31 パンクロッカー(精神のキャパが)
【忍】
通路を歩くことしばし、Fと書かれたプレートが掲げられた部屋の前に着きました。
見やれば、真ん中にガラスが嵌められた扉は分厚く頑丈そうなもので、二重扉になっています。そこにはこれまたゴツいドアノブがついており、いかにも防音扉ですと主張していました。
さて、なぜ私は部屋に到着したにも関わらず中に入らないのかというと、それは、私が実は扉を観察する癖を持っているとかそういうものではなくて、ガラス越しに中の状況が見え、端的に言えば二の足を踏んでいるのです。
屈んで通路から垣間見る中の様子は険悪そのもの。苛立ちげな様子の真紀ちゃんに何か言いたげな表情の甘声さん。こっくりさんとオド太郎さんは置物と化して、いないも同然のようでした。
(せっかくの二重扉だけど、開いてちゃ意味ないよね。)
少しだけ開いた扉の隙間から漏れ聞こえてくる声は真紀ちゃんのもの。その声音からは不快感を隠そうという意識が感じられませんでした。
「あんたね、初心者にあの曲のリードパートは無理でしょ?こういうのは経験者が導いてあげないといけないのに、なんで教えてあげなかったの?」
「そんなの、あの子から聞いてくればよかったことじゃない。それにいくらだってネットで調べられるし・・・」
「ギターも碌に触ったことがない初心者がそんな器用に練習できるわけないでしょ。自分の時のこと思い出してみなよ。」
「それは・・・・・・だってあの子、田中先輩と仲良さそうにして・・・」
「っと、失礼・・・げっ・・・」
中の会話に集中しすぎたせいでしょうか。私は通路を通る人に対する配慮が疎かになっていたようです。
背中に軽い衝撃を受け、部屋の中から視線を逸らしました。
振り向いた先は黒一色。黒い靴、黒いスキニーパンツ、黒いTシャツを着た男性。
低い位置のポニーテールで結ばれた黒髪。耳元に光るリング状のピアス。けだるげに歪められた表情できつい目元を細めさせ、私を捉えていました。
(な、な、なんで先輩がここにいるの!?)
驚愕、立ち上がってたじろいだ瞬間手に触れた固い感触。それは見慣れない大きな黒い箱でした。
私が知っているものの中で一番近いイメージは、スパイ映画なんかに出てきそうなアタッシュケースです。手引きのカートに載せられたそれは、私の胸まであるかという大きさでした。
広くはない通路、背中に当たったのはこのケースでしょう。私は壁に背中をつけて通り道を開けました。
先輩はペコっと頭を下げてケースを引き寄せ、お辞儀でズレてしまった、背中の黒くて細長い変わった形をしたリュックを担ぎなおしました。
(全身真っ黒だ・・・スタジオってこういう格好で来るものなんだ・・・)
全体的にぴったりなサイズ感で着ている先輩の身体の線がよくわかります。細い身体、日に焼けていない肌、クマの残る不健康な顔つき。なるほど、これがバンドマンですと言われたら、バンドのことを良く知らない私でも納得してしまうような、そんな見た目でした。
「かっこいい・・・」
思わず口をついたその言葉に、我ながら耳を疑いました。
かっこいい、と言ったのでしょうか。
この彩と輝きに満ちる長閑な春の陽気が似合わないであろうこの先輩のことを。華やかさとは反対称なこの姿を。
格好いいや可愛いなどという言葉は、それこそ先ほどの駅前で見た女子たちのことを指すのではないでしょうか。
おしゃれな服を着て、おいしいものを食べて、飲んで。休日に友達と笑い合う、そんな華やかで充実した青春を過ごす人たちに向けるもの。
間違ってもこんな色味がない格好で、ひとり窓もない閉鎖空間に用事がある人には似つかわしくない言葉。それが私の常識でした。
私自身、少なくない時間駅前の女の子たちと同じように振舞ってきた手前、そこに格好良さを感じるのはおかしいはずなのです。
それとも、世の同年代とは違うことをしている、アウトローな姿に惹かれてしまったのでしょうか。
(確かに先輩はちょっと斜に構えた感じだけど・・・この格好も似合ってるし・・・って!私どうしちゃったの!?これじゃまるで先輩のこと気になってるみたいじゃん!)
