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38 徒花-アダバナ-

【汐】

 授業の終了を告げるチャイムが鳴り、先生が教室を出て行きました。

 ふとホームルームの存在が頭をよぎりましたが、今日が火曜日だったことを思い出し、帰り支度を始めます。

 この学校はホームルームが毎週金曜日と長期休み前などの節目にしかありません。よって、今日はこれで放課になります。

 身支度を整え、立ち上がって目指す先はもちろんイチカです。

(あ、また寝てますね。)

 しかしそれも無理からぬことです。

 午後の授業はイチカとの白熱したバトミントンの体育、教科書をなぞるだけの世界史のダブルパンチです。クラスメイトの何人かは同様に居眠りをしていましたし、仕方がないでしょう。

 しかし教室が放課後の喧騒に包まれて他の生徒が起きてもなお、イチカは夢の中でした。

 ふと、身じろぎしたイチカの髪がはらりと垂れ下がりました。そういえば体育のあとお団子が崩れたと言っていましたし、世界史の授業は結ばずに受けたのでしょう。

(きれい・・・)

 春の陽に照らされたイチカの髪は肩甲骨あたりまで伸びた濡れ羽色。天使の輪を浮かび上がらせ、少しだけ開いている窓から入り込む風でさらさらとなびいていました。

 イチカの前の席の人は既にいません。椅子を拝借し、イチカの前に陣取ります。

 腕枕で眠っているその様は、つられて眠ってしまいそうなほど気持ちよさそうです。

 まさに天使のような寝顔ですが、よだれが垂れているところがまたイチカらしくて愛らしいところです。

(ふふ。ノートに垂れたら大変ですよー。)

 スカートのポケットからハンカチを取り出してイチカの口元を拭います。

 それほど力強くはなかったと思いますが、はたして、それがイチカを再起動させるスイッチになったようです。

「あれ・・・しぃ?ああ、授業終わった?」

「はい。放課後はもう始まっていますよ。今日はどうしますか?コッキーに行きますか?」

 あるいはカフェでしょうか。この間、イチカがよく通っているカフェでカヌレの新作が出ていたと話していましたし、そちらでも楽しそうです。

「コッキーって自由参加なの?」

 日ごろ、表情の変化に乏しいイチカです。その小さな変化は、イチカと出会ってからの1年間を以ってしても全てを理解できているとは言い切れません。

 しかしながら、今この時はそのセリフも相まって不思議そうにしていることが読み取れました。

(あの悪魔大魔神は・・・)

 朱さんはイチカにちゃんとした説明をしてないのでしょうか。

 イチカは普段、気もそぞろなことも多いですが、それでも言われたことをすっぽり忘れるような性格ではありません。真実はおそらく前者なのでしょう。

「コッキーは各々が都合のつく日だけで良いそうです。朱さん風に言うなら気が向いた日、ですね。」

「ふーん。」

「な、なんでしょうか?」

「別に。」

 今のイチカの言葉はマイナスのニュアンスが大きいように感じます。やはり起伏に乏しい声音でその最後に「朱さんね・・・」と呟いていたことには何か意味があるのでしょうか。

(イチカでもあのいいかげんっぷりは目に余るものがあるということなのでしょうか?)

 はたから見る限り、イチカと朱さんは馬が合っているように思えます。嫌っているわけではないようですが、この様子を見るに朱さんに何かしらの思うところがあるのは間違いないようです。

(誰だっていい加減な説明をされれば当然ですよね・・・)

「汐、恋、大変だ!今から全員集合だ!」

 それは突然の一声いっせいでした。

 放課後の喧騒を裂くように、よく通る声が教室を縦断して耳元に届きます。

(なんでこの人はこう恥ずかしげもなく・・・)

