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赤い陽炎

作者: 大沢慎


「クッソあちぃじゃねぇか! 聞いてねえよ! カウル外しとくんだったぜ!」


 高館健二は愛車のGSX-R1100をまるで投げ捨てるように公園の傍に停めると、これまた厚手のレザージャケットを脱ぎ捨て、ヒートテックを腕まくりして公園のあずま屋のベンチに横になった。

 ゴールデンウィークを過ぎたばかりの北海道に、稀にある真夏日。

 大抵こういう日の北海道に住むバイク乗りは、騙されて厚着で出て後悔するのだ。今日も道内では高館と同じように寒さを嫌って重ね着をしたライダー達が悲鳴を上げていることだろう。


 晴れているのは、結構なことだ。暑いのも悪くない。

 恨めしいのはこれ以上脱げないヒートテックなんてものを着てきた自分自身である。

 すでに高館の背と脇には大きな汗のシミが出来ており、相変わらず革パンツの中は湯立つような熱気がこもっていた。


 高館は周りを確認し、誰もいないことを確認するといそいそと革パンツを脱ぎ始めた。

 汗で濡れた革が肌にひっつき、脱ぎにくい。

 こんな情けない姿を人に見られるのはゴメンだとばかりに必死に力いっぱい脱ごうとするのが、また暑い。とにかく暑いのだ。


 幸いこの場所は高館がツーリングに選ぶ、人がほとんど通らないルートである。

 当別という札幌の北東の街のさらに北にある月形、その手前を山に向かって進み、そこから名前のない道路に進路を変える。

 この道ですら知る人ぞ知る程度のひっそりとした道で、本来であれば高館はその先のワインディングを気持ちよく飛ばす予定だった。

 しかしあまりの暑さに、その道すら逸れ、通るのは農家さんだけと行っても過言ではない場所に入り、廃校跡地にひっそりと建てられた公園らしき空き地のあずま屋に逃げ込んだわけである。


 脱いだ革パンツとジャケット、靴と靴下を律儀にもまとめた高館は、ようやく涼しくなってきたとばかりにベンチに横になる。

 すぐに頭が低いことに気づいたので、先ほどまで着ていた裏地にキルティングが入ったレザージャケットを枕にした。

 恨めしいほどに暑かったジャケットもこうなってしまえば快適な睡眠の友である。


 夏日と言ってもまだゴールデンウィーク。

 これほどの気温なのに虫の声は少なく、蚊も出ない。飛んでいるのは蝶くらいのものだ。

 もう今日はやめだと開き直り、高館は昼寝ツーリングをしに来たということにした。

 日差しさえ凌げれば吹き抜ける風は涼しいものだ。高館は風が撫でる新緑の葉のざわめきを子守唄に微睡みへと落ちていった。


 それからどれほど眠っていただろうか。

 聞き覚えのある排気音が意識の遠くから響いて来たような気がする。


(……ニンジャだな……マフラーはBEETのステンか……?)


 すっかり深い眠りに落ちてしまった高館は重く閉じた瞼の中に、赤いGPZ900Rを思い描いていた。

 さっぱり頭が冴えてこない中、件の排気音が消えてカサカサと草を掻き分ける足音に、高館の目はようやく外の景色を捉えた。

 一瞬景色が真っ青になったが、すぐに色付き始めると、そこには黒のシングルレザージャケットを着た汗だくの女性が立っていた。


「……ぷっ。お昼寝中でした?」

「え? あっ!? い、いや、暑いし誰も来ねぇと思ってたから、ついよ!」


 可笑しなものでも見たというような表情の女に、高館は自分がよれよれのヒートテックとボクサーパンツ一枚という格好にようやく気付き、急いで革パンツだけでもと拾い上げるも、女は意に介さずにあずま屋へと入ってきた。


「いーのいーの、気にしないで。こんだけ暑けりゃ脱ぎたくもなるべさ」


 そう言いながら女もレザージャケットを脱ぐと、ポケットからタバコとジッポを取り出し火を付け、髪を一本に束ねた。

 真っ白なTシャツには高館と同じく脇と背に大きな汗染みが出来ており、首と額にはなお汗が浮き出ている。

 年は四十前後と高館と同じくらいのように見えるが、化粧っ気が無いので若く見えなくもない。


 高館は気にするなと言われてもパンツ一枚ではどうにも居心地が悪かったが、今更もじもじしてしまう方が恥ずかしいような気がしたので、開き直って座るとタバコに火を付け、話を振った。


