51 牡丹一華-アネモネ-①
【汐】
何度目のため息でしょうか。吐いた息は所在なく中空を彷徨い、どこへ向かうこともなく放課後の喧騒に溶けていきました。
クラスメイトたちが銘々に席を立つ中、私はひとり自分の席で頬杖をついていました。あまり褒められた姿勢ではありませんが、今の私には何か支えるものが欲しかったのです。
(イチカは・・・まだ寝ているようですね・・・)
授業が終わってなお、机に伏せているその背中が規則正しく上下しています。お疲れなのでしょう。
(疲れ、ですか・・・)
それは昨日のことです。イチカが歳上の男性と連れ立って行ったというお話、一晩経っても燻り続けるその火種は、ジワジワと私の心を苛み続けていました。
その男性は何者で、どこに行ったのでしょうか。何より、何をしに行ったのでしょうか。
真実を聞きたい、その気持ちはあります。しかし同時に、下手に詮索して嫌われてしまったらどうしようとも考えてしまうのです。
二律背反の思考はグルグルと巡り頭の中の同じ場所をずっと回っているのです。
「はあ・・・」
もはや何度目かわからないため息は、いっそう大きなものになってしまいました。
(いけませんね・・・いい加減・・・)
思考を切り替えるために大袈裟に頭を振ると、結っていない髪が揺れて視界の端に入りました。
今日は何をするのも上の空です。いつもはポニーテールにしている髪の毛も、結ぶのを忘れていました。
自由になった髪の束は頭に一歩遅れるように動き、肩口に力なく垂れ下がってきたのでした。
「おい・・・やめろって・・・!」
「いいじゃんゲロっちまえよ!どんな髪型なんだ?」
(まったく、お気楽でいいですね・・・)
髪型のことを考えていたせいでしょうか。いつもなら歯牙にも掛けない男の子たちの会話に意識が吸われてしまいました。
上から押さえつけたようなヒソヒソ声に視線をあげるとクラスの男の子がじゃれあっているのが見えます。大きな身体で3人、ひとつところにかたまって話しているその様はどうにも既視感がありました。
(ピク・・・何と言ったでしょうか・・・植物みたいな小人の・・・?)
野菜の酢漬けのような、あるいは香草のような名前のゲームがあったと思うのですが、どうにも思い出せません。
しかし、そんなことはどうでもいいことです。そして同時に、どうでもいいことに時間を使うなど、無駄以外の何ものでもありません。
それに、思考を停止させ、群れて大勢を享受することしかできない人間など興味ありません。
群れることが悪いことだとは言いませんが、しかして、彼らに関しては考えることが少なそうで羨ましい限りだと心底思います。
「わかったよ・・・・・・ストレート。」
「まじかー。初心かよ。」
「ストレートか!青いねぇ。青春の色だね!色んな意味で!いやこの場合はむしろ黒か?」
「うっせえバカ!あいつが黒髪だからとか、それ全く上手くねえからな!」
「バカとはなんだよー!」
瑣末なことにいつまでも拘っていても仕方ありません。いい加減、彼らから意識を逸らそうとしたそのとき、観念したしたように呟かれたそのひとことを拾ってしまいました。
それは、野球の球種の話ではないようですが、しかし、紅茶の話でもなさそうです。見た目で判断してはいけないとはいえ、彼らにはどちらも縁遠そうなことです。
「ストレートといえば、今日はおろしてるよな?」
「ああ!確かに!」
「もうやめろって・・・」
「雰囲気違うよな。何と言うか・・・大人っぽい?」
「わかるー。髪おろすと清楚だよな。あとエロい。」
「おまえのジュリエットは、いつも頭の上でひとつだもんな?」
「おまっ・・・ほんとやめろって!聞こえるだろ!?」
(ああ、そういうことですか・・・)
ここまで言われれば流石にわかります。きっと気になるあの子の話でもしているのでしょう。しかし意外でした。男の子でも恋バナをするのですね。
いえ、彼らも思春期です。一端に恋くらいするのでしょう。
しかし耳に入ってくるのは、どこが可愛い、そこが良いと、見た目のことばかりです。
それに髪を下ろしただけで大人っぽいとは、よほど単純なのでしょうか。上部だけで判断しても碌なことはありません。見た目だけで判断すると朱さんに引っかかってしまうことになります。
