50 楽器屋④ 包み、包まれ、弾き、惹かれ
【怜】
「お店でギターを弾くなんて、なんだか悪いことをしているみたいで変な感じです。緊張して思うように弾けませんし、へたっぴで恥ずかしいです・・・」
コードを中心にしばらくストラトを弾いていた指宿が顔をあげた。緊張を口にはしているものの、ほんのり色づいた血色で微笑を湛えるその表情は、最初のころのガチガチなものではなかった。
「緊張はそうかもな。ただまあ、セッティングも追い込んでないだろうし、若干の弾きにくさはあるだろう。それに、新品で癖がなくて手に馴染まないんだろう。」
「ギターに癖なんてあるんですか?」
小首を傾げて疑問を口にする指宿の髪がはらりと落ちた。何度か見たことがある仕草だ。癖なのだろうか。あるいは狙ってカワイイをやっているのか。
(どっちにしろあざといんだよなあ・・・)
自分は癖が強いと、曲がりなりにも理解している俺が言えたことではないが、指宿も相当だ。
苦笑が漏れそうになったところでアンプから音が漏れた。身体の傾きに合わせて弦に触れたのだろう。試奏も小休止か、俺はストラトのボリュームを絞ろうと手を伸ばした。
「あっ・・・」
だが、俺の意図がわからなかったのか、伸ばした手は、ふいに動いた指宿の手に当たってしまい、赤みを増したその表情で上目遣いな視線を向けられてしまった。
あざとさもここまでくると一周回ってあざとかわいい説まである。思考がグルグル迷走してしてるだけなんだよなあ・・・
しかしながら、これは前触れもなく動いた俺が悪かった。指宿の視線にどことなくバツの悪さを感じ、誤魔化すように謝罪を頭につけて話を続けた。
「・・・フレットの減り方だったり、ネックの削れ方だったりだな。その人なりの癖や跡がつくんだ・・・世の中にはその僅かな変化がわかる人もいる。自分以外が誰か触ったってな。」
「え!先輩そんなことできるんですか!」
「いや俺は無理・・・これはピースファンの中では有名な話なんだが・・・「誰だ!勝手に弾いたやつは!」ってブチギレて大暴れした挙句ライブ飛ばすっていう話があってだな・・・」
「ピースの話なんですか?誰がそんな特技を・・・もっと聞きたいです!」
前のめりになった指宿は目を輝かせている。よほど興味があるのだろう。あるいは、ピースの話をしたいのか。
ピースは解散して久しい。解散後、ファンのオフ会は時たまにやっているようだが、そんなところに単身乗り込んでいくのはただの女子高生にはハードルが高いだろう。
身近なところで言えば、コッキーにはピースを知っているやつがいるが、朱に話してもまともな答えは返らず戦力にならないし、橘はファンではない。不思議ちゃんに至ってはこの場にいない。これではまともに会話にならないし、消去法で選んだ俺に対する飢えたようなこの態度もある意味自然なのかもしれない。
(なんかデジャブを感じるが・・・)
はたして、さっきと違うのは、いつの間にか朱がこの場からいなくなっているところだ。あの人どこ行ったの・・・
ともあれ、今は試奏させてもらっているわけだし、何をするにもこの場を片付けてからだろう。
「別にいいが・・・試奏はもういいのか?」
「短すぎですか?」
「いや、長く弾いてもわかることは少ない。自分がもういいと思ったら引き上げ時だ。」
「ほんとだ!恋は誰かが触ったらわかるって!」
いつの間にかいなくなっていた朱が、いつの間にか戻ってきていた。何こいつ逆転時計でも持ってるの?
