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53 牡丹一華-アネモネ-②

【汐】

「しぃ、私何かした?」

「へ?」

 部室から出てすぐ、廊下の窓から差し込む西陽にしびは暖かく、春の終わりをうかがわせるものでした。しかしイチカと連れ立ってく空き教室、陽光が差さないその部屋は、季節相応の冷たさをもって私たちを迎えました。

 いえ、逃避しても仕方ありません。私の肝を冷やしたのは単なる冷気ではありません。イチカの言葉です。

「その、私が悪いなら謝る。」

「い、いえ!イチカは何も悪くありません!」

「そう・・・じゃあ何で避けてるの?」

「そ、それは・・・」

 聞いていいのでしょうか。昨日の男性は誰だったのかと。

 ただの知り合いならいいのです。私の考えすぎということで一件落着です。

 しかしもし、恋愛対象だったとしたらどうでしょう。

 今時、歳の差を気にするなどナンセンスです。お相手がいくつの男性かはわかりませんが、10やそこら気にするほどでもありません。20でも同じことです。

 あるいは、ただれた関係だったとしたらどうでしょうか。

 簡単に思いつくのは、パパ活や援助交際のことです。

 バンド活動をするにはお金がかかると聞きます。機材やスタジオ代は当然、ライブをするにもチケットノルマがあり、売り切らなければ自腹を切らなければならないと聞きます。

 もし高校生が本気でバンド活動しようと思えば、あるいはそのくらいしないと追いつかないのかもしれません。

(いえ、違いますね・・・)

 たとえそうであったとしても、私の気持ちに変わりはありません。それは断言できます。

 イチカに憧れ、尊敬し、慕う気持ちは変わりません。

 しかしそうではなく、私が気になるのは、気にしているのは別のことなのです。

 自分の触れられたくない部分に触れられたらどうでしょう。聞いてほしくないことを聞かれたとしたら。

 私はイチカの心の深いところまで踏み込んで良いのでしょうか。

 それは、イチカを傷つけてしまうことになるのではないでしょうか。

 それは、お世辞にも社交的とは言えないイチカの心を閉ざしてしまうことにはならないでしょうか。

 イチカがやると決めたことを応援して背中を押してあげるべきか、それとも、本当のトモダチならとめてあげるべきなのでしょうか。

(黙りすぎましたね・・・)

 イチカが社交的でないと、どの口が言えたことでしょうか。

 ただ私はイチカの可能性の芽を摘むことはしたくありません。何かを口にすればイチカの邪魔になるというのなら、私ができることはそう多くはないのかもしれません。

(信じて待つ、でしたか・・・青い花だったと思いますが、何の花だったでしょうか・・・)

 花言葉だけを覚えていて、花そのものを忘れてしまうとは何とも情けない話です。

 あるいは、それが私の本質なのかもしれません。

 考えすぎの頭でっかち、中身ばかりに目が向いて大局を見失っているのかもしれません。

 それでも、今まで培ったこの性格をすぐに変えることなどできません。どうしても考えてしまうのです。

 待つということは、与えられるまで何もしないということです。それは私の主義に反しているのではないでしょうか。あるいは信条を曲げるほど及び腰になっているということなのでしょうか。

 信じて待つというのは、言葉にすれば綺麗なのかもしれませんが、こうして実践してみると情けなさの上塗りにしかなりませんでした。

(クラスメイトのことを悪く言うものではありませんね・・・)

 因果応報とは少し違うのかもしれませんが、口から出た言葉はそっくりそのまま私に返ってきました。

 所詮、私もちっぽけな人間です。いくらそうはなるまいと考えていても、流れに身を置き、反駁はんばくせず、大勢を受け入れることしかできないのかもしれません。

 あるいは、私が信条と思っていた即断即決でさえ、誰かに与えられた作り物の私なのではないでしょうか。

(きっと、内面ばかりを気にする軟弱者なのでしょうね・・・)

