40 軽音バトル!②(抗争編)
【怜】
「田中先輩。少しいいですか?」
ステージ上から音がなくなってしばし、音楽室には生徒たちのおしゃべりが満ちていた。
次の曲が始まる気配はないし、ライブは小休止のようだ。
そうして、労せず会話が通るようになって佐藤が呼び止めたのは、さっきまでステージで演奏していた、massesのギターを弾いていた男子生徒だ。
「何かな?」
田中と呼ばれた男子生徒は気さくな笑顔を浮かべながら近づいてきた。
しかしその笑顔を向けるのは女子にのみ。ちらと俺に向けられた視線は、ともすれば睨むような鋭いもの。すぐに笑顔を取り繕っていたが、その変化は俺以外に誰か気づいただろうか。
(俺何かしたか・・・?)
この人に何かしたどころか、見覚えすらない。初対面のはずだ。
しかしその視線には友好的ではない何かを感じた。人畜無害がモットーですらあるこの俺が、何かをおしてまで誰かに何かするはずもないのだが。
「指宿さんの仮入部届は持っていますか?」
「ああ!持っているよ!」
佐藤の問いに田中は身振り手振りを交えて大仰に応えた。
「そうですか。では指宿さんは軽音部には入らないとのことなので、彼女に返してあげてください。」
「そうだね。うん、わかったよ。5月に入ったら返すよ。」
「・・・はい?」
大袈裟な態度の田中とは対照的に佐藤の声音は低く抑えられたものだった。
言葉の端々に漏れる雰囲気にはのっぴきならないものを感じる。何を言ってるかわからない、そんな表情を浮かべた佐藤の態度は憮然として見えた。
いや、それもむべなるかな。
田中が口にしたのは無茶苦茶だ。本来、仮入部届を出し渋っていいはずがないのだ。真面目な佐藤には理解不能なことだろう。
「いやいや!今すぐ返して!でないとコッキーが廃部になる!」
この場の全員が口を噤む中、いの一番に口を開いたのは朱だった。
相手は3年の先輩だが、一切怯むことなく抗議できるのは頼もしい限りだ。
そしてその言葉どおり、コッキーは4月中に部員が5人以上にならないと廃部になってしまう。5月までは待てないのだ。
「そう言われてもね・・・そっちに事情があるようにこっちにも事情があるし・・・」
「田中先輩それはおかしいです。指宿さんは今、軽音部に入らないと言っているのですから、今、仮入部届を返すのがルールです。」
朱に続いて非難の声を上げたのは佐藤だ。田中とは同じ部の先輩だが、朱に負けず劣らずはっきりと否定を伝えることができているのは、やはり彼女の性格ゆえなのだろう。
「これは困ったな・・・いやぁ困った。」
うすら笑いを浮かべたその表情は癪に障る。そして何やら含みのある言い方に返事するのは鼻持ちならないが、それでも聞かないことには始まらない。
「・・・何か不都合があるのでしょうか。」
はたして、嫌な役回りは佐藤が引き受けてくれた。
「それはね・・・先週、指宿さんにギターを貸したんだけど、あれって軽音部の備品だから、部外者に貸すわけにはいかないんだよ。」
(そんなお役所みたいな・・・)
こちらとしてはどこに所有権があるかなんて知ったこっちゃないし、それが問題になるとも思えない。だいたい、勝手に備品を貸し出したのはそっちだ。
「そんな事情シノには関係ないでしょ!勝手に見切り発車したんじゃない!」
「そうは言ってもね・・・仮入部届ももらっていたし僕もつい入るものだと・・・」
聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、あるいは諭すような声音は穏やかだった。
しかし言っていることは暴論だ。またの名をイチャモンとも言う。完全に筋が通ってない話だが、しかしそれだけに、何か返せない理由があるのだろうか。
「何の騒ぎだ?」
その声に音楽室の入り口を見やれば、そこには山城先生がいた。
「あ、山城センセ!聞いてよ。こいつがシノの仮入部届返してくれないんだ!」
山城先生に詰め寄ったのは朱。そのまま抱き付かんとする勢いで一息に状況を説明していた。
(仮にも先輩をこいつ呼ばわりって・・・朱のやつ相当この人のこと嫌ってるな・・・)
明らかに意図的、その挑発的な物言いに、今まで気味の悪い笑顔を貼り付けていた田中の顔が少しだけ歪んだことに気が付いたのは俺だけではないはずだ。
「事情はわかった。どちらの主張も一理ある。」
(嘘だろ!?)