完全な自爆とはいえ、羞恥で顔から火が出そうでした。
悶え、頭を抱えたくなりそうになる気持ちを必死に抑え込みます。変な子だと思われたら堪りません。
しかしそんな私の気も知らず、先輩の視線は私の目を捉えて離しません。
普段、男子に見つめられることなどない身からしたらこれは堪えます。火が出た顔から、宛も導火線を辿るように熱が全身を回りました。
「な、何ですか先輩・・・」
「いや・・・その・・・」
先輩は言い淀み視線を外してしまいました。
しかし、わざとらしい咳払いをひとつ、私に向き直ると口を開きました。
「その、なんだ・・・おまえロックだな。」
「先輩まで!?何でみんな私を見てロックって言うんですか!?」
真紀ちゃんやモヒカンのお兄さん、先輩まで口を揃えて私のことをロックと言います。
周囲に合わせ、浮かないように振舞ってきた私はごく普通の平均的な女子高生のはずです。
ギターを始めて間もない私にロックのなんたるかなんてわかるはずもありませんし、少なくとも私自身はロックであろうとはしていません。そんな風に言われる謂れはないはずです。
「何でって・・・まあ、ビニール袋でギター運んでいる女子高生がいれば誰だって尖ってると思うんじゃないか?」
「へ?」
先輩は「ロックって言ったのは何となくなんだけど・・・」と付け加えながら困惑の表情を浮かべています。
しかし、そんな先輩の困惑をよそに私の心中には大きな疑問が鎌首を擡げていました。
「先輩・・・」
「・・・何?」
「ギターってビニール袋で運ぶものじゃないんですか?」
「いやありえないだろ・・・逆に何でそう思ったんだよ・・・」
「・・・クロエ先輩がそうやって運んでいたので、てっきりそういうものだと・・・」
「あいつか・・・」
質問する前からなんとなくわかってはいました。
それでも一縷の望みを託した私の疑問はあえなく粉砕されることになったのです。
そうして飛び散った破片は私の心に突き刺さり、精神力を大きく削る結果になりました。
私の羞恥心はピークに達し、目の前がチカチカしました。
先輩は同情をかけてくれているのでしょう。いつもはきつい印象を受ける目元が柔らかく、生暖かを感じました。
そういえば最近よく街中でチラチラとした視線を感じるのは、私の手元のギターを見ていたということなのでしょう。
いえ、先輩曰く、それが制服とセットになることでさらに奇異さを増すと言うのです。
(つまり、私が変な子って見られてたということ・・・)
日々、周りの目ばかり気にしてきた私にはこの状況はすでにキャパオーバーです。まるでスカートなし、タイツだけで街中を歩いていた、そんな気分でした。
「先輩・・・」
「・・・・・・何?」
「教えてくれてありがとうございます。失礼します。」
「え、ああ・・・」
もう顔をあげることはできませんでした。頭を下げてそのままの姿勢で部屋に滑り込みます。
私の羞恥は精神の壁を超え、体表に発露したエネルギーは重たい扉を容易く動かしました。扉は見た目のとおりの重たいものでしたが、今の私には造作もないことでした。
「え?あ、イブっち?来なくていいって言ったのに・・・ってどうしたの顔真っ赤だよ?」
私を迎えたのは二種類の視線でした。
ひとつは私を心配するような真紀ちゃんのもの。もうひとつはこの部屋の険悪な空気の原因を作った話題の人に対する懐疑、あるいは怪訝の視線。それらは他の3人から向けられたものでした。
「真紀ちゃん・・・」
私のことを心よく思っていないだろうにも関わらず、真紀ちゃんの表情は本当に優しいものでした。
「と、とりあえず座ったら・・・い、イブっち!?」
気がつくと私は、スツールを持ってきてくれた真紀ちゃんを抱きしめていました。
真紀ちゃんも訝しむ気持ちがないわけではないでしょう。それでも私の様子を気にかけてくれる態度はやはり友達甲斐があるということなのでしょうか。
「ほ、ほんとにどうした・・・?」
「なんでもない・・・」
真紀ちゃんは突然のハグでも突き放すことなくそっと受け止めてくれました。
衆目を浴びる形、他の3人の視線が刺さっていますが、もはや気にする余地はありません。
「そう・・・あ、ああ!そういえば今日もコンビニの袋でギター運んでるんだ。やっぱりイブっちロックだね!」
思えば、真紀ちゃんも私が醜態を晒すことになった元凶のひとりでした。
「ちょ、ちょっとイブっち?ちょ・・・っ!」
アナコンダも斯くやというもの。
私は困惑する真紀ちゃんの制止を聞かず、背中に回した手に力を込めてその細い身体を締め上げていました。
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