 忸怩じくじたる思いを抱え、しかして、何ができるわけでもなく、私は黙り込むことしかできませんでした。


【恋】

 しぃが困ってる。いや、私が困らせている。

 いつもハキハキと明瞭に答えるしぃがここまで言い淀むのは、やはり私のせいなんだろう。

 静寂が広がる教室、色濃くなる夜の影。4月も終わりに近いというのに、足元から伝わる冷気は妙に寒く感じる。

 私から沈黙を破ることはできる。できるけれど、これ以上、突っ込んで聞いてしまってもいいのだろうか。もう一歩踏み込んでその核心に触れて良いのだろうか。

 なぜ避けられているのか。

 きっと、優しいしぃのことだ。聞けば何かしらのわけを教えてくれるだろう。

 でも、それはしぃを苦しめるのではないだろうか。

 確かに私は楽になる。訳を聞いてスッキリする。

 でも、しぃは言いたくないこと、あるいは無理矢理捻り出した優しい嘘をつくことになる。当然いい思いはしないだろう。それをいていいのだろうか。

(いや、違う・・・かな・・・)

 私が気にしているのは自分の気持ち。こんな時でさえ自分本位。いつも気を遣ってくれているしぃに甘えている。

 しぃにうざがられないだろうか。こんなのを相手にするのはいい加減ごめんだなんて思われないだろうか。「もういいや」なんて言われたら私は明日から今までどおりに過ごせるだろうか。

 今までまともな人間関係を経験してこなかったツケが回った。しぃのことを考えたいのに、思い浮かぶのは自分のことばかり。ほんと嫌になる。

(やっぱり人との距離を測るのは難しい・・・)

 いや、距離感だけじゃない。コミュニケーションとはこんなにも複雑でややこしいものなのに、みんな普通にこなしている。

(・・・私には難しすぎる。)

 でも、いつもならここでコミュニケーションを諦めて思考停止に黙ってしまうのに、いまだ思考を止めないのはなぜだろうか。

 相手がしぃだからなのだろうか。

(しぃはどう思ってるのかな・・・)

 相手のことを知るには対話をするしかない。会話を通じて想いを共有するしかない。

 だから聞きたい。

 聞きたい。訳を。避けられている訳。こんな自分のことばかりしか考えない身勝手な私と仲良くしてくれたしぃに聞きたい。

 そしてその上でしぃのことを思いたい。思わせてほしい。これ以上しぃにこんな顔をして欲しくない。

 自信なく窺うような視線。気弱な態度。しぃにこんな一面があるだなんて知らなかった。

 そしてそれはたぶん私のせい。でもその原因がわからない。わからないから聞きたい。

(考えが巡ってる・・・考え方を変えよう。)

 自分ではない他人のことを100%理解することは無理だ。相手が何を思い、考え、行動するか、完全に理解することは不可能だ。もしできたらそれは同一人物になってしまう。

 でもそれは、裏を返せば互いをわかりきらない余地があるということではないだろうか。

 100%理解できないのなら、仮に90%しか理解できないなら、このモヤモヤを、残る10%に押し込んで、それ以外のところで100%に近づければいいのではないか。

 今起きている問題に対しては棚上げにしかならないけれど、ここで「もういいや」と縁が切れてしまって90%で終わってしまうことと、この先また一緒に過ごして91%になるのとでは大きく違うはずだ。間違いではないはずだ。

 この考えがていの良い逃げだとはわかっている。その場しのぎにしかならないとわかっている。わかるけど、でも、私は逃げずに真正面から立ち向かえるほど強い人間ではない。それでも、私はしぃの100%に近づきたい。

(いや・・・誤魔化すのはよそう。)

 小難しく考える必要なんてなかった。ことは単純。私はしぃに嫌われたくない。もう少し一緒にいたい。だから。

(今できる精一杯を。)


【汐】

「え、もう一度いいですか?」

 沈黙を破ったのは、イチカの小さな声でした。イチカは普段から大きな声というわけではありませんが、今のそれは聞き漏らしてしまうほどか細く、自信なさげなものでした。表情こそあまり変わらないように見えますが、私が何も言わないことで心配をかけてしまったのでしょうか。

「買い物。いこ・・・今度の休日。それで・・・その、仲直り。」

(こ、これは!デートのお誘いですか!ですよね!?)