「ニンジャかい? ステン管だろ」

「あ、分かる?! アルファベットっていうフルエキ! 音だけでよく分かるねー」

「ダチが乗ってるかんなー。でもアルファベットっつーのは知らねぇ」


 ニンジャ女は嬉しそうに紫煙を吐き出す。


「おにーさんのは初期型っしょ」

「おー分かんのかい。そーそー、一番最初のやつ」

「親が昔乗ってたかんね、懐かしいわぁ」


 女はそう言うと、携帯灰皿に吸い殻を突っ込み立ち上がった。

 背は女性にしては低くないが、それでもこの身長であの重いニンジャに乗るのは大変だろうと高館は思った。


「もう行くのかい?」

「いや、水飲みに行くだけ」


 水なんてあるのかと高館は女を視線で追った。

 汗だくの白いシャツからはブラの紐が透けて見え、細身のジーンズが大きめの尻を際立たせている。

 いつもなら目の保養になるのだが、いかんせん今はボクサーパンツ一枚という特殊な事態に陥ってるため、高館は致し方なく邪念を追い払うことに集中した。


 どうやら公園の水飲み場のようなものが山側の端にあるようで、女はそこで水を飲み始めた。

 何度も訪れた自分ですら気付かなかったのだから、あの女も何度も来ているのだろう。

 自分専用とは思っていないがこんな辺境の場所を訪れるライダーもいるものなんだなと高館は感心し、自身も喉がカラカラなことに気付くと恥ずかしさを頭から追いやり、そのままの姿で裸足をエンジニアブーツに突っ込み水飲み場へと歩み寄った。


