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26 Cut To The Feeling(後編)―訳して、気持ちに素直になる of side Shinobu―

【忍】

 コッキーポップ同好会の部室を後にし、廊下を進みます。どこに向かっているかはわかりません。先を行く真紀ちゃんに手を引かれるままついて行っているだけです。

 窓から差し込む赤色が濃い陽光、その波長の長い光を受けて長く伸びた影はいびつで、しかし鮮明に私の影を形作っていました。

 部屋に案内されたときにはわかりませんでしたが、どうやらここは部活棟のようです。周りに人影はなく、廊下にはふたり分の足音だけが響いていました。

「急にごめんね。予定とかなかった?」

 部活棟と本校舎をつなぐ渡り廊下に差し掛かった時、それまで無言だった真紀ちゃんは口を開きました。

 一瞬、家の手伝いのことが頭をよぎりましたが、問題ありません。今日は妹が担当の日です。ほかに用事らしい用事も思いつかなかったので問題ない旨を伝えました。

「その、どうして・・・」

 今一番気になっていること。それはコッキーポップ同好会への入部は辞めた方がいいとの突然の否定についてです。真紀ちゃんが続きを話さない中、私はそのことを聞かなければいけない気がしました。

「どうしてって、入部のこと?」

「うん・・・」

 渡り廊下も中ごろ、真紀ちゃんは足を止めて振り返りました。

「そうだね・・・部屋に入ったときに思ったけど、まず音楽をする環境じゃない。音楽に国境も場所も関係ないとはいえ、せめて部屋は片付けるべきだと思わない?」

 部屋の状況を思い出しているのでしょうか。真紀ちゃんの顔は苦々しいものでした。

 確かにあの部屋には、凡そ音楽系のクラブに必要ないだろう雑貨や小物、古ぼけた机、ソファーなどが置かれ雑然としていました。そして部屋の奥には、布で隠されているものの、モップやバケツ、運動部が使う給水ボトルなどが堆く積まれていたので、真紀ちゃんの言うことも納得できます。

「軽音部はきっちり整頓されていたでしょ?せっかくギター始めるんだし、少しでも環境がいい方が良くない?」

「それは・・・確かに・・・」

 私だって汚い部屋より綺麗な部屋の方が好きです。あのままずっとというのは少し眉根が寄ってしまうところです。

 しかしそれは部屋を片付ければいいだけのことで、それ自体は私が入部をやめる理由にはならないと思いました。

「環境つながりで言うと、次は機材。軽音部と比べると、十分とは言えないよね。スタンドや譜面台なんかはなかったし、アンプも、先輩たちは自分のを持っているからいいのかもしれないけど、ギター始めたばっかりのイブっちがそこまで買いそろえるのは大変だよ。」

 何をどれくらいそろえるべきかわからない私でしたが、そういくつも物の名前があがるということは、やはり機材が潤沢ではないということなのでしょう。

「そういった意味では一通りの機材が揃っている軽音部の方が初心者に優しいってこと?」

「そうとも言えるね。まあ、ウチたちが知らないだけで、部屋の奥とか別の場所にアンプやPA卓があるのかもしれないけどね。」

 そこまで聞いて、ふと気になったことがありました。

「スタジオ?っていうところで練習するんだったらここに機材が無くても問題ないんじゃない?」

「お、そこに気が付くとはやるねイブっち。確かに、スタジオ練が主なら、ここに機材がないのは納得だね。けど、重大な問題が発生する。」

 意味深にそこで言葉を区切った真紀ちゃんに、「重大な問題?」とオウムのように言葉を返してしまいました。

 会話が途切れたにも関わらず深刻な空気を感じないのは、真紀ちゃんがどこか気恥ずかしそうに頬をかいているからなのでしょうか。

(それにしても・・・)

 さっきから、いえ、今日一日中ずっと、真紀ちゃんの言葉に頼り切りの自分に気分が落ち込みました。それに同じ言葉を繰り返すくらいならおもちゃのぬいぐるみでもできます。なんならペッパーくんの方がまともな返しができる気さえします。

 しかしそんな私でもロボットと張り合っても意味がないというくらいはわかります。ここはオウムの地位に甘んじることにしましょう。豚になったり鳥になったり、我ながら情けない限りです。

(早く人間になりたい・・・なんつって・・・)

「世のバンドマンの懐を圧迫する10大要因のひとつ。スタジオ代さ。」

「お、お金?というかバンドマンの懐ってそんなに外的要因にさらされるの・・・」

「ま、まあ、10大っていうのはウチが適当に言っただけなんだけど・・・バンド活動においてお金関係は重大な問題だよ。」

「世知辛い・・・」

「バンドマンに限った話でもないんだけどね。まあ、当然スタジオを借りるにはお金がかかる。そして、イブっちはギターを始めるにあたってそろえなければいけないものがたくさんある。湯水のようにお金を使えるのなら別だけど、そうでないならこれって結構大変なことだよ。」

「なんだか説得力がある・・・」

 自分を奮い立たせるための無理やり明るくした思考が伝播したわけではないと思いますが、真紀ちゃんは少しだけ恥ずかしそうに笑って話していました。

 しかしそれも話すにつれ、なりを潜めて真紀ちゃんの表情に影を落としました。そのどことない仄暗さに、何か真に迫るものを感じました。

 ことお金の話になると、私も眉を顰めざるを得ません。

 一応、家業を手伝って、バイト代という名のお小遣いをもらってはいますが、それも多くてあまりあるというわけでもありません。出費というのは重要な判断基準になりそうです。