「まったく脈絡のない人ですね・・・イチカは何がわかるというのですか?」
朱に神出鬼没さを感じるのは俺だけではなかったらしい。橘はため息をつきながらこめかみに指を当てがっている。さっきまでろくに話に入ってきていなかったけど、イチカさんのことには反応するんですね。
「レスポールのこと!誰か触ったなってわかるって!」
ともあれ、朱が一つ所に収まらないのは今に始まったことではない。気の向くまま行動し、言うことなすこと8割冗談みたいな人間だ。いちいちを気にしていたら身がもたない。
「イチカは繊細なんですよきっと。でもなんでわかるのでしょうか?」
「さあ?手汗とかじゃない?」
橘の疑問に一瞬だけ考えるそぶりを見せた朱は、ふたつの意味で適当な答えを返していた。
(妥当であり、いい加減な答えだな。)
そして僕は見逃しませんでした。指宿さんがスカートの裾で手汗を拭うのを。乙女だね。
しかしそんな指宿を気にしていたのは俺だけらしく、朱と橘は未だ会話を続けている。
「あれ・・・い、イチカはどこにいるのでしょうか?」
いつもはもっとハキハキとしている橘がこうして吃るのは珍しい。ましてや、ことはダイスキイチカチャンのことだ。まさか後ろめたいことはないだろうが、何か気になることでもあるのだろうか。
「あーなんか、イケおじと一緒に夜の街に消えていったよ?」
「え!?」
重なった声はふたり分。驚き混じりの混乱あるいは困惑気味のそれは指宿と橘のものだ。
(マジかよ・・・)
かくいう俺も驚いていた。まさか、なうでヤングな女子高生がイケてるおじさんの略を知っているとは。死語を連発してる時点で俺も十分混乱してるんだよな・・・
「先に帰っていいって。伝言は以上になりまーす。」
もはや死語という言葉が死語であるというパラドックスの解決に取り組みたいところではある。
しかし、今はそれよりも気になることがある。
「何をしに・・・ど、どこに行ったのでしょうか!」
「え、知らないけど・・・行っても邪魔にしかならないと思うよ?」
「で、ですが・・・っ!」
何かを飲み込むように、あるいは込み上げてくるものを抑えるように、橘は口を噤んだ。
言いたいことはあるのだろう。思うところも。それでも何も言わないのは橘が極めて理性的な人間だからだ。
俺も短絡的に事情を聞きそうになってしまった。しかし人の秘密を暴いてもいいことはない。本人から何も聞いていないということは、言いたくない、あるいは言う必要がないことなのだろう。
そうして肩を落として萎れるその様子は気落ち。二の句を継がない橘には構わず、この場で唯一あっけらかんとしている朱は指宿を巻き込んでおしゃべりを続けていた。
「忍はストラトが気に入ったの?」
「へ?い、いえ・・・その、見た目が可愛かったので試奏させてもらいました。」
「いいじゃん!見た目って大事だよ?お客様お似合いですよー!」
服屋の店員よろしく、「お値段もお手頃ですよ!」と言い加える朱の声は、この場にあって妙に明るく聞こえた。
「その、ただ・・・このギターはなんだか違うような気がします。うまくいえないんですけど・・・」
「ビビっとこない?」
「そ、そんな感じです!すみません漠然としてて・・・」
「それでいいんだよ。音楽は理論と感性だからね!」
指宿の答えは要領を得ないものだったが、朱にはそれでも伝わったらしい。
確かに、言葉にできない微妙な感覚というものはあるし、直感に従っているということはある種の正解だ。感覚に準じるというのは一理ある。しかし、それとは別に。
「街角の楽器屋で何恥ずかしいこと言ってんだよ。」
「まーた怜の黒歴史がふえt・・・」
「言ったのお前だよね!?」
橘への配慮然り、この場の雰囲気然り、なんらお構いなしに脊髄反射でモノを言っているこの小娘は度し難い。
【忍】
ストラトを店員さんに返し、楽器屋さんを出る頃には、すでに陽が傾いて辺りを朱色に染めていました。
今日のようにたくさんおしゃべりできる機会は今までありませんでした。ギターの試奏なんていう、今までの日常とはかけ離れたワクワク感ももちろんありますが、それよりもみなさんとこうしておしゃべりできたことが楽しく新鮮でした。
(恋ちゃん先輩がいなかったのは残念だったけど・・・)
何か用事ができたという恋ちゃん先輩。それを追うように、しーちゃん先輩とも先ほど別れました。あまり元気がないように見えたのは、やはり恋ちゃん先輩のことが心配だからでしょうか。
(あんまり他人の事情に首を突っ込むのはよくないとはいえ・・・気になるよね・・・)
しーちゃん先輩の心配もわかる気がします。メッセンジャーが朱ちゃん先輩なのでいいかげんに伝えている部分もあるのでしょう。それでも、私からすれば大人の男の人とどこかに行くという事態は、非日常を飛び越えて異常事態に感じるところです。
しかして、恋ちゃん先輩のミステリアスな雰囲気はこういったことからきているのでしょうか。
「怜くん!私クレープ食べたい!」
思わず思考の海に潜ってしまった私は、その無邪気な声で現実に引き戻されました。
楽器屋さんを出たすぐ横が駅の改札です。今日はここで解散かと思いましたが、朱ちゃん先輩の中では違うようです。先を歩いていたその足をくるっと180度、パーっと輝かせた笑顔を先輩に向けていました。
「わかった。行くか。」
「あら、今日は素直ね?」
朱ちゃん先輩の疑問ももっともです。確かに、いつもの先輩ならここで悪態のひとつもつきそうなところです。もしかしてクレープが好きなのでしょうか。
(あるいは・・・一緒にクレープ食べたいとか・・・?)