腕組みをしながら朱から状況の説明を受けていた山城先生は、徐に頷くとひとことそう言った。
この場で話を聞いていた限りでは、田中の主張には無理があると思うのだが、何か俺が見落としている点があるのだろうか。
「山城センセ!ちゃんと話聞いてたの!?」
「ああ。もちろんだ。」
「ならその判断はおかしいでしょ!」
「おかしくはない。」
「山城センセ・・・ほんとのところは?」
「私の仕事が増えるから嫌だ!」
(だめだこいつ早く何とかしないと・・・)
まさか自分の仕事が増えるから田中は悪くないと言っているのだろうか。
確かにこの人にはお堅い真面目な先生という印象はないが、それでも教育者としてそんな態度でいいのだろうか。というか、そもそも指宿に仮入部届を返したらなぜ仕事が増えることにつながるのか。
「そのギターって先日、真っ二つになったあのテレキャスのことだろ?あんなボロでも一応は部の備品だったし、捨てるとなると始末書を書かなきゃならんのだよ。」
「そんなのちゃちゃっと書けばいいじゃん!」
「わかってないな黒江・・・部員が壊したのならともかく、部外者が壊したなんてことになると状況が複雑化、始末書も煩雑になって事務作業の増加、それに加えてあのクソ真面目な教頭への報告や学校事務員への説明ほか、とにかく私の作業量が倍増するんだよ!」
(そんなお役所みたいな・・・そういえばこの人は公務員でした・・・)
あまりに真に迫る主張に、この場にいる誰もが口を噤んでいた。
そうして「春のこの時期は忙しいんだよ・・・」とブツブツうわごとのように呟いている山城先生の表情は暗い。
よくよくその顔を見れば、メイクで隠しているものの、重めのクマが隠しきれておらず、文字どおり表情に暗い影を落としていた。だれか偉い人、教員の仕事量減らしてあげてください・・・
しかし、それはそれ。学校の先生の大変さには頭が下がる思いだが、それは指宿には関係のない話だ。ここは断固として譲るべきではない。
「しかしまあ、どちらも譲れないということなら・・・戦うしかあるまい?」
山城先生は表情を取り繕い、腕組みをしながら不敵な笑みを湛えた。
(何言ってるのこの人?働きすぎて頭おかしくなったか?)
頭に注目したせいか、黒髪に混じる白髪を見つけてしまった。誰か教員の仕事ry・・・大事なことは2回言う。決まってるんだね。
しかしながら、一定の同情はあれど言っていることは滅茶苦茶だし、非難の視線を向けざるを得なかった。
「古来より互いの正義がぶつかったときは拳で決めるものと相場が決まっている!」
(教育者・・・それでいいのか・・・)
思えば、山城先生は漫画やアニメが好きらしい。それは本人の口からよく聞く。
特にジャンプ系の王道ものが好きらしいが、この考え方はもしかしてそこに端を発しているのだろうか。本気ではないと思いたいが、どうにも暴力を助長している風に聞こえてしまった。
「やってやろうじゃない!いくぞコッキーポップ同好会!シノがやられてんのに、日和ってるやついる?いないよな!?」
そしてここにもうひとり頭のおかしいやつがいた。友情・努力・勝利、大好き人間の朱である。
朱は山城先生の言葉に呼応するように全身に力を漲らせている。言っていることは義に篤いが、この状況においてはまったく意味不明だ。なぜなら俺たちは戦う必要なんてないのだから。
「まあ待て黒江。拳で語るのは魅力的だが、私の立場上、推奨するわけにはいかない。」
「もう!まどろっこしいの嫌い!つまるところは!?」
「それはな・・・楽器人として、ここは音楽で決めるのはどうだろう。・・・そうだな軽音バトルと言ったところか。」
(・・・はい?)
