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15 柑橘-シトラス-①

うしお

「しぃ、大丈夫?」

 ステージでの演奏を終えて、私は少し呆けてしまっていたようです。

 声をかけられて我に返った私を見て、イチカは不思議そうな表情を浮かべていました。

 しかし、ややもして「先に行くね」と言い残してイチカはステージ袖へ捌けていきました。

 周囲を見やれば、駆けていくゴスロリ、連行される警察官。ステージに残っているのは私だけでした。

 私はイチカを追うようにステージを降りました。

 ステージ袖はいわゆるバックヤードというところです。

 閉鎖された空間、その人の多さから辺りは湿り気を帯び、汗や他人の匂いが入り混じったその空間は少しの不快感を感じました。

 周囲を確認しましたが既にそこにイチカの影はなく、代わりに責め立てられている黒江さんがいました。

(話しかけているあの方は確か・・・)

「黒江さん!生徒会としてあの行為は見逃すことが出来ません!なぜいきなりあのようなことを!」

「だってステージ出たかったんだもん。」

「だもん、じゃありません!秋津さんじゃあるまいし、可愛く言っても私にその手は効きませんよ!毎度毎度問題を起こさないでください!私は黒江さんの尻拭いをするために生徒会をやっているのではありませんよ!」

「私のお尻だなんて!多羅尾たらおのエッチ・スケッチ・ワンタッチ!」

「み、苗字で呼ばないでください!私は南波みなみです!」

「黒江・・・お前は昭和の小学生か・・・まあいい。ひとまず落ち着け生徒会長。」

 そうでした。多羅尾さんです。彼女は苗字で呼ばれることが嫌いとのことなので、みなさん南波と呼んでいる、生徒会長さんです。

 南波さんの不平不満は留まるところを知りませんでしたが、はたして、そこに割って入ったのは山城やましろ先生でした。

「た、助かりました山城センセ!」

「いや、助けてないぞ。お前にはこれから放課後お説教タイムだ。茶と茶菓子はないからな?」

「そんな殺生な!せめてお茶ぐらいは・・・あ、そうだ。あんパン食べます?」

 山城先生はきりっとした顔立ちでさっぱりした性格、担当の現代文の授業はわかりやすく生徒に人気があります。生徒指導担当で軽音部の顧問でもあります。ちょうどステージ脇で演奏を見ていたのでしょう。

 ですが、たまにわけのわからないことを言う人でもあります。いえ、一部の生徒には伝わっているようなのでわけのわからないこととは言い切れないのですが。

「賄賂を寄こしてもお説教はなくならないからな。いただこう。」

「そ、そんな!じゃーあげない!」

「時すでに遅し!やはり美味い!あんパンはつぶ餡に限るな。なんだか寿司食べたくなるな。」

「ジーザス!私のあんパンが!」

 周囲の生徒を置き去りにしてふたりで盛り上がっているところを見るに、黒江さんはわけのわからないことがわかる一部の生徒のうちのひとりなのでしょう。しかしこのふたりは先生と教え子という関係以上に仲がいいように見えます。馬が合う、波長が合うとでもいうのでしょうか。

「とにかく黒江は生徒指導室に来い。集まった新入生は解散させたから、生徒会は新歓ステージの後始末、コッキーポップ同好会のメンツは軽音部と協力して機材を片付けておくように。そうだ橘。軽音部長の佐藤に後で音楽室に行くから座して待てと伝えてくれ。さあ各々、行動開始だ。かかれ!」

 気合の入った掛け声を受けて、生徒たちは動き始めました。

 私は急にかけられた声に生返事を返しつつ、このまま突っ立っていてもしょうがないので、手短なパイプ椅子に腰かけました。

(ふう。座ると急に疲れが出てきますね。しかし我ながら、「わけがわからないことがわかる」という日本語は日本人として間違っている気がしますね・・・どれくらいやばいかといえば、「このケーキ見てサイズ感やばくない?」「んん!一口食べてみ?超やばいから!」「え?このお店のケーキで食中毒出てるの?どうしよう、やばいかな・・・」「嘘?やばい!嘘言うなし!」くらいには危うさを感じます。なんで日本人はこれが理解できるのでしょうね・・・)

 ついやることがなくて益体もないことを考えてしまいました。イチカが聞いたら笑ってくれるでしょうか。

 妄想も一区切り。周りに視線を向ければ、膝を折り、片付けに奔走する生徒たち。てきぱきと行動しています。

 対して、私はサボっているわけではありません。山城先生の指示に反抗しているわけでもありません。ただ、後片付けと言われても私にできることがなかったため、こうしてやれることが見つかるまで待機しているだけです。