(朱さんが美形なのは認めますが。)
綺麗な髪、可愛い顔立ち、いつも元気でニコニコと微笑んでいるあの出立ちに多くの人は惹かれるのでしょう。
控えめに言っても見た目は完璧です。駅や街中の広告に出ていても違和感は感じません。
しかし性格が壊滅的です。さっぱりした考え方は個人的に好感がありますが、それ以外は酷いものです。あんなのに耐えられるのはよほどの変人だけでしょう。
内面に目が向かず、見た目にだけ囚われるとは、やはり男は下半身でしか物事を図れないのでしょうか。
(そういう意味では・・・)
あの男は少し違います。
あんな失礼な男を比較対象にされてはクラスメイトの男の子たちがかわいそうなくらいですが、それでも比較すると、物事を表面だけで判断しないところは評価できると思わないこともありません。
いつも斜に構えて皮肉屋、誰にでも態度を変えることなく一貫してへそ曲がり。実にふざけた男です。
それでも、見た目や肩書きに囚われないだけきっとマシなのでしょう。
(いけませんね。なんで貴重な時間を使ってまであんな男のことを・・・)
頭を左右に、雑念を振り払います。どうにも意識が散漫になってしまいます。今日は部室に寄らずに帰った方がいいかもしれません。
帰り路に着こうと立ち上がったその時です。一度は聞き流したはずの言葉が再浮上、あるいは風に吹かれた柳が撓って戻るように鎌首を擡げました。
(いつもは頭の上でひとつ?黒髪・・・?それは・・・イチ・・・)
「しぃ。今いい?」
「へ?」
私の素っ頓狂な声はそれほど大きなものではなかったと思います。しかし、大きく跳ねた心臓はその衝撃を全身に伝え、私の肩をビクリと震わせるには十分でした。
【恋】
「髪をおろすと清楚だよな。あと可愛い。」
音が遠くで鳴っているように聞こえる。
しかし実際は近くの声なのだと私は知っている。
遠いのは私の意識だ。ふわふわと浮遊しているような感覚に、身体の輪郭すらも曖昧だ。
しかし、それをそうと認識できている時点で私の意識は覚醒に近いのだろう。
(神を降ろすと聖祖って新手の宗教勧誘かな・・・?)
焦点の定まらない私の視線は、ひとつ所に固まって肩を寄せているクラスメイトを捉えている。3人が密集している様はピクミンのようだった。
何を信じるかはその人次第だ。あの3人みたいなただの人間になんて興味はないけれど、それでもクラスメイトが宇宙人ないし変な宗教にハマってほしくはないと思う今日この頃であった。
(可愛い・・・?)
その付け加えられた言葉がじんわりと頭にしみ込んでくるにつれ、意識がはっきりしてきた。話の内容は怪しい勧誘ではないようだ。
(ああ、そういえば、しぃはポニテにしてなかったな。)
いつもは高い位置のポニテのしぃだけれど、気分的なものなのか、今日は結んでいなかった。
普段のしぃは、その話し方もあって、きっぱりさっぱりなポニテ少女という感じだけれど、髪をおろしたしぃはどことなく雰囲気が違っていた。
首だけを回らせ、ついと視線を向けて見れば、しぃは机に片肘をついて物憂げに窓の外を眺めていた。
気だるげではあるが、下品ではない。どことなく漂う気品は、お嬢様の憂鬱といったところか。
(しぃってモテるんだ・・・)
クラスの男子が話しているのはしぃのことだろう。おそらくヒソヒソ話のつもりなのだろうけど、机に突っ伏して覚醒待ちの私の隠形は完璧だ。まさか私に聞かれているとは思うまい。
(別にモテて悪いことはないんだけど・・・)
事実、しぃは可愛い。人当たりもよく社交的。それでいて芯がある性格。男女問わず好かれている。私とは大違い。モテるのも無理はない。
しかし、何か引っかかるこの感覚はどこからくるものなのだろうか。なんとなくモヤモヤするこの違和感はいったい・・・
(ああ、そっか・・・)
寝ぼけて頭に薄く広がっていた靄が一気に晴れた気がした。胸に燻るムズムズの正体にあたりがついた。
それは、たぶん、髪型のことだ。
しぃはいつもポニテというわけじゃない。おさげの日だってあるし、アップにしていることもある。昨日だっておそろいの三つ編みだった。
でも、結んでいないことはほぼなかった。きっとそれが違和感の正体だろう。
(別に髪を結ばない日があってもいいと思うけど・・・何かあったのかな?)