「水飲み場があるとはねえ、気付かなかったよ」

「あは、私もここに誰かがいるの初めて見た」


 高館はまるで小学生のように、上を向いた蛇口から水を一気に飲んだ。

 地下水を使っているのか、冷えた水が体内に流れ込んでくるのが気持ち良い。気分が良くなった高館はそのまま顔を洗うと、頭から水を浴びた。


「ひー最高だぜ。こりゃここに寄る頻度が増えるな」

「うん、気持ち良さそう」

「やれば良いじゃん」

「やっちゃおっか!」


 女はそういうと、高館と代わって頭から水を浴びた。

 二人は頭から滴り落ちる水を手で切って、生き返ったとばかりに笑い合う。

 もはや高館のヒートテックも女のTシャツも汗だか水だか分からないほどに濡れていた。


「最っ高!」

「すげー冷たいなここの水!」


 二人はそれから何度か交代で頭に水を浴び、再度水を飲むとあずま屋に戻ってタバコに火を付ける。

 ツーリング先で言葉を交わすことはあるが、一緒に水浴びしたことなどはなく、高館はなんだか不思議な気分になった。


「ふー、気持ち良かった。これ吸ったら行こっかな」

「おお、今日はどこ行くのさ」

「そこ曲がって浜益行って、海岸沿い走るつもり」


 なるほどね、と高館は相打ちを打つ。

 手も口も濡れているのでタバコのフィルターが湿気って気持ちが悪い。


「おにーさんは行かないの?」

「あちーかんなぁ……俺のジャケット冬用だし、これもヒートテックなのよ」

「走ったら涼しいって。行こうよ」


 行こうよというのは、一緒にという意味なのだろうか。

 女性と二人でツーリングなら悪くない。だがあまりにもちんたら走られるのも辛いものがある。


「良いけどよ、どんくらいで走んの?」

「んー。100キロくらい? 分かんない。おにーさん走り屋?」

「いや、走り屋出来るほど曲がるバイクじゃねぇけどよ、あんまりトロトロ走られてもかなわねぇかんな」

「あは、おにーさんほど速くないと思うけどちんたら走るのは私も苦手だから大丈夫だと思うよ。遅かったら先行って良いし」


 じゃあ行くか、と高館は携帯灰皿でタバコを揉み消すと、靴下を履き、革のパンツを渋々履き始める。

 その間も女は高館の様子をニヤニヤと見ていた。


「いや、何見てんの」

「男の生着替えってやつ? 私、美希っていうの」

「ヒトが革パン履いてるタイミングで自己紹介するぅ!? 健二だよ!」


 高館はべたついた革パンツを無理やり一気に履くと、レザージャケットはギリギリまで着ないと決めて立ち上がった。

 二人が公園を出てバイクの前に行くと、赤黒のGSX-R1100とGPZ900Rが停まっていた。


「良いじゃん赤黒。フルカウルなら今日は暑いっしょ」

「そう! ホント外してくれば良かったー。って健二くんもフルカウルじゃん」

「信号待ちったら地獄よな。まあ浜益までは信号ないからいーけどさ」


 二人はどちらとも無くヘルメットを被り始める。

 メットを被った美希を見ると、真っ赤なラパイドネオだ。


「ラパイドじゃん! 被りかよ!」

「そうそう、白と迷ったけど、やっぱ白も良いね。暑いから早く出よー」


 二人はいそいそとジャケットを着てグローブを着けると、すぐにバイクに跨った。

 高館はガソリンコックをオンに戻してエンジンを掛ける。油冷エンジンはすぐにゴロゴロと回り始めた。


 億劫だからと逆駐車した二人は前後を目視で確認し、発進して先頭の高館からUターンをする。

 セパレートハンドルのGSX-R1100はお世辞にもハンドルのキレ角が多いとは言えず、田舎の道とあって一車線程度の道幅では苦労するが、美希がいる前でカッコ悪いところは見せられないと思い、高館は慎重且つ思い切り良くUターンした。

 一度左足を着いてしまったものの概ね綺麗にターン出来たと思った高館は、ミラー越しに美希の番を待った。

 GPZ900Rもまたセパレートハンドルのバイクだが、美希は臆する様子も無くスッとバイクを倒し込むと、幅1メートルほど余裕を残して綺麗にターンを決めたのだった。


(んだよ……結構上手いな。ニンジャだったら年式によっちゃ下手すっと俺よか速いかもしんねぇな)


 ミラー越しに美希が出発の合図と思われる手を上げてからシールドを閉めるのを確認すると、高館はゆっくりと加速を始めた。

 こういった田舎の本当に外れにある道は、ほぼ農家しか使わないと言っても過言では無い。

 道の先に林道やダムがあれば年に何度かは開発局の者も通るかもしれないが、ほとんどは農家の生活道路である。

 そんなところを飛ばすのは高館の趣味では無いので、ほとんど法定速度で分岐まで走り、分岐を曲がると少しペースを上げた。


 時折ミラーを見ながら様子を確認しつつ、少しずつ速度を上げていく。

 昔は大きなバイクチームにも入り知らない人達とも良く走ったものだが、ここ10年ほどはソロか気心知れた仲の友としか走っていない。

 無理にペースを上げて後ろで事故を起こされても後味が悪いので、高館は慎重に様子を見ながら速度を上げていくつもりだった。


 道はワインディングに入る。

 綺麗に整地されたアスファルトではあるが、この道を通る者は極端に少ない。

 新緑が芽吹き始めた山の中を、ペースに気をつけながら走っていた高館を、少しの直線区間で水冷エンジンの咆哮を轟かせながらGPZが抜いていった。


 高館はすぐにギヤを一つ落とし、アクセルを捻る。

 セッティングの出たTMRキャブレターからは適量の燃料が噴射され、高館を乗せたGSXRはヨシムラサイクロンの咆哮を上げてニンジャを追った。


(あんだよ、遅すぎってか! まあペース作ってくれんのは助かるけどよ、追い付けないのは勘弁してくれよ!?)


 高館はGSXRの大きなフェアリングに身を伏せてGPZとの距離を詰める。

 年式によって違いはあるが、GPZ900Rはおおよそ100馬力とちょっとだろう。GSXR1100は130馬力ほどある上に車重もニンジャと比べて軽いので直線であれば追い付ける。

 先に加速したGPZはテールランプを灯すと、スッと左コーナーに消えていった。

 先ほどのUターンのように力みのない自然なフォームに、高館は美希がGPZを走らせる姿をもっと見たいと、身体をイン側に入れて左コーナーを駆け抜ける。


 ようやく距離が詰まると、今度は車間を維持しつつ付いて行く。

 右に左に、低速と中速コーナーが続く区間を美希はGPZの重さを感じさせぬフォームでヒラヒラと、まるで空を飛ぶ戦闘機のように滑らかに走らせた。


(公道にしちゃだいぶ速いが走り屋ってほど無茶でもねぇな。フォームも地味だが綺麗で、何より全部の挙動が滑らかだ。ありゃ走ってて気持ちいいだろうな)


