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34 春驟雨-ハルシュウウ-

【真紀】

 昨日、イブっちがギターを弾いているところを見た感じからすると、初心者なりには弾けていると思った。だから今日もいちごを悔しがらせる程度には弾けると思った。

 しかし、蓋を開けてみると、それは予想以上だった。

 もちろん初心者特有のぎこちなさは感じるし、ドラムに合わせ弾くことができないのは致命的だった。

 しかし、イブっちの弾くペースに合わせてみれば、別物。ギターボーカルが様になっていた。

 それはお世辞にも完璧な演奏とは言えないけれど、それでも通すことはできたし、形になった。初めてのリハでこれだけ弾ければ大したものだ。

(まあ、2番Aメロ前までだけど。)

 ギターをスタンドに置く。今日のスタジオ練はこれで終わりだろう。いちごがコピーが終わってないということなら、もうここに残っている理由もない。徹夜で1曲通せるまでコピーしてきたが無駄になってしまった。

 なんだか少し疲れた。1徹しかしていないのに情けない。それもこれも、いちごのせいで余計な気苦労が絶えないせいだろうか。だからというわけでもないが、寝不足で少し言葉に険があるのは許してほしい。

 ちらといちごの様子を窺えば、下を向き、固く手を握りしめている。その肩は小刻みに震えていた。

 昔からそうだ。

 後先考えない見切り発車。感情の赴くまま一直線。そして何より、この木下いちごという女、熱しやすく冷めやすい。それはやることなすことすべてに当てはまるのだが、今回はどうやら田中という男に入れ込んでいるらしい。軽音部に入るのだって、どうせ田中に近づくためだろう。

 だけれど動機が不純だとか、それ自体を悪くいうつもりもない。音楽を始める、続ける理由なんて大抵はそんなものだ。

 弾き手に、楽器に、あるいはその演奏に。弾き手の意思には関係なく勝手に憧れる。

 だから、ひとりで暴走して自爆するなら勝手にすればいいと思うが、友だt・・・いぶっちに迷惑をかけるなら話は別だ。

 いちごの尻拭いをするのはごめんだが、今日くらいケツを持ってやるのは致し方ないことだろう。

(友達、ね・・・イブっちには嫌われちゃってるからな・・・お尻といえば、イブっちは柔らかかったな。)

 それは突然のハグ。あまりのことに気が動転し、偶然にも触れたその感触はもっちりしていた。

 柔らかかったのはお尻だけではない。その表情もまた朗らかだった。

 それは、もしかしたらウチに対して嫌悪ではない別の感情があるのではないかと思ってしまうほどに。

(どうしたものかな・・・)

 真っ先に騒ぎ出しそうな女は未だ俯いている。演奏が止んだ部屋に音はなく、アンプから出るハムノイズがやけに大きく聞こえた。

 静止する世界は、はたして少女の呟きによって音を取り戻した。

「た、楽しい・・・っ!」

 声の主、イブっちを見やれば喜色満面。健康的な色味を帯びた頬は春の陽気のように暖か。柔らかに歪められた表情は朗らか。どこかの雨模様とは対照的に晴れ晴れとしていた。

「真紀ちゃんセッションって面白いね!ひとりで弾いてるのも楽しかったけど、でも他の誰かと演奏するのはもっと楽しいんだね!」

「え?ああ・・・」

(ひとりで練習してるのが楽しいとかマゾっ気ありすぎ・・・)

 普通に考えて、弾けない状態から弾けるようになるにはいくつもの「できない」を乗り越えなければならない。

 ひたすらに反復して「できない」を「できる」に変える。そうしてひとつ「できる」ようになったらまた次の「できない」に取り掛かる。練習とはそういうものだ。

 どう取り繕っても「できない」ことに挑み続けることは、やはり苦しい。それをやり続け、ましてや楽しいと言えるのは控えめに言っても変態だ。

 楽器の面白さというのはある程度弾けるようになってからでないと味わうことができない。それ故に初心者は面白さに気づく前に辞めてしまうのだが、どうやらイブっちは違うようだった。