 私が演奏で使ったのは講堂に備え付けのピアノだったので、それ自体を片付ける必要がありません。

 ならばと、シールドケーブルでも束ねようと思いましたが、それも既に手が回されていて、私は手に取ることすら叶いませんでした。

 見やれば、機材類が次々に運び込まれ、一か所にまとめられて山を作っています。軽音部は人数が多いので、この撤収の早さも当然と言えば当然なのでしょう。

 しかしそれだけが理由ではないように思います。

 たとえ人が多くても、いえ、多いからこそ効率的に動くように計画しなければなりません。その点、部長の佐藤さんは真面目できちっとした方です。この手際を見るに撤収の手順を事前に決めていたのでしょう。

(この計画性、黒江さんにも見習ってほしいものですね・・・)

 彼女の思いつきに振り回されて、思えばこの数日間はピアノにかかりつけでした。しかも同じ曲を延々と弾き続けるという精神攻撃付きで。

 今日演奏したI'll Close My Eyesは、以前から知ってはいました。過去には親族の集まる演奏会でセッションしたこともあります。

 しかしそれはいつだったかと思い出せなくなるくらいには昔のことです。急にやると言われれば、焦るのもしょうがないことではないでしょうか。

(とはいえ、なんとかなるものですね。それに今回は幸せそうなイチカが見れたので良しとしましょう。)

 たとえ着ぐるみを着ていてもわかりました。あの、ほくほくと上機嫌な様子はとても愛らしいものでした。

 思えば、イチカのあんなに楽しそうな様子は久しぶりに見た気がします。最後に見たのは3日前に一緒に行ったカフェでカヌレを食べたときでしょうか。

(私としたことがイチカの笑顔を3日間も絶やしてしまうとは!もっと笑顔が必要ですね。はあ、イチカ成分が足りない・・・)

 忙しさにかまけてイチカの笑顔を量産できていなかった自分には喝を入れなければならないようです。

(いっそイチカが好きなものハウスを作れば世界は笑顔にあふれるのではないでしょうか?ああ!でもそれだと一緒に住むことになりませんか!?私ったら!そんなはしたない!)

 思わず今の気勢にまかせて妄想に拍車がかかってしまいましたが、何か私の気分を高揚させることでもあったでしょうか。

 思い当たる節はないこともないですが、それを認めると黒江さんに負けた気分になるので、見ないふりをしましょう。

 ともあれ、イチカが楽しいことをして笑顔になる。そしてその笑顔を見て私も幸せになる。これぞWIN-WINというものです。

 さしあたっては演奏の疲れをイチカの笑顔で癒すべく立ち上がってその姿を探しました。しかしどうやら、私の目の届く範囲にはいないようです。代わりに見覚えのあるものを発見しました。

 壁際に置かれたパイプ椅子の背に掛けてある白い布。それはニワトリの着ぐるみでした。

 着ぐるみといっても、くまもんのようにいかにもなものではなく、頭の部分はそれっぽいものの、胴から下はどちらかと言うと動物デザインのルームウェアに近いものでした。

 演奏前、どうにも弾きにくかったのか、羽の形になっている腕の部分を外して床に叩きつけているイチカは、その恰好も相まって、コミカルで可愛かったものです。

 着ぐるみの頭部を手に取ってみると、ふわっと柑橘系の香りが鼻腔を擽りました。イチカがいつもつけている香水の香りです。

 先生に、香水は学校につけてこないようにと何度も注意されてもやめないところをみると、よほど好きな香りなのでしょう。イチカは元々こだわりが強い性格ですが、きっとこの香水もそのひとつなのでしょう。心地よい香りに疲弊した心が少しだけ和らぎました。

 ふと、悪魔的な考えが頭をよぎりました。

 ステージ上は照明や、アンプ、演者が放つ熱でとても暑かったのです。私もハンカチを濡れていない面に折り直すくらいには汗をかきました。

 それはくまのマスクをしていたせいもありますが、では、全身着ぐるみだったイチカはどうでしょうか。

 ふわりと香る香水。角が取れたミドルノートは、柑橘系をベースに甘い香りがしました。まさか甘い誘惑とはこういうことを指すのでしょうか。

 悪魔的な考えが、頭を満たしました。

 滲み出る好奇心、抑えきれない高揚。

 抗いがたい欲望。

 もしイチカがこの場にいれば確実に嫌がったでしょう。

 ですが、イチカはこの場にいません。

 次の瞬間には、私はニワトリの頭を被っていました。

「しぃ、何してるの・・・?」

 その声は聞き間違えるはずがありません。

 着ぐるみの中にあって、私は汗が止まりませんでした。

「・・・イチカ。」

20230307サブタイトルを変更しました。

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