 高館はGPZのテールを追いかけながら、美希の走りに見惚れていた。

 適度に力が抜けており、後ろを走る高館を気にする様子もない。

 ただただ、GPZとの時間を楽しんでいるような走らせ方。


 男同士で走ればなかなかこういう絶妙なペース、自己完結的な走り方にはならないものだ。少なくとも、高館の周りはそうである。

 やれどっちが速いだ、どれだけ攻めているだ、フォームがどうだ、アマリングが、膝擦りがと、誰よりどうこう云々となりやすい。


 バイクはどんどん進化し、速く走らせようと思えばとんでもない速度域に達するようになった。

 高館も昔は周りに合わせてリッターのスーパースポーツなどを乗ったこともあったが、誰よりどうこうという世界に嫌気がさしてからは自分が乗っていて気持ちが良いバイクにということでGSX-R1100に乗り換え、それ以降は仲の良い友人達以外と走る機会が減っていった。


 極論、バイクなんてものは自分が気持ち良く走れればそれで良いのだ。

 そして目の前を走る美希は、初対面で且つ同じような年式、同じようなバイクに乗っている高館を後ろにしても、全く気負いなく美希自身が最も気持ち良く走れる乗り方をしているように見えた。

 高館にとってそれは、とても新鮮で且つ、非常に難しいことのように思えた。


 急な下りの右コーナー、美希はお尻を半分だけずらすとしっかりとブレーキングして速度を殺していく。

 フルブレーキングには程遠いが、心地良い減速Gに自然とタンクを挟む膝に力が入る。

 コーナー手前、しっかりと速度を落としたGPZはフロントブレーキのリリースと同時にスッと向きを変えて旋回する。この向き変えが戦闘機のように見えて仕方がないのは、GPZがトップガンとリンクするからだろうか。


(ブレーキは強化してんだろうな、制動力とコントロールに余裕を感じる。あのキレはフロント16か?)


 旋回中に描く弧は極めてスムーズ。

 若干アウト寄りからコーナーにアプローチするものの、インには寄らずにタイヤはおおよそ左車線の真ん中をトレースしていた。

 ブレーキランプが付きっぱなしなのはリアブレーキを引き摺っているのだろう。先の見えない下りヘアピンではその方が安心感がある。


(ペースは速いがかなりマージン取ってんな。センターラインギリギリにインを付かないのは対向車の存在が頭にあるっつーこったろ)


 視界が開けるとGPZが吠える。美希がアルファベットと言っていたサイレンサーは回せば回すほど音質が綺麗で迫力を増していった。これぞまさしく、大排気量のインラインフォアだと言った具合だ。

 高館も気分良くエンジンをぶん回した。

 すぐに追いつくのは馬力差というより美希がフルスロットルで走っていないのだろう。全開でもないのにわざわざゆっくり上まで回すと言うことは音を楽しんでいるに違いない。


(キャブもサスも変えてるな。足が柔らかく見えるのは公道を気持ちよく走るためか……ってまた悪い癖が出てんな。せっかく向こうが気持ちよく走ってんだから走りに集中すっか!」


 ついつい相手の走りやバイクを分析してしまうのはバイク好きの性かもしれないが、美希のライディングを見ているとそんなことを考えることすら無粋に思えた高館は、純粋に走りを楽しむ方へ思考を切り替えた。


 美希の走りには迷いがなかった。

 おそらく何度もこの道を走っているのだろう。

 ギクシャクすることなく、全ての動作が滑らかで美しい。


 高館は、初めての感覚に少々の感動と敬意のようなものを抱き始めていた。

 過去、他人と走った時には感じられなかった感覚である。


 思い返せば、人と走れば言葉を交わさずとも、不思議と伝わってくる意思があった。

 前を走っている人からは「ついてこい」「俺の走りはどうだ」「ここはゆっくり走ろうぜ」のようなもの、後ろを走っている人は「もっと出そうや」「本気は出すなよ」などと語り掛けてくる。