それをすることに何の意味があるというのか。第一、俺たちはルールに則って主張しているだけだ。ルール破りは向こうであり、こちらに譲歩、妥協するところなど1ミリもないはずだ。
(これは看過できないな・・・)
山城先生がどういう意図で軽音バトルなどと言っているのかはわからない。もしかしたら愉快犯的に言っているだけなのかもしれない。
先生の思うところはわからないが、それでもその言葉の趣旨はある程度予想がつく。
語感から察するに、軽音バトルとは互いに演奏をして評価をしてもらい、勝ち負けを決めるというものだろう。想像しやすいところだと、ピアノのコンクールのイメージは当たらずとも遠からずか。
(そんなこと誰がやるか。)
理由は単純。面倒だから。
仮に勝負形式がバンド演奏だった場合、ベースである俺は確実にメンバー入りだ。そして勝負となればそれなりに練習しなければならないだろう。それは面倒だ。
こう見えても俺は忙しい。秋葉や中野に行ったり、新刊の漫画を読んだり、今期のアニメをチェックしたり、来期に続編をやるアニメの一期を観返したり、それなりにやることがあるのだ。
(まったく、オタクを舐めるなよ。)
それに、楽器本体の木材による音響特性の違いについて研究するのも最近手を付けたばかりだ。
それだけじゃない。仮に本体のマテリアルについて一段落したとしても、その次には弦やアッセンブリの違いによる出音の変化やコンデンサーの抵抗値及び種類、ワイヤーやハンダによる音への影響など楽器本体の音響特性については学ぶべきことが山積している。
ああ、回路図や配線の方法についても勉強したい。そういえば昨日だってエフェクターをバラしたばかりだ。帰ったら組み立てなければ。
加えてバイトだってあるし、やるべきことは無限にある。先生の仕事が増えて大変という主張が通るなら俺のこの意見も尊重されてしかるべきだ。
「そんなのやるわけないz・・・」
「良いですね!ぜひやりましょう!」
会話に入るタイミングを図り、意を決して放った俺の言葉にかぶせるように大仰な声が響いた。
「なんだ、おまえ逃げるのか?」
続く挑発的な言葉。
「まあ、腰巾着だし自信がないようなら仕方がないか。」
それは田中の言葉。そのもの言いの温度感は表情にまで表れている。
いつしか先ほどまでの穏やかな笑みはなりを潜め、侮蔑や嘲笑といった負の感情をのせて俺を見ていた。
(マジで何なのこいつ・・・)
普段は温厚でクレバーな俺もさすがに少しだけカチンときた。なぜ謂れなくこんなことを言われなくてはならないのか。
言い返したい気持ちはある。しかし、ただでさえ拗れている状況をさらにややこしくするのはいただけない。ここは大人の対応をするのが吉だろう。
適当に田中に同意しつつお茶を濁そうと口を開きかけたそのとき。
それは突然だった。
視線が交錯する俺と田中の間に人影が躍り出た。
たなびく茶髪。ふわっと漂い鼻腔を擽る香りはバニラ。
俺の目の前に立っても、先の田中の顔が見えるくらいの身長。普段の態度からは想像し得ない華奢な背中。それでも力強く踏み出すその姿はいつもどおり。
「上等だチンカス野郎!やってやろうじゃない!」
そうして啖呵を切ったのは朱だった。
驚きは一瞬。硬直も。
(女の子がそんな下品なこと言っちゃいけません・・・)
田中をはじめ、呆気にとられているメンツに先行し冷静さを取り戻す。そして朱の後頭部に狙いを定めてチョップをいれる。
「痛い!何すんの怜!」
抗議の言葉とともに振り返った朱の表情は憮然としていた。しかし不快感に苛まれてなお、一片の迷いもなく、真っ直ぐに俺を見るその瞳はどこまでも透き通っていた。ともすれば真剣な、普段のふざけた様子と大きく違うその顔がなんだかおかしくて、つい笑ってしまった。
「黒江・・・おまえはもう少し恥じらいというものを・・・まあいい。双方の合意が取れたので開催としよう。勝負のルールや選曲、日時などの詳細事項は追って連絡する。・・・されば散れ!」
山城先生は、一度は朱を窘めるような言葉を言いかけたが、大きなため息を吐いた次には何かを振り切ったような表情を浮かべて場を取り仕切った。
気づけば、周りに何事かと軽音部の生徒が集まってきている。この場を収めることを優先したのだろう。
そうして場を解散させた山城先生は、しかし、指宿を呼び止めていた。
「指宿すこs・・・」
「山城先生。お時間よろしいですか?」
ほぼ同時、重なるように佐藤の言葉が山城先生の言葉を遮った。
「あ、すみません。指宿さんの方をお先に・・・」
「いや、なんだ佐藤。緊急か?」
「はい・・・実は今日の軽音部歓迎ライブのトップバッターが壁に穴をあけまして・・・」
「何!?またあいつらか!」
山城先生は青い顔を晒した次の瞬間には佐藤を引き連れて駆け出していた。
去り際、指宿に振り返り「また後で話そう」と謝罪を入れつつ去っていくその顔は真っ赤に様変わりしていた。青くなったり赤くなったり大変ですね・・・
壁の穴を見てさらに山城先生の顔がクマで黒くなるところまで想像がおよび、心の中だけでご健勝をお祈りした。南無三!
