何があったのー?箪笥の角にぶつけた?」
「それやるの足の指だろ・・・」
朱ちゃん先輩はカラカラと楽しそうに笑みを振りまいています。ただそれは、先輩の怪我をあざ笑っているわけではありません。あくまで、この状況を楽しんでいる、そんな風に感じます。
あるいは、朱ちゃん先輩なりの励ましか、そうでなければ心配の裏返しのから元気でしょうか。
(先輩の怪我・・・絶対そうだよね・・・)
快活に笑う朱ちゃん先輩とは対照的に、私の心中は穏やかではいられませんでした。
昨日の今日の怪我です。十中八九、田中先輩に突き落とされたことが原因でしょう。
しーちゃん先輩、朱ちゃん先輩に受け答えをする先輩は、しかし、昨日の事件について全く触れないのでした。
(先輩が言わないなら・・・私が・・・っ!)
「あ、あの・・・っ!」
「それで秋津、弾けるの?」
私の声は小さくはなかったはずです。固い決意をもって口を開きました。
しかし、それをしてなおあまりある情動が、恋ちゃん先輩の言葉が、私のセリフを飲み込んだのでした。
「イチカ!それは酷というものです!」
恋ちゃん先輩の言葉にいち早く反応を返したのはしーちゃん先輩でした。
しーちゃん先輩が恋ちゃん先輩に反論するのは珍しいです。いえ、初めて見ました。
驚いたのは私だけではありません。本人を除く全員、恋ちゃん先輩も同じようでした。
恋ちゃん先輩は目を見開き、しかしすぐにキッと目元に力を込めました。
それはわずかな変化です。しかし、明確に変わったとはっきりわかるのは、その語調がきついものに感じるからでしょう。
「・・・そうかもしれない。でも、ライブを飛ばすことは許されない。」
「それは!お金をもらっているプロならそうですが、私たちはそうではありません!」
「じゃあ、売れないバンドマンが自腹切って出演しているライブハウスでのライブは飛ばしてもいいと思うの?」
「そうではありません!私が言いたいのは、たかが高校の部活で何を・・・」
「今、たかが、と言った?」
言葉の応酬、意図的に被せられた声。その途切れた瞬間に息を飲む音が聞こえました。
何かしなくては、と頭ではわかっています。ことの発端は私です。私が余計なことをして、巻き込まれて、先輩に怪我を負わせてしまったのですから。
何か言わなければいけない。頭ではわかっていても私は何もできませんでした。手足はおろか、口すらも開かず、微動だにできませんでした。
「私は毎回身を削ってライブに臨んでる。私は本気でプロギタリストを目指しているし、ストリートでオリジナルをやるのも箱でサポートに出るのも、たかが高校の部活のコピーバンドで演奏するのだって私にとっては同じだ。演奏で人を集めることがどれだけ難しいか知ってる?この中には来たくない人だっていたかもしれない。私じゃなくて軽音部の先輩を見に来た人だって多いと思う。でもわざわざ時間を割いてきてくれた。私の演奏を見るためにこの場に残ってくれている。練習時間が取れないことやバンドの中でライブに対する温度差があるのは仕方がない。だからバンドの演奏がどんな出来であっても私は許容する。でも組まれたライブを飛ばすことは許されない。私は骨が折れてもギターを弾くし、血だらけになってもステージに立つ。しぃが本気で言ってるのなr・・・」
「もうやめてください恋ちゃん先輩!私が全部悪いんです!あんなに仲良かったのに喧嘩しないで!」
核心を口にする前に止めなければいけない。その想いだけで私は声を絞り出しました。
いえ、絞り出したというより、絶叫に近かったように思います。
それは、厳しい言葉を淡々と語る恋ちゃん先輩とは対照的なものでした。
恋ちゃん先輩の口調は澱みないものです。それはきっと、信念だから、包み隠さない本心だからこそなのだと思います。
しかし、鞘に収まっていないその刃は鋭く尖っているのです。剥き身の本心に、その言葉に確かな激情を感じるのです。
これ以上、恋ちゃん先輩に言葉を続けさせるわけにはいきません。確定的な溝ができる前になんとしても止めなければなりません。
私は言葉を尽くしました。昨日何があったのか、全てを話しました。先輩は悪くない、私が悪い。私は訴えました。
「朱ちゃん先輩も止めてください!」
自分が情け無いことは知っています。だから、私ひとりでは恋ちゃん先輩を止めることができないこともわかっています。
だから、縋りついた先は朱ちゃん先輩です。朱ちゃん先輩であれば、この状況を打ち崩してくれると、信頼を、いえ、望みを向けてしまうのです。