 これは断じて妄想ではないと、高館は感じていた。


 コミュニケーションにおける言語のやり取りは意外と割合が少ないと、どこかで読んだ。

 皆表情や雰囲気でもニュアンスを察するらしい。

 ことバイクにおいては、ライダーとバイク、乗り方、雰囲気などで、ある程度意思の疎通を図ることが出来ると高館は思っていた。

 要は、背中で語るというやつである。

 そして、多くのライダーは――否、過去高館と走ったライダー達は、確実に「語って」いた。


 しかし、美希のライディングは高館に語り掛けては来ない。

 全ては美希自身の内側で完結しており、目の前のライディングは美希とバイクの関係性の象徴であった。

 語り掛けては来ないが、存分にそれは表現されていて、且つ明確に伝わってきた。


 高館は得も言われぬ感動と同時に悔しさも感じ、左コーナー明けの直線で美希を抜き返した。

 美希は何事もなく、さもそれが当然だったかのように少し左にバイクを寄せた。


 速さを自慢したいわけでも、バイクを見せつけたいわけでもない。

 高館も、自身のライディングを美希に見せたかったのだ。


 極力後ろは気にしないと決めた。

 先ほどのペースであれば美希は付いてくる。

 ならば、そのペースの範囲内で、自身が最も気持ちの良いライディングをすれば良いのだ。

 幸い美希のペースは高館が適度な緊張感と集中力を以て気持ち良く走れるペースと似ていた。同じ時代に生まれた、似たような排気量のバイクだからかもしれない。


 ブレーキングはGPZより少し遅れて始まる。

 軽さが武器の油冷だから、それで良い。リア荷重で曲がるバイクなので、旋回前にブレーキングを終えるのは同じだ。

 前後18インチでフレーム剛性が低いGSXRの曲がり方はGPZとは異なる。

 ハイグリップと言えどバイアスタイヤを履くGSXRは、GPZのようにトラクションをタイヤに預けてグイグイ旋回していく手法では不安が残る。

 大回りのアンダーステアを軽さでスイっと曲がっていくのが、心地良い。極力フレームとタイヤに負担は掛けたくない。

 その代わり、クリッピングポイントを深めに取って視界が開ければ、バイクを起こしながらパワーでグンと加速するのだ。徹底した、スローイン・ファストアウトである。


 山菜採りが盛んな季節、どこに車が停まっているか分からない。

 落とし過ぎではというくらいに速度を落としてコーナーに入るのは、なんら恥ずかしいことではないのだ。

 それでとやかく言う仲間もいなくはないが、それが原因で事故を起こした奴も、何人も見てきた。

 良いのだ、それで。格好を付けても仕方がない。

 いや、それが格好良いという価値観が、どうかしているのだ。


 右コーナー明け、長い直線で甲高い排気音を感じようとアクセルを捻った矢先に対向車が見えた。

 高館はギアを一気にトップまで上げると加速を止めて巡航する。

 山間の片側一車線道路、例え分かっていても対向のバイクが100km以上出してすれ違えば恐怖を感じるドライバーも、いなくはないだろう。

 ましてやこの夏日、窓なんて開けていると、こちらが回転数を上げて加速すれば相当な煩さである。

 そんなことを昔バイク仲間に言ったこともあったが「大人になったねぇ」などと茶化されてからは、一人の時だけそうするようになった。


 しばらく走ると視界が開け、田園地帯に入る。

 高館は真っ直ぐ道なりに進むと交差点を右折して、セイコーマートの駐車場に入った。美希はすぐ隣にGPZを後ろから停めた。


「はぁー! めっちゃ気持ち良かった! やっぱ油冷の音は良いわぁ!」

「抜いてペース作ってくれたから助かったぜ、良いペースだったな!」


 二人はヘルメットとジャケットを脱ぐと、そのままコンビニでアイスと飲み物を買い、バイクの前の縁石に腰を下ろした。

 未だ太陽はじりじりとアスファルトを暖めているが、潮風とアイスが心地良い。


「なんか健二君の乗り方、お父さんにそっくりだった」

「そうかい。古いバイクの乗り方だからじゃねぇの?」

「んーどうだろ。あんまりそう感じることないけどねー」


 美希はアイスをしゃくしゃくと食べながら、目を細めて楽しそうにバイクを眺めていた。

 高館は美希のライディングを褒めようかと迷ったが、それは失礼なような気がしたし、ただ楽しそうに走っていた美希の乗り方をどうこう言うのは無粋な気がしたので、言葉を飲んだ。 