「お供します!」

 あまりの嬉しさに二つ返事で応えてしまいましたが、場違いにも溌剌はつらつとした私の声は裏返っていなかったでしょうか。

「ん。わかった・・・・・・ありがと。」

「い、いえ!・・・・・・ち、ちなみに何を買うのですか?」

 それは今ここで聞く必要のないことです。しかし再びの沈黙を恐れて、つい口をついてしまったのです。

「・・・ぎ。」

「え?」

(ぎ?ギターでしょうか?)

 未だ気まずい沈黙を埋めるための言葉は、先ほどとは少し違う毛色の空気感を呼び込みました。

「・・・下着。」

「え?」

 期せずして同じ言葉を返してしまいました。

 しかし、言葉は同じでも中身は違います。一度目は言葉が聞き取れなかったことから、二度目は理解が追いつかなかったことの言葉です。

「下着を買うからついてきて・・・恥ずかしいから何度も言わせないでほしい・・・」

「す、すみません・・・っ!」

 伏目がちに答えるイチカの表情が、冗談ではないことを伝えてくれます。

 しかし意図がつかめません。仲直りと言うのなら、わざわざ買い物の目的が下着である必要はないはずです。

(もしかして以前に部室で話したことを気にしていたのでしょうか?それとも私に下着を選んでほしいという・・・?あるいは私の好みを?そうでなければおそr・・・いえ、冷静に考えてそんなことはありません。お揃いの下着がいいにゃんなんてそんなこt・・・)

「しぃ・・・?」

「は、はい!」

 イチカも年頃の女の子なんだなと、そんな当たり前のことが思い起こされ、しかして、そんなことにすら気が回らないほど私の思考は乱れていました。

「その・・・髪、結んでくれる?」

「は、はいっ!」

 平静を装ったつもりでしたが、突然の提案に返した言葉は、素っ頓狂なものになってしまいました。

 はたして、雲間から差し込む茜色の陽光は、教室の窓枠にその形を囚われ、灯りのない部屋に一筋の道を作って私の頬を照らしていました。どうやら太陽が沈んだと思ったのは私の勘違いだったようです。

「ど、どんな髪型にしますか?」

 手近な椅子を持ってきて腰掛けたイチカの髪が目の前で揺れます。何かに惹かれるように伸ばした手、声をかけつつ手櫛てぐしいたイチカの髪から優しい香りが鼻腔をつきました。ふわっと広がった柑橘とそれを包むような甘い香りは、心地よいイチカの匂いです。

「お団子がいい。いつもの。」

 了承を返しつつ髪を束ねます。指通りの良い髪が指の付け根をくすぐり、思わずソワソワしてしまいました。

 幾度と繰り返したことのはずなのにどことなく落ち着かないのは、教室という日常に、ふたりだけしかいないという非日常を感じるからなのでしょうか。

「ん・・・」

 ふと、手からこぼれ落ちた髪がイチカの首筋を撫でて、小さな身じろぎとともに漏らしたその声が妙に近く感じました。

(華奢な背中・・・)

 髪の毛をアップにするとそれまで隠れていた首筋と背中があらわになります。いつも見ていたはずの背中は、こうして改めて見ると私の想像よりも小さく見えました。普段どれだけ大人びて見えても、イチカは同い年の女の子なのです。