さても、指宿への話も後で良いとのことだったら、俺たちがここに残る理由もない。
それに何よりここは敵地ど真ん中。周りから向けられる軽音部員たちからの視線が痛い。あれだけの大立ち回りを繰り広げれば当然だろう。
はたして俺たちは視線から逃れるように音楽室を後にした。
部室を目指して廊下を行く。
戦果は最悪。状況も悪い。
ただルールに則って仮入部届を返してもらえばいいはずだったのに、なぜか指宿の仮入部届をめぐってバトルすることになってしまった。
ちらと横を歩く朱の表情を盗み見れば不機嫌そのもの。俺の後を歩く他のメンツの表情はわからないが、終始無言であり、背中で感じる雰囲気は少なくとも楽観的なものではなかった。
誰もが何も言わない中、俺は義務感をフル動員してセリフを紡いだ。
「おまえなあ・・・勝負なんてする必要ないだろ?」
「だって・・・」
プイッと顔を逸らした朱の表情はもはや窺い知ることはできない。おそらく、尻すぼみになったその言葉の後には「ムカついたから」や「面白そうだったから」などが続くのだろう。
(なんかやりづらいな・・・)
どうにも当てが外れてしまった。
いつもどおり、何かふざけた言葉でも返してくれれば形だけの糾弾ができたのだが、よりにもよってだんまりというレアケースを引いてしまった。
はたして、俺は二の句を継げず、また他に誰もしゃべらない中、5人分の足音が廊下に響いた。
何もかもが良くない中、しかして、俺の心持ちだけは悪くはなかった。
不機嫌な朱には悪いが、朱が歩み出たあの瞬間、少しだけ、ほんの少しだけスカッとした。
これから訪れる事態を想像するとどうしても気が沈むが、それでも底まで沈み切らないのはその心が少しだけ軽いおかげだろうか。
(・・・少しくらいは骨折るか。)
諦めを受容し、やがて着いた部室に、はたして俺が長居することはない。
部室に置きっぱなしだったカバンを回収する。あわせてベースを探したが、今日は持ってきていないのを思い出し、ひとり苦笑いを浮かべる。
いつも肌身離さず持ち歩いているベースをなぜ今日は持っていないのか。
それは今日はこのあと姉のお使いに行かなければならないからだ。
目的地は学校から少し離れた洋菓子屋。渡されている整理券には時間制限があるらしく、今から行って間に合うかはわからないが、さりとて行かなかったら後で何をされるかわからない。つまり俺に選択肢はない。
現状を整理したい気持ちもあるが、今日は姉優先だ。俺だって好き好んでプロレス技をくらいたくはない。
コッキーのメンツに別れを告げてひとり踏み出す。
3人分の別れの返事と1人分の憮然とした声が返る。
振り返り、ちらと見たその表情。憮然とした声の主、未だご機嫌斜めな朱を尻目に、俺はひとり駅に向かった。
20230525サブタイトルの附番を変更しました。




