落とし物停留所のオチガミさま
ところどころにヒビが入ったアスファルト。
畑と田んぼに挟まれた旧道沿いにポツンと建っている、もう使われなくなったバスの停留所には、古びた木造の待合場が残っています。
三人掛けのベンチが置けるほどの幅で、雨宿りができる程度に張り出した屋根。
特徴的なのは、一体いつ誰が設置したのかもわからない、物干し竿がかけられていることです。そうしてそこには、ひらひらと風に揺れるタオルが一枚。
洗濯もの?
いいえ、違います。
おや、ちょうどやってきましたね。自転車に乗った男子高校生がそれを見つけて、手に取りました。広げてみては、うんと頷きます。
「オチガミさま、ありがとうございました」
ペコリ、一礼すると、ふたたび自転車に乗って走り去っていきます。
彼が頭をさげた先には、壁に貼られた錆ついたプレートがひとつ。バス停の名前が入ったそれには「落神」と書いてあります。
ここは、落とし物が集められている、『落とし物停留所』
誰もが自由に使えて、利用できる場所なのでした。
*
はじまりは、なんだったのでしょう。
大きな道ができてバスの運行ルートも変わってしまって、この道が使われなくなってしまいましたが、住民たちにとってはそうではありません。
歩いて学校に通う小学生、自転車を走らせる中高生、畑に通うおじいさんやおばあさん。
いまでもたくさんのひとが、毎日この道を使っています。
ある日のこと。
通りがかったおばあさんが、道端でちいさな手袋を見つけました。
かたっぽだけの赤い毛糸の手袋には、ちいさなボンボンもついていて、とってもかわいらしいものでした。
――おやおや、誰かの落とし物かね。
手の大きさから考えても、小学生の低学年ぐらい。おなじぐらいの孫がいるおばあさんは、持ち主のことを思うととてもかなしくなりました。きっとすごく困って、探しているにちがいありません。
おばあさんは近所のひとでしたから、家からロープと洗濯バサミを持って戻ってきます。そうしてかつてのバス停の待合所へ行くと、通りから見えるような位置に手袋をぶらさげました。
もちぬしさんへ
おとしものをひろいました。もってかえってください。
安全ピンでメモをくっつけておきます。
夕方になって見に行きますと、手袋はなくなっていました。
そのかわり、うさぎの絵がついたかわいらしいピンクのメモ帳が残っていて、
みつけてくれてありがとう
そう書いてありました。
よかったよかった。持ち主さんにちゃんと届けられた。
おばあさんは満足して、家に帰りました。
それからというもの、おなじように「なにか」がバス停を飾るようになりました。
赤い手袋がぶらさがっているのを、たくさんのひとが見ていたのでしょうね。
ハンカチやタオルが軒先を揺らす光景が日常化したある日、物干し竿が登場しました。屋根から針金をつかってぶらさげられている、ちょっぴり古ぼけた物干し竿です。きっと家で余っているものを、誰かが持ってきたのでしょう。
物干し竿が登場すると、今度は洗濯バサミがいくつも置かれるようになりました。
赤、黄、青、緑。
カラフルで、かたちも大きさもちぐはぐなものが、集まりました。
落とし物の中には、物干し竿にぶらさげることができないものだってあります。
子どものサンダルが落ちているのを拾った男性は、捨てる予定だった三段ボックスを持ってくると、一番上のよく見える場所に置いておくことにしました。翌日にはサンダルが消えていて、ほっと安堵の息をついたものです。
ビスがなくなって、棚がぐらぐら揺れるようになった三段ボックスでしたが、いつのまにか誰かの手によって釘が打たれて、しっかり固定されました。ハゲハゲになっていた壁面にはペンキが塗られます。
地面に置いたままにしていると、水が染みこんでしまいそうですが、だいじょうぶ。誰かが持ってきたブロック塀のおかげで底上げされておりますので、雨が降ってもへっちゃらです。
雨といえば、傘。
【ご自由にどうぞ】
小学校を卒業して使わなくなってしまった、黄色のスクール傘。
ありふれた、透明なビニール傘。
男のひとが使うような、とびっきり大きな黒い傘。
チェック柄のおしゃれな傘。
急に降り出した雨に困ったひとは、屋根のある停留所に走りこみ、そこにある「置き傘」に気がつくと借りていきます。晴れた日に乾かしてきれいにして、そうしてまた元の場所へ。
傘は減ったり増えたりしながらも、尽きることはありません。
地域のみんなの善意によって成り立っているその場所は、落とし物停留所と呼ばれるようになりました。
壁にかけられたまま撤去されていないバス停名「落神」にちなんで、落とし物の神さま――オチガミさまと誰からともなく言いはじめて、いつしかみんながそう呼びかけるようになりました。
落とし物を見つけたら、「オチガミさま、よろしくお願いします」と言って預けます。
物を無くしたひとは、ひょっとしたらという気持ちを抱えて停留所を訪れて、そうして自分のものを見つけると、壁の神さまに向けて頭を下げるのです。
オチガミさま、ありがとうございました。
落とし物を届けたり、停留所を掃除したり、ソーラー式のライトを設置したのだって、顔も知らないどこかの誰か。
そんなふうにして、ここにはたくさんの神さまがいるのです。
誰もが、誰かのオチガミさま。
おや、また落とし物が届けられましたよ。
「オチガミさま、よろしくお願いします」
はい。
持ち主が、はやく見つかるといいですね。
おしまい