「・・・できました。」

 髪を結っている間、私たちは色々な話をしました。それこそいつもどおりに、取り留めのない話はいつまでも続けられるほどでした。

 もはやそこにわだかまりはなく、私は一握りの安心を感じました。

「ありがと。」

 わずかに上がる口角、角を落とす猫目、控えめな微笑みは私の視線を捉えて離しませんでした。

 音もないまま陽が傾き、徐々に赤みの抜けた教室に浮かぶその表情は、暁に佇む一輪の花のような儚さがありました。

 返事をしたか、はたまた息を飲んだだけなのか、それすらも曖昧なまま、私は先に帰ると言うイチカの背中を見送りました。

 春夜しゅんやとばりは教室に静寂をもたらしました。陽が落ち、再びの冷気が辺りを染めていく中、しかして、私の頬はその熱を収めてはくれません。

「イチカも・・・不安だったのでしょうか・・・」

 私の問いに応えてくれる者はなく、ただ、無音の世界で聞こえるのは、浅い呼吸と早鐘を鳴らす胸の音だけでした。


【恋】

「あ、恋!汐との話は終わったのー?じゃあセッションやろーぜ!」

 しぃと別れて帰路、昇降口に差し掛かったところで肩越しに朱の声が聞こえた。

「無理。今からヘルプ。まだ曲のコピー終わってないし、余裕ない。」

 振り向きながら状況を端的に伝える。朱は冗長なのは好きじゃないみたいだし、それに今は本当に時間がない。

「あー。昨日のおじさんのバンド?」

「うん。おじさんという年齢ではないような気がするけど・・・」

 昨日はみんなで楽器屋にいたところにバンドのヘルプを頼まれた。ノーアポだったし、何より急な話だったから断ろうとも思ったのだけれど、宗次郎に紹介されたと言っていたのでつい引き受けてしまった。

「そっかそっか大変だねー。サポートは今いくつ持ってるの?」

「今は、昨日打診があったとこと、あと他3つ。どこもオリジナル曲で気合いも入ってるし、熱意もあって大変。」

 掛け持ちのバンドは全部で4つ。それぞれ3、4曲程度だし、曲楽自体もそれほどテクニカルなものではない。今までの私なら十分許容範囲内だ。

 しかし今は状況が違う。コッキーに顔を出すようになって外バンのための時間が減ってしまった。

 もちろんコッキーに行くのも好きでやっていることだから何の問題もないのだけれど、それでも最近の寝不足感は否めないし、今後はヘルプの数をもう少し絞ってもいいかもしれない。

「でも、嫌いじゃないんでしょ?」

「・・・まあね。」

 バンドは好きだ。特に熱を上げて取り組んでいるところは好き。自分たちの好きに真っ直ぐに向かっている姿は眩しく見える。そして私もこのバンドの一部になっていると思うと胸が熱くなる。

 でも同時に、ここに私が居ていいのかと思ってしまう。

 私はあくまでサポートギタリスト。曲に対する思い入れもなければ、バンドの成り立ちさえ知らないこともある。

 そんな私が仲間面なかまづらしてバンドに混じっていいのかと、そう思ってしまう。

 バンドの熱意があればあるほど、本当の好きという気持ちに対して、私はまがい物の好きという不純物なのではないかと堪らなく不安になる。

「うんうん!アツいバンドは私も嫌いじゃないよー!っと、引き留めたね。じゃあセッションはまた今度ー!」

「ん。わかった。」

 そういう意味では、新歓ステージでのセッションは良かった。

 ことの首謀者は朱。それと愉快な仲間たち。悪いことをしているというドキドキ感と、調和する音、重なる呼吸と視線に胸が熱くなった。

 ひとつの悪戯わるさを通じて、全員がひとつの曲を形作ろうと同じ方向を向き、そして私も同じ方向を向いていた。私はここでギターを弾いて良いんだとそう思えた。

(さむい・・・)

 朱と別れ、昇降口を出てしばし、背中を押すように吹いた一陣の風に思わず頭に手を添えた。

 髪が舞い上がるのを抑えたつもりだったけれど、指先に触れたのは頭の上ひとつのお団子だった。

 胸を締め付けるものはいつの間にかなくなっていた。それどころか、いつもより口やら表情やらが緩い気がする。

(休日はどこに行こうかな。)

 買い物をして、カフェでお菓子を食べるのもいい。あの作家の新刊が出ているはずだし、本屋にも寄りたい。

(それをするにも、まずは目先の仕事だよね。)

 リハまではまだ少し時間がある。一足先にリハスタに行って、曲をコピーしながらバンドメンバーを待つことにしよう。

 きたる週末、しぃと一緒に過ごせる時間を妄想しながら、私は日常へと戻った。

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