 教壇側の入り口を振り返れば、ズンズンとこちらに迫る女子生徒。

 見間違いようのない見た目。色素の薄い髪に瞳。その言動、活発な印象とは対照的な透き通るような白皙はくせき

「朱なに?」

「ゴホン!こちらAKE(エーケーイー)マルハチ。エマージェンシー!エマージェンシー!」

「・・・こちらコマンドポスト。AKEマルハチ状況を報告してください。」

「こんなの聞いてないぜ!何だってんだよ!」

「AKEマルハチ落ち着いて状況を報告してください。」

「これが落ち着いていられるか!早くベースへの帰還命令をくれ!」

「こちらコマンドポスト。遺憾ながら承服できない。AKEマルハチは遅滞戦闘を継続してください。」

「そんなこと言っている場合じゃ・・・ちくしょうわかったよ!やってやる!せいぜい徒花咲かせてやるよ!これでもくらぇ・・・うわー!」

 突然に始まった安芝居やすしばいは、はたまた突然の叫び声で終幕を迎えました。

 朱さんの言葉に端を発し繰り広げられたやりとりは私の理解の埒外でしたが、ふたりには何か意味のあることなのでしょう。

 それだけ言い、さっときびすを返した朱さんは「ふたりとも来てねー!」と言い残し教室を去っていきました。

「しぃ、コッキーの部室行くの?」

「え?ああ、はい。一緒に行きましょうか。」

 気が付けばイチカは既に帰り支度を整え終えた様子。揃い踏み、立ち上がり、私たちは肩を並べてコッキーの部室へ足を向けました。教室を出てしばし、気になったことを素直に聞いてみます。

「イチカ、さっきの朱さんとのやりとりには何の意味が?」

「うーん。意味はないと思う。」

「え!?」

「中身もなかったでしょ?」

「そう、ですね・・・ではなぜ?」

 イチカはそこで一端、言葉を区切ると顎に手を当てて考えるような仕草を取りました。

 そしてひとこと。

「楽しいから・・・?ノリ?」

 その言葉を、イチカの口から聞くとは思いませんでした。

(いえ!イチカのノリが悪いと言いたいわけではなく・・・っ!)

 誰に言い訳するものでもないはずです。しかし、私はほかでもない自分に言い聞かせるように自戒していました。

 イチカと過ごした時間は1年だけであり、決して長いとは言えません。

 それでもイチカのことをできるだけ知ろうと努めてきました。それでも、いまだ知らないことも多いと気が付きました。

 それは、おおよそ誰かにおもねることのないイチカでもこうしてノリで他人に合わせることができるのだと。

(思い込みは良くありませんね・・・それにしても・・・)

 イチカは楽しいと言っていました。

 普段であれば、イチカが楽しんでいることは喜ばしいことです。なぜなら私の普段とはイチカと一緒の時間を指すからです。

 しかし、今その感情の対象は私ではなく朱さんでした。

 私の中にはイチカの新しい一面を知れたことへの嬉しさがあります。

 しかし同時に、私にはわからない話を朱さんとしていることへの羨望か嫉妬、あるいはそれに準じた負の感情もあるのです。

 イチカの一面を引き出したのは私ではなく朱さんだったのだと。

 嬉しさと仄暗ほのぐらい感情、相反あいはんするふたつがないまぜになって押し寄せてくるのです。こんな些細なことで心がかき乱されてしまうのです。

 そして、この濁った感情はすぐに消化できないことを私は知っています。いくら自問自答しても解決できないこともわかっています。だから。

「イチカ、コマンドポストとはなんですか?」

 私は嬉しい方を選びます。まだ知らないイチカを知りたいのです。知ることで後ろ向きな感情を前に向けたいのです。

「私も詳しいわけじゃないんだけど、よくアニメなんかである・・・」

 私はイチカの全ての表情を読み解けている自信はありません。それでも、私の問いに応えてくれている今この表情が少しだけ嬉しそうに見えたのは私の勘違いなのでしょうか。

20230525サブタイトルの附番を変更しました。

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