ちらと覗いた横顔、いつもは不健康なクマが浮き出た先輩の顔が血色良く見えるのは気のせいでしょうか。
「まあな・・・ただし、条件がある。」
「そ、その心は?」
「この前のサイゼ代返してくれたら行く。」
違いました。先輩にはクレープを一緒に食べたいとか、そんな乙女チックな心はないようです。ニッと笑顔を浮かべる先輩は、まるで悪戯を成功させた子どものようでした。
「ぐぬっ!それ遠回しに行かないって言ってるじゃん!」
「いや、おまえが返せばいいだけの話だろ!どんだけ返したくないんだよ・・・」
「他人の金で食べるのがうまいんじゃん!」
「考え方がクズい!」
「バンドマンなんてみんなそんなもんでしょ?飲み代がなければ無期限で借りればいいザマス!」
「否定ができない・・・っ!」
お金がないのにお酒を飲みに行くとは、バンドマンとは、そんなにも宴会が好きなのでしょうか。だとすれば確かにダメな人間に思えます。決して朱ちゃん先輩がダメ人間と言っているわけではありません。
「それに考えてみてよ!こんな美少女がひとりでクレープなんて食べてたら・・・一瞬でナンパされてウザいじゃん!」
「俺露払いってこと!?もっとオブラートに包んだ言い方なかったの・・・」
「わかった包むよ!まずは中身決めてあげるね!」
「誰もクレープで包めって言ってねえよ!だいたい包むのは店の人だろ・・・」
「決めた!シュガーバターなんてどうよ?」
「・・・美味そうじゃねえか。」
「きーまりー!れっつらごー!」
喜色満面、朱ちゃん先輩は左手を高々と掲げ上機嫌でした。対する先輩はため息をついてはいますが、満更でもないように見えます。やはりクレープが好きなのでしょうか。
(クレープ・・・ず、ずるい!私も・・・)
ふたりの会話が途切れるまで、私は口を挟むことができませんでした。いえ、挟んではいけない気がしました。
そんな、仲良さそうに話すふたりの姿に少しだけ疎外感を感じてしまったのです。
「シノも行くよね?」
だから、この朱ちゃん先輩の言葉で、私はより複雑な心境に陥ってしまいました。
それは疎外感からくる寂しさか、聞く前から人数に入っていることの喜びか、はたまた別の何かなのか、いくつもの感情がないまぜになり胸を埋めました。
「すみません。家の手伝いが・・・」
未だ定まらない私の心中とは別に、今日の予定は決まってしまっています。
朱ちゃん先輩のお誘いは突発的に発生するので、仕方がないような気もしますが、以前も同じ理由で断ってしまっていたので少し気が引けました。「おっけー!また今度ね!」と応えてくれた朱ちゃん先輩のその表情に曇りがないのが唯一の救いでした。
(私だって行きたい・・・この間貸してもらったCDの話もしたいし・・・)
クローゼットの奥で埃をかぶっていたCDプレイヤーを引っ張り出し、ピースのアルバムを聴いたのが先日、あまりの格好良さに時間を忘れて聴き入ってしまいました。
(そういえば・・・)
「あ、あの・・・massesの練習はしなくてもいいんですか?」
ピースと言えば、すっかり空気になっている軽音バトルのことが思い出されます。部室では全く練習する気配がありませんし、演奏が上手な先輩たちとはいえ、さすがにそろそろ練習した方がいいのではないでしょうか。
「あー・・・そのうちね!」
「出たよ。練習嫌い。今回は一花もいるんだし、いつもみたいにはいかないんだぞ・・・」
「そのうちね!」
「それ世界で一番信用ない言葉だからな!押し切れると思うなよ!」
「あーもう!いいから!クレープ食べよ!」
何かを振り切るように先輩の手首をつかんで引っ張っていく朱ちゃん先輩、「じゃあねー!」という言葉とともに振り返ったその顔は満面の笑みでした。
ふたりの姿が徐々に小さくなって駅前の雑踏に紛れていく中、残された私はスマホに視線を落とし時間を確認しました。
まだバイトまで余裕がありますが、かといって何かをできるほどの時間もありません。
徒然に動き出す足、向かう先は決まっています。
お店は、ここからなら10分とかからない距離です。目いっぱいゆっくり歩いても間に合います。
ただなんとなく、お店に向かう歩幅は大きく、進む速度はいつもとは違っていました。




