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25 Cut To The Feeling(中編)―訳して、気持ちに素直になる―

【忍】

 拝啓。昨日の私へ。あれだけお饅頭は2つまでにしておきなさいと言ったのに、なぜ4つ食べたのですか?

(はっ!?あ、危ない!意識が飛びかけた。)

 ブラのホックが外れた、そのあまりのことに思考が停止してしまいました。

 そうして止まった思考はブレーキとアクセルを踏み間違え、現実からの逃避行をひた走るところでした。止まっているのに動く。もうそれだけで私の頭が混乱していることがわかります。

 幸いにも、わずかに残っていた理性によって先輩からの視線を切って背中を向けることはできました。しかし背を向けたからといって事態が好転するものでもありません。このまま制服に手を入れて付け直すわけにもいきませんし、それになにより、気のせいか先輩からの視線を感じます。もしかしてばれているのでしょうか。

(ど、どうしよう・・・そ、そうだお手洗いに行けば!・・・でも急に胸を押さえて走り出したら変な子だよね・・・)

 万事休す。思考が止まっていようがそうでなかろうが、私はここから一歩も動けませんでした。

「何ジロジロ見てるんですか?気持ち悪いですよキモジローさん。」

 はたして、どうすることもできなかった私に救いの手が差し伸べられました。

 それはコッキーポップ同好会の良心ことタチバナさんでした。

 タチバナさんは私だけに聞こえるように「お早く」と呟いて先輩の視線を切るように間に入ってくれました。それから、クロエ先輩とイチハナさんを引き寄せて3人で壁を作り、座っている先輩からの視線を完全にシャットアウトしてくれました。

 事態を察したクロエ先輩とイチハナさんの小声の謝罪を受け取りつつ制服に手を滑り込ませます。

(あれ、おかしいな・・・あ、もしかして留め具壊れてる?)

 背中に差し入れた手の感触に違和感を覚えて逡巡。程なくしてその正体に気づいた私は留め具の2番目の位置でとめる判断をしました。

 少々手間取ってしまいましたが、タチバナさんと話している先輩が気づいた様子はありません。どうやら事なきを得たようです。

(これ結構着てたしサイズアウトしちゃったかな・・・アンダーかトップかそれが問題だ・・・)

 再び逃避の道を行こうとする暴走気味な思考を引き戻します。それはいま考えてもどうしようもないことです。

(そう、どうしようも・・・・・・ダイエットしよう・・・)

 ある意味、私の試練はここから始まるのかもしれません。

 一段階きつくなったブラに少しの窮屈さを覚え、しかして、その感覚が私を現実につなぎとめてくれました。

 私が身なりを整え終えたことを確認して、先輩方は各々何事もなかったように着席しました。

 私も先輩方に頭を下げつつ腰を落ち着けました。しかしタチバナさんには感謝してもしきれません。よく気づいてくれたものです。

(タチバナさん素敵!こういう気遣いができる人のことをきっと大和撫子って言うんだよね!・・・あれ、でもそれだけよく私の胸を見てたってこと?)

 確かによく見ればシルエットは崩れていたかもしれません。しかし逆に言うとよく見ないとわからないような変化だとも言えます。今日初めて会った私の胸元の変化に気がつくものでしょうか。

(もしや何か気づいてはいけないことに気づいてしまった・・・?)

 タチバナさんの趣味嗜好について考えている中、何とはなしにその胸元に視線がいってしまうのは仕方がないことではないでしょうか。そうしてそこにあった変化に気づいたこともやはり必然なのかもしれません。

(あれスカーフの色が・・・)

 いつの間にか変わっていたその色は、ひとつ上の先輩のもの。見渡せば真紀ちゃんと先輩を除き全員が同じ色でした。

 またも欺かれたわけですが、もはや驚きがないのは私の精神が疲労しているからなのでしょうか。

 はたして、自らの疲弊を認めた私は深く考えることをやめました。

「まー冗談はこのへんにしといて、それで指宿さん入部する?」

 クロエ先輩は逸れてしまった話を戻すように、ひとつ咳ばらいをしてからそう言いました。

(私は・・・)

 この言葉を自問すると何となくそれっぽい答えにたどり着きます。

 しかし、私はそんな曖昧なものに従っていいのでしょうか。もっと合理的に考えるべきではないのでしょうか。

 だから正直、わからないというのが本音です。

 それは、私のその選択が正しいのか、それを選んでいいのかがわからないのです。

「ま、まだ迷ってます。軽音部もよさそうですし・・・真紀ちゃん、どうやって選べばいいのかな?」

 女々しい限りですが、私は真紀ちゃんを頼ってしまいました。

 色々なことを気づかせてくれる彼女なら、きっと今回も私に道を示してくれるだろうと期待を込めて声をかけたのです。

 真紀ちゃんは顎に手を当てて思案顔になることしばし、私の目を見て言いました。

「んー・・・フィーリング?」

「真紀ちゃん!?」

 思わずノータイムで反応してしまいました。

 今までの真紀ちゃんとは趣が違う回答は、私を驚かせるには十分でした。

 私の表情が可笑おかしかったからではないと信じたいですが、真紀ちゃんは苦笑いを浮かべつつ「冗談ではないよ」と言葉を続けました。

「音楽には大事なことだよフィーリング。」

 真紀ちゃんの表情は、今や苦笑いをおさめて真面目なものに変わっています。言葉どおり冗談で言っているわけではないようです。

 そうであれば、この言葉はどういう意味なのでしょうか。

 口を閉ざしている真紀ちゃんは、その言葉の意味を教えてくれるつもりはないようです。少しは自分で考えろということなのでしょうか。

 ならばと頭をひねってみたものの、私は今日初めて会った真紀ちゃんのことをよく知りません。それでもと真紀ちゃんがどう考えているのかを思考してはみましたが、結局、私が思いつくことしか浮かんできませんでした。