思えば、昨日から予兆はあった。忍の影に隠れたり、何かを誤魔化したり。
しぃが言いたくないのなら無理には聞かない方がいい気がする。それでも、このままにしておくのは何か違う気もする。
今日は珍しくしぃとほとんど話せていない。日中はほぼ寝ていたし仕方ない。昨日は寝かせてもらえなかったし、一晩中コキ使われて流石に手がだるい。
(・・・聞きに・・・行こう。)
心が決まればあとは動くだけ。ようやくはっきりした頭を持ち上げ席を立つ。向かう先はもちろんしぃの席。
「しぃ、今いい?」
【汐】
「どうかした?」
「い、いえ!なんでもありません・・・」
全くの意識の外、普段の私なら間違いなく心を弾ませるその声も、今だけは肩を震わせるだけでした。
「・・・そう。ちょっとこの後はなs・・・」
「一花さーん。さっき担任が呼んでたよ。職員室きてって。」
突然かけられた声、イチカの肩越しに聞こえたそれは、続くセリフを止めました。
「・・・ん。わかった。」
イチカは伝言を置いていったクラスメイトに表面上は無感情に応えていました。しかし、その表情が少しだけ煩わしそうに見えたのは私の勘違いではないのでしょう。
(ふふ・・・ちょっとムスっとしているイチカも可愛いですね。)
思わず顔に出てしまいそうだと思いましたが、どうやら時すでに遅しだったようです。
小首を傾げて不思議そうなイチカでしたが、私は何でもない旨を伝えて首を振りそれに応えました。
イチカはよく担任の先生に呼び出しを受けます。なぜかは、イチカの授業態度などを見れば明らかです。
担任という立場上、イチカに対する指導を他の先生に任せるわけにはいかないとはいえ、先生は小柄で気弱そうな女性です。逆にイチカに気圧されているほどで、再三の呼び出しがイチカに効果的だとは思えません。
「しぃ、また後でね。」
「は、はい・・・」
後でということは、ここで待っていてということでしょうか。
イチカの言うとおり教室で待つというのもひとつの手です。普段の私ならそうします。
しかし、私としてはいつまでもあの男の子たちの話を聞いていたくはありません。
(・・・やはりイチカのことなのでしょうか。)
確かにイチカは可愛いですし、物静かな印象は清楚でお淑やかに映るのでしょう。
実際のイチカはそんな表面上のことだけでは語ることができない魅力がありますが、男の子たちの話で出てくるのは見た目の話ばかりです。
それはきっと、そこしか見ていないか、そこを最重要視しているということなのでしょう。
(イチカも男の子をそういう目で見るのでしょうか。)
とはいえイチカはクラスの男の子には興味がないように思えます。今まで話題に上がることはありませんでしたし、何より、イチカは教室ではほぼ机に突っ伏しています。関心がないように思えます。たぬきに化けている可能性もありますが、その線は薄いような気がします。
(それなら・・・)
頭を過るのは昨日のことです。
もちろん、朱さんが言っていることなので、話半分に聞いた方が良いような気がします。
しかし、少なくとも朱さんには見覚えのない、どこぞの男性について行ったという事実は動かないことなのでしょう。
その男性はただの知り合いでしょうか。もしくは恋愛対象か、あるいは、もっと大人の付き合いなのでしょうか。
(・・・そうじろう、という彼氏さんなのでしょうか。)
以前、忍さんが初めて部室に来たときにイチカ本人の口から直接出た名前です。
結局、聞けず終いになっていたその名前の主のことが再び想起されました。
「はあ・・・」
昨日から何度も繰り返したことです。しかし、袋小路になるとわかっていてなお、私の思考は巡りました。
何度目かのそれは、いつしか数えるのをやめているほどでした。
もはや何も考えまいとスマートフォンを取り出した私は、イチカへのメッセージとため息を残して部室に足を向けました。
閲覧ありがとうございます。この物語が面白いと思っていただけましたら、ページ下部よりブックマーク、☆☆☆☆☆の評価をよろしくお願いします。執筆の励みになります。
さて、前回の投稿から間が空いてしまいました。楽しみにしていただいている方には大変お待たせしました。
罪滅ぼしというわけではありませんが、とある日のコッキーの部室の小ネタを書きましたのでお楽しみください。
小ネタ 雪が解けたら?
「しーちゃん先輩。お疲れ様です!」
「忍さん。こんにちは。みなさんはまだきていないようですね。」
「そうですね。ですがそのうちくると思いますよ。突然ですが、質問です!雪が溶けたら何になると思いますか?」
「雪が溶ける・・・・・・水、ですよね?」
「あ、意外です。しーちゃん先輩、リアリストだったんですね!」
「え、えっと・・・?」
「おっつー。」
「朱ちゃん先輩!雪が溶けると何になると思いますか?」
「え、春じゃね?」
「またまた意外です!朱ちゃん先輩はロマンチストだったんですね!」
「ぅえぇ意味がわからない!もしかして馬鹿にされてる!?」
「ぅっす・・・」
「先輩ちょうどいいところに!雪が溶けるとry」
「は?水に決まってんだろ。つーか、この質問で春とか言うのはケツの青い夢見がちなやつだk・・・」
「怜くんきらい・・・」
「なんで!?いきなりなんで!?」
「先輩はいつもどおりのニヒリストでしたね・・・あ、恋ちゃん先輩!雪がry」
「うーん・・・あったかくなる?」
「さすがイチカです!」
「あーうん。恋っぽいよね。」
「素敵だと思います!ほっこりしますね!」
「いやいや。しないから。何で不思議ちゃんはこうポカポカしがちなのか。笑えばいいと思うの?このへん電波バリサンなんだが?」
「この男は!今時バリサンなんて平成初期の言葉、誰も使っていませんよ!だいたいあなたはいつもいつm・・・」
「ふふふ。みなさん、てんでバラバラですね。」
P.S.「罪滅ぼし」ってハード級の厨二ワードじゃないですかね?