 アイスを食べ終えた二人は飲み物を飲みながら、駐車場端にある灰皿の前で一服を終え、どちらともなく出発の準備を始めた。


「次は海沿い下るんだろ?」

「んー! 迷う! もう一本走りたい気もする!」

「良いじゃん、じゃあもっかい走ろうぜ」

「ホント!? 次は最初から健二君先頭で!」


 高館は「りょーかい」と告げると準備を整え、GSXRを押して転回させると、ガソリンコックをONに戻してミラーで美希を確認し、セルを回した。

 美希はすでに出発の準備が出来ているようなので、すぐに発進して来た道を戻る。


 バイクの好みのせいか高館は何度もGPZ900Rと共に走ったことがあったが、それでも美希との走りは格別だった。

 気負わなくて良い。ありのまま、自分の走りを楽しめば良い。

 互いが互いの一番気持ち良い走りをし、それを互いに尊重し、敬意を忘れず、そして童心に戻ったように純粋に楽しむ。


 高館は、それが出来るのは美希が女性だからなのかもしれないと思った。

 独身で彼女がいない高館に下心が無いわけではない。

 しかし、そういった男女の関係性を越えて、今バイクの上で交わすコミュニケーションに高館は心地良さを感じていた。

 もし相手が男で、美希のように走る人だったとしても、高館はこうはならなかっただろうと思う。

 それは相手が出来た人間でも、高館自身が男と言うだけで、くだらないプライドのようなものをくすぐられてしまうからだ。

 そして、それを隠していたとしても、結局内に秘めてしまってる以上は美希と走る時のような感情にはなれないだろうと思ったのだ。


 何度か前後を入れ替えながらワインディングを楽しんだ二人は、ふくろうの形をしたトイレの建物にあるパーキングへと滑り込む。

 すでにバイクが何台か停まっていたが、健二は少し離れた場所にバイクを停め、美希もまたすぐ隣にGPZを停めた。


「いやーなんべん走っても気持ちいいね! 健二君上手いわぁ!」

「美希ちゃんも綺麗に走らすじゃん。トップガンの飛行機見てるみたいだぜ」

「マジ! 言われたの初めて! あのイメージで曲がってるのさ!」


 美希は心底嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして喜んだ。

 その仕草と表情が、高館にはとても可愛く映った。


「あれ、健二じゃん! 何よ女出来たの!?」

「健二君久しぶりっす!」


 楽しそうに話す二人に歩み寄ってきたのは革ツナギを着た二人の男で、高館の元バイク仲間である。

 二人は美希のGPZを囲み、眺め始めた。


「あー、こいつらバイク仲間。今日も青山攻めてんの?」

「そー、健二も復帰しようぜー。おー16インチかぁ懐かしいねー」

「ニンジャやっぱカッコいいなぁ。良いっすねぇカップルで油冷とニンジャ。ライダーもバイクも昭和っすね!」


 後輩と思しき若い男はそう高館に語り掛けるも、高館は「彼女じゃねぇよ」と否定する。


「またまた。健二君良い男だからよろしくね。走りはやめちゃったけど」

「だから俺はもう走らねーっつってるだろ。油冷で走ったってついてけねーもん」

「またR1000買えば良いじゃないっすか! 俺また健二君と走りたいっすもん!」


 高館は勘弁してくれよと言いつつ、タバコに火をつけた。

 二人の男もそれを見て、タバコを吸い始める。

 その後も二人は美希のニンジャを見てはあーだこーだと感想を漏らし、美希はその様子をただ眺めていた。


「っしもう一本行ってくっかな。健二、復帰待ってるからねん」

「油冷でも走りたかったらいつでも連絡下さいね! 俺のダチでFZRで走ってるやつもいるんで全然行けますよ!」

「あーまあ気が向いたら声掛けるわ」


 二人の男はそう言うとバイクの元に戻っていき、タバコを地面に落として足で踏みつぶすと何やら話しながら笑い声をあげ、爆音を轟かせて走り去っていった。


「ったくうるせー奴らだな。あいつら毎週走ってんだぜ」

「そうなんだ」

「わり、ちょっとトイレ行ってくるわ」


 高館は思い出したように、トイレへと駆けこんだ。

 そう言えばいつからしてなかったんだとくだらないことを考えながら用を足していると、外からGPZの排気音が聞こえる。

 美希かと思いすぐに出ようにも、たまりにたまった小便はなかなか終わらずに焦りが募った。

 ようやく終えて急いでチャックを締め、外に出た時には、美希が甲高い排気音を轟かせて走り去ってしまった後だった。



 そのシーズン、高館は例年になくバイクに乗った。

 何度も何度も月形から浜益に抜ける道を走った。美希に言いたいことは、沢山あった。


 赤のGPZ900Rには、まだ出会えない。



先日男社会に関するブログを読んで、思いついた小説です。

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