 真紀ちゃんは私が先輩方の演奏に感動したことを知っています。だからその感情を尊重して、音楽的に近い感性を持っているだろうコッキーポップ同好会に入る方がいいと言っているのでしょうか。

 それとも、この先輩方の人柄に惹かれるものがある、つまり波長が合いそうならそれで選ぶのは間違いではないと言いたいのでしょうか。

 後者であれば自分の中にある答えと近い気はするのですが、真紀ちゃんが言いたいことがこれらでない可能性は十二分以上あります。

 仮にこのどちらかが答えだったとしても、それらは自分の感情に従うということを示しています。それはすなわち気持ちに素直になるということ。私に当てはめれば、誰かにらず自分の心にって決めるということ。

「決めるのはイブっちだよ。」

 どこか諭すような真紀ちゃんの言葉で私の退路がなくなった気がしました。あとは私が答えを出すだけのようです。

 意識して下腹に力を込めます。なんてことはありません。たった数文字を言うだけでいいのです。

(よ、よし・・・!)

「あの・・・」

「まあ、でも判断材料くらいは一緒に集めてあげるよ。クロエ先輩、コッキーポップ同好会はどんな音楽をするんですか?」

(・・・ま、まだもう少し様子を見よう!焦る必要はない。そうだよね・・・)

 私の決意は空しくも霧散し中空に溶けて消えていきました。

 薄く開いた口からは、風を切るような音だけが鳴り、意味のある言葉に成ることはありませんでした。

(私はなんてダメな人間なんだ・・・こんな体たらくだからブラのホックがちぎれてしまうことになるんだ・・・私は意志薄弱な豚野郎だ・・・)

「自由!またの名を未定!」

 私とは対照的な、自信を持ったクロエ先輩のひとことは、部屋に重たい静寂をもたらしました。いえ、雰囲気に沈鬱さを感じるのは私の心持ちのせいなのでしょうか。

「・・・部員はどのくらいで、機材にはどんなものがありますか?」

 一瞬の停滞をみた部屋の中は、しかして、真紀ちゃんの言葉によって本来の様相を取り戻しました。もしかしたら真紀ちゃんなりにクロエ先輩との付き合い方が分かってきたのかもしれません。

「部員はここにいるので全て!今ある機材は・・・アップライトピアノとアップライトベース、ベースアンプ・・・あ、アコギもあるね。あとは・・・必要になったら適宜調達してくるよ!」

 クロエ先輩はどこ吹く風。周りの雰囲気など気にしていません。そうして空気を読む替わりに部屋のあちこちを見渡し、あたかも今発見したかのように指さしていました。

(把握してなかった、わけじゃないよね・・・?)

 最後に思い出したように「あ、カホンくんもいるよ!」と言って自分の座っている箱を軽く叩きました。ポンポンと叩くたびに不思議な音が鳴っています。どうやらあの箱は椅子ではなく楽器だったようです。

「・・・・・・そう、ですか。ちょっと失礼します。イブっち、少しいい?」

 私の心持ちとは関係なく続いていた会話は真紀ちゃんの言葉によって一端の区切り。そうしてクロエ先輩に断りをいれて立ち上がった真紀ちゃんは、私を部屋の角に手招きして声を潜めました。内緒話のようです。

「イブっちはコッキーポップ同好会をどう思った?」

 耳元で囁くような声音がくすぐったくて、口元が緩くなっていた私はすぐさま顔を引き締めることになりました。真紀ちゃんは真剣な表情でした。

「私は・・・いいと思った。」

 逡巡、言葉は思ったよりもすんなりと出ました。

 それは真紀ちゃんが相手だからか、それとも私が少しだけ成長したからなのでしょうか。

「理由を聞いても?」

 私の答え。それは曖昧に、しかし確かにある感情。

 それは、演奏に対する羨望。何かが変わるかもしれないという期待。人柄から感じる心地よさ、あるいは別の何か。

 これらの感情をなんと伝えればいいのかわからず、だから、私の答えは曖昧なものになってしまいます。

「なんて言えばいいのか・・・なんとなく、かな・・・」

 真紀ちゃんはひとつ頷くと、私の曖昧な答えに気を悪くした素振りもなく「そう」と呟きました。

「悪いことは言わないから、ここはやめた方がいい。」

 それは思いもよらないものでした。

 突然の否定に私は思わず真紀ちゃんの顔をまじまじと見つめてしまいました。

「イブっちさ、この後ちょっと時間もらえる?」

 立て続けにかけられた言葉。しかして、私はそのどちらにも明確な言葉を返すことができませんでした。

 私が碌な反応をしないことに、真紀ちゃんは少し困ったような表情を浮かべながら私の手を取りました。

 そうしてクロエ先輩たちに入部如何は週明けに回答する旨だけを簡潔に伝え、私を伴って部屋を出ました。

 私は未だ混乱の渦中にありました。

 ぐいぐいと私を引っ張って廊下を進む真紀ちゃんの手は暖かく、心強さを感じました。それは私の想像から外れない、頼もしい手でした。

 しかしそれで気づきました。

 暖かさも心強さも、それらはすべて私の感じたこと。思ったこと。あるいは願望。

 はたして、私の手を握るその手は歳相応に華奢、それは、同い年の女の子の手でした。

20230325本編の表現を一部修正しました。

20230525サブタイトルの附番を変更しました。

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