情けない自分を恥じることは後でもできます。今はただ、この状況を好転させることだけを考えるべきです。
「朱ちゃん先輩・・・?」
ヒートアップした私とは対照的に、朱ちゃん先輩は冷静でした。私が期待した朱ちゃん先輩、天真爛漫で傍若無人。笑いながらこの状況を打破してくれる、そんな姿はありませんでした。
「怜。その手じゃ演奏は無理だよ。」
「あ、あぁ・・・でもな・・・」
朱ちゃん先輩は真面目な顔つきではありません。真剣なものでもありません。
昨日何があったか、その話を聞いてからの朱ちゃん先輩は一変しました。
笑みが消えたのです。
感情豊かでニコニコしている朱ちゃん先輩はここにはいません。その表情はただ、感情が抜け落ちたような無感動なものに変わっていました。
「ベース借りるね。」
「・・・どういうつもりだ?」
当然の疑問です。私もそう思いました。
しかし、朱ちゃん先輩はその問いに答えることなく、ただひとこと「ごめん。」と呟いて片手でベースを掴み上げました。
「恋。行くよ。」
「うん・・・」
欠落したその隙間に溜まるのはひとつの衝動、あるいは情動です。
その言葉から伝わる、後退も辞退も許さないという思いは恋ちゃん先輩と共通です。
そして自分の思いに向けて進むという意思は朱ちゃん先輩そのものでした。
無感動の中に一瞬だけ垣間見た仄暗さ。朱ちゃん先輩が呟いたその言葉が断りなのか、はたまた別の意味があるのか、私には判断がつきませんでした。
【恋】
「華琳ちゃん。ちょっといい?」
「黒江・・・山城先生と呼べって・・・私の名前おまえに教えたっけ?」
朱の第一声には驚いた。昔から、名前で呼ばれるのが好きじゃなかった華琳ちゃんが誰かに積極的に名前を教えるとは思えない。なぜ朱が知っているのだろうか。
「そんなことより、最近、ドラム叩いてる?」
「ん?仕事終わりにちょくちょくな・・・ってほんとになんで知ってるの!怖いんだけど!」
「じゃあドラム叩いて。」
「ああ、わかった・・・はあ!?」
今日は驚くことばかりだ。秋津が突き落とされてケガを負ったことも、朱がベースを弾こうとしていることも、華琳ちゃんのことも、全部驚いている。
華琳ちゃんがこの学校でドラムを叩いているところは見たことがないし、きっと意図的に叩かないようにしていると思っていたけど、どこかのリハスタででも目撃したのだろうか。
でも、華琳ちゃんがやってくれるなら心強い。
なぜなら、華琳ちゃんはThe Peace最後のドラマーだから。だから、私に否はない。
「恋もそれでいいよね。」
即答。朱の質問に首を振って諾と返したつもりだったけど、朱はすでにこちらを見ていない。いつも通りの結論ありき。良くも悪くも初めから意見なんて聞く気はないのだろう。
「ちょっと待て!私がドラムってことはおまえがベースか?」
「そう。ベースボーカル。」
「黒江・・・おまえの楽器のセンスは認めるが、The Peaceはそんなぶっつけでできるもんじゃない。」
私も華琳ちゃんも朱が楽器の才能に溢れていることは知っている。朱のリズム感やグルーヴは天性のものなんだと思う。演奏技術だってそこらへんの女子高生の比じゃない。何十年も弾き続けたような貫禄さえ感じる。
「秋津のことは・・・さっきは聞いた。今回は悔しいだろうが対決をやめるべきだ。」
普通ならそう考えるだろう。懸命で合理的な判断だ。
だから、ここで諦めないのはたぶん普通じゃない。
(私は。)
諦めない。諦めていない。だからきっと普通じゃない。でもそれでいい。ずっと言われてきた。
変わり者の不思議ちゃん。
誰が言ったか、二重苦も甚だしい。けれど実際そうだし、たぶん私は血反吐吐いてもギターを弾くんだと思う。
「やるよ。」
でも、ここにいるのは私だけじゃない。普通じゃないやつが、音楽に魅入られた変人がいる。
「譜面の用意はないぞ・・・?」
「うん。」
「・・・歌詞はどうする?見ながら歌うなとは言わんが、できるのか?」
「うん。」
セッションで楽譜を読みながら弾くことは私でもできる。でも、The Peaceの曲を練習も聴き込みもなしのぶっつけ本番でできるだろうか。
それに、朱はベースボーカルだ。歌は、歌詞はただ文字を読むこととは訳が違う。難易度は跳ね上がる。
これが茜が言っているのならわかる。
もはやいなくなってしまった人の話をしても意味はないかもしれない。
でも、あの音楽から魅入られた天才なら、あるいは可能かもしれない。そう考えてしまう。
それでもできると言うのなら、朱は。
「大丈夫。覚えてるから。」
朱は、こともなげにそう言った。