「それに初心者のうちからスタジオ通いはおすすめしない。スタジオで練習する意味を知ってからの方が後々のためにいいと思うんだ。あとスタジオってお金がかかることもそうなんだけど、希望の日に予約を取るのも難しいんだ。練習したいって思った時にできないのはかなりのストレスだし、その点でいえば、軽音部ならアンプと部屋さえ空いてれば、比較的簡単に練習できるから良いと思う。ショバ代もかからないし。」

 お金の面からスタジオ通いはなるべくなら避けたいところではありましたが、どうやら加えて別にも理由があるようです。

 ここまで話を聞いて、真紀ちゃんの言葉は軽音楽部を勧めるものに聞こえました。もしかしたら私が軽音楽部しか見ていないため、比較対象として軽音楽部をあげてくれたのかもしれませんが。

 しかし、こうして話を聞く限り、軽音楽部という選択は悪くないものに思えてきました。

(そうなると軽音楽部の方がいいのかな?真紀ちゃんのおすすめだし。)

 傾いていた私の感情の振り子は大きな揺り戻しが起こり、真逆に振れていました。

「まあ色々言ったけど、それは結論じゃなくて判断材料のひとつだよ。」

 刹那、私は自分の浅はかさに吐き気がしました。そのひとことで、私は自分の間違いに気が付いたのです。

 真紀ちゃんは何もコッキーポップ同好会に入ろうとしていた私を翻意させるために軽音楽部の利点を語ってくれたわけではありません。

 むしろ今まで見えていなかった軽音楽部の利点を見える形で提示してくれただけであって、間違っても私を軽音楽部に入部させるように誘導していたわけではありません。

 それにも関わらず、真紀ちゃんの言葉にただなびき、決断するふりをしている自分がひどく醜いものに感じたのです。

「そして、もうひとつ、材料を加えるとすれば、一番最初に言ったこと。」

「・・・フィーリング?」

「そう。またの名を音楽性ともいう。ウチはそれが一番大切だと思ってる。」

 私の心の中はぐちゃぐちゃでした。それでも真紀ちゃんの言葉は続きす。

 打ちひしがれている中、真紀ちゃんが訝しむような表情をしていないということは、外見上はうまくごまかせているということなのでしょうか。

「演奏に感動したって言うぐらいだから、イブっちの音楽性はここに合ってるのかもしれないね。」

(私の・・・?)

 それは言葉のあやなのかもしれません。いえ、会話として普通にあり得る言葉の形です。そこに引っかかりを覚える方がおかしいのかもしれません。しかし。

「今、私のって言った?私の音楽性?・・・真紀ちゃんは?」

「ウチ?ウチはやめとこうかな。ここ。」

 胸がぎゅっと締め付けられた気がしました。

 それは、当然同じクラブに入るのだろうと思っていた、その思い違いが作る衝撃が大きかったせいでしょうか。あるいはすでに真紀ちゃんに依存している自分の卑しさに気づいてしまったせいなのでしょうか。

 いえ、おそらくはその両方です。

「え・・・な、なんで?」

「イブっちがクロエ先輩と話しているとき、私も他の先輩たちに話聞いてたんだけどさ、コッキーって私がやりたい音楽ではないんだよね。」

 辛うじて絞り出した疑問の声はともすればかすれていたかもしれません。

 しかし真紀ちゃんはそれを溢すことなくしっかりと拾ってくれます。そうして答える声は淀みなく平坦なものでした。

「ま、真紀ちゃんがやりたい音楽っていうのはわからないけど、私もそれやってみるし、だから真紀ちゃんも一緒に・・・」

 頭では自分の汚さがわかっています。しかしそれでも真紀ちゃんを頼ってしまうのは染み付いてしまった習慣なのでしょうか。それともやはり、それこそが私の本質なのでしょうか。

「・・・イブっち。音楽性の違いってやっぱりあるんだよ。無理してやりたくない音楽やってたってそんなのつまんないし、長く続かないよ。世の中、バンド組んでから音楽性の違いだなんだって言って解散するバンドは結構あるからね。ウチはそんなの御免だよ。」

 意図的に区切られた言葉。真紀ちゃんは私の目を真正面に捉えて、ひとこと。

「イブっちは誰と音楽がしたい?」

 未だ縋ろうとする私を突き放すように、真紀ちゃんは淡々と言葉を紡ぎました。その表情は暗く影を落としています。もしかして、いえ、もしかしなくても嫌われてしまったようです。

 それも無理もないことなのかもしれません。こんな濡れ落ち葉のような、あるいは靴底にくっついたガムのような女と連るんでいたって真紀ちゃんにはなんの得にもならないでしょう。百害あって一利なしとは言い過ぎでしょうか。

 はたして、私は真紀ちゃんの問いに答えることができませんでした。

「まあ、今無理に決めなくてもいいと思うよ。今日は金曜日だし、週末に色々考えて・・・あ、そうだった。土曜日のスタジオ練行かなくていいからね。ウチが・・・」

 何も言わない私を気遣うように真紀ちゃんは言葉を紡ぎました。当の私は気もそぞろ、乱れる思考が邪魔をして、会話の内容が頭に入ってきませんでした。

 努めて明るく振舞おうとする真紀ちゃんとは対照的に、あたりは薄暗くなっていました。

 雲に隠れた太陽が茜色の陽光を漏らしてあたりを薄く照らす中、私は帰路につく真紀ちゃんの背中をただ見送りました。

 その姿に影はなく、はたして、私の背後にもそれは伸びてはいないのでしょう。

20230325本編の誤字及び文章の表現を一部修正しました。

20230525サブタイトルの附番を変更しました。

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