「練習が楽しいわけないじゃない!全然楽しくない!」

 突然、ウチのそぞろな受け応えにかぶせるように、いちごが吠えた。

 練習が、と頭についているけれど、むしろその言葉は今の状況を表しているのだろう。それはいちごの態度を見ていればわかる。初心者だと思っていたやつが自分よりも弾けたらそれは面白くないだろう。

「ご、ごめんなさい・・・ひとりで舞い上がっちゃって・・・」

「・・・っ!あ、あんなに弾けるなんて、ギター触ったことないなんて嘘なんでしょ!」

 語勢こそ強いが、いちごのこの表情、おそらく頭はすでに冷えている。

 しかし一度は売った喧嘩、いまさら引っ込みがつかなくなっているのだろう。

(しょうがない。話をそらしてやるか。)

「イブっち、別に謝る必要なんてないよ。それにしても上手だったね。めっちゃ練習したでしょ?昼休みも弾いてたし、結構やってたんじゃない?」

「ほ、他の人がどのくらい弾くのかわからないけど・・・ここ最近は放課後と、寝る前までずっと弾いてたかな・・・もう楽しくって!あ、でもつい寝る時間が遅くなっちゃうんだよね。0時には寝たいんだけど・・・最近はそのせいで寝不足なんだ・・・」

(放課後と寝るまでずっと・・・?)

 少しずつ調子を取り戻し始めたイブっちのその表情は嘘をついているようには見えない。それにイブっちのこれまでの話し方を考えると「ずっと」というのはものの例えではないだろう。すなわち、文字どおり休みなくだ。

「家ではどのくらい弾いてるの?」

「え?気にしたことなかったな・・・うーん。6時に夕ご飯食べ終わってから弾いてるかな?あ、でもお風呂にはもっていかないよ!」

 正直、驚いた。

 かなり練習しているだろうとは思っていたが、想像以上だった。

 風呂やトイレのことを考えて1時間くらいは弾かない時間があるにしても、相当な時間だ。

(下校のチャイムが鳴るまでとなると、放課後分はだいたい2時間ないくらいだろうか。そこに寝る前までと昼休みも加わるとすると・・・)

「うそ・・・あの曲のために6時間以上も弾いてるの?毎日?」

 いちごが驚愕の表情で呟いていた。

 それは誰に向けるともなく口をついた言葉だっただろう。しかし、イブっちはいちごの表情を窺うように言葉を拾った。

「え、えっと、その・・・あ、でも同じ曲をずっと練習してるわけじゃなくて・・・コード表見ながらメジャーコード?っていうのを弾いてみたりとか・・・練習するパートも間違えてましたし・・・」

 何とか明るく振舞おうとしていたイブっちだったが、はたして声は尻すぼみに立ち消えになった。

 固い笑顔のイブっちと驚愕するいちご、ウチ。もはや誰も声を発していない3人の間には奇妙な空気が流れていた。

(さて・・・なんと言ったものか・・・)

「負けた・・・」

 最初に声を出したのは意外にもいちごだった。

 その表情はさっきまでのものとは別物。だらりと下がった両腕が彼女の心持ちを表しているようだった。

「なんで泣いてるの・・・」

「だって・・・だって、好きなんだもん・・・」

 一聴すると支離滅裂。逡巡しても意味不明。しかし彼女の中では話はつながっているのだろう。推測でしかないが、ギターが弾けると田中に注目してもらえるってところだろうか。

「一回落ち着きなって。そこの男ども。何か飲み物買ってきてくれる?」

 誰だって他人に泣いているところなんて見られたくないだろう。

 それが意図的に見せている涙ならともかく、少なくともこの場にいるあの男子たちには見られたくないはずだ。

(はあ、気が利かないな・・・これだからガキは・・・)

 ふと、飄々(ひょうひょう)とした顔が思い浮かんだ。あの男ならこういう時もさらっとフォローしてしまうのだろうか。

「わ、私・・・外で待ってるね・・・」

 さすが、イブっちはわかっている。

 ウチはイブっちに視線で謝りつつ、いちごの肩を抱いた。

20230525サブタイトルの附番を変更しました。

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